第25話 未知の力
「『Yog-Sothoth[ヨグ=ソトース]』だと!? 」
「えぇ、間違いなく 」
信じられないような声を出すダオンに言葉を返し、私達の事を『哀れな子供達』と称した女性を睨みつけると、女性は消し飛ばされた顔半分から虹色の泡をゴポリと零れ落とした。
「つう事はこいつ…あの街の」
「陵!! 」
私を気遣ってか、その先の言葉を止めてくれるダオンの声に、陵君ははっと気がついた様に私に謝罪をして来た。
「すまん、灯 」
「気にしないで、それより止血をして 」
その言葉で陵君は左腕から流れる血を筋肉で止血したけど、止血をした陵君を見てか、顔が半分吹き飛んでいる女性は何か懐かしいものを見るような笑みをその顔に浮かべた。
「へー、君も筋肉で止血できるんだね 」
「っ!! 」
今にも前に飛び出しそうな陵君を止める様にダオンは血だらけの左腕を前に出し、ダオンは冷たい目を女性に向けた。
「相手のランクはXだ。無理に捕縛する理由はない、殺して構わん 」
ダオンにここまで言わせる女性の底知れなさにまたも嫌な記憶が呼び起こされそうになるけど、冷静に息を吐いて心を落ち着かせ、私が知る『Yog-Sothoth[ヨグ=ソトース]』の全てを手短に全員に伝える。
「あの虹色の泡には絶対に生身で触れないで。そして傷口から泡を大量に放出できるから、下手に傷は増やさないこと。内蔵も人間のものじゃないから、頭を潰しても心臓を潰しても死なない 」
取り敢えず警戒すべき点を全員に伝えると、女性はそれを待っていた様にクスクスと手元を隠して、また顔に気持ち悪い笑みを浮かべた。
「最期のお話がそれでいいの? もう少し喋らないと後悔するよ? 」
悲しそうな声を出しているのに顔はケラケラと子供のように笑っている女性の姿にただただ困惑していると、女性は右手を前に出し、手の平を上に向けた。
「ふぅ。じゃあ…行くよ 」
その一言と共に女性の手の平から虹色の泡が溢れ、それが攻撃の合図だと察知してすぐさま足を滑らせて身を伏せると、私が立っていた場所に光速で泡が通り過ぎ、後ろの木を朽ちさせた。
が、そのスピードにはもう目が慣れたため、『Ἑρμῆς』の力で生み出した『黄色のサンダル』を動かして女性と間合いを詰め、先端の刃が曲がった『Harpe』を右手に生み出してその先端で女性の首を掻き切ろうとするが、空中で光速で動く私を嘲笑う様に、首を右手で掴まれた。
「ぐっ!? 」
首の骨が軋み、後一秒後には私の首はへし折れると悟れるほどの力に困惑した瞬間、それを防ぐように空中に現れた銀色の剣が女性の右肘を貫通した。
「おや 」
その隙に女性の腕を掴み、『黄色のサンダル』を使って空中で回転し、女性の右腕を回し折りながら引きちぎるが、女性は痛がる様子も無ければ腕を失った事を気にもとめず、気持ち悪い笑みを浮かべるだけだった。
けれど右腕が失った今を見逃すほどダオンは甘くなく、後ろに引いた私と入れ替わる様に前に出ると、女性は引きちぎれた右腕の断面から虹色の泡を生み出し、それを光速でダオンに飛ばすが、ダオンはそれよりも速い槍の突きを打ち込み、泡を全て弾けさせると、地面を踏み砕きながら槍を横になぎ払い、女性の両足を切断した。
「あっ 」
足が切断されたのにまだ惚けた声を出す女性の頭を潰そうと、ダオンは槍を突こうとするが、それより速く女性はちぎれた右腕を前に出し、そこから『Yog-Sothoth[ヨグ=ソトース]』の金色の触手を生やして光速で放たれた槍を受け止めた。
するとその触手からゴポリと虹色の泡を零れたが、ダオンは槍を手放して素早く後ろに引いた。
その瞬間に陵君が前に飛び出し、右手で持った巨大な斧を大きく振り上げた。
振り上げられた斧にはさっきとは比にもならないほどの赤いスジが浮かんでいる事に気が付き、恐らく『αδάμας』の衝撃波を本気で撃つつもりだと悟り、咄嗟に身を伏せた瞬間、私達の前に凛ちゃんの『Αιγίς』が生まれた。
