第2話 これから
「はぁ、はぁ」
後ろを振り向かずに、道無き道を走り続ける。
茂みの間を通るたびに、切れる頰と手。
けれど悠翔さんがくれた服のおかげで、そこ以外は傷つかない。
「逃げ、ないと」
気持ちはあの人が最期に言ってくれた言葉のお陰で逃げようとするけど、足と心臓は気持ちについて行ってくれない。
「はぁ、お、水」
喉が冷たい夜風にやられ、唾でさえ甘く感じる。
足が止まり、足と心臓の限界を感じていると、森の中なのにやけに開けた場所に出てしまった。
その開けた場所の真ん中には綺麗な泉があり、その水を無性に飲みたくなる。
泉に近寄り、透明な水を両手で掬って急いで水を飲むと、その冷たい水が全身に巡るのを感じ取れた。
「はぁ、はぁ、ふー」
胸を押さえて息を整えていると、後ろの茂みから音が聞こえ、心臓がドクンと高鳴る。
そんな心臓を抑え、恐る恐るゆっくりと振り返ると、茂みの中から赤い蔓が伸びていた。
それは・・・悠翔さんから生えていた赤い蔓だった。
「はる」
そこに駆けつけようとするけど、茂みから出てきたのは、悠翔さんの腕だけだった。
「えっ・・・いや」
「い、げ、ろ」
その悍ましい手に近付こうとすると、その腕を銀色の劔が貫き、その腕はピクリとも動かなくなった。
「やっと、ゲホッ、追いついた」
そんな女性の声が聞こえると、茂みから金色の鎧を付けた青髪の男の人が現れ、それに続くように、赤と緑の鎧を着た人達が続々と茂みの中から出てきた。
「悠翔・・・さんは?」
「あいつか?あいつなら、ゲホッ、死んだよ」
右足に赤い血を付けた人の自慢げな声を聞き、心が折れかかるのを感じると、また声が聞こえた。
「いげろ!!」
その声を聞き、体が動き森の中に向かって走る。
「まゲェッホ!」
そんな咳き込む声が後ろで聞こえ、それを心配しながら森の中を走る。
「なんで、なんで!」
行き場のない悲しみを感じながら森を走り続けていると、急に腕を掴まれ、大きな茂みに引っ張り込まれる。
「捕まえた」
聞いた事の無い女性の声が聞こえ、顔から血の気が引き、それに対抗しようとするも、女性の柔らかい胸に力強く抱き寄せられ、動けなくなる。
それでも無理に動こうとすると、私の耳元に息が当たった。
「悠翔に頼まれた」
そんな言葉を聞くと、自分でも驚くほど体は警戒を解いてしまい、体から力が抜けてしまった。
「いい子だね」
右の耳元でそっと囁かれ、ゾワっと鳥肌が立ってしまう。
耳に当たる細い息に、くすぐったさを感じていると、後ろから茂みを進む音が聞こえた。
「逃げな」
「騒がないでね」
細い手から口を塞がれ、そんな良く分からない状況に怯えていると、私の怯えに気づいたのか、その女性は力強く私を胸に抱き寄せてくれた。
けれどその人から心音や人の温かさを感じず、そのせいで逆に不安が心を蝕んでいく。
「クソ、どこゲホッ、ウォエ!」
「ハハ、ゼウス様でさえ病気には勝てねぇか?」
「うるさい」
悠翔さんの頭を砕いた人達の声が聞こえ、心臓が速まるけど、私を抱きしめている人の冷たい体温を感じていると、心臓がゆっくりと落ち着いていく。
「本当に、ゲホッ、どこにガハッ!!」
「えっ?」
女性の驚く声が茂みの向こうから聞こえると、辺りがやけに静かになった。
「何がゴボッ、おごっだ?」
重たい何かが倒れるような音が聞こえると、自分の心臓が驚くほど速くなり、頭がクラクラしていく。
「えっ、いや、嘘だろ?」
「あいつの、せいか?」
「ケホッ」
突然の事に、私を追いかけていたみんなは慌てていたけど、女性の小さな咳が聞こえると、みんなは一斉に黙り込んだ。
「いや、ちがケホッ!ゲホッ!!」
「離れろ!」
「待っゲボッ!!」
