第12話 涙
「ふぁ〜」
欠伸をしてぼやけた左眼を擦り、隣で小さな寝息を立てている奏ちゃんを起こさない様にそっとテントから出ると、温かい朝日が差す森が左眼の中に入って来た。
「・・・良い天気」
あのクソみたいな街では絶対に味わえない温かい朝日に感動しながら、取り敢えず顔でも洗おうかと池に近づいた瞬間、微かに森の中から何かが動く音が聞こえた。
(動物?)
念のためそれが敵であっても良い様に右手を後ろに隠して後ろを振り向くと、その音がこちらに近付いてくる。
その一定のリズムがそれが人である事を物語っており、後ろに回した右手に短剣を生み出し、顔に笑みを貼り付けていつでも反撃できる様にしていたけど、森から出て来たのは、あの時と変わらない黒い服を着た悠翔だった。
「あら、貴方でしたか」
「・・・悪いですか?」
「!?・・・い、いーえ、ちっとも」
何故か敬語な悠翔に気付かれない内に短剣を消し、手を前にして何も持って居ないとアピールすると、悠翔は何処か疲れた様な顔をしてため息を吐き、テントの方に眼を向けた。
「奏は?」
「まだ寝てます。貴方を待つとか言って夜遅くまで起きてたので、昼まで起きないかもしれませんよ」
「・・・そうですか。えっと、貴方はコーヒー飲めますか?」
「はい、飲めますよ」
何故そんな質問をしてくるのか分からないが、取り敢えずそう答えると、悠翔はテントのジッパーをそっと開け、テントの中に入っていった。
しばらくしてテントの中から出てきた悠翔の右手には、赤い鉱石が埋め込まれたコンロと銀色のポットが、左手には挽かれたコーヒーの瓶と2つの銀色のカップが握られていた。
「何か手伝いましょうか?」
「大丈夫ですよ、顔でも洗ってて下さい」
その言葉を少し意外に思いながら頷き、言われるがままに顔を洗いに膝を付いて池を覗き込むと、そこには右眼が潰れ、おかしな顔をしている銀髪の女が見えた。
(・・・ふふっ、変な顔)
胸に積もる喪失感を笑ってごまかし、顔に冷たい水をぶつけてそれを袖で拭き取って後ろを振り向いてみると、そこにはコンロの上に置かれたガラスのつまみが付いたポットしか無く、悠翔はテントの中に戻って何かを探していた。
(なんか、私の仕事が無い様な)
仕事が無い事は良い事だけど、今までは性行した後の男が自慢げに漏らす情報を記録してルートの確保ばかりしていたからか、何かしていないと少し落ち着か無い。
けれど何かしでかして悠翔の機嫌を損ねるのは絶対に避けたいため、大人しく揺れる水面を眺め続けていると、反射している水面に黒い影が映り込んだ。
黒い影が出て来たテントの方を見てみると、そこには2つの折り畳まれた黒い椅子を持っている悠翔が居た。
「はい、これに座って下さい」
「はーい」
地面に投げられた小さな椅子を受け取り、椅子を組み立てて悠翔が先に座るのを待ってから椅子に座ると、悠翔は地面に置いた2つのコップにポットからコーヒーを入れ、片方を私に差し出して来た。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
受け取ったカップの底についた土を払い、熱いコーヒーをゆっくりと飲むと、ただ何の変哲もない苦いコーヒーの味しかしない。
(・・・薬物は無しか)
コーヒーの中に何も入っていない事を確認し、コーヒーをちびちび飲んでいると、悠翔の目線が私に向いている事に気が付いた。
「どうかしました?」
「・・・貴方に聞きたい事があるんですけど、貴方が殺した金髪のオレンジ色の眼をした女性、覚えていますか?」
「はい、覚えてますよ」
