第32話 過去の過ち
「……… 」
「スピロ様…今日はお休みになられた方が 」
戻った『神光の街』の建物の廊下を歩きながら、自分の頭の中にある怒りを無言で押さえ付けていると、後ろからゼルフの声が掛かったが、今は顔を合わせようとは思えない。
「大丈夫だ。資料はできたのか? 」
「…はい、それはもう済んでおります 」
「んじゃ会議に出る、お前はもう休んでいいぞ 」
「いえ、私も会議に出席させて頂きます 」
「…好きにしろ 」
ゼルフとは1回も顔を合わせずに廊下を歩き続ける。
こんなに体が重いと感じたのはいつぶりだ?
今なら善悪関係なく何人でも殺せるほど、俺は機嫌が悪く、手が勝手に疼いて指の骨が音を立てる。
頭に蔓延る怒りと後悔に突き動かされ続ける。
するといつの間にか、あの馬鹿でかい扉に着いていた。
一瞬扉を蹴破ろうとしたが、肩に触れられたゼルフの手の感触に冷静になり、俺の肩に触れている手を肩を揺らし弾いて長いため息を吐く。
「…すまないな、トップが感情的になっちゃいけねぇよな 」
「いえ…私達は人間。感情を殺して生きるなど到底不可能です 」
「…だよな 」
もう一度長いため息を吐き、今度こそ心を落ち着かせてから扉を手で開くと、その先には見慣れた11人の…いや、2人が顔を伏せているから9人の顔が一気に俺の視界に入って来た。
「むっ…スピロか。とりあえず適当に座れ、お前待ちだ 」
「おう 」
無言になった空間でいちばん最初に声を出したのは、『リンセル』と言う整った顔をし、空色のニットと紫色のフレアスカートを着こなした女だ。
リンセルは俺に向けていたギリシャ系列特有の金色の目をズラし、腰まで伸びる翡翠色の三つ編みを左肩に掛けると、俺が1番端の席に座ったのを確認してからゼルフに声をかけた。
「ゼルフ、書類を 」
「はい 」
俺の後ろに立ったゼルフは丁寧に円卓状のテーブルに紙を配り、それを受け取った『オリュンポス』らは一斉にその紙に目を通し始めたが、読むのを一旦やめろと言いたいようにリンセルは手を軽く2回叩いた。
「それでは…突如現れた『 Yog-Sothoth』の血縁者。及び、『ブラックリスト』に新たに加えられた『Μαραμένο』の血縁者に関する会議を始める。進行役は私、リンセルが務めさせて頂く 」
リンセルはいち早く場を仕切り、素早く会議を進行させていく。
「まずこの『Μαραμένο』の血縁者、元『新鏡の街』の王によれば、複数の血縁能力を保持できるといった異質な能力を持っているらしいが、何を目的に複数の血縁能力を保持しているのかが不明だ。ナーム、君なら行動心理を読めないか? 」
「んー…無理。生活環境も生い立ちも分かんないし、何よりそいつが残した現場証拠もないからねー。これだけ証拠がないと勘も使えない 」
「そうか…他に何か心当たりがあるものは? 」
リンセルの問いに全員沈黙していたが、その沈黙の中で手を挙げたのは、赤い髪を人並みよりかはデカい胸まで伸ばしたゼーシャだった。
「ゼーシャ、何か? 」
「そもそもの問題、この議論に意味はあるのか? 」
ゼーシャは男に引けを取らない程の凛々しい顔付きで俺達を全員を見渡すが、正直言ってその言葉の真意はよく分からない。
「どういう意味だ? 年寄りにでも分かるように説明してくれ 」
リンセルの隣の席に座る、1人だけ青い鎧を着た男…フォーレンが年季の入った顔をゼーシャに向け、耳まで伸びる深い青色の髪を右小手で掻き始めた。
するとゼーシャは胸のデカさが強調される白いTシャツの胸を張った。
「この『ブラックリスト』の血縁者が目指す場所は示しが着いているだろ? んじゃ目的云々より、『安息の街』へのルートを徹底的に潰すべきだろ 」
「うむ…たしかにのぉ 」
確かにゼーシャの言い分には一理ある。
『ブラックリスト』の血縁者が姿を隠せる場所といえば、『眼黙の街』の『闇市場』か『安息の街』しかない。