その女性の苦しそうな咳が聞こえると、人の気配は一斉に森の中へ散って行き、取り残された女性はみんなを追いかけ、辺りから人の気配が消えていった。
「行ったね」
その女性の言葉にほっとしていると、私を抱きしめていた女性は私から手を解き、私を茂みから引っ張り出した。
すると女性の白い髪と、白い肌と対象的な黒い袴のような物が眼に入り込んできた。
「あ、酷い怪我」
白く長い髪を揺らす女の人はしゃがみこんで私と目を合わすと、その人の異様に黒い目がはっきりと見え、体が強張ってしまう。
「少し、目をつぶって」
優しい笑みを向けてくれるその人に従って、怯えながらも眼を閉じると、暗い視界の中でそれよりも黒い何かが蠢いた。
「はい、いいよ」
「えっ?」
目を閉じたのに何もされなかった事に疑問を感じながらもゆっくりと眼を開けると、その人は綺麗な微笑みを浮かべていて、私の頭に細い手を置いた。
そんな女の人に、1つ質問をする。
「あの、貴方は?」
「私?私は白、悠翔の友達だよ」
悠翔さんの友達という言葉を聞いて、心臓がドクンと高鳴り、顔にじんわりと汗が滲んで行く。
そんな熱い胸の鼓動を感じながら、白さんの顔を見る。
「あの、悠翔さんは・・・私を庇って」
「悠翔なら生きてるよ」
私の言葉の先を読むような声に、言葉が詰まってしまう。
けれど私の前で頭を潰される悠翔さんの光景を思い出し、その言葉が信じられない。
「え、でも、悠翔さんは・・・頭を」
「それを治してくれる血縁の人が居るの。だから大丈夫」
白さんの白い手から胸に抱き寄せられ、安心感と冷たい心地良さが合わさって、とても眠くなってしまう。
「2人とも・・・おやすみ」
そんな優しい声が聞こえると、ゆっくりと意識は夢の中に落ちていった。
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「うわぁ、惨たらしいですね」
上の奴らに言われ、悠翔達が逃げた森の中を捜索していると、私の前にいるエイルがそんな声を漏らした。
目の前の光景をしっかりと見ると、そこには大量の血の乾いた後が広がっていた。
その血の他には腸らしき臓物と、アテナの血縁達が投げたであろう銀の劔が無数に地面に刺さっており、それを見て呆然としていると、エイルはその光景を見てか声を荒らげた。
「眼、脳、腸!こんなむごたらしい殺し方しといて、何がゼウスですか!」
「エイル、静かに」
黒い髪を激しく揺らすエイルに言い聞かせ、剣を構えながら森の中を歩いて行くと、異様な死体を見つけた。
その死体の全身の皮膚は青黒く変色しており、死体の両手は首を抑え、苦しみに悶えているような格好をして固まっていた。
「なんですか、この・・・死体は」
死体や怪我人を見慣れたエイルでさえもこれは厳しかったらしく、その死体から目を背けると、エイルは私に金色の眼を向けて来た。
「ヒルデは、大丈夫なの?」
エイルのそんな正気を疑うような目を見て、短く息を吐く。
「これに似たものは、何度か見た事が」
「ヒルデ」
私の言葉を遮るように、チョーカー型の魔具から、ヒヨルの声が聞こえて来た。
「どうしたの?」
「肌が青く変色した死体発見。おそらく、アテナの血縁だと思われる」
そんなロボットのような感じで報告され、堅苦しいなと思いながら一応リーダーである私が指示をする。
「んーっと、とりあえずワルキューレの力を使って死体は燃やして。それは触れなきゃ感染しないから安心していいよ」
「了解」
そんな一言を残すと、ヒヨルは一方的に通信を切った。
それに少し不快感を覚えていると、ある事に気が付いた。
悠翔達を追った、ゼウスとアテナの血縁者は見つけたけれど、アレスが居ない事に。
(どこだろう?)