その言葉を聞き、店のトイレで殺したクソ女が死ぬ寸前に言っていた事を思い出し、怒りが頭の後ろに溜まり始めたが、それは悠翔の言葉によって一瞬で冷め切った。
「あのトイレって密室ですよね? あそこからどうやって逃げたんですか?」
そんな私が人を殺した事を、興味を持って聞いてくる悠翔に一瞬驚いたが、取り敢えず顔に出さない様に笑顔を貼り付けてその話に答えていく。
「あー、それはですね、あそこのお店のトイレって小窓があるじゃ無いですか。私は細いので、体に滑る物を塗って右肩と頭が出せば痛いですけど強引に出れるんです」
「へー、そんな事で捜査を撹乱出来るんですね。今度試してみます」
(うわぁ・・・)
無邪気な笑みを浮かべ、楽しそうにそう語る悠翔を見て、こいつは自分が思ってた以上にヤバい奴なんだなと再認識していると、ふと、気になる事があった。
「そういえば、貴方ってどんな生活を送っていたんですか? 人を傷付ける事になんの躊躇いが無い様ですけど」
「僕ですか?僕はただ、少し金持ちな家庭に生まれて、自由に暮らして来ただけですよ」
(・・・サイコパスだなぁ)
自分で言うのはあれだけど、私は5年前までは普通の人間だった。
あの地獄の様な場所で体を売って、猫の死骸などを食べて自分が生きる事ばかり考えていたから人を殺す事にあまり抵抗は無いが、悠翔の場合はもはや生まれ付きの狂人としか言いようが無かった。
そんな奴に自分が命を預かられていると考えれば、私の残りの人生は短いのは確実だなと考えていると、左眼に写っている悠翔は急に自分の左手を眺め、無邪気な笑みは何故か我に返った様な表情に変わった。
「・・・? どうしました?」
「・・・・・・いや、何でも無い」
急に口調が初めてあった時のように戻り、顔を抑えて長いため息を吐く悠翔を少し気持ち悪がりながらコーヒーを啜っていると、悠翔は右手に持ったコーヒーを一気に飲み干し、また大きなため息を吐いた。
「・・・お前、名前は?」
「あ、そう言えば言ってませんでしたね。私はルーナと言います。これからお世話になりますね〜」
「・・・あぁ」
暗い表情を浮かべて声が重くなった悠翔を見て、今は軽口を叩いてはいけないなと思い、静かに、ただ大人しくコーヒーを飲んでいると、オレンジ色のテントがもぞりと動き、テントの入り口から寝ぼけた顔をした奏ちゃんがひょっこりと顔を出した。
顔を出した奏ちゃんは悠翔が居る事に気が付くと、顔をわかりやすく明るくさせ、幼く可愛らしい笑みを浮かべた。
「あっ、悠翔さん! お帰りなさいです!」
「・・・ただいま」
「ルーナさんはおはようございます!」
「おはよう、奏ちゃん」
奏ちゃんが起きて来ただけなのに、警戒して強張っていた肩は少し楽になり、多分、偽りじゃ無い笑みが口から溢れると、悠翔はコップを地面に置き、奏ちゃんに申し訳なさそうな顔を向けた。
「奏、悪いけどバック・・・袋を取ってくれ。朝食にする」
「はい!」
悠翔の暗い声に奏ちゃんは元気よく返事を返すと、テントの中に顔を引っ込め、重たそうに様々な道具が入ったバックを、引きずりながらテントの外に出した。
「ありがとな」
「どういたしましてです」
そんな笑みを浮かべながら会話をする2人を赤の他人が見れば兄妹の様に見えるが、悠翔の狂気を知っている私が見れば、悠翔が気に入ったペットを可愛がっている様にしか見えない。
(奏ちゃん・・・大丈夫なのかな?)
いつ以来かの他人を心配する心に変な感覚を感じていると、悠翔は私に振り向き、私に何かを投げて来た。
その飛んでくる何かを空中で掴もうとしたけど、振った左手は空振り、その何かは私の体に当たって地面に落ちた。
(・・・あれ?)
