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第7話 仮面


「よっと」


壁に付いてあるパイプの留め具に足を掛けて屋根に登り、蒸し暑い夜の空気の中でため息を吐く。


(殺し損ねちゃったな〜)


あの邪魔が入らなければ目を縫っていない女を殺せたのに。


そんな考えが頭をよぎるが、私の力は条件下では無いと発動しないため、追うにはそれ相応のリスクがある。


(まぁ、いいか。そろそろお金は溜まったし、この街から出ようかな?)


そんな事を思いながら隠れ蓑にしているソープ店へ帰ろうとした瞬間、後ろから大きな足音がした。


「ふぅ、お前身軽すぎるだろ」


後ろをそっと振り返ってみると、両手から4つの目と2つの口が浮かんだ歪な木の枝のような物を出し、汗ばんだ顔をこちらに向けるあの黒い客が居た。


余計な人間は出来る限り殺したく無いが、見られたのなら仕方がない。


(しょうがない、殺すか)


「・・・おや、驚かないんですね。私がリッパーだったって」


「まぁ、なんとなくお前じゃねぇかなとは思ってただけだ。確信したのはさっきだったが」


時間を稼ぐために話しかけてみると、意外にもあの客は食いついてくれ、フードを外して話を続けてくれるよう笑顔を向ける。


「へー、どうしてそう思ったんですか?」


「被害者が全員あの病院に行ってたろ?そいつらの個人情報を買って調べてみたら、全員が妊娠してたんだ。・・・でも、それを知ってるのはあそこの病院の2人と個人情報を買った俺だけ。んで、裏社会の厳重な情報を知り、売ってもいない被害者の情報にも詳しいとなれば運び屋のお前に決まりだろ。・・・女だとは思ってなかったけどな」


そんな穴だらけの推理を聞き、細いため息が口から漏れてしまうが、殺そうとしている現場を見られているため、否定しようにも否定できない。


「ふーん、じゃあどうして、私が女を殺すかも知ってるの?」


「・・・怒りだろ?穢れなく生きるとか抜かしておいて、夜になれば男遊びに浸る女達への」


時間を稼ぐために何気なく聞いた私の返事を、何か悲しむような声で返され、頭の中がじんわりと熱くなってくる。


「・・・ねぇ、私の行いは間違いだと思う?」


「・・・さぁな。間違いと言えば間違いだが、お前の怒りを否定する事はできねぇだろうよ」


その聞いたこともない返事に瞳がじんわりと熱くなって行くが、それとほぼ同時に右眼の奥を針で刺されたような痛みが走り、冷静になってしまう。


それが力の解放の準備が整った合図だと知っているため、短くため息を吐き、頰を軽く上げた笑みを客に向ける。


「ねぇお客さん、貴方・・・馬鹿ですね」


「あぁ、俺は」


客が喋り始めた瞬間に血縁の力を使い、そいつを空間に磔にする。


「・・・本当に馬鹿ですね。すぐ逃げれば良かったのに」


そう客に話しかけるが、客は喋り返してくれない。


(まぁ、当たり前か)


そんな当たり前な事を思いながらローブの下から手を出し、銀の短剣を力で作り出してから客に近づこうとするが、客が出した枝の眼が私を見ている事に気が付き、足を止める。


(ごめんなさいね)


心の中で楽に殺せない事を謝りながら、短剣の刃の方を掴み、短剣を客の右眼に投げつけると、鈍い音と共に短剣の刃先が客の右眼に突き刺さった。


「ごめんなさいねぇ、血縁の力で生み出された物質は磔には出来ないんですよ。・・・だからこうやって、殺しますね」


もう一度短剣を生み出し、それを投げて今度は左眼を潰し、念のために枝から赤色と紫色の眼も潰す。


「後は・・・」


客が磔を解除した時にすぐに死ねるよう、最後の5本目の短剣は頭に投げ付けると、その刃は綺麗に男の眉間に突き刺さった。


(これだけやれば、死ぬよね?)


