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システマイザー・信長  作者: 武田正三郎
風に吹かれて
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本能寺

 藪をかき分け、人がすれ違えないような細くて急な獣道を降り下って、紅葉まぢかの高野川を少し遡り、往生極楽院と言う寺で一休みした。そこで、玄米の粥をごちそうになった。菜は夏に仕込んだ茄子と茗荷の漬物。漬物は、上品でおしゃれな薄紫色で、抜群の香り高さだ。口に入れる。美味い。ほどよい酸味が爽やかだ。紫葉漬しばづけと言うのだそうだ。これが都の味か、と舌鼓を打った。漬物もただ保存できれば良い、というのでは京の都では物足らないのであろう。


 紫葉漬けについて聞いてみると、比叡山から流れ落ちる高野川の清らかな水とちりめん紫蘇の葉を使い、とれとれの茄子と茗荷を漬け込むそうだ。平安時代の後期に天台声明しょうみょうを統一した良忍りょうにんが、若い頃にこの大原の里で隠遁生活を送っていたときに開発されたのだと言う。しかも、その良忍は、かの黒谷青龍寺で聞いた法然の師匠筋に当たるというではないか。その良忍もが隠遁せねばならないとは。腐敗した権力は、どれだけ若い才能の開花を阻めば気が済むのか。なぜ民衆は腐敗した権力を崇め奉り、紫葉漬けを発明した若き学僧には目もくれないのか。


 若狭街道を高野川沿いに南に下り、洛北に入った。道の両側に土壁塗りの倉庫が建ち並ぶ。土倉と言うのだそうだ。その頑丈な扉の前に、ところどころに目つきの悪い男が立って、こちらを見ている。土倉の中に何が入っているのだ、と新九郎さんに聞くと、借金の担保だと答えた。つまり金に困った武家や公家が家財道具を預けて金を借りているのだ。応仁の乱の後の京都復興の立役者たちが、土倉や酒屋などの裕福な町衆となり、自治と団結を進め、都の文化を作った。そしてその町衆が建立した寺が、これから向かう本能寺である。


 鴨川沿いに南下し、四条祇園から烏丸へと向かう。道を行き交う人々は商人や職人だ。初めて見る都の賑わいにきょろきょろしながら歩いていると、新九郎さんが、こっちだ、と俺と桃さんを差し招いた。見ると小さな木戸口があり、本能寺と小さな看板が立っている。すっかり町に溶け込んで、どう見ても数多く立ち並ぶ店の裏手に回る木戸口だ。腰をかがめて木戸口をくぐり、土壁に挟まれた石畳の通りを少し歩くと、突然視界が開けた。目の前に立派な山門があり、その向こうに本堂が見える。本堂のわきには塔頭寺院たっちゅうじいんと宿坊がある。境内の中にいる人は僧よりも町衆の方が多いくらいだ。宿坊には先に到着していた新九郎さんの荷駄隊が逗留していた。


 こちらも、ひとまず宿坊に入り、部屋で休んでいると、


「儲かってまっか?」


と障子を開けて、いかにも裕福な町衆という若い男が入ってきた。新九郎さんが、振り返りって、にやりと笑うと、


「ぼちぼちでんな」


と答えた。どうやら顔見知りらしい。


「喉、乾いてんのやろ?」


 と、お湯を沸かしに立ち上がった。その立ち居振る舞いが様になっていて、一挙手一投足にまるで隙が無い。焼き物の椀に、こじゃれた容器から何やらさらさらと粉を入れ、沸いたお湯を注ぐと、手際よくかき混ぜて、新九郎さんの方へすっと差し出した。横から覗き込むと、椀にはどろりとした濃い緑色の液体が入っている。新九郎さんの方も、卒のない所作で、すっと椀を取り上げ、頭を傾け、描かれた椀の模様を押しいただくように鑑賞すると、正面を避けてくるくると回し、一気に飲んで、頭を下げた。

 きょとんとしていると、


「あんさんらも、飲んだらええ」


と、同じように椀を差し出してきた。思わず桃さんと顔を見合わせた。ふたりとも相手に負けじと椀を手に取り、がぶりと口に含んだ。


「!」


 何だこれは。思わず、ぶうっと吹き出した。苦い。まさか毒を盛られたわけではないだろうな、と疑わし気に顔を上げながら、口を拭うと、新九郎さんも、男もからからと笑っている。


「茶だ」


 笑いながら新九郎さんが、京で高値で取引きされている商品のひとつだと教えてくれた。

 

 男は与四郎さんと呼ばれていた。これから、種子島の本源寺から届いた銃を、堺の顕本寺に届けるのだと言う。そんな仲介役を請け負うということは、与四郎さんは本能寺の町衆の中でも顔役なのだろう。


「銃?」


と俺が怪訝そうに聞くと、


「ああ、それを拝みたくて、ちょっと与四郎さんに無理を頼んだんら」


と新九郎さんが、説明した。銃とは、猟師が持っているイノシシを仕留めるときに使うアレか。それが、なんで種子島なんかから京へ届くんだ。と不思議に思っていると、新九郎さんが、南蛮渡来の最新式だ、おまえらにも見せてやるから、いっしょに来い、と言って立ち上がった。


 紫葉漬けの話は、京都大原三千院に続く参道に志ば久という漬物屋さんのおばあさんから聞いたものです。当たり前かもしれませんが、そのおばあさんはとても紫葉漬けに詳しく、きゅうりは赤紫蘇の葉では染まらず、人工着色のまがいものだと言っていました。でも、そのおばあさんは、良忍のことも、良忍上人御廟のことも知りませんでした。道行く人は三千院に向かい、その奥にある良忍上人御廟を訪ねる人はほとんどいません。なんだかゆかしさを感じました。

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