「姉様!!!赤い鎧を着た二人の死体を見つけましたよー!!!!!」
私の疑問に答えるように大声が森中に響き渡り、辺りで眠っていた鳥達が慌てて空に飛び立った。
「はぁ」
ため息を吐き、首に付けた魔具に触れてさっき叫んだゲルに連絡を取る。
「ゲル、魔具がある事忘れたの?」
「あっ!そうでした!!すみません、姉様!」
魔具からゲルの申し訳なさそうな声が聞こえるけど、それでもうるさい。
そんな事を思いながら、通信を全員に繋ぐ。
「とりあえず、全員の死体は見つけたね。各自永訣をお願い」
「了解」
「了解しました!」
「分かりました」
死体の火葬をエイル達に任せ、茂みを掻き分けながら辺りを捜索していると、綺麗な泉を見つけた。
その泉になにか神聖なものを感じていると、目の端で、なにかが月光に反射した。
そちらを見ると、そこには銀の劔が地面に刺さっており、その劔が貫いていたのは誰かの右腕だった。
その手からは赤い蔓が伸びており、手の持ち主が必然的に誰なのかが分かってしまった。
「死んで・・・ないよね」
胸に積もる複雑な感情を感じながら、銀の劔を地面から抜いて、悍ましい腕を抱き抱えて手の平の上でそっとそれを燃やす。
「どうか、君の魂がヴァルハラへ来ない事を祈ってるよ」
血が炎で蒸発する音を聞いていると、その音は次第に聞こえなくなり、手の平の上には灰だけが残った。
その灰を辺りに撒き、白い灰が散り終わるのを待ち、エイル達と合流する為に夜の森の中を歩き回った。
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「んっ、うぅ?」
眩しい日差しを肌で感じてゆっくりと目を開くと、そこには木で出来た天井が見えた。
「ここ・・・は?」
ぼーっとする頭で寝る前の事を思い出そうとしていると、白さんと呼ばれる悠翔さんのお友達から助けられた事を思い出した。
「それで・・・私は・・・寝たんだ・・・っけ?」
はっきりとしない視界を右手で擦り、体を起こして辺りを見渡すと、部屋に置かれた机の上に、一本の水入れと紙が置いてあった。
重い体をフカフカとしたものから起こし、その水入れを開け、中身を飲むと、ただのお水とは思えないほど甘かった。
(美味しい・・・)
美味しいお水を飲み干し、机の上に置かれている紙の文字を読む。
その紙には、今私が居るのは眼黙の街と呼ばれる場所らしく、その街の宿で私は一晩越したらしい。
そして傷が治った悠翔さんが戻ってくるから、それまでは扉を開けたら駄目だと書かれていた。
「なんで開けちゃだめなんだろう?」
そんな事を思っていると扉が優しく叩かれ、体がビクつくけど、白さんの手紙には悠翔さんが来るまで開けたら駄目と書かれていたから、扉を開けようとは思えなかった。
しばらく扉は叩かれていたけど、叩いている人は諦めたのか、扉から音が聞こえなくなった。
それにホッとしていると、今度は扉の下の隙間から、赤いなにかが部屋の中に入ってくる。
(なに!?)