そんな事を思いながら右眼を閉じて力を解除すると、男の体は後ろにぐらりと倒れ、真っ逆さまに屋根から落ちていった。


夜の空気に人が潰れる鈍い音が響き、少し残念な思いをしながら嫌々ソープ店へ足を運ぼうとすると、急に後ろから軽い足音がした。


「っ!?」


突如現れた足音に驚きながら首を後ろに回すと、そこには長い白髪と、黒いワンピースを揺らす女性が私に爽やかな笑みを向けていた。


「やぁ、こんばんは。今日は微妙な夜だね」


「・・・こんばんは、たしかに、微妙な夜ですね」


冷静を装いながら話を返すが、そいつが何処から現れたとか、私の事をどれだけ知っているかなどの疑問が一気に頭を巡る。


けれど、そいつが眼を縫っていない事が分かると、そんな事どうでも良くなってくる。


(・・・殺そう)


「貴方は・・・どちら様で?」


「私?私はさっき君が殺した子の友達だよ」


その言葉を聞いて、こいつが私の正体を知っていると悟ってしまうが、どうせ殺すからどうでもいいと思ってしまう。


そんな考えを胸に、話したくもない女と話す事に苛だちを覚えてしまうが、出来る限り平然を装って話を続ける。


「・・・その割には、悲しんでも怒ってもいないんですね」


「うん、だってあの子は・・・」


その先の言葉を聞こうとしてしまうが、それを止めるように眼の奥が痛んだ。


その合図に合わせてすぐさま血縁の力を使い、そいつの体を磔にする。


「本当に・・・馬鹿な女だこと。すぐ逃げれば良いのに」


磔になった白髪の女を嘲笑いながら女に近付き、生み出した短剣を女の肌に沈め、子宮を貫く。


(死ね)


細い四肢も短剣で突き刺し、後はいつも通り首を絞めて殺して、両眼を縫って適当に街中に置いておけば良い。


そんな事を思いながら、右手で女の細い首を絞めようと首に触れた瞬間、私の右腕に細い指がするりと巻きついてきた。


(えっ?)


「つ か ま え た 」


次の瞬間、私の右腕から聞いた事の無い甲高い音が響いた。


「いっ!!?」


これまでに感じた事の無い痛みに悶絶していると、腹に鈍い衝撃が襲い、硬い屋根の上に転がってしまう。


「ぐぅ・・・うーっ、ふーっ」


鈍く響く痛みに、のたうつ事すら出来ずに荒い息と涎を口から漏らしていると、そんな私を嘲笑うような声が辺りに響いている事に気が付いた。


「ふふっ、女の子ですね」


そんな声に怒りを覚え、ゆっくりと顔を上げると、女は腹に刺さった短剣を右手で掴んでおり、それをなんの躊躇いもなく引き抜いた。


けれどその傷口から出てきたのは血ではなく、ただねっとりとしたローションのような液体が糸を引いて溢れ出てきた。


「ふふっ、気持ち悪いですか?」


そんな化け物のような女をみて、頭が真っ白になってしまう。


よく漫画とかで見る状況なら、人間が化け物をみた時は悲鳴をあげる物だと思っていた。


けれど、悲鳴が出ない。


気持ち悪いとすら思えない。


ただ、未知の恐怖が体をじんりと包み込んで行く。


「おまゲホッ!・・・えは?」


「私?私は・・・君達の言葉を使えば化け物って言うのかな?」


女は顎に指先を当てて首を軽くかしげているが、その間に自分の右腕を見てみると、肘から少し下がいびつにひしゃげており、手が握れない。


「ふーぅ」


自分が置かれている危険な状況を見て、頭が少し冷静に働いてくれる。


(私の力が効かないって事は、あの体自体が血縁で作られた存在。・・・遠隔性の力か、自分が作った体を着ているか)


