第34話 死後を考える者
「ふん、ふふん、ふーん 」
「なんでそんなご機嫌なんだ? 」
「えへへ〜、分かります? 」
日差しが登る中。
つい嬉しくて、歩いているのに鼻歌を歌ってしまっていると、悠翔さんが声を掛けてきてくれたから、更に嬉しくなってしまう。
どうして私がご機嫌なのかと言うと、あの他所様の家で聞いた悠翔さんの言葉を思い出してしまったからだ。
扉越しだったから全部は聞こえなかったけど、『俺はあいつを守る! 』という真っ直ぐな言葉…それが私の胸に突き刺さり、喜びのあまり泣いてしまった。
好きな人から守られる。
それがどれだけ嬉しく…喜ばしい事かを知れたけど、やっぱり喜びの中に申し訳なさを感じてしまう。
私はずっと守られて来た。
あの鎧を着た人達から悠翔さんは私を守ってくれた。
右も左も分からない街でヒナノさん達は嘘をついて私を守ってくれた。
何も知らない無知な私に、おしろに居た使用人さん達は沢山色んな事を教えてくれた。
でも私は…その人達に何も恩を返せていない。
恩を返そうにも、ヒナノさん以外の人達とは縁が切れてしまっているから、二度と会うことは叶わないだろう。
だからせめて、すぐそばに居る悠翔さんとルーナさんには、私が死ぬまでに恩を返したい。
「俯いてどうしたの? 」
「っ!? 」
急に声をかけられ、慌てて顔を上にあげると、そこには緑色の宝石みたいな目をしたルーナさんが、心配そうに私を見つめていた。
「なっ、なんでもないですよ 」
「…そう。困った事があるならなんでも言ってね 」
ルーナさんをこれ以上心配させない様に嘘をついたのに、ルーナさんはお見通しと言いたげに私の頭の上に手を乗せてくれた。
それが申し訳なくて…その優しさが胸と目頭を熱くさせる。
けれど泣いてしまえば、優しいルーナさんをまた心配させてしまうから、慌てて顔を擦って気持ちを落ち着かせると、冷静になって広がった視界にはのれんと不気味なお面が垂れたお店の様なものが見え、そこからは楽しそうな話し声が聞こえていた。
来たことが無い街で、見たことがない様な店。
そんな視界で戸惑っていたけど、前にいる悠翔さんは何も躊躇う様子もなく、紫色ののれんが垂れたお店へ入っていった。
それに遅れて私達もお店に入ったけど、中は思ったより普通で、縄や刃物、後は見たことがない道具達が壁にかけられていた。
「らっしゃい! …んっ? 兄ちゃん見たことがない顔だな 」
店の奥から声を掛けてきたのは、明るい雰囲気の青髪のおじさんだった。
おじさんは少し生えた髭を右手で触りながら、異様に黒い目でマジマジと悠翔さんを見つめていた。
「あぁ、旅のもんだからな 」
「へー旅のもん。珍しいな…何か買ってくかい? 」
「いやそれがな、トラブルで金を持ってねぇんだ 」
「あーそりゃ災難に 」
「だからbarterをしたい。可能な限りなら要望は受け入れる 」
(ばーたー? )
聞いたことの無い言葉に首を傾げると、ルーナさんは何かを守る様に前に進み、少し後ろに下げられた。
その何かを警戒している様なルーナさんに釣られる様に辺りは変な空気になって行くけど、それに動じないおじさんは青い髪をボリボリと痒そうに掻き始めた。
「おう、そんじゃ魚を取りに行くのがめんどくさいから、魚を採ってきてくれ。種類は問わない、4匹ほどで満足だ 」
「「はっ? 」」
そう面を食らった様な声を出したのは、悠翔さんとルーナさんだった。
「いや…はっ? そんなんでいいのか? 」
「おうよ、金持ってねぇ客に無理させる訳にゃいかねぇだろ? あっ、釣竿と餌は海の近くにある家に頼めば貸してくれる。時間はゆっくりでいいからなー 」
あっけからんとしている悠翔さん達だけど、それに対して私にはなんの話をしているのかが全く分からない…
「あー…うん。じゃあなるべく早く持ってくるわ 」
「おーう、楽しみにしてるわ 」
おじさんは優しそうな笑顔を私達に向け、のれんを退けて出ていく悠翔さんの背中に手を振り続け、私がお店を出る前に頭を下げても、私がお店を出るまで優しい笑顔を絶やさなかった。
「なんだあの店主… 」
「悠翔さん、ばーたーってなんですか? 」
「…歩きながら話す。とりあえず着いてこい 」
「はい! 」
悠翔さんの言う通りにどこかへ向かう足に、私達も着いて行っていると、悠翔さんは説明を始めてくれた。