その蔓のようなものに驚いていると、それは扉の取っ手のような物を回し、扉が勝手に開いた。
それに恐怖を感じてしまうけど、開いた扉の先に居た人を見て恐怖心は心から消え、自然と安心感が心の中に生まれてくれる。
「悠翔さん!」
けれど大きな袋を持った悠翔さんは何も喋らずに、部屋の中に入ると扉の鍵を閉め、私に目を向けた。
「悠翔・・・さん?」
その目を見ていると、また恐怖心が胸の中に生まれてしまい、急いで部屋の奥に走る。
「悠翔さん・・・なんですか?」
部屋の隅に逃げながら、少し潤む視界で悠翔さんらしき人を見ると、その人はわたわたと何かを探し始めた。
そして机の上に置かれた紙と筆らしきものを持って紙になにかを書くと、私の方に紙を大急ぎで見せてきた。
『今は喋れない すまん』
紙に書かれた少し汚い文字を見て、安堵感が心に生まれ、涙が瞳から溢れでる。
「よかった〜」
『すまん 寝てるのかと思って起こさないように入った』
悠翔さんが気遣ってくれていた事が分かるとさらに安心感が胸に生まれ、涙を拭って悠翔さんの前に立ち、自分の眼で悠翔さんをちゃんと見つめる。
「えっと、私を助けてくれて本当にありがとうございます」
申し訳ない気持ちを感じながら頭を下げると、頭を手で撫でられ、顔をゆっくり上げると、悠翔さんが紙に文字を書いていた。
『気にすんな んで 少し聞きたい事がある』
悠翔さんは背負っていた重たそうな荷物を床に置き、私が寝ていた布団に腰をかけると、また紙に文字を書き始めた。
「あの、蔓みたいなもので喋れないんですか?」
私の言葉に悠翔さんは腕を組んで少し考え込み、紙に新しい文字を書いて、私の方にそれを見せてきた。
『気持ち悪いと思う』
「私は気にしませんよ」
悠翔さんはまた何かを紙に書こうとしたけど、筆を止め、ため息を吐いた。
そして左腕の袖をまくると、その腕から赤い蔓が伸び、その蔓から人の口が開いた。
「あばりうばくしゃばれない」
「大丈夫です、分かりますから」
悠翔さんの隣に座ってそう答えると、悠翔さんは驚いたような顔をし、顔を抑えた。
「どうしました?」
「きびずるな。ぞいで、ぎぎたいごどがある」
自分で言ってしまったことだけど、その人とは思えない声は少し分かり辛く、耳と頭を使って頑張って理解しようとする。
「えっと、なんですか?」
「おばえのごぎょうはどごだ?」
(ごぎょう?)
そんな悠翔さんの言葉が理解できず、頭で考えていると、悠翔さんはため息をつき、紙に文字を書き始めた。
『故郷だ』
「あ、故郷ですね、根国です」
その私の言葉を聞いてか悠翔さんは楽しそうな表情を顔に浮かべ、興奮気味に筆を走らせる。
『あのスサノオノミコトが住んでいた?』
「多分、そうですね。スサノオさんが母に会いたいと願って、根国住んだと言う話もありますから」
朧げな記憶を辿りながら悠翔さんにそう伝えると、悠翔さんはとても嬉しそうな顔をしていたたけど、悠翔さんは何かに気づいたように急に自分の頭を抑え、歯軋りをした。
「どう・・・しました?」
「だんでもだい」
蔓の口が急に開き、それにびっくりしていると、悠翔さんはため息を吐いてまた紙に文字を書き始めた。
『じゃあなんでそこから出たんだ?』
そんな当たり前の質問に、少し嫌な気持ちを胸の中で感じてしまう。
「えっと、少し長くなりますけど良いですか?」
『あぁ お前の事を少し知りたい』
その文字を見て少し嬉しくなってしまうけど、これから思い出す記憶の不甲斐なさに耐えるために覚悟を決める。
「私ですね、役立たずだったんです」
私のそんな言葉に合わせ、悠翔さんから生えている蔓にゆっくりと赤い線が浮かび上がっていく。
『誰が言ったんだ?』
「あ、違いますよ。私自身が役立つだと思ったんです!」
悠翔さんが怒っているのだと分かり、慌てて弁明をすると、悠翔さんは目を白黒させて少し惚けた顔をした。
「順に説明していきますね。私のお母さんとお父さんは狩の血縁者?だったんです」
