朽木の三ツ石
鯖街道。小高い山を登ると、眼下には安曇川の流れと比良山系の山々の連なりとが広がっていた。
目に鮮やかな新緑の峠道を越えた。小川の脇に、黄色い菜の花が、ちらほらと咲いている。時代は、えごま油から菜種油に変わり、作付けしている菜の花の種がここまで運ばれてきたのだろうか?
「三十六計逃げるに如かず」である。
逃げるときは、即決即断が肝要だ。あれこれ相談しあって集団で逃げるのもよくない。地震でも津波でも、てんでんばらばらばらに、とっとと逃げるのがいい。その方が生き残る確率が高い。今回は、妹婿の浅井長政が叛旗を翻したせいで長浜が閉鎖された。うかうかしていると袋のネズミだ。そういうわけで、朝倉氏の本拠の一乗谷を目前にしながらも、金ヶ崎城から、ひとりで逃げ出した。そうしたら何人かが追いついた。
それにしても長閑な山道だ。青空の下で、さかんに鶯が鳴いている。ほんの少し前まで前線の喧騒の中にいたのが嘘のようだ。
朽木谷。琵琶湖水運を使わずに、京へ向かう商人が、商いをしながら、疲れを癒す宿場町だ。朽木谷の領主である朽木元綱は、浅井長政から知行をもらっている。朽木氏が、敵にまわっていると、通り抜けるのが厄介だ。さあ、どうしたものか。
と、木立の隙間から、川沿いにやってくる人影が見えた。甲冑姿だ。やはり朽木氏が敵にまわっていたか?どこか隠れるところは?左手には、巨岩が重なった崖だ。慌ててよじ登る。いい塩梅に、その巨岩がみっつ重なった隙間をみつけた。かなり狭いが、あわててそこに身をひそめた。
コバンザメのようにくっついてきた松永という男がいた。
「わてが見てきまひょ」
というので、
「デアルカ」
と応じて、様子を見に行かせた。商人あがりの松永は、俺と違って、口達者だ。ほどなくにこにこしながら松永が戻ってきた。甲冑姿の人影は、やはり朽木氏の手の者であった。これから改めて迎えに来ると言う。どうやら歓迎してくれるらしい。松永が、うまく説得してくれたようだ。朽木氏も商人の宿場町が楽市楽座になって賑わった方が、いいのだ。
圓満堂という庵に案内された。蕎麦が出た。細く切られた、茹でたての蕎麦を、醤油仕立ての暖かい汁に泳がせてある。美濃焼のこじゃれた茶器を、そのまま器に使っている。美濃焼を使ったのは、俺へのもてなしの気持ちか?まだ少し肌寒いこともあるこの季節は、暖かい蕎麦を食べるのもいいものだ。蕎麦の上にのっているのは棒鱈か。鱈ははるか蝦夷の地より取り寄せたものだろう。しばらく魚は食べてなかった。ありがたいもてなしだ。
それにしても石臼挽き十割そばは、やっぱりうまい。京でも食べられるようにと、その越前のうまい蕎麦を、鯖街道を通じて、流通させたのは、俺ではないか。延暦寺の坊主どもは、琵琶湖水運の既得権益にこだわっている。延暦寺は、堅田衆に、琵琶湖の事実上の警察権を委ねている。座の警察権を持つ神人といっしょだ。海賊まがいの略奪もやる。
京のむこうには、堺がある。堺までモノを持っていけば、南蛮人との取引ができる。しかし、堺に持ち込む前に浄土真宗の顕如のいる石山本願寺の近くを通らなければならない。あのあたりは本願寺傘下の寺があって、そこでも登録制の通行料や営業料をとる。つまり座だ。座に登録していない商人は、商いができない。浄土真宗の寺は、世襲制だから、よけいに既得権益にこだわるのだ。既得権益も世襲する。新しい商いが始められない。既得権益が悪いわけではないが、問題はその金の使い道だ。無駄に寺院を派手にしたり、ひいきのものにだけばらまいている。
浅井長政も、そこはよくわかっていたからこそ、楽市楽座に賛同し、妹を嫁にもらってくれたのだろう。しかし、坊主といっても徒党を組んで、武力をもてば、もはや戦闘集団だ。軍事国家と言ってもいい。琵琶湖水運がらみで楽市楽座を断行すれば、軍事国家としての浄土真宗が、蜂起する。楽市楽座に賛同してくれた浅井長政だったが、浄土真宗の生臭坊主に脅迫されてびびったのだろう。それにしてもぶれまくりだ。しかも、妹を通じて、謎かけみたいな陣中見舞いをよこすとは、半端な奴だ。あるいは、後ろめたかったのかもしれない。
宗教は、教えを守ることだ。信じて守り続けるということは、保守ということだ。宗教が守旧派や既得権益につながりやすいのはそのせいだろう。教えは、誰かが言ったことだ。でも誰かが言ったことが、必ずしも正しいとは限らない。合理的に未来を思い描くなら、誰が言ったか、ではなく、何が正しいかという原点に立ち戻らなければならない。フロイスが言っていたように、キリスト教でも、ずっと信じて守り続けられてきたユリウス暦を見直すときがやってくるのだ。
京の足利義昭も、もとは一乗院門跡の坊主。しかも法相宗という、観念論を学んでいる。この手合いは、何が正しいかを、実証する姿勢に乏しい。言われたことをたやすく信じてしまう。言い換えれば、だまされやすい。担ぐ側にしてみれば、利用しやすいのだ。
そんなことを考えているうちに、腹が膨れた。もてなしてくれた長谷川とかいうやつに、何か礼がしたい。あいにくと単騎飛び出してきたので、何ももっていない。何かないかと思案したら、戦をするとき飯を食うのに使っていた銀の箸を持っているのを思い出したので、くれてやった。
花折峠を超えれば、柴葉漬けの里、京の大原だ。柴葉漬けを開発したのは、良忍という坊主だ。その弟子筋の法然も、燧石の技術に長けていた。天台宗に背を向け、庶民によりそって法然が開いた斬新な浄土宗が、親鸞によって浄土真宗となり、保守的な一大勢力となって、既得権益と結びついているのは、皮肉なものだ、と思いつつ、馬を急がせた。