「『barter』…簡単にいや幅広い街で使われる昔の言葉だ。意味は物々交換、お前の故郷でもやってんじゃないか? 」
「あっ、物々交換って意味なんですね。やってました よ………あれ? じゃああのおじさん、物凄くいい条件で取引してくれたんですね 」
「物凄くいいなんてレベル…度合いじゃねぇよ。例えるなら着物のほつれを少し直したら1晩泊めてくれるみたいなもんだ 」
「でも分からないよ。見返りが物凄く悪い事もあるから 」
「あっ! た、確かにそうですね 」
言われてみれば、おじさんは魚を捕って来た後に何をくれるかなんて言ってなかったから、ルーナさんが言っている事は有り得る事だった。
でも何故だろう…さっき初めてあったのに、おじさんがそんな事をするとは全く思えない。
「まぁ…それは魚捕ってから考えるか。奏は魚釣りの経験あるのか? 」
「はい! 海でも川でもした事あります!! 」
これは役に立てるいい機会かもしれないと、少ない胸を張って自信満々に悠翔さんに声をかける。
すると悠翔さんはとてもかっこよく笑ってくれた。
「んじゃ頼むぜ 」
「っ…はい!! 」
頼られる喜びを噛み締めながらお腹の底から大きな声を出し、悠翔さん達と見たことも無い街を歩き続ける。
すると微かに潮の香りがしている事に気が付いた。
歩いている地面も土から踏むと心地がいい音がする砂に変わっていき、懐かしい波がさざめく音も聞こえてきた。
「おし、着いたな 」
悠翔さんの背中から目を離して辺りを見渡すと、私達の前には水が果てが無い様に広がる場所、海が見えた。
「わぁ… 」
久しぶりに見た綺麗な海に懐かしさと感動を同時に感じていると、前に居る悠翔さんは何かに気が付いた様に身構え、それに送れてルーナさんもどこからか銀色の短剣を右手に生み出した。
どうして2人とも何かを警戒しているのかと疑問に思った瞬間、海面から何かが飛び出し、その何かは砂浜に着地した。
「んっ? 見たことがない顔だな 」
こちらに向けられた異様に黒い目をし、胸と股しか布で隠していない女性が私達を気にする様に見て来た。
なぜ女性が海から飛び出て来たのかは分からなかったけど、その綺麗で長い黒色の髪と大きな胸に、私は目が釘付けになっていた。
(綺麗だなー )
「あぁ、俺達は旅人だかんな 」
「ふーん、夫婦で旅なんて珍しいな 」
「「こんな奴と夫婦にするな 」」
悠翔さん達の重い声に女性の胸と髪から目を離すと、女性のとてもかっこいい顔と緑色の鱗が付いた引き締まった足が見えた。
その大人らしい体を見て、憧れの様な感情が胸を締め付ける。
だって私は…大人になんてなれないから…
「わりィわりィ、そんな怒るとは思わなかったわ。んで、こんな海になんの用だ? 泳ぐのは衛生的にオススメしねぇけど 」
「魚を取りに来たんだ 」
「ほーん、何匹くらい欲しいんだ? 」
「…? 4匹あればいいが 」
「そっかそっか 」
女性は濡れた髪を両手で絞り終えると、海の方をじっと見つめ始めた。
すると海から小さな水しぶきがあがり、私の指先から肘くらいまでの大きさを持つ魚達が砂浜に自ら飛び出してきた。
「ほい、10匹ありゃ十分だろ 」
「「…はっ? 」」
「後なんか欲しいもんはあるか? 」
「いや…何もないが… 」
「そっかそっか、あそこの家に居るから困った事がありゃ声をかけてくれ。力になれる事なら手を貸してやる。じゃーなー 」
急に現れた女性は優しそうな笑みを浮かべながら、海沿いにある家の中に足を進め始めた。
どうやらあの女性が向かっている家が、おじさんが言っていた家の様だ。
あんなに優しい人を紹介したのなら、きっとおじさんもいい人なんだろうなと勝手に想像してしまうけど、なぜか悠翔さんとルーナさんは固まったまま動かない。
(どうしたんだろう? )
固まる2人を疑問に思い、ルーナさんの前に出て2人の顔を覗き込むと、何か未知のものに出会った様に表情を固める悠翔さん達の顔が見えた。
「えっと…どうしたんですか? 」
「んっ!? あっ…いや、なんでもない 」
「…うん、なんでもないよ。心配させてごめんね 」
2人はハッとしたように私に笑顔を浮かべてくるけど、どうしてそんな未知のものを見たような顔をしたのかが全く分からない。
だってあの人は…絶対にいい人なのに。