けれど『闇市場』が滅んだ今、『ブラックリスト』の血縁者は『安息の街』に逃げるしか安全に暮らす方法は無いため、ルートを潰すのはいい判断だ。
が、どの程度の戦力を持ってその血縁者を止められるのかが未知数なのが気になる所だ。
「ゼーシャの提案に異論があるものは? ………いないな。話を続けるが、戦闘を行った302番隊員『ダオン』の証言によれば、肉弾戦では『ΖΕΥΣ』や『ΑΡΗΣ』に引けを取らない強さを持っているらしい 」
「待て待てそれかなり不味くないか? SSSランクの俺らに引けを取らないって事は、SSランク以上の血縁を複数所持してるんじゃないか? 」
そう不安そうに声を上げたのは紫と緑が混ざったような独特な髪をし、ノームコアを意識した様な白シャツと青いパンツを履く若い男、『デュアン』だった。
確かにデュアンの言う通り、ダオンや稜と同じくらいの近接戦闘術と力を持っているのなら、平均的なゼウスの血縁者だと負ける可能性が出てしまう。
「まぁ落ち着けよデュアン、これは『ΑΠΟΛΛΩΝ』の血縁者である私が直々に相手する必要が」
「お前は」「お主は」「ラデュラは」
「「「黙ってろ!! 」」」
月桂冠を金色の髪の毛の上に乗せ、ぶかぶかなキトンを身にまとった男、ラデュラはフォーレン、ゼーシャ、リンセルの3人に怒鳴られると、何処からか右手に羽根ペンを取り出し、手元にある資料を裏返した。
「ふふ…ふっ。こ、この胸に積もる感情を詩で表現して、お前らがノイローゼになるまでその詩を耳元で歌い続けてやる… 」
ラデュラは黙っていれば品のある顔に引きつった笑みを浮かべると、その羽根ペンで詩を書き始めた。
余程今の怒鳴り声が効いたのか、ラデュラは顔を若干青くさせながら首まで伸びる髪を左手で力強く鷲掴みにしている。
まぁラデュラには悪いが、血縁の影響か元の性格か分からない極度のナルシストは会議の邪魔でしかないため、これはこれで正しかった。
「…話を戻そう。確かにデュアンが言う通り、こいつはSSランク以上の血縁を複数所持している可能性もある。が、私達は『獣の国』の問題がある限り、この街から離れられない。だからこれは、『安息の街』付近の者達に頼るしかない。ナーム、動かせる部隊はどのくらいだ? 」
「あそこら辺に居るのは10部隊だね。『獣の国』の防衛ラインを警備してるのは7部隊、フリーは3部隊 」
「では警備部隊から2部隊を引き抜いてくれ。合計5部隊で『ブラックリスト』の血縁者の討伐に当たらせる 」
「それには異議あり 」
幼い女の声に反射的に反応してしまい、声がした方に顔を向けると、そこには薄汚れた白いトップスに、ダブダブな深緑色のズボンを履いた少女、『リトス』が細い手を上にあげていた。
「何か問題があるのか? 」
「5部隊は多過ぎだ。あそこは地盤も安定してるし、民家まで十分な距離があるから血縁で生み出した武器を思う存分に使える。私は3部隊ほどでいいと思う 」
その冷静で大人びた声に、リトスが俺より歳上である事を思い出していると、視界の橋にいるリンセルは悩むように自分の三つ編みを触り始めた。
「…確かにその通りだが、相手には未知の力がある。やはりそれを警戒する事も考えると、対応の幅を広げるために多くの血縁者で囲むのが得策だと私は考える… 」
「…じゃあスピロはどう思う? 一応この中では1番強いだろう? 」
急にリトスから振られた質問にすぐさま思考を回すが、敵の戦闘力がどのくらいかも分からないし、2人の言い分にはどちらも納得できるため、正直答えが出ない。
が、この問題を解決しなければ議論が進まない。
「そうだな。んじゃ部隊数は4部隊にしよう。だが、ヘルメスの血縁者を………多く編成に入れてくれ。そうすりゃ未知の力があっても多少は反応できるし、万が一負ける事になっても退却が容易だ 」
一瞬、灯の死体が脳裏に浮かび、怒りと後悔で拳に力が入ったが、冷静に息を吐いて高ぶる感情を落ち着かせながら説明をすると、リトスは納得したように首を縦に振った。