『言いやすい方でいいぞ』
紙を急いで私の前に見せる悠翔さんのお陰で少しだけ心が軽くなり、笑みが顔から溢れてしまう。
「はい、じゃあ神様って言いますね」
私の答えに悠翔さんは頷くと、左手から生えた蔓を腕の中に戻した。
「それでお父さんとお母さんは沢山の人に役立っていたんですけど、私は役立てなかったんです」
『なんでだ? お前は薬学を熟知してるんだろ?』
「はい、薬は作れるんですけど、皆さんが健康過ぎまして。だから故郷から出て、お金を稼いで立派になった自分の姿をお母さん達に見せたいって思ったんです」
「・・・偉いな、お前」
そんな言葉が聞こえ、慌てて悠翔さんに目を向けると、口を開いている悠翔さんが目に映った。
「あれ悠翔さん!今・・・」
「おう喋れるようになったぞ」
その明るい笑みにこっちまで嬉しくなってしまい、笑みがこぼれてしまう。
「さて、喋れるようになったし、今後に付いて説明してくぞ」
悠翔さんはそう言うと持って来た大きな袋を漁り、その中から少しシワが入った大きな紙を取り出すと、それを布団の上で広げ、その紙にはとても大きな絵が描かれていた。
悠翔さんはその絵の、眼黙と書かれた場所に指をさした。
「取り敢えず、これが今俺達がいる眼黙の街。ここで色々と揃えて、次に審鏡の街、晦冥の街と順々に行って、最後に安息の街に行く。ここなら俺らがいた、神光の街の法から外れるからな」
その言葉で私のせいで悠翔さんが故郷を追われた事を思い出し、胸にへんな気持ちが生まれてしまい、悠翔さんになんと言えば良いか迷っていると、悠翔さんは袋から金貨を2枚取り出し、それを服の中に入れて私の頭に手を置いた。
「さぁ、飯でも食いに行くぞ」
私の悩みが伝わるはずもなく、悠翔さんは笑みを浮かべ、机の上に置かれた鍵を取って扉に向かった。
それに慌てて付いて行って部屋から出ると、廊下の窓から見える風景に目が止まった。
そこから見えた景色には、木や石で出来た立派な建物が並んでおり、その建物の間を多くの人が行き来していた。
「うわぁ」
それに驚いていると、悠翔さんは重々しいため息を吐き、壁に体を預けるようにして寄りかかった。
「どうしました?」
「俺人混みが苦手なんだよ。すまんけど飯は人が少ないところに行くぞ」
また重たいため息が聞こえると、悠翔さんは階段に向かって行き、私もそれに着いて行く。
階段を降りると広い空間には石で出来た柱が数本立っていて、その真ん中にある大きな机の奥に女性が座っていた。
その人は綺麗で長い赤髪に、見た事がない白いヒラヒラとした服を来ていたけど、その人の黄金色の目が片方しかこちらを見てないことに気がついた。
目を凝らしてその人の顔をじっと見ると、その人の右目は赤い糸で縫われている事に気が付き、意味がよく分からない恐怖心が胸に騒めく。
「あら?お出かけですか?」
けれどその人は、自分の目が縫われている事を気にしてないように、私達に笑顔を向けて来た。
「はい、ちょっと食事をとりに」
「そうですか、いってらっしゃいませ」
その人の丁寧なお辞儀を見て、お辞儀を返して悠翔さんと一緒に町に出ると、明るい日差しが頭の上に当たった。
「離れんなよ」
その言葉に従って悠翔さんの背中の服を摘み、一緒に街中を歩く。
街を一緒に歩いていると、色々な人が私達を見ていたけど、その中で一番怖かったのは、片目を縫った女性達が私を嘲笑うように見ていた事だった。
「あの女はなんなのかしらね。目を縫ってないなんて」
「あれよ、がめつい奴なのよ」
そんな意味の分からない文句のような事を言われて少し不安になり、悠翔さんに声をかける。
「あの、悠翔さん?」
「すまん、色々と忘れてた」
悠翔さんは小声で私に謝ると、大通りから逃げるように良い匂いがするお店へ入って行き、悠翔さんと一緒に私もそのお店の中へ入る。
「いらっしゃあせー」