「あばよ 」
絶対的な防御力を持つ『Αιγίς』に轟音と共にヒビが走り、盾越しにも関わらず吹き飛びそうな体を『Harpe』を地面に突き刺して耐えていると、不意に爆音と爆風は止んだ。
慌てて今にも砕けそうな盾から顔を出すと、辺りに広がっていた木々は根元からへし折れる様に倒れており、うっすらと生えていた草達は見事に吹き飛んでいた。
こんな規模の衝撃波の中心に居た女性は、いくら『Yog-Sothoth[ヨグ=ソトース]』の血縁者であろうと死んだだろうと考えた瞬間、辺りに舞う砂埃が何かに吹き飛ばされる様に晴れた。
「なっ!? 」
「ふふふっ、死にかけちゃった 」
砂埃を晴らしたのは女性の右腕から生えるドス黒い触手で、その触手は斧を受け止め、爆発の中心に居た女性は無傷で荒れた地面の上に立っていた。
それに恐怖を感じたのか、陵君は斧を盾にしながら後ろに飛ぼうとしたが、それを許さないように黒い触腕が陵君を襲う。
陵君は斧で触腕を弾くが手数が足りず、それをカバーしようとダオンは槍を投げ、凛ちゃんは『Αιγίς』を生み出し、私は前に飛ぶけど、その触腕に触れた槍と盾は崩れる様に壊れ、陵君の斧も崩壊するように壊れた。
「っ!? 」
陵君は迫る触腕を右手で受け止めようとしたが、右手は鎧ごと簡単に崩れ、赤い鮮血を飛び散らしたが、触腕が陵君の胸を貫くギリギリで金色の鎧に手が届き、『金色のサンダル』を全力で操って後ろに引く。
するとドス黒い触腕は空を空振り、そのまま無傷な女性の元へ戻って行った。
「あーあ、両腕が無くなっちゃったね 」
「っ!! 」
すぐに熱くなる陵君は私から体を離して前に突っ込もうとしたが、ダオンは槍の側面で陵君の頭を殴り、無理やり冷静にさせた。
「さっさと止血しろ 」
「…あぁ 」
痛みで冷静になったのか、陵君はすぐに無くなった右腕も筋肉で止血したけど、両腕がない陵君はもう戦力にならない。
戦力が1人欠けたこの状況をどうすれば良いのかと考えていると、女性を取り囲む黒い触手から一斉に様々な色をした目と口が開いた。
「しぐしぐしぐおおおおしししおおおおぎぎぎぎ?!? 」
「バタだだだくっきききききき???!!! 」
「ミテミテミテミテミテミテミテミテワダジをテテテテテ 」
「こーら、みんなうるさいでしょ 」
触手には自我があるのか、何かを狂ったように呟き続け、女性はその声を叱る様に言葉を出すけど、未知の物を見てしまった私は言葉を失ってしまう。
「灯…ありゃ神態か? 」
「いや…絶対に違う 」
「んじゃ未知の力か 」
私は1度だけ『Yog-Sothoth[ヨグ=ソトース]』の神態を見たことがあるため、これは神態では無い未知の力だと確信を持って言える。
ただ不味いのは、ギリシャ系列の血縁者3人だけでは誰がどう見てもあの女性を殺すことは不可能だと言うことだ。
この状況で助けを呼ぶにも、この場から誰かが抜けないといけないし、残った戦力でこの女性を食い止めるには無理がある。
いや…一つだけ方法を思い付いた。
「ダオン…ここは私が食い止めるから、『Óðinn』の遺体と陵君を連れて応援を呼んで 」
「…っ、分かった 」
何も話さくても私の言葉を理解してくれたダオンに感謝していると、ダオンは槍を手放して陵君の首後ろを掴み、凛ちゃんに顔を向けた。
「凛! 『Óðinn』の遺体を回収しろ!! 」
「えっ…灯は」
「速くしろ!! 」
ダオンの怒鳴り声に押されるように倒れる『Óðinn』の遺体を凛ちゃんは回収しようとしたが、それを阻止する様に歪な触腕は凛ちゃんを襲う。
(神態 『Ἑρμῆς』 )
そう心の中で呟き、自分の体の細胞を神の細胞に変えて地面を力強く踏み、錬金術を発動させる。
錬金術で地面を隆起させて凛ちゃんと『Óðinn』の遺体をダオンの方に吹き飛ばすと、遺体を抱えた凛ちゃんは森の中に着地した。
「逃がさないよ 」