冷静に今の状況を確認していると、女は四肢に刺さった短剣を左手で引き抜き、その傷口からもねっとりとした透明な液が溢れ出ていた。


「あーあ、買ってもらった服が。というか、なんであの子はわざわざ自分が傷ついてから私を呼ぶんだろう?」


そんなこの場に関係ない事を呟いている姿をみて逃げるなら今だと思い、少しでも女の反応を遅らせるために力を使って辺りの音を消す。


その隙に地面を右足で蹴ろうとした瞬間、その右足に銀色の短剣が深々と突き刺さった。


「(ぐっ!?)」


足の痛みが頭に駆け上るが、奥歯を軋ませてその短剣を消し、もう一本の足で地面を蹴ろうとするが、それよりと速く私の腹にまた鈍い衝撃が走り、屋根上でまた転がってしまう。


「ゲホッ!オホッ!うぅぅ」


「逃がさないよ〜。貴方を逃したら私が多分嫌われちゃうから」


お腹を抑え、冷たい屋根の上でうずくまってしまうが、うずくまったせいで折れた右腕も痛い。


(っう!?・・・うぐ。)


どうしようもない痛みに何も出来ず体を丸めていると、軽い足音が近づいてきた。


次の瞬間、左足に鈍い痛みと何かが砕ける音が頭に響いた。


「あぅっ!?ぐっ!!つぅ」


「これで〜、逃げられないね」


そんなこの場に似合わない明るい声を聞こえ、恐怖が胸奥から溢れ出るが、無理やりうつ伏せになり、床を張ってでも逃げようと体が勝手に動く。


(逃げ・・・ないと)


残った左腕で、使い物にならない体を引きずって逃げようとするが、その伸ばした左腕にも細い足が沈み、さっき感じた骨が折れる痛みが頭に駆け走る。


「っぅあぁぁ!!」


うずくまれない。


四肢が折れているから。


のたうち回れない。


四肢が折れているから。


痛い。


四肢が・・・折れているから。


「これで、逃げれないね。・・・ん、分かった。・・・えへへ、そんな事ないよ。・・・どうして謝るの?」


楽しそうに、電話をしているような会話が聞こえた。


痛い。


逃げられない。


痛い。


体が熱い。


痛い。


「・・・じゃあごめんけど、眠ってもらうね」


そんな言葉が聞こえると、私の背中に軽すぎる体重が乗り、頭と首が指先で抑えられる。


すると指先が私の首に潜り込み、頭の血管の位置が分かってしまうほど、血流が速くなる。


「うっ!!・・・っぅ」


苦しい。


暴れれない。


苦しい。


苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい。


景色が回る。


回る回る回る回る回る回る回る。


意識が・・・真っ暗になった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「っ?」


何か、長いこと寝ていた気がする。


頭が気だるく、意識はやけにぼーっとするし、口の周りには何か付いている感触がする。


そんな感触の中でゆっくりと眼を開けてみると、右眼はなぜか開かなかったが、開いた左の視界には、暗い密室に私を心配そうに見ている、あの黒い客が椅子に座っていた。


「あ、起きたか?」


ぼーっとする意識の中、口の周りに付いたものを取ろうとすると、右手が口に届かない。


(・・・えっ?)


手首の周りの冷たい感覚を感じ、それを見ようと視線を右手に移すと、右の手首には白い皮のようなものが付けられているのが見えた。


それは、見たことがある。


患者が暴れなようにするための、医療用の拘束具だ。


「ここ、は?」


「ここか?ここは闇病院だ」


闇病院。


確か、Ἀσκληπιός[アスクレーピオス]が血縁の腕が良い医者がいると言う病院だ。


プライバシーもしっかりしていて、金さえ払えば誰でも治療するという裏ではかなり有名な病院だが、私がここにいるという意味が分からなかった。


「なんで・・・ここ、に?」


「お前、白さんにこっ酷くやられただろ?だからそれの治療に連れてきただけだ」


自分が覚えている最後の記憶を頭の中で掻き出していると、思い出した。


異様な女と、四肢の痛みと、首を絞められた甘い苦しさを。


それを思い出すと、ぼーっとした意識がだんだんと覚醒していき、首を手に寄せて、ゆっくりと口の周りに付いた酸素マスクを外す。


「おい、それもう外していいのか?」


「うん、昔はすぐに外しても良かったから。・・・でさ、私を助けた理由って何んですか?」


そう自分で聞いてみてみると、色々な思考が頭をめぐる。


(陵辱でもされるのかな?・・・それか、情報を聞き出すために拷問?それか・・・このまま臓器売買にでも)