眼で捉えたはずの物を取れなかった事に驚き、自分の左眼の周りを困惑しながら触っていると、いつのまにか隣に来ていた奏ちゃんが地面に落ちた乾パンが入った袋を笑顔で私に差し出していた。
「落ちましたけど、どうかしました?」
「いや、なんでも無いよ。ありがとう」
乾パンを拾ってくれた奏ちゃんに微笑み、乾パンを受け取って奏ちゃんにお礼を言っていると、私達の間に入ってくる様に悠翔が干し肉が数枚入った袋をこちらに持って来た。
「ほら」
「ありがとうございます」
「ありがとうございますね〜」
「あぁ」
上辺だけでお礼を言いながら干し肉を受け取ると、悠翔は何処か嬉しそうな笑みを浮かべ、そのままさっきまで座っていた椅子に腰を下ろした。
(・・・気持ち悪)
直接的に気持ち悪い男なんて見飽きるほど見て来たが、悠翔の場合は何というか、得体の知れない気持ち悪さがある。
そんな不気味さを感じながら悠翔の事をじっと観察していると、コーヒーを入れ直している悠翔に奏ちゃんが近付いていった。
「悠翔さん悠翔さん。あれをルーナさんにあげても良いですか?」
「・・・どれ?」
「えっと、眼を隠す奴です」
「あー・・・別に良いぞ」
「ありがとうございます!」
悠翔の言葉に奏ちゃんは嬉しそうにお辞儀をすると、悠翔はバックの中から黒い眼帯を取り出し、それを奏ちゃんに渡すと、奏ちゃんは可愛らしい笑みを浮かべながら私に歩み寄って来た。
「ルーナさん、これ、貰い物ですけどどうぞ」
「えっ、あ・・・ありがとう」
突然のプレゼントに戸惑ってしまい、一瞬どうすれば良いか分からなくなったけど、悠翔からの許可も出たからと考え、乾パンと干し肉を膝の上に置いて高そうな眼帯を左手で受け取り、眼帯を右目に当てて、頭の後ろの紐をしっかりと締めると、私の顔を見ている奏ちゃんは何処か憧れを感じる様な黒い眼差しを私に向けて来た。
「ルーナさん、とても似合ってますよ」
「・・・ほんと?」
久しぶりに聞いた善意が込められた似合っているという言葉に嬉しくなり、コーヒーと乾パンを椅子の上に置いて池の水面を覗き込んでみると、そこには右目の凹みが隠れ、嬉しそうに笑う自分が写っていた。
(なんか・・・普通の女の子みたい)
今の自分が、悩みながら服を何度も着替え、何度も鏡の前に行く様な女の子の様に思え、いつのまにか涙が頰を伝って行く。
「ルーナさん? どうかしました?」
「うんん、少し欠伸をしただけだよ」
心配する様に私の顔を横から覗き込んで来る奏ちゃんに涙を拭って微笑み、私が座っていた椅子に座り直すと、奏ちゃんは嬉しそうにテントの入り口に正座で座り、ポケットの中から乾パンと干し肉を取り出して手を合わせた。
「たなつもの、百の木草も天照す、日の大神の、恵み得てこそ」
そんな和歌と呼ばれる歌を奏ちゃんは歌うと、乾パンと袋を開けて中に入っているパンを美味しそうに食べ始めた。
それに続く様に悠翔も乾パンをかじり始め、私も手を合わせる。
「頂きます」
袋を開け、スティック状のクッキーの様なパンをかじると、それは意外に甘く、唾液がたくさん出て水が無くても何本でもいける様なパンだった。
(・・・美味しいなぁ)
ソープで食べていた、痩せないための家畜の餌の様な物よりかはマシな食事に感動し、味を噛み締めながらパンをかじり、口の中でペースト状になったパンをゆっくりと胃に流し込んでいると、眼の端に写っていた悠翔は何かに気が付いた様に余ったパンを一口で口に入れ、干し肉をポケットの中にしまった。
「どうかしました?」
「雨が降る」
「あ、ほんとですね。しかも大きいのが」
何故か雨が降ると悟った悠翔は奏ちゃんに退く様に手で指示すると、奏ちゃんは口の中に乾パンを放り込み、慌てる様にテントの入り口から立ち上がった。