高い音が鳴る扉を開けると、腑抜けた男性の声が聞こえ、悠翔さんの後ろから顔を出すと、金色のぼさぼさの髪を三角巾で覆い、藍色の前掛けを付けた男の人が私達に声かけて来ていたのが見えた。
「何名様で?」
「2人だ」
「空いてる席にどうぞー」
そう言われると、悠翔さんは店の奥の方に行き、2人が向かい合うような席の奥の方に座った。
私がその反対側に座ると、悠翔さんは小さな本を私に渡した。
「好きなもの頼んで良いぞ」
「えっ、あ、ありがとございます」
悠翔さんにお礼を言い、その本を開いてみるも、そこには色々な文字が書いていて、その中で『キノコと野菜のクリームパスタ』というものに興味が湧いてしまう。
「あの、これお願いします」
「分かった」
私に悠翔さんは頷くと、右手を上に上げた。
そうすると、さっきの男性がこちらにやってきた。
「ご注文は?」
「キノコのクリームパスタと、牛丼で」
「うい、かしこまりました」
男性は持っていた紙に何かを書くと、男性は軽く頭を下げ、私達から遠ざかった。
そして話す事が無くなってしまい、その気まずさに耐えきれなくなり、言葉が口から漏れる。
「あの・・・悠翔さん」
「ん?」
悠翔さんの顔がこちらを向くと、心臓がドクンと跳ねた。
「どうかしたか?」
「いや、えっと、悠翔さんの神様って誰なんですか?」
話題がなく、急いで考えて出た話題は、場合によれば物凄く失礼な事だった。
「あ、すみません」
「いや良いよ、お前にも知っといてもらったが良いかもな」
悠翔さんは短く息を吐くと、右手を机の上に置いた。
するとその右手から無数の赤い蔓が顔を出し、その指先は日没に似た青色に変色し始めた。
「俺の血縁はΜαραμένο[マラメノ]、逸話は無いが宇宙と旅と枯死の神だ」
「宇宙?」
枯死とは確か、植物が枯れるということだったような気はするけど、宇宙という言葉は始めて聞いた。
「宇宙てのは空の上の世界だ」
「えっ!?じゃあ、天照さんは実在するんですか!?」
その話に昔聞いた天津大神の話を思い出し、悠翔さんに聞いてみると、悠翔さんは楽しそうな笑顔を浮かべた。
「ある話があってな、ある人間が宇宙に行った。そしてこう言った。地球は青かった、けれど、神は居なかった」
(地球?)
色んな現実味が無い話を聞いて、少し頭が混乱するけど、悠翔さんが言いたい事は多分、神様は居ないって言うことなんだろうか?
「つまり、神様は居ないんですか?」
「いや知らん。俺は宇宙に行ったことが無いから、そいつが言っただけで、ほんとは居るのかもしれん。それか隠れたのかもしれん」
楽しそうに話す悠翔さんを見て、こっちまで少し嬉しくなっていると、悠翔さんは何かを思い出したように顔からは笑みが消え、右手を強く握りしめた。
「すまん、話し過ぎた」
その言葉に合わせ、悠翔さんから生えている蔓は苛立つように唸り始めた。
「あ、お客様、当店で力を使うのはご遠慮ください」
苛立つ悠翔さんをなだめようとその変色した手を握ると、後ろから男の人の声がかかり、悠翔さんは何かに気がついたように、腕に生えた蔓を慌てて引っ込めた。
「あ、すみません」
「いえいえ。はい、キノコと野菜のクリームパスタと牛丼です」
悠翔さんの手から手を離し、その人の邪魔にならないようにすると、机の上には良い匂いがするあたたかい料理が置かれた。
「代金は出る時にお願いします。ではごゆっくり」
男の人は私達に頭を下げると紙を机の上に置き、店の表の方に向かっていった。
その人から料理に目を移すと、私に悠翔さんが箸を渡してくれた。
「ゆっくり食えよ、頂きます」
悠翔さんは手を合わせると、机の上に置かれたご飯を食べ始めた。
それに合わせて、私も頭を下げて手を合わせる。
「たなつもの、百の木草も天照す、日の大神の恵みえてこそ」
頂きますの和歌を詠み、頭をもう一度下げて、お箸で用意されたぱすたと言う物を食べてみる。
すると不思議な食感と、優しく塩味が効いた牛乳のようなものが口の中に広がり、とても美味しい。
「美味いか?」
「はい、とても美味しいです!」