「とりあえず順々に説明するとな、これ、なんだと思う?」


私の考えを遮るように客はそう言うと、私にポケットから取り出した小さな瓶を見せてきた。


その中身を左眼を凝らしてじっとみてみると、その中身に見覚えがある事に気が付いた。


翡翠色の眼。


私の・・・眼。


自分の眼が、眠っている間に取られたのだと分かってしまうが、何故か悲しさも恐怖も生まれてこない。


それとは逆に、自分が今生きている安心感を感じてしまう。


「あれ?・・・驚かないんだな。せっかく鎮痛剤も用意してもらったのに」


「・・・裏で生きてきたからか、四肢と命があるだけ全然マシだと思うんです。で、それが何に関係していくんですか?」


「・・・これでお前はシオピーの力の大元の力は使えなくなった。これでお前は、裏で生きるのには苦労するだろうな」


「・・・そうですね。で、要件は?」


回りくどい客の言い方に苛立ちを覚えてしまい、はっきりとそう伝えてしまうと、客は何か驚いたような表情を浮かべた。


「えーっとつまり、お前はもうここじゃ安心して生きれないだろ?だから、ここで生きて死ぬか、俺たちの旅に同行するか選べって事だ」


(・・・人手が足りないとかかな?)


そんな意味不明な二択に複雑な感情を胸奥に感じてしまうが、私の頭の中では答えはもう決まっていた。


「じゃあ旅に同行させて下さい。・・・私、家事全般と性欲処理も出来ますから役に立ちますよ」


「せっ!?・・・ま、まぁいいや。それなら話が速くて助かる。今から金払ってくるから少し待ってろ」


その言葉は、私にとって少し意外だった。


「・・・あら?お客さんもレディの扱いに慣れてきましたか?」


「いや・・・こんな金をさっさと使ってしまいたいって思ってるだけだ。後、俺は悠翔だ、これからよろしくな」


「・・・えぇ、私が使い物にならなくなるまで、よろしくおねがいしますね。悠翔様」


そんな挑発するような言葉に悠翔は私に向かってため息を吐くと、椅子から立ち上がり、部屋のスライド式の扉から出て行ってしまった。


悠翔の足音が離れていったことを確認し、自分の手足に力を入れてみる。


(手足に違和感は無し。・・・今更右眼くらい安いよ)


そんな事を思いながら後ろの軋むベットに体を倒し、殺風景な天井を見上げる。


「私は・・・どんな風になっても生きるよ」


そんな言葉を自分に向け、これから起こる最低な事を想像し、それに耐える準備をしながら、悠翔が帰ってくるのを大人しくベットの上で待ち続けた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「すーっ・・・ふーっ」