すると悠翔の右手からあの蔓が伸び、それがテントの頂点に当たると、テントは折り畳み傘の様に折り畳まれ、悠翔はそのテントの底についた土を払ってバックの中に投げ入れた。
「悠翔さん、何か手伝う事ありますか?」
「・・・じゃあ、椅子を畳んでくれないか?」
「分かりました!」
悠翔の頼みに奏ちゃんは嬉しそうに頷くと、悠翔が座っていた椅子をせっせと畳み始めた。
それを見て余った乾パンと干し肉をポケットの中に入れ、私が座っていた椅子を畳んで悠翔の近くに運ぶと、悠翔は畳まれた椅子を手馴れた手付きでバックの中に押し入れ、バックのチャックを閉めた。
「じゃ、移動するぞ」
「はい!」
バックを背負い、森の中に進んで行く悠翔に警戒しながら、奏ちゃんと一緒に森の中に進んで行くが、こんなにも温かい日差しが差す森を見て、本当に雨が降るのかどうか疑っていると、突然右肩に鈍い衝撃が走り、転んでしまった。
「っ!?」
「大丈夫ですか!?」
「・・・うん、大丈夫」
転んだ私を心配してくれる奏ちゃんに微笑み、見えない木に寄りかかりながら立ち上がると、奏ちゃんは何を思ったのか私の右手を小さな両手で包み込んだ。
「ルーナさん、私が手を引きますよ」
「えっ!?あ、ありがとう」
「さっ、行きましょう」
他人に身を委ねる、ましては子供に身を委ねるのはかなり心配だったが、優しく、一生懸命私を心配してくれる奏ちゃんを見ると、失っていたはずの誰かを守りたいと思う感情がだんだんと胸奥に生まれ始めた。
(・・・もし、私が死ぬ様な事があったら・・・この子を守りたいな)
人を信用する事などとっくの昔に捨てたが、あと先短い自分の命を、この子の未来を守るために使いたいと言った気持ちが空っぽの胸の中を満たしていく。
そんな決意を胸に奏ちゃんの手を強く握りしめ、悠翔を殺そうと言う思いを胸に刻み込みながら、奏ちゃんの後ろをついて行った。
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「悠翔さん、次に行く街ってどんな場所なんですか?」
ふとそんな事が気になってしまい、ルーナさんを心配する様に木が少ない道を歩いていく悠翔さんに声をかけると、悠翔さんは顎に手を置き、難しそうに首を傾げた。
「すまんけど、俺もあんまり知らないんだ。知ってる事は3つの派閥に分かれてるって事くらいか」
「派閥?」
「同じ目的の人達が集まって村を作った様な感じだよ」
悠翔さんの口から出た聞き慣れない言葉を、私の右手を握ってくれているルーナさんが私に分かりやすい様に教えてくれたけど、それにはさらに疑問に思う事があった。
「えっと、その人達はどんな目的で集まってるんですか?」
「そう・・・だな。1つは北欧神話って言う話の血縁者達が街を統治しようって言う派閥。2つ目は、神らしく生きるって言って毎日どんちゃん騒ぎしてる派閥。んで3つ目が、森の中でひっそりと生きるドルイドってとこか」
「それじゃあ、平和な街なんですね」
「いや、あんまりだ。控えめに言って眼黙の街の方が安全」
「えっ、どうしてですか?」
さっきの話を聞く限り、その街はとても平和な様に思えたけど、悠翔さんはそれを否定する様に苦虫を潰した様な顔を浮かべた。
「3つの派閥を維持するための土地が足りないんだ。だからそれの奪い合いが少なからず起こってる」
「あ、そうなんですね」
「でもまぁ、俺らに取っては好都合だ。追手を欺ける」
その追手という言葉に、あの鎧を着た怖い人達の事を思い出して肩が一瞬震えるけど、悠翔さんがそのために色々と考えてくれてると考えると、肩の震えは止まり、自然と頬がほころんでしまう。
そんな嬉しい気持ちを胸に、森を歩く悠翔さんにルーナさんの手を引っ張って着いて行っていると、辺りから微かにしていた砂が混じった様な水の匂いが一気に濃くなり、小さな滴が地面を打った。
「取り敢えず、ここで雨が止むのを待つか」