「…私はそれで納得する 」
「では他に意見があるものは? ………居ないな。では次の問題、『Yog-Sothoth』の件についてだが」
「見つけた 」
リンセルの言葉を遮った音色のような声を出したのは、今の今までずっと目を閉じて黙っていた『ハレ』という短い闇色の髪をした女だった。
「ハレ、それでは情報を頼む 」
「ちょっと待ちな…疲れたから 」
ハレは白いキトンを着ているのにも関わらず、胸のラインがハッキリと分かるデカい塊をはしたなく机の上に乗せ、疲れたようにため息を吐いた。
ハレが探していた情報とは何か、という疑問の答えが帰ってくるのを待っていると、ハレは長いまつ毛をまぶたと共に上に開いた。
「現在逃亡中の『Μαραμένο』の血縁者の個人情報を今から説明をするね。1度しか言わないからメモしときな 」
心底めんどくさそうに言うハレを見て、ハレはずっと血縁の力を使って情報を探っていたのかと理解したと同時に、ハレは何処か妖艶な唇を赤い舌で湿らせた。
「まず名前は『ケラソス』、年齢は18で『神光の街』16区の5番地の家に住んでた 」
(…ケラソス? )
その名前は何処かで聞いた事がある。
何か大きな事件の時に聞いた様な…
喉に骨が引っかかった様な感覚を感じてしまうが、そんな事お構い無しに、ハレは話を進める。
「家族構成は父母兄弟の四人家族だけど、父母は死去、兄は行方不明で3年間1人で暮らしてた。前科は無しだけど、学校に行ってなかったみたいだから、人物像や家族関係は不明。でも精神病院には『解離性障害』の診断記録が残ってる 」
解離性障害。
詳しくは覚えてないが、主にストレスが原因で起こる心の病だったような気が…
いつか聞いた様な病名を詳細に思い出そうと必死に頭を回していたが、ハレの口から出た言葉に一瞬思考が止まってしまう。
「それで『ブラックリスト』の補助を受けた記録がある 」
「………あぁ!!! 」
そいつが『ブラックリスト』の補償を受けていた事にも驚いたが、それよりも驚いたのはゼーシャの大声だった。
「思い出した! アイツだよスピロ!! 『Nimnar』討伐作戦の時の子供! 」
「…あぁ!! 」
その作戦の名を聞いてようやく思い出した。
ケラソスという、子供の姿を。
「ちょっと待てー、『Nimnar』ってクトゥルフ系列の神で間違いない? 」
「あぁ、万物を摘む神『Nimnar』だ 」
ナームの質問にそう答えたが、ナームは何かを不思議がるように首を傾げ、何かを思い出そうとする様に右目だけを閉じた。
「えっと…確か討伐作戦の時に『Nimnar』の血縁者に洗脳されてこき使われてた子供だっけ? 」
「………あぁ 」
「ところで疑問に思ったんだけどさ 」
俺の曇った言葉に、勘がいいナームは右目は開いたが、話に割り込んで来たハレの言葉でそれについては言及される事は無かった。
良かった…
いや、『ブラックリスト』にアイツが載ってしまったのであれば、もうあの事がバレても遅い…か。
そんな空回りした安堵感にため息を吐いていたが、安堵は次の言葉で焦りに塗りつぶされてしまった。
「『Μαραμένο』の血縁者は『溟海の街』に逃げたんだよね? じゃあ万が一…『溟海の街』の血縁者の力を全て取り込んだ場合はどうするの? 」
その一言で、辺りの空気は一気に凍り付いてしまった。
「………いや待て、『Μαραμένο』の血縁者が力を取り込むためには死体を枝の中に取り込むことだ。サイコパスやソシオパスでもない限り…いや、もしそうだとしても街の住人全てを死体にするなど不可能に」
「でも可能性はあるでしょ? 」
ハレの首を傾げながらの一言で、リンセルは黙り込んでしまったが、テーブルの上に置かれた紙を速読したハレは更なる言葉をリンセルにぶつける。