いつもの面接室でタバコの煙で肺を満たし、それを肺で味わってからゆっくりと口から吐き出す。


そのタバコは、手術終わりの頭と体にじんわりと染み込むように心地が良い。


そんな心地の良いタバコの煙をじっくりと味わっていると、大声が後ろの扉から響いた。


その声は私の助手、(ひょう)()の声だった。


「お師匠様!またタバコですか!!」


「ん〜、このくらいいいだろ氷華」


「ダメです!お師匠様はもう歳なんですから!」


氷華は私の口からタバコを取り上げると、それを血縁の力で凍らせ、ゴミ箱の中に投げ入れた。


そんな氷華の余計な気遣いにため息を吐きながらも、年甲斐もなく寂しさを覚えてしまった。


「氷華・・・マスク取ってくれないか?」


「えっ?どうしたんですか急に」


「いいから」


私の言葉に、戸惑いながらも氷菓は(あおい)マスクを外し、頭を隠していた(あおい)布も取ると、長く若々しい黒い髪の毛が腰まで垂れた。


その姿に、自分が母親のような気分になってしまい、少し嬉しい。


「綺麗に、なったな。・・・お前が怯えながら人が怖いとか言ってたのが懐かしい」


「・・・えぇ、それらは全部お師匠様のおかげですよ」


綺麗で幼いような笑顔に、歳だからか少ない涙が瞳に溜まり、これから自分のする行動に躊躇いを覚えるが、軽く瞳を指で擦り、机の中から白い封筒を取り出す。


「お師匠様・・・それは?」


「氷華、お前の戸籍だ」


そんな私の言葉に、氷華は驚いたような顔をしたが、少しの沈黙の後、頰に涙を伝せながら綺麗な笑顔を私に向けてきた。


すると氷華は私に近付き、私を冷たい体が包み込んだ。


「お師匠様、いいえ、お母さん。・・・貴方は私の、本当のお母さんでしたよ」


「・・・もう会えないが、お前は、私の娘だ」


「・・・お母さん」


お母さん。


そんな自分が実の娘に言われなかった言葉に、涙を流しながら氷華を抱きしめてしまうが、氷華にはもうここにいて欲しくないという考えが頭を巡る。


こんな、穢らわしい場所に。


「氷華、この封筒の中には小切手と、神光の街のアパートの契約書が入ってる。だからお前はもう、自分の夢のために生きろ」


「・・・本当に、ありがとうございました」


氷華は私に抱きつきながら一通り泣き続けると、私の頰にキスをし、綺麗な泣き顔を私に向けた。


「さようならお母さん、本当に・・・お世話になりました」


「あぁ、お前は立派な医者になれ」


氷華の細い肩を叩いて笑みを浮かべると、氷華は泣きながら笑みを浮かべ、銀色の扉の向こうに行ってしまうが、氷華はその扉が閉まり終えるまで、私に頭を下げ続けた。


扉が完全に閉まり、1人になったこの空間でため息を吐いて机の上に置いてあるタバコの箱に手を伸ばすが、さっきの氷華の言葉が頭の中に巡り、タバコを握りつぶして、ゴミ箱の中に叩き付ける。


「ふぅ」


それからもう一度ため息を吐き、悠翔が連れてきた患者に付いての疑問を1人になった部屋で考える。


(・・・なんであの患者には、子宮が無かった?)


あの女の腹に付いていた、今時珍しい手術痕が残る手術に首を傾げていると、扉を6回ノックされた。


「悠翔です」


「・・・今開ける」


足元にあるリモコンで扉を操作して扉を開けると、そこにはいつもと変わらず同じ黒い服を着た悠翔が立っていた。


「すみませんね、急に患者連れてきて」


「別に良い、お前には恩があるからな。・・・とりあえず中に入れ」


扉の外にいる悠翔を部屋に招き入れ、足元のボタンで部屋の扉を閉めると、悠翔は勝手に私の前の椅子に、薄い笑みを浮かべて座った。


「そういえばさっき、助手さんとすれ違ったんですけど、もしかして」


「あぁ、やっとあの子の戸籍が買えた・・・お前にはずいぶんと世話になったな」


「いえいえ!俺もヤク中の恩を返せてよかったですよ。・・・夢が叶って良かったですね」


そう、私の夢はここで生まれた子供達の戸籍を買う事だ。


夜遊びに惚けるボンボンの女達は、妊娠を家族に隠したくてここに来る。


そして私の力を使ってすぐさま子供を産むと、その子供を連れ帰る女は誰一人としていなかった。


子供を簡単に捨てる母親達を、流産で娘を無くした私にとっては許せなかったが、子供に罪は無いと思い、戸籍を裏のルートから買っていた。


その金の4分の1ほどは、悠翔がこの病院の情報との引き換えに出した金貨だった。


「あ、そういえばあいつはどれくらいかかりますか?」


「金はもう良い。・・・私は今日でここを出る」


「・・・あ、そうなんすっか。お疲れ様でした」


そんな悠翔の寂しそうな顔付きを見て、悠翔ともまぁまぁ長い付き会いだからか、少し寂しくなってしまう。


「まぁ、コホッ。お前には本当に感謝しかゴホッ!ゴホッ!!」


悠翔に感謝の言葉を伝えようとした瞬間、急に体から咳が出てしまう。


「ちょっ、大丈夫っすか!?」


「ゴホッ!大丈ゴホッゴホッ!!」


口の周りを手で押さえ、悠翔に咳が飛ばないように注意していると、自分の手に生暖かい感触がかかった。


それが何かと思い。そっと手を口から離すと、そこには血痰が付いており、その指先は青く変色しかけていた。


(なん)