手を上に広げ、空を見上げる悠翔さんはそう呟くと、袋を背から下ろし、その中からテントと呼ばれる簡単な家の様なものを取り出し、それを地面に放り投げた。
するとそれは人の手が触れて居ないのに動き始め、私がさっきまで寝て居たテントがすぐに出来てしまった。
「ほら、入れ」
「あっ、はい」
「お邪魔しまーす」
テントの入り口を開けてくれた悠翔さんにお辞儀をしながら、靴を脱いで急いでテントの中に入ると、外から聞こえていた雨の音がだんだんと酷くなり始めた。
(これ、止むのかな)
激しい雨の音を聞き、永遠に降り続けそうな雨を心配していると、辺りはだんだんと暗くなっていき、テントの中まで薄暗くなっていく。
そのせいか心細さが胸に生まれ、膝を抱いてその感情を誤魔化していると、隣にいるルーナさんが私に覆いかぶさって来た。
「大丈夫?」
「あ、はい」
体に感じるルーナさんの温かい体温が胸にだんだんと集まって行き、体に感じる人の温もりに安心していると、テントの中が急に明るくなり、悠翔さんが赤く光る石が置かれた小さな台を私の前に置いてくれた。
すると、まるで焚火の前にいる様な温かさが体に感じ始めた。
「寒くないか?」
「はい、とっても温かいです」
私を心配してくれる2人の温かさに安心していると、瞼がだんだんと重くなって行き、ぼーっとしている意識を手放しそうになっていると、急に外から水溜りを踏む様な大きな音が聞こえ、体が跳ね上がった。
「悠翔さん・・・外に誰か居ます?」
「あぁ・・・ルーナ、俺の鞄を持って逃げる準備をしろ」
「奏ちゃん、靴履いて」
そんな真剣な2人の声に押される様に慌てて脱いだ靴を履くと、悠翔さんは右手からあの蔓を生み出し、それに実った色とりどりの小さな種を7つ飲み込み、テントの入り口に手を掛けた。
「悠翔さん、帰って来て・・・下さいね」
今にも外に出て行きそうな悠翔さんを呼び止め、悠翔さんに頼み込む様にそう伝えると、悠翔さんは軽く頷き、雨が降る外に警戒する様に出て行った。
「大丈夫・・・ですかね?」
「さぁ。でも、もしもの時があったら逃げるよ」
何処か悠翔さんに冷たいルーナさんは私の前にある灯りを消し、急に暗くなったテントの中で足元に這い寄る恐怖を感じていると、外から大きな水を踏む音がこちらに近付いて来ている事に気が付いた。
「奏ちゃん・・・逃げ」
「なくて良いぞ」
外から悠翔さんの声が聞こえると、緊張が一気に体から抜け落ちてしまい、安堵の息が口から漏れてしまう。
「チッ」
(えっ?)
何故か舌打ちをしたルーナさんに少し困惑しながらも、取り敢えずテントの入り口を開けてみると、そこには雨でびしょ濡れの悠翔さんと、青色の透けるほど薄い布を全身に纏い、黒髪を白く染めたような長い髪をした女性が悠翔さんに物を運ぶ様に担がれて居た。
「えっと・・・その人、大丈夫ですか?」
「あぁ、頭打って気絶してるだけだ。悪いけど、こいつの体拭いてやってくれ」
「分かりました」
悠翔さんはテントの中に入るとそっと女性を地面に寝せ、2枚の黒い布を袋から取り出すと、それを私達に差し出し、悠翔さんは雨が降っている外に向かって足を進め始めた。
「えちょ、悠翔さんどこに行くんですか!?」
「何処って、外だ。女の裸見るわけにはいかねぇだろ」
「そ、そうですけど・・・」
「脱いだ服と下着はその魔石に当ててやれば乾く。後、布団は鞄の中にあるから服が乾くまでそれを着せてやれ」
悠翔さんは淡々と私達にそう言い残すと、激しい雨が降る外になんの躊躇いもなく出て行き、テントの入り口をしっかりと閉めた。
(・・・大丈夫、かな)
こんな雨の中、外に行ってしまった悠翔さんが心配になってしまい、胸の奥に色々な心配をしていると、いつの間にかルーナさんは気絶している女性の服を脱がし始めて居た。
「奏ちゃん、ごめんけど手伝ってくれない?」
「あ、はい!」
