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システマイザー・信長  作者: 武田正三郎
風に吹かれて
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大徳寺

 まだ朝霧の立ちこめる本能寺を出発して、人々が行き交う堀川通を北上する。


「サンスケさん、言わはりましたな?」


 与四郎さんは、前を歩きながら、こちらを振り返り、そう尋ねた。与四郎さんは、町衆の大人びた恰好をしているが、いつも飄々としていて新九郎さんより一回りほど若く見える。


「わてな、堺の南宗寺で茶の湯を習ってましてな、その本山が大徳寺言って京都にありましてな、そこに寄らしてもらいますわ」


 大徳寺は、応仁の乱でひととき荒廃したが、一休和尚が復興したと言う。その大徳寺の前まで来ると、「不許葷酒入山門くんしゅさんもんをいるにゆるさず」と大書してある苔むした戒壇石があった。


「どんな意味なんやろ?」


と尋ねると、


「ニラ、ネギ、にんにくなどの匂いのある野菜や肉、酒は、学問の邪魔になるよって、持ち込んだらあかん、ちゅう意味ですなー」


 と教えてくれた。祝い事のたびに酒の匂いをさせて酔っぱらって帰ってきた親父を思い出した。確かにあの体たらくでは学問どころではあるまい。なるほど酒は控えるに限る。俺は酒を飲まないことに決めた。


「大徳寺で、お茶の他にも何か習ってるんか?」

「ここは臨済宗言うてな、禅寺や。読み書き算盤はもちろんやけど、公案と問答で勉強するんですわ」

「公案と問答?」

「まあ、宇宙の神秘とか理論的に解析して、議論するちゅうとこですかいな。この寺で偉くなるには、学問試合で問答に勝たなあきまへん」


 物事を理路整然と解き明かすのが好きだ。実力主義と言うのも気に入った。この寺の学問は俺に向いているかもしれないと思った。問答の真似事をしながら、大きな朱雀門すざくもんをくぐって、杉苔の植え込みのある石畳の通路を通って庫裏くりへ向かった。お坊さんが出てきて部屋に招き入れてくれた。与四郎さんは大徳寺では宗易そうえきと呼ばれていた。商人なのに法名を持っているらしい。何人かのお坊さんに、ひとくさり挨拶を済ますと、境内の散策をした。


 風に乗ってつんと鼻をつく匂いが漂ってきた。新九郎さんに振る舞ってもらった鮒寿司の匂いでもなく、鉄砲を撃ったあとの硝煙の匂いでも無い。しかし何か共通の法則があるように感じられる匂いだった。匂いのあるものは許さないのではなかったのか、と思いながら、


「これなんの匂いやろ?」


と与四郎さんに聞くと、


「ああ、大徳寺納豆や」


と答えた。


「ここにおった一休はん言うお坊さんが作り方伝えたらしいで」


 大徳寺の裏手の蔵には、たくさんの樽があり、寺納豆の仕込んであると言う。寺納豆はなぜ保存できるのだろう。目に見えない力が働いていることはもはや確実だった。


「豆を蒸して、仕込んで出来上がるまで、樽の中では何が起こっているんや?」


「わてにはようわからへんな」


 与四郎さんはわからないと言うが、俺にはわかる。鮒ずしも大徳寺納豆も見えない力が確実に働いている。それを神仏の力と言うなら、そう言っていい。ただほとんどの人は神仏の力の真の意味を取り違えている。生臭坊主どもが作った偶像を神仏と勘違いしている。偶像は百害あって一利なしだ。時と場合によっては偶像を破壊すべきだ。


「なぜ腐らんのやろ?」


「わてにはようわからへんな」


 またか、と俺が不満そうにしていると、与四郎さんが続けた。


「ようわからへんけどな、お茶には腐るのを止める力があるで」


 力。お茶にも力があるのか。別な種類の見えない力だ。お茶には水を腐らないようにして水あたりを防ぐ効能があると言う。その効能を高めるには、お茶の入れ方を守らなければだめなのだと言う。お茶に秘められた力を使いこなすための手順。知は力なり。


「ま、それが作法ちゅうことでんな」


 科学技術が発達していないこの時代に、お茶を美味しく淹れる作法が、お茶に含まれるカテキンの加水分解反応の反応条件の設定であるとは誰も知らない。良薬口に苦しと言うが、その有効成分が最大限に含まれ、かつ苦味や雑味が現れないよう、それも相手に差し上げた瞬間で、ベストタイミングになるように工夫され、完成された手順が、作法なのだ。だからすでに完成された作法を変えることは、悪くする方向にしかならない。作法はひたすら守るからこそ価値がある。


 もともとお茶は臨済宗を開いた栄西という僧が衆徒の健康増進のために建仁寺で栽培を始めたのだという。聞けば栄西も若い時に延暦寺に学び、疑問を感じて新しい宗派を開いたと言う。黒谷青龍寺の法然にしろ、栄西にしろ、なるほど権威が腐敗しても、自浄作用が働くこともあるのだろう。その後、明恵みょうえが栄西よりお茶の種子を譲り受け、栂尾とがのおに蒔き、宇治茶として広まっていったという。


 新九郎さんがお茶を飲むときの卒のない所作が思い出された。俺は役に立つことが好きだ。毒消しになって健康増進につながるなら、酒より茶の方がずっといい。一度興味を持つと止まらない。俺は、与四郎さんにお茶を習いたいと言ってみた。


「お茶に限らず、学問ちゅうのは、付け焼刃はあきまへん。じっくり腰据えて時間かけな身につきまへん。費用もかかることですし、すぐちゅうのは無理がありますなあ。のちのちご縁がありましたら、またその折にでも考えまひょ」

 

 と、やんわり断られた。


 お昼のお膳には、例の大徳寺納豆がついた。お粥とっしょにいただくと程よい塩味と趣のある風味に食欲がそそられた。食べながら、いつか茶の湯をものにしてやると心に誓った。

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