暑さと除霊
「暑い」
仁科さんが手の甲で汗を拭いながら言った。文字数にしてたった二文字の言葉だが、その中には今抱えている問題の全てが凝縮されていた。
停電で失ったのは電気の明かりだけではない。クーラーや扇風機も使用不可になっているのだ。停電直後はまだ部屋がクーラーの冷却された空気に包まれていたが、時間が経つにつれてジワジワと熱の波が押し寄せてきている。外は大雨なので、もちろん窓を開けることはできない。
こういう時に頼れるのはアナログの力だ。僕は三人分のうちわとタオルをかき集めてきて、一人に一つずつ渡した。
「おお、助かる」
仁科さんはうちわでパタパタと仰ぎ始めた。しかし、
「……だめだ、全然涼しくならねえ。他になんかいい方法ないのか?」
「そんなこと言われてもなあ……。そうだ、氷でもばら撒いてみる?」
「お、それいいな。やってみようぜ」
「えっ」
冗談を言ったつもりなのに……やっぱり慣れないことはするもんじゃないな。
でもまあいいか。冷蔵庫も止まっているんだし、ただ溶けるのを待つよりは幾分マシか。
「じゃあ台所に行ってくるから、ろうそく一本借りるよ」
「おう、任せた。あたしはここで待ってるぞ。無駄に動いて熱を溜めたくねえからな」
「はは、正直だなあ……」
僕は本音をビシビシ言える仁科さんがちょっとだけ羨ましいと思いつつ、ろうそくを拝借した。すると鷺沢さんが「待って」と言ってきた。
「台所に行くんだよね? だったら、わたしも付いてっていいかな」
「え、どうして?」
「いいこと思いついたから……じゃ、だめ?」
「いや、だめなわけじゃないけど……」
「決まりだね。じゃ、行こっか」
「う、うん。分かった」
あれ? いつの間にか鷺沢さんのペースに乗せられていないか?
おかしいな、まるで僕が鷺沢さんに付いていくみたいだ。別にどっちでもいいけど。
それでも一応は僕がろうそくを持ち、先導する形で台所に行くと、鷺沢さんはそそくさと物色を始めた。思い切りよく動かされる腕には、全くのためらいが感じられない。一ヶ月前の保健室でもそうだったけど、おっとりとした見た目や雰囲気に反して彼女は本当に行動派だ。
やがて持ち出したのは、皿とそれから……塩が入った袋?
「わたしの用事は済んだよ。あとは影山くんの分だね」
鷺沢さんは僕にバトンを渡してきた。が、どうも目的が分からない。
何をしようって言うんだ? 除霊? 食塩で?
そんな疑問を抱きながら、冷凍庫を開けて氷のトレイを引き出した。少し溶けて底の方に水が溜まっているが、まだまだたっぷりとある。顔を近づけると冷気を感じられてすごく気持ちいい。
ん? そういえば……。
「もしかして、塩は氷に入れるの? そうすればもっと冷えるって聞いたことがあるし」
「……? あー、そういうのもあるのかぁ。気づかなかったよ」
「え。違ったの?」
いよいよ分からなくなってきた。でも、僕の説では皿を持ち出した意味がないし、そもそも氷に塩を入れると急激に冷える代わりに、溶けるのも早くなるとも聞いたことがある。
だとすれば……やっぱり除霊? まさかの?
「それよりもさ、早く戻ろうよ。真央ちゃんが茹でダコになっちゃう」
「茹でダコって……。まあいいや、そうしよう。でも暗いからゆっくり、慎重にね」
僕はどうせなら、とついでにペットボトルの飲み物なども冷凍庫から取り出してから台所を出た。
転ばないよう気をつけながら進み、リビングに戻ると仁科さんが「おかえり」と言ってきた。
「ただいま~」
鷺沢さんはそう返して、テーブルの上に皿を置いた。続けて袋から塩をザーッと高く盛っていく。そうして完成したのは、盛り塩としか言いようのないものだった。
「あれ? やっぱり除霊だったの?」
「え? なんのこと?」
鷺沢さんに素で返されてしまった。自分で言ったことだが、ものすごく恥ずかしい。冷静に考えろ、除霊なわけないじゃないか。食塩だし。
「これはね、除湿に使うんだよ。除霊じゃなくて、除湿ね」
「え、塩にそんな効果があるの?」
「うん。前に盛り塩をやってみたら、底の方に水がすごく溜まってたんだよね」
「へぇ……。塩って水気を吸うんだ。初めて知ったよ」
というか、鷺沢さんは盛り塩をやったことがあるのか。霊が見えてたり……しそうだ。いや、意外とシャレにならないくらい本当に見えてそう。
そんなことを想像したら、思わず背筋がブルッとしてしまった。これだけの蒸し暑さの中で寒気を覚えたのは、手に持っている氷のせいだろうか。確実に違うとは思うが、とりあえずテーブルの上に置いておこう。
さっきはばら撒くと言ったけど、ばら撒いたら後片付けが面倒なのでトレイに入れたままで勘弁していただきたい。
「よし、これで暑さは少しは和らぐかな」
僕は持ってきたペットボトルのキャップを回しながら言った。
テーブルの上は、二本のろうそくの間に氷と盛り塩が設置されているという、よく見たらすごく怪しい状況となっていた。
「やってもらった身でこういうこと言うのもアレだが……すごく儀式みたいだな」
仁科さんも僕と同じことを考えていたようだ。暗闇の中というシチュエーションも相まって、本当に儀式が行われそうな雰囲気が出ている。
だが、このおかげで良い時間の潰し方が思い浮かんだ。
「じゃあせっかくだし皆で、か――」
「怪談でもしてみる?」
「…………」
鷺沢さんにセリフを奪われてしまった。
そして、僕は見逃さなかった。
仁科さんが一瞬だけ、ものすごく苦い顔をしたことを。