「とけけけけけけろろろろろろ??? 」
逃げるダオン達に向けて何かを言っている触手が伸ばされるが、空中に青い翼を付けた『Harpe』を5つ生み出し、それを回転させて黒い触腕を全て切り落とす。
「おや…君は『Ἑρμῆς』なんだね 」
「…えぇ 」
やはり全ての万物を殺せる『Harpe』はこの触腕にも効くのだと分かり、肉弾戦を得意とするダオン達や致命傷を与えにくい凛ちゃんを逃がして正解だったと考えていると、女性は急にクスクスと口を隠しながら笑い始めた。
「良かったねー、君達は死ねて 」
「…? 」
「あぁごめんね、こっちのお話。それでさ、君は1人で大丈夫なの? 1人で死ぬのは辛いよ? 」
イマイチ話が纏まっていない女性に少し困惑してしまうけど、スーさん達に連絡が届くまでの時間稼ぎを私はすればいいため、少しでも長く時間を稼ぐために口を動かす。
「いえ、死ぬ気なんて無いのでね。それより貴方は逃げなくて良いんです? 時期に貴方を倒そうとオリュンポスの人達が来ますよ? 」
「…オリュンポス? 」
(オリュンポスを知らない? )
この世界に生まれたのなら絶対に耳に入るはずのオリュンポスを知らないとなると、この女性はやっぱりあの街から生まれた者なのかと思っていると、女性は事の重大さにやっと気が付いた様に大きな声を上げた。
「ああ! オリュンポスってあの子達か!! えっ、流石に勝てないなぁそれは。というか私、普通に逃がしちゃったよ…えっと、怒らない? 」
急に女性は慌て始めるけど、最後の『怒らない?』は私に向けた言葉では無かった。
「そう…ありがとう。いやー、名前が同じだけあって君も優しいね…えっ、それは関係ない? 」
またも独り言を呟く女性に困惑の目を向けていると、不意に私の視界の中心に女性の異様に黒い目が向き、その得体の知れなさに背筋がゾクリと冷えた。
「さて…じゃあ時間が無いみたいだし、そろそろ君は死のうか 」
その言葉と共に女性の右腕と足から黒い触手が生え、それが無くなった足と腕の代わりになった。
手数が増えた女性の攻撃を捌けるだろうかと不安になってしまうけど、スーさんとの約束があるため、その不安を押し切って顔に笑みを浮かべる。
「いいえ、死ぬのは貴方です 」
息を吸い、意識を研ぎ澄ました瞬間、触手の矛先は一斉に私を向き、空を切りながら触腕がこちらに伸びるが、生み出した『Harpe』を回転させて迫る触手を切り落とす。
けれどさっきより手数が多いため全ては切り音せず、剣の隙間から黒い触手が私に迫るが、『金色のサンダル』を使って上に逃げ、錬金術で辺りの地面を隆起させて女性の視界を切ろうとするが、それら全ては光速で動く触手によって粉々にされた。
が、こちらに来る攻撃の手が緩んだため、『Ἑρμῆς』の盗人の力でアテナの弓とアレスの槍を生み出し、槍を弦に掛けて槍を女性に放つが、これも黒い触手に槍が触れた瞬間、槍は崩壊した。
「っ!! 」
いくら神態の力で、『Ἑρμῆς』の神格に通じるもの全て使えるとしても、あの触れたものを崩壊させてしまう未知の力のせいで致命傷どころか傷さえ負わす事ができない。
いや、私の役目は足止めだから程よく女性を足止め出来ればいい。
そう考え、次の攻撃のパターンを考えようとした瞬間、私を見ている女性の顔から笑みが消え、辺りの空気が怯える様に震え始めた。
「っう!!? 」
何か不味いと思い、後ろに逃げようとした瞬間、後ろから伸びたドス黒い触手が私の退路を塞ぎ、その先端が私に迫る。
(なんっ!? )
突如現れた触手からは音も空気の乱れもなく、目視していなければそこに存在しないように思えてしまう。
けれどそんな事を思っている間に触手は迫り、さっき生み出した『Harpe』を操って迫る触手を切り落とすが、いくら切り落としても触手の勢いは止まらない。
「っう!? 」
咄嗟に触手の軌道上から逸れる様に上に飛ぶが、そこには空を覆い尽くすほどの触手が現れ、それが私に迫る。
