席替え
高校は机をくっつけなくていいから気楽だ。おかげで「隣の女子から机を数センチ離される」という無言の拒絶を味わうことがなくなった。
この机をくっつけなくていい制度――通称『離れ小島システム』の優れた点は他にもある。例えばいま僕がやっている「机に突っ伏す」という行為を気兼ねなく行える。隣に人がいないだけで視線はだいぶ減るのだ。
まあ、僕レベルともなると両方とも耐性はあるが、やはり回避できるものは回避してナンボだ。
ああ、なんてボッチに優しい世界なんだ。バリアフリーならぬ、ボッチフリーだな。この高校ってやつは。
そうして今日も、授業間の長過ぎる休憩時間を突っ伏して過ごすのであった。そしてやっと10分が経ち、チャイムが鳴った。次は学級活動の時間だ。
教室全体がそわそわしている。気持ちは分からないでもない、これから席替えが行われるのだから。だが僕はそんな気持ちはとうの昔に置き去りにしてきたので、思うことは何もない。
いや、何もないと言えば嘘になるな。唯一残念なことがある。それは廊下側最後尾から二番目という最高の場所を離れることだ。
目立たず、人通りも少ない。総合的に考えるとここがベスト。廊下側最後尾は戸の付近なので、人通りが多くて駄目。そして窓際最後尾は論外。休み時間は人がたむろするからだ。
ときどき勘違いした陰キャが窓際最後尾の席になって喜んだりするが、僕から言わせてみればそんなヤツはニワカなのだ。もし見かけたら『やーい、ニワカー』と罵ってあげるといいぞ。きっと、変な目で見られること間違いなしだ。
……などと、僕はくだらない妄想を繰り広げて順番を待っていた。
そう言えば左隣の女子生徒とは一言も話さずにお別れか。別にいつものことだが、彼女とは話せる機会自体が少なかった。一週間のうち必ず一回は保健室に行ってたからだ。
例によってこの時間も隣の席は空席である。理由はお察しの通り。もしかしたら僕の隣が嫌だから保健室に行ってる可能性も無きにしもあらずだが。
「おーい、次の列の番だ」
おっと、もう順番が回ってきたか。向こう側の列からやって、僕の列が最後だと言うのに。
さて、次に僕の隣になる運の悪いやつは誰になるのか。今度は被害者が二人になる可能性もあるな。そんなことを思いながらクジを引いた。
『5』
またこの席か。
不満はないし、むしろ喜ばしいことではあるが、なんとも言えない微妙な気分になる。とりあえず、今後もよろしく。
そんなわけで僕の隣になる被害者は一人で済んだが、これから来るであろう隣人の嫌な顔が目に浮かぶ。離れ小島システムのおかげで隣人への被害が少ないことが唯一の救いか。
「よし、みんなクジは引いたな。それじゃ、席を動かしてくれ」
担任の合図で僕以外の全員が机を引きずり始める。ギィギィと騒がしい中、僕は黙って民族大移動を見届けていた。
やがて一人の生徒が僕の方へと近づいてくる。相手は僕に近づきたくて近づいてくるわけではないが、とにかく隣人はあの女子生徒で間違いない。
仁科真央。金髪ミディアムヘアという風貌からして、ヒエラルキーの頂点に立つ人物であることは想像に難くない。
ちなみに彼女の金髪は染めたものだ。入学初日と二日目は周りと同じく黒髪だった。それが三日目にしていきなり金髪に染め上げられていたのは記憶に新しい。
そんな見た目の変化を境に、彼女はヒエラルキー、もといスクールカーストという名のピラミッドを駆け上がっていったのだ。
だから仁科真央とは影山勇樹の対義語とも言える。性別、容姿、生き様……そう、まさに陰と陽。
ともかく仁科さんとはこの先確実に関わることはないだろう。いつものように数ヶ月間を一言も話すことなく過ごすだけ。それだけ。
……と、考えていた矢先。
「おまえ、席変わらなかったのか?」
仁科さんが不意に話しかけてきた。
「……え、あ、うん、そう。そう……なんだ」
やばい、途切れ途切れになってしまう。女子と話すことはおろか、声を出すことすら久しぶりすぎてやばい。最後に学校で声を出したのは、一週間前に便所飯がバレそうになった時だ。
「だよな。おまえだけ動いてなかったし」
それでも一応は伝わり、仁科さんは横目で言葉を返す。
でも僕は仁科さんの意図がわからなかった。なぜこんな僕なんかに話しかけてくるのか。
仁科さんは誰にでも等しく話しかけて、勘違いを起こさせるようなタイプではないことは、人の顔をうかがって生きてきた僕だから断言できる。
気にしすぎだろうか。気にしすぎだろうな、多分。陽キャの世界ではとりあえず話しかけるのは常識なのだろう。そう考えると合点がいく。
「だったら隣の分をやってやれよ」
見当が外れた。仁科さんの目的は、保健室で休んでいる女子生徒の机を僕に運ばせることだった。
「えっ……? なんで僕が」
「は? あたし達が机動かしてる間、おまえは暇だったろうが」
チッ、コイツ……派手な見た目をしているくせに正論をかましてきやがる。
当然僕は歯向かうことはできず、刃物のような鋭い目に屈服するしかなかった。
「わ、わかったよ……僕がやればいいんだろ」
こんな僕が触るなんて申し訳ないと思いつつ、ポツンと取り残されていた机に手をやった。彼女のクジの番号は『33』番。反対側の窓際だ。
……はあ、やっぱりああいう人間は苦手だ。今後、二度と関わらないでいよう。きっと、それがお互いにとって最善の関係なのだから。
自分にそう言い聞かせながら机を運ぶ。虚しい引きずり音だけが、僕の耳にこびりついていた。