ルーナさんの声に返事をし、悠翔さんを心配しながらも今はこの女性の事に集中しようと心を切り替え、女性の濡れた髪を纏めて濡れていない布で髪を包み込んでいると、その間にルーナさんは手早く女性の手足や、大きな胸の下などを拭いていき、最後に私が掛けていた布団で女性を包み込んだ。
「ふぅ。奏ちゃん、そこにある魔石を取ってくれない?」
「これですか?」
「うん」
指を差された赤い石が埋め込まれた台をルーナさんに渡すと、暗かったテントの中はまた明るくなり、だんだんとテントの中が温かい空気に満たされていくけれど、私の胸の奥はちっとも温かくならない。
(悠翔さん・・・)
激しく雨が降る外にいる悠翔さんの事がとても心配になり、探しに行った方が良いのか、それとも帰ってくるのを待つのが良いのか戸惑っていると、女性の隣に居たルーナさんは私のそばにやって来て、私の事を後ろから抱きしめて来た。
「どうしたの?」
「あ、いえ、悠翔さんの事が心配で」
「・・・大丈夫だよ。奏ちゃんがいちいち心配しなくても良いって」
後ろから頭を撫でてくれるルーナさんの言葉に安心しながら頷き、悠翔さんが帰ってくるのを温かい体温を感じながら待っていると、何故か少しだけ私を抱きしめる力が強くなった。
「・・・そういえば、悠翔って奏ちゃんの命の恩人なんだよね?」
「はい。私の事を・・・命懸けで守ってくれて、私の事を・・・必要としてくれる人です」
自分が感じている事をルーナさんに伝えただけなのに、ルーナさんは私を抱きしめる力をまた少し強くし、耳元で大きなため息を吐いた。
「ねぇ奏ちゃん、奏ちゃんってどうして悠翔の事をそんなに信用してるの? 裏切られるとか考えた事はない?」
「あっ、それは大丈夫なんです」
「どうして?」
そんな真っ直ぐな疑問に一瞬答えて良いのか分からなくなってしまったけど、ルーナさんは悠翔さんの仲間だと聞いたから、迷いを胸の中で整えて、自分の神様に付いて話していく。
「えっとですね、私の神様は『大国主』という縁結びの神様なんです。だから・・・自分がこんな人に会いたいって思えばその人と縁を結べるんです」
「・・・それじゃあ奏ちゃんは、自分を大切にしてくれる人を求めたの?」
「はい、それが・・・悠翔さんでした」
自分の心の声をルーナさんに伝えると、少し恥ずかしくなってしまい、恥ずかしさと顔の熱さを隠そうと膝を胸に抱き寄せていると、自分を締め付けて居た腕が緩み、今度は優しくルーナさんは私を抱きしめて来た。
「ねぇ、奏ちゃんって今は幸せなの?」
「えっ?」
急に何処か寂しそうというか、悲しさが混じった様な声を出すルーナさんに戸惑ってしまい、どう返事をして良いかもの凄く困ってしまう。
「えっと、どうしてそう思うんですが?」
「奏ちゃんね、自殺しそうな人みたいな・・・追い込まれている様な雰囲気がするの。だから心配でね」
(っ!)
そんか自分の核心を突かれた様な言葉に心臓が早くなり始め、息と鼓動が少し荒くなってしまうけど、このままだと図星だと疑われると焦り、慌てて言い訳を頭の中で探す。
「い、いや、そんな訳無いで」
「ほんと?」
そんな自分の心の暗い部分を見透かされている様な細い声に言葉が止まってしまい、胸の中でぐるぐる回っている嫌な気持ちを話すべきなのかと思うようになってしまう。
「あの・・・この事は、悠翔さんには絶対に教えないで貰えますか?」
「うん、約束する」
ルーナさんからすぐに帰って来た約束と言う言葉を信用し、寒い訳では無いのに震えている息を口らから吐き、自分の心臓が少し落ち着いてからルーナさんに自分の事を話していく。
「私、ですね。・・・なが」
「んぅ・・・うぅ」
やっとの思いで覚悟を決めた言葉を遮るように後ろから呻き声が聞こえ、慌てて後ろを振り向いてみると、さっきまで気絶して居た綺麗な女性が体を起こしており、少しぼやけている様な赤い眼を私達に向けて居た。