私の言葉に悠翔さんも嬉しそうな笑顔になり、牛丼という食べ物をまた食べ始めた。
そんな美味しい料理を食べていると、高い音がお店の中に響き渡った。
「いらっしゃーせ。何名様で?」
「4人です」
そんな聞き覚えのある女性の声を聞いて、慌てて顔を扉の方に向けると、そこには私によく分からない事を言ってきた女性達がお店に入ってきていた。
「あんまり見るなよ」
悠翔さんの小声に急いで料理に顔を向け、平然を装って料理を食べていると、誰かの足音がこちらに向かってきた。
「あら、性悪女がこんな店にいるのですね」
そんなよく分からない言葉を言われ、後ろを振り向くと、右目を縫い、やけに肩と足を出した、金髪の綺麗な女性がそこには立っていた。
「えっと、性悪とはどういう意味なんですか?」
よく分からない言葉ばかり言われ、そんな事を聞いてみると、綺麗な女性は口を押さえ、体を震わせながら笑い始めた。
「そんな事も知らないんですか?これだから性悪女は」
女性は橙色の瞳から溢れる涙を指先で拭うと、ゆっくりと息を吸った。
「この世に居なくていい奴の事ですよ」
そんな言葉を笑顔で言われ、お腹の底が一気に冷たくなり、不安感が胸の中を駆け巡った。
それに続くように、悠翔さんが私を守る為に傷ついた事を思い出し、気持ちが悪い感覚が心から溢れ出てしまう。
(・・・私は)
そんな暗い考えを遮るように、首にくすぐったい感覚が走り、急いでそれを右手で弾くと、その右手にもくすぐったい感覚が走った。
慌てて右手に目を向けると、私の手には赤い蔓が巻きついていた。
その蔓を見て急いで後ろを振り向くと、顔から表情が消えた悠翔さんの顔が、私の後ろをじっと見ており、その顔がだんだんと微笑みに変わろうとした瞬間、後ろから大きな音が聞こえ、辺りが一気に静かになった。
その音が鳴った方を見ると、床を踏み抜いている、金髪の男の人が居た。
「お客さん、店の中では力を使うのはご遠慮ください」
少し怒っているような男性の声が聞こえると、私の腕から蔓は離れ、悠翔さんの顔に表情が戻っていった。
「すみません」
「いえいえ、後そこの女」
女と言われ体がビクつくけど、その人の顔は私の横を向いていた。
「あんた、トイレから出たら帰れよ」
「はぁ?私は客よ!」
「お前は来なくても客は来る」
男の人の言葉に女の人は唖然とした顔をすると、急にその顔に怒りを浮かべ、後ろにあるWCと書かれた扉を開けてその扉を勢いよく閉めた。
「さてと・・・これどうしよう」
我に帰ったのか金髪の男の人は顔を青くし、床の傷を触っていると、お店の奥から太った男の人が出てきた。
「お前、またやったのか。今月も減給な」
「あー待って!今月マジで厳しいから待って!!」
そんなやりとりを見て少し笑ってしまうと、足元になにかの感覚を感じた。
足先でそれを踏むと、『チャンッ』と、薄く張った水を踏む音が聞こえ、その音を聞いて足元を見ると、そこには赤い何かが広がっていた。
「きゃっ!?」
私の声に合わせてか、悠翔さんが急いで椅子から立ち上がると、血溜まりを踏みながら私の後ろを通り過ぎた。
「うぉっ!?」
悠翔さんが立ち上がる音で、お店の中に居る人達の目線がこっちにきたのか、金髪のお兄さん達が驚きの声を上げた。
悠翔さんが扉を開けようとしたけど、閂が掛かっていたのか、扉は開かない。
すると悠翔さんは右腕の袖をめくり、赤い蔓を扉の隙間に入れ、閂を外して扉を開けた。
「悠翔さん!?女性が」
悠翔さんを遮るように扉の中を見ると、そこには驚く光景が見えた。
さっきまで話していた女性の両方の前腕と太ももが壁に短剣で貼り付けられていて、細い首とお腹にも短剣が突き刺されており、その人の両目は赤い糸で縫われていた。
「えっ?」
その光景を見て叫び声も上げられず、反射的に悠翔さんの顔を見ると、驚きのあまり足から力が抜けてしまう。
「なんで?」
その悠翔さんの表情は、どこまでも嬉しそうに笑っていた。