現状を把握しようと顔を上げようとした瞬間、私の後頭部に鈍い衝撃が走り、地面に頭を打ってしまう。


(何が・・・どうなって?)


揺れる頭で現状を確認しようと眼線だけを上に向けると、眼の端には昔見たことのある赤黒い枝が机の下に張り付いていた。


(まさ)


その認めたくない現状を理解しようとすると、もう一度頭に鈍い衝撃が走り、鼻の中に血が溜まる感触が生まれる。


「おし、死んだかな?」


その言葉を聞いて、もう、分かってしまった。


こいつは私を殺す気だ。


人身売買の情報を持っているこいつが、わざわざウチに来てリストを買った時、これを仕掛けたのだと理解した。


それが分かると、プツリと頭の中の細い線が切れる。


すぐさま血縁の力を解放し、肩の後ろから細い毒蛇を2匹生み出す。


「うぉっ!?」


その蛇に悠翔を襲わせ、その隙に揺れた脳を治癒して顔を上げると、二匹の毒ヘビが首を噛んでいるのに全く怯んでいない悠翔が見えた。


(毒が効かないんだったな!)


悠翔は私が起き上がった事に気が付いたのか、毒ヘビを首から引き抜いてこちらに踏み込んでくるが、自分の足を滑らせて悠翔の足をすくう。


「うぉっ!?」


その勢いのまま立ち上がり、腰に差した銃を悠翔に向けるが、銃を上に蹴られ、体制が反れた私の腹に容赦なく蹴りが打ち込まれる。


「がっ!?」


後ろに吹き飛ばされて壁に頭を打ってしまうが、即座に脳震盪を治療して前を向くと、2つの緑色の眼が私を見ている事に気が付いた。


その眼を見て瞬時にそれが氷華だと気付いたが、その小さな口からは長い舌が垂れており、細い首から下には何もなかった。


「いやー大変でしたよ。・・・引きちぎるの」


氷華の長い髪を持ち、それをゴミのように後ろに放り投げる悠翔の姿に、涙が両眼から溢れ、腹の底から熱い何かが上がってくる。


「悠翔ーーー!!!!」


壁に力をぶつけて悠翔に飛びかかるが、私の顎に右手肘が横から入り、脳が揺れてガクッと足の力が抜けて膝をついてしまう。


(うご、け!)


力が入らない足に力を無理やり入れようとしていると、容赦なく右の蹴りが顔面に入り、後頭部を激しくぶつけてしまう。


(がっ!!)


脳の揺れと氷華の死体のせいで頭の中がぐちゃぐちゃになり、血縁の力が使えない。


それが分かっているのか悠翔は私の顔面を右手で掴み、何度も硬い壁に私の頭を打ち付ける。


(いっ!死っ!!氷っ!!死っ!!!いっ!!氷っ!!かっ!!!!)


それから、自分の顔がどうなっているのか分からないほどまで壁に打ち付けられると、私の顔から手は離され、そのまま床に顔面から落ちてしまう。


後頭部が凹む感覚がする。


頭の中が燃えているようだ。


というか、手足に力が入らない。


(死ぬ・・・のか?)


