ええい、仕方ない!
形はどうあれ、お互いに昼食を済ませた。昼休みはまだ時間があるので、屋上に居続けることにした。
だからといって特別何かするわけではないが。僕達はただ、フェンスに肘をついて、青い空に漂う白い雲を眺めていた。
「あたしが屋上に来る時ってのはな」仁科さんがつぶやく。「こうやって空を見上げたい気持ちの時なんだ」
「へえ。よく来るの?」
「いや、最近はあまり。前は結構来てたけどな」
「あー、梅雨だし雨の日が多いからね」
(カツン……)
「……ちげえよ、そんなんじゃねえ」
と仁科さんは頬杖を付きながら言った。
ただそれよりも、今かすかに足音が聞こえた気がする。靴底が硬い床に当たる音。屋上への階段を上っているなら最悪だが……。
「ちなみに今日は空を見上げる気分じゃねえ。おまえが、どうしても弁当を食べたいからって――」
(カツン)
聞こえた。絶対に聞こえた。
しかもさっきより音が大きい。かなり近づいてきている。
立入禁止の場所に、しかも男女二人でいるのを見られたらどうなることか。わりと想像できてしまうから余計に恐ろしい。
仁科さんは気づいていないのか?
……ええい、仕方ない!
「言ったから仕方な――っ!?」
僕は仁科さんの左手を無理やり引っ張り、屋上入り口付近の物陰まで移動した。
これで僕の聞き間違いだったら大目玉だ。不可抗力とはいえ、仁科さんの手を握ってしまったのだから。
「なんだよ、からかわれて気でも悪くしたのか?」
(声抑えて。誰かが屋上に近づいてきているんだ)
僕は小さくささやいた。
(……つ、すまねえ。気づかなかった)
仁科さんも状況を察し、僕に合わせてくれた。
それから程なくして、屋上のドアが開く。男の声がしてきた。
「あれ、なんか施錠されてなかったような気が……まあいいか。早く作業を終わらせてしまおう」
独り言の内容からして、僕達の真上にある貯水タンクの点検か整備だろうか。……間違いない、はしごを上る音がはっきりと聞こえてきた。
すごくピンチなのに、ちょっと安心しているのはなぜだろう。あ、聞き間違いじゃなかったからか。
でも、安心して心の余裕が生まれたおかげで、次にやるべきことが見えてきた。
(ここから早く脱出しよう)
(なんでだよ。このまま隠れてやり過ごしちゃだめなのか?)
(あの人も鍵を持っているはずだよ。作業が終わったら鍵をかけられて閉じ込められてしまう)
(あ、そっか。そうだよな……)
とは言ったものの、動くからにはそれなりのリスクも生じる。要は自分達の足音でバレやすくなってしまうのだ。
今いる場所の裏側にあるドアから出ればいいだけなのに、すごく緊張してきた。でも、時間制限があるからウジウジしてはいられない。
(……とにかく、慎重に行けば大丈夫だよ)
コクリ、と仁科さんはうなずいた。
作戦開始だ。
僕が先頭となり、壁伝いにゆっくりと、そろ~りと歩いていく。とりあえず壁にべったりとくっつけば、上からは死角となって見えないだろう。
とにかく、音だ。音に細心の注意を払って進めば大丈夫なはずだ。
そうしてドアまでわずか数メートルの距離を、五分くらいかけてやってくることができた。
が、最後の難関だと言わんばかりにそのドアは閉められていた。
つまり、開ける必要がある。音が鳴ってしまう可能性が高いのだ。
ドアノブを回して引くだけの単純作業が、こんなに大変だと思うのは今日くらいのものだろう。
(……あたしにやらせてくれないか?)
思わずたじろいでいると、仁科さんの方から志願してきた。
……分かった、任せる。僕は無言でゆっくりとうなずいた。
仁科さんの右手がドアノブに触れる。そのまま手のひらで包み込み、ドアノブをゆっくりと90度回した。
そして、絶妙な力加減でドアが無音で引かれていく。みるみるうちに、人が一人入れる隙間が確保された。
(よしっ)
仁科さんはそうつぶやきながら屋上から出る。僕もすぐさま続くこととなった。
あとは、一秒でも早く屋上から離れるのみ。僕達は音があまり鳴らないように、つま先立ちでトントントントン、とリズミカルに階段を下りていった。
やっと四階にたどり着いた。
「「はあぁぁ~~~~っ」」
同時に息を思いっきり吐き出す。溜まっていたものが全て流れ出ていったようだ。
「はあ、はあ……すごく緊張した」
「ああ、そうだな。でもな影山。……そ、そろそろ手は離してもいいんじゃないか?」
「え? 僕の方はもう離してるけど」
ふと見れば、僕の右手は四本の指をピーンと張った手刀のような形になっている。ドアから誰かが出てきた辺りから、ずっと。
逆に仁科さんの左手は、未だに僕の手のひらをしっかりと握ったままだ。
「――っ!」
この状況に気づいた仁科さんは、すぐさま手を振りほどき、僕に背を向けてしまった。
「えーと、ごめん。強引に引き剥がすのも悪いと思ってさ」
僕は彼女の背中に謝った。だが、返事はない。
「……もしかして、無意識に握ってた?」
「っ、……!」
彼女の肩がピクッと跳ねた。そしてぎこちない動きで僕の方へ居向き、
「ち、違う。てかもう昼休み終わるし、あたしは戻るからなっ」
という捨て台詞を残して去っていった。
僕はちょっとデリカシーがなかったかな、と反省した。
仁科さんはずっとあんな調子……に、なるかと思いきや。
時間が経った放課後にはいつものようになっていた。
そして、屋上に放置していた弁当箱を取りに行かされるのだった。