「しかも『 Yog-Sothoth』と『Μαραμένο』は一緒に行動している可能性もあるんでしょ? ストックする力に際限が無く、2人で共闘して住人を皆殺しにしたら、ランクXの力を複数持った血縁者が誕生してしまうよ? 」
またも空気を凍り付かせたハレの言葉に、リンセルは頭を抑えて大きなため息を吐いた。
「どうやらこれは『獣の国』に並ぶ重大な事件になりそうだ…一旦会議は中断、私とハレとデュアンは各地の血縁者達にコンタクトして情報を求めてくる。資料ができ次第、また収集をかける。では…解散 」
リンセルは話を素早く繰り上げると、大きなため息を吐きながらこの部屋から出ていってしまい、それに続くようにハレは普通に、デュアンは俺らに1度頭を下げてから出ていってしまった。
取り残された俺達は無音が響く部屋の中で喋れないでいたが、その沈黙を破ったのは今の今まで顔を伏せていた、『ロドン』という白く無防備なワンピースを来た少女だった。
「ねぇゼーシャ! 絵本読んで!! 」
「はいはい、分かった分かった 」
血縁の相性か、姉妹のようにも見えるほど仲がいいロドンとゼーシャは、さっきまでの緊張がない様な会話をすると、2人で席から立ち上がると、そのまま開いた扉から出ていってしまった。
すると、次はフォーレンが席から立ち上がった。
「それではワシも失礼する。最近若いのがたるんどるようじゃからな 」
「それじゃ私も失礼しようかね、新しい兵器の微調整もあるし 」
立ち上がったフォーレンに続くようにリトスは座っている椅子を血縁の力で車椅子に作り替え、2人で部屋から出ていった。
それに続くように、俺も出て行こうかと席を立とうとしたが、それを遮るように手を置いている机が縦に揺れた。
「おうスピロ、これから暇か? 暇だよな。100戦付き合え 」
めんどくさいのに絡まれたとため息を吐きながら上を向くと、案の定机の上に居たのは微かに獣臭を臭わせる熊の毛皮に身を包み、長い赤黒の髪の上に鹿や熊の骸骨を乗せる『ポレモス』という褐色肌の女だった。
「今日は勘弁してくれ…疲れてんだよ 」
「じゃあ俺が勝てるチャンスがある訳だな。殺るぞ 」
何がなんでも俺と戦いたいポレモスにため息が漏れてしまい、半殺しにして早い所寝ちまおうかと思ったが、俺とポレモスの間に入り込んできたのはゼルフだった。
「相手は私が務めましょう 」
「あっ? 俺は雑魚に興味は」
「それは負けるのが怖いということですか? 」
そのゼルフの分かりやすい挑発にポレモスは顔を引き攣らせると、指の骨を軋ませる様に音を鳴らした。
「上等だ…1秒で殺してやる 」
「叶わぬ願いは口にしない方がいいかと 」
「あぁっ!!? 」
更にポレモスを煽るゼルフに不安になってしまうが、そんな不安を他所に、2人はさっさとこの部屋からで行ってしまった。
ゼルフに申し訳なさを感じながらも、今度こそ失礼しようと立ち上がると、横から変な視線を感じる事に気が付いた。
そちらに顔を向けると、そこには灰色のパーカーと緩いズボンを履いた少年、『ニル』が伏せた状態で、白い髪の隙間からギリシャの血縁者特有の金色の目を俺に向けていた。
「なんだ? 」
「いや…起きるのダルいんで部屋まで連れってくれませんかと思いまして 」
「帰るわ 」
椅子を元に戻してさっさと部屋から出て自分の家に向かう。
(今日は…酒でも飲みたい気分だ )
そんな事を思いながら廊下を歩くが、気を抜くと灯の死体が頭に思い浮かび、憎悪が身を焦がす。
けれど俺には役割があるため、冷静に長い息を吐く。
そして怒りに身を任せた拳を壁に打ち付けると、耳障りな騒音と共に窓ガラスが一斉に割れる音が長い廊下に響き渡った。
(ははっ…何してんだか… )
感情に身を任せても何も変わらない。
ただそう自分に言い聞かせるが、この壊れたものが散らばる現状のように憎悪は身を焦がし続ける。
(あぁ…誰でもいい。誰でもいいから残忍にぶち殺してぇ )
そんな憎悪と殺意が入り交じった感情を胸に、窓ガラスが飛び散った廊下に足を進めた。