そんな事を思っていると、私から荒い鼻息と足音は離れ、何か硬い物を拾う音が聞こえた。


「さようなら軽海さん・・・色々と・・・ありがとうございました」


悠翔の感謝の言葉が意識の端に聞こえると、鋭い発砲音と共に、頭が揺れた。


何発もの発砲音が響いた。


痛みが無い。


脳が揺れる。


脳が・・・弾けた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


花の香りがする。


優しくて甘い香り。


その香りが頭の中を刺激し、ゆっくりと眼を開けると、心配そうな悠翔さんの顔が見え、かなり動揺してしまう。


「えっ?・・・えっ!?」


「あ、起きましたか?」


その顔を見て、慌てて悠翔さんの膝の上から身体を起こすと、自分の服装が乱れている事に気が付き、慌てて悠翔さんと距離を取る。


「え、えっと、どういう状況ですか?」


「なんか・・・ヒナノさん誰かに毒を注射されてたみたいなんです。で、俺の力で解毒しました」


(・・・嘘だ)


「・・・えっと、失礼ですけど、その血縁の力ってなんですか?」


その言葉が嘘だと分かり、警戒しながら問い返してみると、悠翔さんはため息を吐き、その大きな右手から赤黒い蔓が生え始めた。


「Μαραμένο[マラメノ]ですよ。毒が入った血液をこれでろ過させて、ヒナノさんの体内に戻したんです」


(・・・嘘は、付いてない)


確かマラメノの蔓は、風や火などを吸収したり、水のろ過や、汚染物質を取り除く事が出来る力だ。


悠翔さんのさっきの言葉にどうして嘘が入っていたの少し理解できなかったけど、今の自分が悠翔さんに助けられたのだと分かり、感謝の気持ちが胸から溢れ出てくる。


「えっと、ありがとうございました」


「いや、助けられて良かった」


その言葉にも嘘は無く、悠翔さんの安心したような顔を見て私も安心してしまったけど、自分が意識を失う直前、自分がリッパーに襲われていた事を思い出した。


「あ、リッパーは!!?」


「・・・あいつなら逃しました。すみません」


「あ・・・いえ、悠翔さんが謝る事じゃないですよ。無事でなによりです」


私を助けてくれた悠翔さんが無事で居たことを安心してしまい、自分がこの人の事を疑っていた事が嫌になってくる。


そんな嫌な考えを胸に感じていると、悠翔さんが私にペットボトルを差し出している事に気が付いた。


「えっと、なんですかこれ?」


「アクエリアスです。・・・毒は分解に水分を使いますから」


「あ、ありがとうです」


何故か毒に詳しい悠翔さんに、戸惑いを覚えながらもゆっくりとその中に入った飲料を飲むと、驚くほどスムーズに飲料は喉の奥に流れ、ふと気がつくとペットボトルの中は空っぽになっていた。


(私・・・喉乾いてたんだ)


そんな事を思いながら、ベンチの横にあるゴミ箱にゴミを投げ入れると、涼しい夜風が髪を揺らしてくれた。


「・・・気持ちい」


「そうですね」


私と同じ様に風を感じて気持ちがっている悠翔さんの声を聞いていると、悠翔さんは急にベンチから立ち上がり、身体をゆっくりと伸ばし始めた。


「んじゃ、宿まで送りましょうか?」


「あ、いえ、大丈夫ですよ。裏に近づかなければここは良い街なので」


「・・・そうですか。なら、気を付けてくださいね」


「はい」


悠翔さんに頭を下げ、その場から少し逃げるように宿に足を運んでいると、自分の右腕が少し痒いなと思ってしまう。


(蚊かな?)


そんな事を思いながら、腕を服の上から軽く掻いてみると、2つの出っ張りが指先に引っかかった。


(なんだろう?)


自分右腕の袖をめくって痒い箇所を見てみると、そこには2つの小さなかさぶたが付いていた。


(・・・蛇?)


街中なのに、蛇に噛まれたような傷跡が付いた右腕に少し困惑してしまうけど、別に体調には変化は無いし、むしろ日頃の疲れが取れたように身体が軽い。


軽い身体で宿に向かっていると、悠翔さんが助けてくれなかったら。


そんな考えが頭をよぎり、足が止まってしまう。


(少し単独行動を控えようかな)


雷が一緒にいてくれる心強さを思い出しながら、軽い足取りで宿に向かって足を進めた。



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