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システマイザー・信長  作者: 武田正三郎
風に向かって
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さしも草に燃ゆる想いを

 くすのきのてっぺんに鷺が舞い降りて、ぎゃっと短く鋭く鳴き声を上げた。しょっちゅう氾濫を繰り返す琵琶湖の周りは湿地が多く、鷺の好物の鮒などの小魚に不自由しない。まして琵琶湖に流れを注ぐ姉川の周りとなれば、なおさらだ。湿地の周りを、ぐるりと山々が取り囲み、右手の山並みの一段奥にひときわ小高い山がそびえたっている。それが伊吹山だ。


 西川と鶴千代と何人かの従者を連れて、姉川のほとりに戦の後始末の様子を見に来ている。


 ふと、ガキのころ、平手先生に教わった平安時代の短歌を思い出した。


「かくとだに えやは伊吹のさしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを」


 平手先生には、ずいぶんいろいろ教わった。そのころの俺を、世間は、不真面目だの、うつけだのと、さんざんに言っていた。俺は、俺のやり方で、学んでいた。しかし、世間は、そのやり方を理解できなかった。ただ、それだけのことだ。かく言う俺も、それぐらいは分別できる大人になった。


 それにしても、世間は、相も変わらず勝手なもの言いをする。戦が終わったら、姉川のあたりを、血川とか血原とか言い始めた。血を流したいから戦をする訳じゃない。だいたいいくら血を洗ったからと、豊富な姉川の水が血で真っ赤になるなんてありえない。誰だって苦痛から逃れたい。短歌に出てくる「さしも草」は、もぐさで、よもぎの葉の裏の綿毛を集めて乾かした貴重なものだ。もぐさは、やまいの治療の灸に使う。また蓬の葉は、艾葉がいようという生薬で止血作用がある。戦で傷ついた兵たちの治療にも使う。傷ついて動けなくなれば、味方も敵方も関係ない。少しでも楽にするために薬がある。伊吹山の蓬は、戦いで傷ついた兵たちを、少しは癒してくれただろうか。


 さて平安時代の恋の歌。伊吹山の山頂付近に、お灸のうまい女がいて、治療を受けた藤原実方は、その女への想いを短歌に込めたということだ。その女は、どんな奴だったのだろう?さぞ、やさしくて賢い女だったに違いない。その女のことを想像していたら、


「お義父とう様に、お灸してあげようかな」


 と、蓬を摘んだ濃姫の面影が、突然よみがえって、伊吹山の女と重なった。濃姫と幼かった竹千代と、蓬餅を作ったのは、もう二十年近くも前になる。この二十年で、時代は大きく変わった。戦に鉄砲は当たり前だし、味噌や醤油も普通になった。幼かった竹千代は、もはや分別盛りの侍大将で、今回の姉川の合戦では、素晴らしい働きをしてみせた。


 蓬から作る艾は、すぐに火がつき、じわじわと燃え広がるので、鉄砲の火縄に燧石ひうちいしで火をつける火口ほぐちの材料としても欠かせない。鉄砲を活用するには、艾の大量生産も必要だ。原料の蓬も大量に必要になる。そうだ、蓬に限らず役に立つ草木を栽培する薬草園を伊吹山に作ろう。もちろん、阿片の原料となる芥子けしなどは、厳重に管理する。


「……薬草園を作る……」


「ぜひ!」


 俺の独り言に、打てば響くように相槌を入れるのは、西川だ。


「琵琶湖から、日本海に出て、蚊帳といっしょに、その薬草も売ってきます」


 もうすでに奥羽の地を駆け巡っているように、目をきらきらさせながら、若い西川は言う。本当に苦痛を和らげる薬なら「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」だ。


 でも、阿片は違う。目先の苦痛を取り去っても、大量に廃人を作る恐れがある。平手先生から教わったとおり、日本での仏教の恩恵は、文字による記録文書の普及だ。ただそれだと文字を読めない人との格差が生まれる。そこで、文字が読めない人にイラストや話し言葉で、情報を伝えようとしたのが、浄土宗の開祖の法然だ。口称念仏くしょうねんぶつは、「南無阿弥陀仏」を口に出すだけだから、文字が読めない人でも、実践できる。それを継いだ浄土真宗の親鸞が、念仏を全国に広めた。そして、今や顕如をトップとする浄土真宗全国ネットワークが出来上がっている。しかし、話し言葉の伝言ゲームは、正確性に乏しいという落とし穴がある。朝倉氏のいる越前は大陸に近い。大陸からやってきた誰かが、その伝言ゲームの落とし穴を突いて、阿片を売り込んだのだろう。話し言葉で伝え、書き言葉に残さない、というのも悪者がことを隠蔽するのにも都合がいい。


 そういえば、姉川に駆け付けた朝倉氏の援軍も、念仏を唱えていた。でも、朝倉氏は、浄土真宗ではなく、比叡山の天台宗ではなかったか。


 「天台宗は、念仏を唱えたかな……」


 「天台宗の真盛派しんぜいはです」


 俺の独り言に、西川がまた応じる。


 比叡山のふもと、琵琶湖のほとりの坂本に西教寺という寺があり、それが真盛派の総本山と言う。真盛派は、天台宗でありながら「称名念仏(念仏)」を強調していると言う。そして、西光寺をはじめ越前にも活動拠点があると言う。やはり大陸のならず者に、念仏の弱点、伝言ゲームの落とし穴を突かれたのだろう。文字が読めなくても許してもらえるという法然の教えは、不幸にして文字を学ぶ境遇に恵まれなかった人々に対してだ。人は生まれてくる境遇を選ぶことはできないから、それは仏のせいにしていいと言っているのだ。でも、それを文字を学ばなくてもよいと曲解してはならない。坂本の寺にありながら、文字を学べぬはずはない。文字が読めないとしたら、その人が努力を怠っているにすぎない。俺は怠け者が嫌いだ。ガキだったころ新九郎さんと坂本の街を歩いたのを思い出した。風紀の乱れた僧兵どもが闊歩していたではないか。あれは、阿片中毒者だったのかもしれない。比叡山のふもとにあって「妙」一義もわきまえず、何が仏教の聖地だ。そこで阿片を密造しているなら、もはや言語道断。一掃せねばなるまい。


 鶴千代が、俺と西川の会話をわきで聞いている。なんだか俺が新九郎さんで、鶴千代がガキだった頃の俺のような気がする。俺は三十六才。西川は二十三才。鶴千代が十四才。新九郎さんは、あの頃、美濃の蝮と呼ばれる悪役を引き受けたっけ。敬われるリーダーより、恐れられるリーダーを、と言ったのは、フロイスだっけ。どうやら正義の味方は次の世代に託して、悪役を引き受ける年頃になったようだ。

 

「……仏教の聖地、延暦寺を焼く……」 


 西川はきらきらと目を輝かせた。鶴千代は目を見開いた。ついてきたほかの従者は耳を疑った。


 楠のてっぺんにいた鷺が、再び、ぎゃっと短く鋭く鳴き声を上げた。姉川の流れが注ぐ、右手の琵琶湖の対岸の山並みに目をやった。その山並みの行くはじに比叡山延暦寺があるはずだ。


 覚悟を決めた。下っ腹に力を込めた。息を大きく吸い込んだ。


「延暦寺を、焼くっ!」


 自分に言い聞かせるように、琵琶湖に向かって、大きな声で言い放った。

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