空という広大な逃げ場を失い、体を捻って方向転換して地面に逃げるが、横からも巨大な触手が迫り、逃げ場が女性の方しか無くなった。
誘い込まれているのだと悟るが、逃げる場所もないこの状況から生き延びるためには女性を殺すしかない。
すぐさま錬金術で女性の地面を隆起させ、女性の行動を封じながら間合いを詰め、5つの『Harpe』を操って女性を襲わせ、両腕ごと体を横に両断し、泣き別れになった上半身を更に縦に割るが、まだ死んでいないと勘で理解し、残った『Harpe』で残った肉を細切れにした瞬間、目の前に白い左手が見えた。
(えっ? )
切り落としたはずの左手が見えた事に思考が止まった瞬間、圧倒的な力で顔面を掴まれ、そのまま地面に叩き付けられた。
「うぐっ!? 」
「捕まえた 」
すぐに『金色のサンダル』を動かして逃げようとするが、女性から跨られているせいで逃げられない。
というより、私を押さえ付ける体はさっきの戦いなんて無かったように元通りになっている。
明らかに『Yog-Sothoth[ヨグ=ソトース]』の力ではない再生の仕方に驚いていると、女性の後ろから黒い触手が蠢いている事に気が付いた。
(まずっ)
咄嗟に『Harpe』を操り、私を押さえる女性の左腕を切り落とそうとするが、それよりも速く触手が迫り、私の身体中を貫いた。
「がっ!? 」
神態をしているから痛みは無いが、自分の中にある決定的な何かが壊れた感覚が無事な頭にゆっくりと登って来る。
体が動かない。
体の感覚が消えた。
でも…目と耳だけはまだ生きている。
それが逆に怖い。
「あれ…まだ生きてるんだね。今君の体穴だらけだよ? 」
視界に映る女性は私を押さえ付ける手を退けると、何か懐かしいものを見るような顔をし、異様に黒い目を薄く潤ませた。
けれどそれら全てが死の恐怖を掻き立てる。
「あれ…怖いの? 」
そんな私の顔を見てか女性は何かに気が付いた様に私に顔を近付けてくる。
(いや…だ )
女性は何かするつもりだと悟り、すぐに逃げようとするが体は動かない。
(やめ…て )
そんな思いも虚しく、女性の顔が私の目の前に現れ、未知の恐怖に耐えきれずに目をつぶると、額に柔らかい感触を感じた。
(…えっ? )
「いい夢を 」
そんな意味不明な言葉を女性は残すと、私から潤んだ黒い目を離し、右足を大きく上に上げた。
「おやすみ、あの子達の子供よ 」
また女性は意味不明な言葉を残すと、私の頭を踏み潰すように足を振り下ろした。
女性の黒い足裏を見ていると、頭が少しでも生きようと走馬灯を流すが、最期に映った景色には、結婚を約束した彼氏でもなく、そいつの弟でもなく、ただ2人で何気ない話をしているスーさんの笑顔だった。
(スー…さ)
潰れた。
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「えっと…骨を残さずってどうすればいいんだろ? 」
あの子との約束を守るために頭を潰した女の子から足を退け、靴に付いた粘っこい血を地面に擦り付けながら考える。
今私は女の子の頭を潰したけど、これでは頭蓋骨も残っているし、私の触手を使ってこの子の体をバキバキにしても骨は残ってしまう。
「んー、どうしよう? …あっ、そうだ。君が食べたらいいんじゃない? 」
自分の体の中にいるあの子にそう提案するけど、体の中から帰ってきた声はとても不機嫌そうなものだった。
『復讐にオリュンポスの力は使わないと言ったはずだが? 』
「………あっ! そうだったね、ごめん。私昔っから忘れっぽくてさ 」
『…あんたの昔って…いつの話だ? 』
「…さぁね、私もあんまり思い出せないの 」
どうでもいい話をこの子としていると、昔を思い出して胸が暖かい。
そんな胸に陽だまりが生まれたような心地良さを感じていると、不意にあくびが口から漏れてしまい、目が潤んでしまう。