「あの、ここは?」
「テントの中ですよ。頭を打って気絶してたらしいです」
「・・・頭?」
ルーナさんの言葉に、女性はぼーっとしている表情で自分の頭を触り始め、ゆっくりと周りを見渡し始めると、私達に何処か幼い様な笑みを浮かべて来た。
「えぇっと、助けてくれたんですかね?ありがとうございました」
女性はゆっくりと整った綺麗な顔を私達に向け、とても丁寧にお辞儀をした。
(わぁ・・・)
その綺麗過ぎる顔と所作を見て言葉が出ず、ただじっとその女性の顔を眺めていると、その顔から似つかない大きなお腹の音がその女性から鳴り響き、女性は恥ずかしそうに顔を背けた。
「す、すみません」
「えっと、お腹空いてるんですよね?貰い物ですけどどうぞ」
お腹が空いている女性にさっき悠翔さんから貰った干し肉を差し出すと、女性は慌てて首を横に振った。
「いえ、助けてもらったのにわざわざ貰うなんて」
女性はそうやって断ろうとしたけど、それを遮る様に大きなお腹の音がまた鳴り響いた。
「あう・・・」
「えっと、どうぞ」
「な、何から何まですみません」
今度こそ女性は干し肉を受け取り、袋を開けて恥ずかしそうに干し肉を口に運ぶと、私でも分かるほど顔を明るくさせ、美味しそうに干し肉を食べ始めた。
そんな女性を見ていると何故か嬉しくなってしまい、女性がお肉を食べる様子をじっと見つめていると、外から水溜りを踏む様な音がゆっくりこちらに近付いて来ている事に気が付いた。
けれどその水を踏む音があまりにも小さ過ぎる事が背中の鳥肌を一気に逆立てた。
「あ、帰って来た」
「ルーナさん・・・これ、悠翔さんじゃな」
ルーナさんにそう伝えるよりも早く足音が消え、テントの中が何かが覆いかぶさった様に暗くなった次の瞬間、血が腐った様に黒いの三本の細い蔓がテントを上から突き破り、女性の足を貫いた。
「い゛っ!?」
「えっ、あ、だい」
「奏ちゃん!!」
急な状況の変化に頭が追い付かず、なにが起こったのか分からず固まっていると、ルーナさんは何処からか銀色の短剣を生み出してテントの横側を切り裂くと、私の肩を掴んで勢いよく私を外に放り出した。
「きゃっ!?」
景色が周り、濡れた土の上に顔をぶつけたけど、痛みよりも今の状況を理解しようと頭が働き、大急ぎでテントの後ろに顔を上げた瞬間、なにが起こったのかがよく分かった。
そこには黒い植物の蔓のような物が巻き付いた頭と胴体を六本の細い蔓で支え、胴体から出る三本の長い蔓をテントの中に突き刺している、この世にいる事が似つかわしく無い異形の生物がテントに覆いかぶさっていた。
状況は理解できたはずなのに、その悍しい生物を前になにもできないでいると、その生物は血が滴る蔓をテントの中から引っ張り出し、蜘蛛が走る様にしてその異形は森の中へ消えていった。
そんな現実離れし過ぎた光景に体が動いてくれず、ただぼーっと雨に打たれていると、後ろから水溜りを叩く様な足音が近づいて来た。
「ちょっ、お前なにやってんだ!?」
そんな聴き慣れた声にはっと我に帰り、後ろをゆっくりと振り返ってみると、そこには髪を雨で濡らした悠翔さんが大急ぎでこちらに走って来ていた。
「何があったんだ?」
「あっ、えと、化け物が来て、刺されて、投げ出されて」
「奏ちゃん!手を貸して!」
考えが纏まらない頭で必死にさっきの状況を悠翔さんに伝え様としていると、テントの中からルーナさんの必死な声が聞こえ、悠翔さんは大急ぎで切られて作られた入り口からテントの中に入っていき、それに私も遅れてテントの中に入ると、そこには苦しそうに呻いている女性の太腿を黒い布で必死に抑えているルーナさんが居た。
それを見て一瞬、何がなんだか分からなかったけど、黒い布の隙間から伝う赤い液体を見て、ルーナさんが止血しているのだと分かった。