そんなことを思っていると、悠翔さんは砂浜でのたうち回っている魚に触れた。
「毒は入ってねぇな…よし、んじゃ腹ごしらえでもするか。奏は魚捌けんのか? 」
「はい! 何度も手伝いをしましたけど…真水とまな板が無いと色々と危険です 」
「水とまな板か…ちょっとさっきの女に借りてくるわ。ルーナ、短剣を寄越せ 」
「… 」
ルーナさんは嫌そうに眉にしわを寄せたけど、ルーナさんはさっき生み出した銀色の綺麗な短剣をなんの躊躇いもなく悠翔さんに投げつけた。
「っ!? 」
ルーナさんの行動に声も上げれずに驚いた瞬間、悠翔さんは短剣の方を見ずに、刀身を左手の指先で掴んだ。
「サンキュー 」
「いえいえー…ちっ 」
今ルーナさんが舌打ちした様な気がしたけど、波がざわめく音があるから聞き間違えかもしれない。
そんな事を思っていると、悠翔さんはこちらを振り向かずに女性の足跡を辿っていく。
どうして短剣を持っていく必要があるのかと疑問に思ったけど、落ちた魚を拾い集めるルーナさんの姿を見て、私も暴れる魚が海に戻らないうちに、引きずって魚を海から離す。
すると、のたうち回る魚は段々と力を無くして行き、まるで寿命が尽きた様に動かなくなった。
(私も………こんな風に死ぬのかな )
「ねぇ奏ちゃん 」
「はい? 」
突然ルーナさんから声をかけられ、死んだ魚から目を離してルーナさんの方を向くと、ルーナさんの宝石のような隻眼が私をじっと見つめていた。
「奏ちゃんの故郷は…根国だっけ? 」
「…はい 」
「故郷に帰りたいとは思わないの? 」
突然の質問に心臓がドクンと跳ね上がり、言葉が出てこない。
でも質問されたからには答えないとと思い、自分の頭の中に沢山ある思いを目を閉じてまとめる。
「えっと…暗い話ですよ? 」
「大丈夫だよ 」
「………帰りたいとは…思わないんです 」
「…どうして? 」
「…死んだことがないので分からないんですけど…あの街で死んだら黄泉に行くらしいんです。だから…黄泉なんて場所に居たくない…他の場所で死んで…好きな人の近くで死んで…幽霊になっても一緒に居たいんです…それと…忘れないで欲しいんです…私が生きてたって… 」
「…そう。ごめんね、辛い事を聞いて 」
「いえ…話したら少し楽になりました 」
本当は楽になんてなってないし、逆に胸の中がとても痛い。
でも、これ以上何か言っても私が辛いだけだし、話を聞いているルーナさんも嫌だろう。
そんな事を思いながら口の中で舌を噛み、心の痛みを少しだけ楽にしていると、砂を踏む音が近付いて来た。
「今帰った 」
「あっ! …おかえりなさいです 」
桶とまな板を持った悠翔さんの顔を見た瞬間、心の痛みは喜びに変わり、舌の痛みだけを感じるようになる。
初めてあった時は…本当に私を大事にしてくれるのかと、不安が胸を締め付けたけど、段々と一緒に居るうちに悠翔さんが私を本当に大事にしてくれる人だと分かって、いつの間にか好きになっていた。
だから…もっと悠翔さんが私を覚えていられる様な事をしたい。
…どうやったら私が死んだ後でも覚えていてくれるのかな?
接吻?
一緒に寝る?
一緒にご飯を食べる?
お買い物をする?
詩を考える?
何かプレゼントする?
それとも…一緒に子を作る?
………分からないや。
「大丈夫か奏? お前今日ぼーっとしてる事多いぞ 」
「はい!? あっ…大丈夫です 」
「…そうか。キツイなら俺が代わりに捌くぞ 」
「いえ! やらして下さい 」
少しでも悠翔さんの役に立ちたいと言う思いを叫ぶと、悠翔さんはどこか仕方がなさそうに笑い、私の前にまな板と水が入った桶を置いて、死にかけた魚を拾い上げた。
すると、服の袖で魚に付いた砂を落としてまな板の上に置き、さっきルーナさんから受け取った短剣の柄を私に向けてくれた。
「頼んだぞ 」
「はい! 」
短剣を受け取り、大きな魚を水桶に入れて表面を洗ってまな板の上に乗せ、短剣で鰓と内蔵を抜き取ろうとすると、ある違和感に気が付いた。
それは、さっきまで綺麗だった短剣に、獣の脂の様なものが付いている事だった。
「…? 」
どうしてこんなに脂が付いているのかは分からないけど、早くしないと魚が腐敗してしまうと思い、魚のお腹に薄く刃を突き刺す。
(…いただきます )
これから食べる魚に会釈をし、短剣を滑らせて魚の解体を始めた。