相合傘(後編)
「仁科さん……傘は僕が持つよ」
僕はせめてもの思いでそう言った。女性に傘を持たせるなど、紳士として失格――これは僕の言葉ではなく、誰かの受け売りだ。確か何かのギャグ漫画で見たセリフだったと思う。ともかく、こういうのは男の役目だ。
「ん、そうか。無理はすんなよ」
「大丈夫。まあ、これくらいは」
僕は仁科さんから傘を受け取り、右手で柄を持った。左側に僕で、右側に仁科さん。完璧に相合傘だ。正直、いつ心臓が爆発してもおかしくない。むしろ今しそう。
「……えーとさ、その……仁科さんの家まで送ってくよ」
そんな中で切り出す話題は、けっこう大胆なものだった。何を言ってるんだ、僕は。これじゃ下心丸出しで仁科さんの家を知りたいみたいじゃないか……。
でもそうしないと仁科さんが雨に濡れてしまうのも事実だ。これはこれでいいかな。
「そうか? 駅まででいいけど、そこそこ遠いぞ」
「大丈夫。僕の家は……駅の向こう側にあるからさ」
「そっか、悪いな」
校門を出る頃には話がまとまっていた。
事情を知らない人から見れば、僕達は恋人同士に見えること間違いなしだ。しかも、かなり不釣り合いの。
そこで少しでも釣り合わせようと、僕は意識して背筋を伸ばしていた。それに対して仁科さんは見事なもので、カーディガンに手を突っ込んで自然体でいらっしゃる。相合傘程度では動じないということか。
幸いにも今の時間は夜で、しかも雨まで降っているから通行人はいない。とは言え、さすがに対向車とかには見られてしまう。
……対向車と言えば、僕は車線側を歩いている。あのギャグ漫画のキャラは「紳士たるもの車線側を歩け」とも言っていた気がする。さすがに今時そんなことを意識する人はいないかも知れないけど、やれることは全部やっておかねば。
まあそれも狙って車線側を歩いているわけではなく、偶々だったんだけど。
「…………」
「…………」
それにしても、肩を貸してくれた時みたいにまた無言になってしまっている。仁科さんには退屈な時間を過ごさせてしまって申し訳ない。
だが話を切り出すのは無理だ。今の僕には余裕がない。仁科さんを濡れさせないようにするだけで精一杯だ。
そのため僕の右腕は次第に仁科さんの方へと寄っていく。でも過度に寄ったら彼女の体に触れてしまうため、一定の距離になったら右上方向に傾いていっている。後ろから見れば不自然極まりないだろう。
ああ、やっぱり駄目だ。この沈黙には耐えられそうにない。なんでもいいから言葉を発するんだ……。
「仁科さんって――」
「影山って――」
「……」
「……」
ほぼ同時だった。ほぼ同時に、同じようなことをお互いに言ったのだ。
「……影山、おまえから言え」
「えっ、いやいいよ僕は後からで」
「おまえの方が少し早かっただろ」
「そうかな。仁科さんの方が早――」
「言え」
「……はい」
仁科さんは席替えの日に見せたような鋭い目つきをしていた。僕にはやっぱり拒否権はないらしい。
でもいいんだろうか。僕の言いたいことなんて大したことではないのに。……まあいいか。
「仁科さんってさ、鷺沢さんとはどういう関係なの?」
「なんだ、そんなことかよ」
「ごめん、でも気になったから」
「霧子とは別に……小学校からの付き合いってだけだ。これでいいか」
「う、うん」
どうやら僕が最初に予想していたことで合っていたらしい。つまり仁科さんと鷺沢さんは幼馴染のような関係だということだ。
さすがに育ての親が異なるというのは違ったか。フィクションじゃあるまいし、そんな壮大な設定があるはずがなかった。世の中は意外とシンプルな構造をしているのか。
まあそりゃそうか。似てないもんなあ……総合的に。
ということで話はあっさり終わってしまったが、次は仁科さんの番だ。僕は話の権利を彼女に譲る。すると――
「……チッ」
舌打ちをされた。
……え、舌打ち?
まるで意味が分からない僕を差し置いて、仁科さんは足を早めていき傘の外へ出てしまった。
「ちょっと、待ってよ」
濡れさせるわけにもいかないので、僕も足を早める。そうして追いつけば、仁科さんはさらに足を早めてしまう。追いついては離され、追いついては離されのいたちごっこだ。
そしてついに仁科さんは早歩きどころか普通に走ってしまった。いくら回復したと言っても、まだ走るのは厳しい。
やがて彼女はとある白い建物の前で足を止める。そのおかげで追いつくことはできた。
「ど、どうしたのさ急に」
僕は傘を彼女に重ねつつ尋ねてみた。
「残念。時間切れだ」
「えっ?」
「もう着いたから」
「……えっ?」
僕の疑問は残ったまま、仁科さんは目の前の建物の方へと進んでいく。よく見るとその建物は駅の入口だった。
そして仁科さんは駅に入る際、いちど僕の方へと振り向き、
「じゃあな影山。また来週な」
と言って手のひらを顔の前にヒュッと突き出した。いつものように無表情ながらも、かすかに口元が緩んでいる気がした。
「仁科さんも……また来週!」
雨の音にかき消されないように、少し大きめの声で挨拶を返した。自分にしては珍しくスラッと言えた気がする。多分「また」という言葉に安堵を覚えたからだと思う。……それは次があるという意味だから。
さて、僕も家に帰ろう。
そうして僕は一度来た道を引き返していった。