「傷を見せろ」
「はい?」
「良いからみせろ!」
「な、なにを」
「黙れ」
悠翔さんはルーナさんを押し除け、何も身に着けていない女性の傷口に無理やり顔を寄せると、慌てるように袋に手を伸ばし、何かを探し始めた。
「は、悠翔さん?」
「奏!お前止血の薬は作れるか!?動脈が切れてるんだ!」
「い、いえ、材料が無いのですぐには」
「っ、このままじゃ失血死する!!」
その死と言う言葉に心臓が跳ね上がり、自分が何をすれば良いかあたふたしていると、悠翔さんは袋の中から黒い棒と縄を取り出し、手早く女性の傷口より上を縄で結び、その結び目に黒い棒を突き刺してそれを力強く捻るとそれを左手で抑え、口と右手で器用にその棒をさらに締め付けた。
けれど女性の血はちっとも止まらず、じくじくと血が傷口から溢れていき、このままだと確実に血が足らなくなる。
その状況に心臓の音がだんだんと大きくなり、思考がだんだんと白く染まっていっていると、悠翔さんは右手を強く握り込み、大きなため息を吐いた。
「お前の家族や友人の名前を言え」
「えっ、なん」
「死にたくなけりゃさっさと言え!!」
急に声を荒げる悠翔さんに肩が飛び跳ね、鼓動は早く、呼吸はゆっくりと言う変な体験をしていると、何処か気分が悪そうな女性はゆっくりと口を開いた。
「リーシェ・・・私の・・・妹です」
その女性の妹さんの名前に悠翔さんは頷くと、女性の濡れた服や下着を大急ぎで袋の中に詰め込んでそれを背中に背負うと、横たわっている女性を布団にくるんだまま抱き抱えた。
「ルーナ、奏を抱えて走れるか?」
「・・・出来ますよ」
「なら人探しの魔術で追いかけて来い。頼んだ」
その頼むと言う言葉にルーナさんは何処か苛立った様な顔をしたけど、悠翔さんはそれを無視して女性を抱えたまま私の横を通り過ぎた。
「えっ!?悠翔さん!?」
テントから出た悠翔さんを追うように切り裂かれた出入り口から外に出ると、悠翔さんはさっきの蜘蛛の様な化け物が走っていった方に一目散に走り始めた。
何がなんだか分からず、どうして悠翔さんがあの方向に走っていったのか雨に濡れながら理解しようとしていると、後ろから頭の上に布の様な物を被せられた。
「ほら、取り敢えずこれ被っとこ」
「あ、ありがとうございます」
私の頭が濡れない様に布を被せてくれたルーナさんにお礼を言うと、ルーナさんは突然しゃがみ込み、私を軽々と抱き抱えた。
「えっ、ルーナさん?」
「今から走るから、しっかり捕まっててね」
「あ・・・はい!」
その言葉に押されるがままに返事をし、両手を使ってルーナさんにしっかりと抱き付くと、ルーナさんは私の肩と足をしっかりと抱きしめ、雨が降りそそぐ道を凄い勢いで走り始めた。
そのせいで眼に冷たい風が当たり、乾いた眼を潤すために目蓋を閉じると、悠翔さんと初めて会った時に、悠翔さんから抱き抱えて貰った時の事を思い出した。
(あの時は・・・暗い人って思ってたなぁ)
初対面の時、私をそばに置いて欲しかったから求婚みたいな真似をしちゃったけど、あの時、命がけで私を守ってくれた時から悠翔さんと一緒にいる事がとても嬉しくなった。
(・・・ずっと、一緒にいたいな)
そんな願望を胸の中で呟くと、胸の奥に不安が渦巻き始め、それを隠す様に力強くルーナさんの体にぐっとしがみつくと、自分の瞳からじんわりと熱い涙が滲み出てきた。
けれどこのままだとルーナさんに余計な心配をかけてしまうと思い、顔をルーナさんの服に擦り付けて涙を止めようとするけど涙は止まってくれない。
(お願いだから・・・止まって)
そう自分に言い聞かせるけど、一度生まれた不安はなかなか消えず、それと同じ様に瞳から溢れる涙は止まってくれない。
そんな今の私は、雨の音に隠れながら、自分の不安が落ち着けながらルーナさんの胸の中で咽び泣き続ける事しか出来なかった。