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システマイザー・信長  作者: 武田正三郎
風に向かって
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銃撃事件

 浅井氏の裏切りで、朝倉氏の越前から逃げ出して、京に滞在した。京に滞在するあいだ、俺は改修中の御所を視察するなどして過ごした。それがもっとも合理的な過ごし方だったからだ。一週間ほどで禿鼠と桃さんの殿しんがり部隊も、無事に京へ生還した。それで岐阜へ出発することにした。


 岐阜への帰り道をどうするか。浅井氏の小谷城はもちろん、さらに南の鯰江城にも人数が入っているらしい。となると八日市に出る八風越えは難しい。四日市に出る千草越えしかない。当然、浅井氏もそれを予想して人数を入れているだろう。そこで、俺は、めだたない少人数で千草越えをすることにし、そのあとで禿鼠と桃さんに群軍勢を引き連れてもらうことにした。もちろん、これは極秘事項だ。


 十年ほど前、京都に行って、尾張の守護職のお墨付きを、将軍の足利義輝から金で買った。京都から帰るときは、六角氏の城下を通らず、八風越えで伊賀に抜けた。そのとき手引きをしてくれた小倉氏が、また手引きしてくれることなっている。


 琵琶湖畔の守山、栗東で、一揆勢をなんとか抑え、禿鼠と桃さんたちを一旦そこに残して、南に折れて、鈴鹿の山へ分け入った。手筈どおりに小倉氏が合流した。山が新緑に湧きたっている。どこからか気の早い蝉の鳴き声が聞こえてきた。桶狭間で今川義元とやりあったあとも、こんな風に蝉が鳴いていたっけ。あれから何年たっただろう。ヤマビルが出ていることだろう。血を吸われないように気をつけよう。


 甲津畑こうづはたという山間の集落で、松の巨木に馬をつなぎ、一休みした。


 「この度は、大変なことでしたな」


 大柄な小倉氏は、気の毒そうに、そう言った。そのあと、娘の声が聞こえた。


 「信長様……」


 耳をくすぐるような甘い声。ふわりとした雰囲気が、あとから遅れてついてきた。


 (この声……)


 心が震えた。胸の高まりを感じた。


 「あのときは、突然いなくなってごめんなさい。帰って参りました」


 その顔を見て驚いた。懐かしい思い出が炎のように燃え上がった。


 (濃姫……)


 「おふうです、覚えてなさるか?」


 小倉氏の声で、我に返った。


 濃姫だと思ったのは、小倉氏の娘だった。それにしても濃姫に瓜二つだ。もっとも濃姫が生きていれば、ずっと年老いているはずだ。


 十年前ほど前に、小倉氏の世話になったときも、その娘はいた。俺は幼女だった小倉氏の娘に、カマキリを捕まえてやった。彼女は、目を輝かせて喜んだ。そのまま野原を駆け回ってはしゃぎまわり、そのままどこかへ行ってしまった。それを見て、小倉氏は、


 「すっかり信長様に懐いたようですな」


 と言っていた。その娘が、十年で見違えるように成長していた。


 「おふうは、おなごにしては、草木や石などに詳しい。山歩きなどでは重宝していますのや」


 と、小倉氏は続けた。草木に詳しいなどと聞くと、ますます濃姫が思い出されて


 「デアルカ」


 と、上の空で答えた。再び馬にまたがり出発したが、後からついてきている小倉氏の娘が気になって仕方ない。ときどき後ろを振り返った。彼女も俺に気づいて、にこっと微笑んでくれる。そのたびに、つい、デレデレしてしまう。どうにも鼻の下が伸びっぱなしで、だらしがない。


 その時、


 「殿っ!」


 と、小倉氏が叫ぶのと、


 ぐぁーん。


 と、轟くのと、同時だった。何が起きたかわからなかった。


 ぐぁーん。


 音とともに、俺の前に出た小倉氏が、苦悶の表情で、どさりと馬から落ちた。


 狙撃だ、と気づいたのは、そのあとだった。


 とっさに屈強な親衛隊が、俺の周りを固めた。小倉氏の従者が、一斉に駆け出した。十間ばかり先の岩陰から、墨染の衣をまとった坊主が、逃げ出ていくのがちらりと見えた。


 馬から降りて、小倉氏に駆け寄った。小倉氏の娘もやってきた。小倉氏は、甲冑を着込んでいなかった。小袖がみるみるうちに血に染まってゆく。顔は、土気色で、目もうつろだ。耳を近づけた。息をしていなかった。脈も確かめた。脈も触れなかった。もはや、そこにあるのは、ただの肉塊だった。俺は、がくりとうなだれた。小倉氏は、死んだ。従者が、何か叫んでいるようだった。


 しばらくして、追いかけていった従者が、戻ってきた。


 「逃げられました」


 墨染の衣ということは、浄土真宗か。いや、宗派などどうでもいい。坊主の恰好していながら、中身は坊主ではないではないか。妙の一義もわきまえず、鉄砲をたずさえて、人殺しをするなど、もってのほかだ。死者を悼み、弔うのが坊主ではないのか。生臭坊主にもほどがある。むらむらと怒りがこみあげてきた。


 政治と宗教は、分離せねばならぬ。また、残酷な君主を演じなければならないと思うと、少々気が滅入るが仕方がない。民衆は権威に弱い。もし権威の弊害が大きければ、民衆ではない誰かが、その権威を破壊しなければいけない。その誰かとは、多分、俺だ。つくづく損な役回りだ。いっそのこと、ここで撃たれてしまえば、どんなにか楽だったことだろう。でも、小倉氏が死んで、俺が生き残った。先だった者の思いを背負って、住みやすい世に直してゆくのは、生き残った者の責務だ。


 見ると、小倉氏の娘が、亡骸にすがりついて、嗚咽をもらしていた。新九郎さんの訃報を聞いたときの濃姫の姿と重なった。かける言葉もなく、そのまま佇んでいた。気づけば、俺の小袖に孔が開いている。一発目の弾が俺をかすめたらしい。生と死は、紙一重だ。


 「人間じんかん五十年 下天げてんのうちを比ぶれば 夢幻ゆめまぼろしの如くなり 一度ひとたびしょうを得て 滅せぬもののあるべきか」


 ひとりでに、幸若舞こうわかまいのあの一節が、口をついて出た。小倉氏の娘が、こちらを振り返った。小倉氏は、娘を可愛がっていた。こんなかたちで、娘と別れることになろうとは、さぞかし無念だったことだろう。泣きはらしたその娘の顔を見ていると、俺の身代わりになって死んだ小倉氏の思いが想像されて、よけいにその娘が愛おしい。呼びかけようと思ったが、さっき聞いたばかりなのに、その娘の名前を思い出せない。


 「このまま、ついてくるか?」


 とりあえず、そう声をかけた。その娘は、こくんと頷いた。


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