「ふあぁ…あぁ、ごめんね。そろそろ活動限界が来ちゃう 」
『んじゃ変われ 』
「うん… 」
そう言って背中から生えた触手を体内に戻し、もう一度あくびをしてから右手を前に出す。
そしてその手で自分の鳩尾に穴を空ける。
「それじゃガフッ! …ふぅ、死なないでね 」
『…あぁ 』
その会話を最後にあの子の声は聞こえなくなると、空けた鳩尾の穴から植物の枝が現れ、私の体を締め付けていく。
(おやすみ… )
そして枝が私の視界を覆い尽くすと、意識は暗闇に落ちていった。
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「はぁ! はぁ! 」
「ル、ルーナさん 」
苦しそうに息をしながら暗い森の中を走るルーナさんに声を掛けるけど、ルーナさんは私を抱く力を強くするだけで言葉を返してくれない。
悠翔さんが来るのを私達は森の中で大人しく待っていたけど、突然の爆発が森の一部分を吹き飛ばし、辺りの木々をへし折った。
それに顔色を変えたルーナさんは荷物とテントを捨て、私だけを抱き抱えて何かから逃げる様に森の中を走り始めた。
「ルーナさん! 」
「んっ!? なに? 」
「さっきの爆発は…なんだったんです? 」
やっと私の声が届いたルーナさんに気になっている質問をすると、ルーナさんは前を見ながら私の疑問に答えてくれた。
「ハッキリは言えないけど! あの爆発は多分『αδάμας』によるものだよ! 」
「あだます? 」
聞き馴染みのない言葉にルーナさんに疑問の声を返してしまうけど、事の重大さは次の一言で全て理解してしまった。
「『神光の街』の連中が来ている可能性があるの! 多分私達を追っている!! 」
「っ!! 」
その街の名前を聞き、あの時の光景と現状が一致してしまった。
夜中の森の中。
顔に当たる冷たい空気。
目の前で頭を潰された、私の好きな人の事を。
「はぁー…はぁー… 」
「奏ちゃん? 」
嫌な記憶が頭を揺さぶり、息が荒くなってしまう。
胸が苦しい。
頭がぼやける。
もしかして悠翔さんが全く来ない理由は…またあの人達に…殺されたから?
私が…居るから?
私が…私が…
「奏ちゃん!! 」
(私が居なければ…私が居なければ… )
そんな事を柔らかい胸の中で永遠と考えていると、不意に後ろの森の中から足音が聞こえた。
「っ!? 」
その音に合わせて心臓が跳ね上がった瞬間、ルーナさんの体が急に持ち上がり、顔に当たる風の強さが増した。
「遅くなった!! 」
「っ!! 」
その声を聞いて急いでルーナさんの胸から顔を離して上を向くと、そこには悠翔さんの顔があり、心の苦しみは安心へと変わっていく。
「悠翔…さん… 」
(良かった… )
けれどその顔に何か違和感を感じてしまった。
髪の色が変わっているからだろうか?
右目の色が変わっているからだろうか?
それとも…左の黒い目に、絶望が映っているからだろうか?
「それで、これから何処に身を隠すつもりなんですか? 」
ルーナさんの冷静な声に慌てて悠翔さんの顔から目を離すと、走るスピードを上げながら悠翔さんは言葉を返してくれた。
「時期に『オリュンポス』の連中らが来る! 」
「はぁ!? 貴方何をしたんですか!! 」
「ヘマをしただけだ! んで、この森に隠れるのは不可能になった!! 」
「じゃあどう…まさか!? 」
「そのまさかだ!! 」
声を張り上げる悠翔さんは更にスピードを上げ、風になったと錯覚する様な速さで森の中を駆けるけど、話に置いてきぼりにされた私には何がなんだか分からずに質問を返してしまう。
「悠翔さん! これから何処に行くんですか!? 」
「作られた神が蔓延る場所! 『晦冥の街』だ!! 」
何処かで聞いたことのある街の名前を聞き、それがいつだったろうかと考えようとしたけど、強すぎる風のせいでそんな事を考える暇もなく、ただ私を抱きしめる手に身を委ねることしか出来なかった。