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システマイザー・信長  作者: 武田正三郎
風に向かって
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死後の世界

 フロイスに地球の自転を聞いてから、朝日は、東から昇ってこない。かえって、大地の方が、東へ向かってのめり込んでいく。そう、見えるようになった。


 あたりはうっすらと雪が積もり、朝靄が立ち込めている。明るんできた東へ、のめりこんでゆく大地に、さらにのめるように感じながら、歩いている。京の都といえども、行き交う人は、まだ、そう多くない。


 街並みに、切支丹教会の尖塔の上の十字架が目に入った。遠くから、黒いキャソックを着た人影が見えた。フロイスだ。入口の前の階段の雪を、箒で掃いていた。近づくと、俺を目ざとく見つけた。そして、手をとめて


「おはようございます」


 と、日本式に深々とお辞儀をした。


「太陽中心説。その続きを聞きに来た」


 と、俺は言った。フロイスはにっこり笑って、建物の中へ俺を招き入れた。


 部屋の真ん中に、暖炉が据えてあった。囲炉裏とはだいぶ形が違う。寒さがしのげるのはいいが、少々煙たい。早くから集まっている切支丹たちは、俺たちのことを横目で見ながら、こまごまとした朝の仕事をしている。フロイスは、俺に椅子をすすめると、自分も椅子に腰かけた。そして太陽中心説を語り始めた。


 太陽や星々が動くとした天動説に対して、太陽を中心として地球が動くとするのを太陽中心説と言う。この太陽中心説を唱えたコペルニクスは、カトリック教会の神父だ。彼はイタリアの大学で天文学のほかにも医学も学んでおり、病人の治療にもあたっていたそうだ。真実の学問を目指すイエズス会は、天文台を建て、観察を繰り返し、コペルニクスの太陽中心説を支持していた。


 しかし、ヨーロッパの市民にはギリシャの学問が優れているという都市伝説があった。二千年以上前に、ギリシャのターレスいう学者が、日食の予言に成功した。それでギリシャの天文学は優れていて正しいと信じ込んでいるのだ。実はコペルニクスは、ギリシャの天文学者アリスタルコスの唱えた太陽中心説について、ヨーロッパに普及してきた算用数字で複雑な計算をやってのけ、その方が観察データと一致することを見出したに過ぎない。だから、コペルニクスは、ギリシャに異説を唱えているのでもなんでもない。結局、市民は算用数字を使った計算についていけなかっただけだ。大衆の世論は、いつもその程度だ。


 「算用数字とは何だ?」


 と俺が尋ねると、フロイスは。地べたに、さらさらと、1234567890と書いてみせた。


 「この算用数字は、紙とペンだけで、素晴らしい速さで計算できます。しかし、ローマ教会から敵視されました。また、イタリアのギルドからは使用が禁止され、ドイツでは算用数字で書かれた借金証書は無効とされました」


 そんなわけで、算用数字を計算に使った太陽中心説を唱えると、市民からひどく迫害を受けることが明らかだった。だからコペルニクスはこの太陽中心説を、すぐには書き残さなかった。コペルニクスの「天体の回転について」が印刷されて、出版されたのは、彼の没後だった。


 「印刷とは何だ?」


 と、俺が口を挟んだ。


 「活版印刷です」


 と、フロイスは答えた。フロイスは、立ち上がり、ごそごそと何かを探してきた。


 「聖書です」


 俺は、フロイスが差し出した聖書を手に取った。日本とは違うその本を右から左へと開くと、規則正しい文字が秩序正しく並んでいた。


 印刷には、活字が使われていた。活字とは、文字ごとに鋳物で作ったハンコだ。ハンコを組み替えるだけで、版ができる。版に直接彫り込むよりはるかに早く版ができる。教会の造幣所で働いていた技術者の息子、グーテンベルグが発明した。そのグーテンベルグが印刷した四十二行聖書は、宗教革命を引き起こし、カトリックに対抗するプロテスタントという宗派ができた。


 「文字は人を支配し、時として権力者によって暴力的に使われます」


 と、フロイスは、少し俯きながら続けた。


 俺は、ガキの頃、ケツ拭くのに使って叱られたおかんの大切な紙切れや、新九郎さんがくれた「サンスケ入ルヲ許ス」と書かれた紙切れを思い出した。確かに文字は人を支配する。自分の肌で感じた現実よりも、紙に書かれた文字を信じることがある。


 活字印刷が広まってからというもの、ヨーロッパでは、情報が広く早く流通するようになり、新しい技術が次から次へと発明された。半面、何でもすぐに出回ってしまうので、迂闊に書き残せなくなった。出回ったものは検閲され、内容によっては著者が広場で火あぶりにされたりもした。だから、うかつに書き残さないようにする一派も現れた。たとえば、鉱石から金属を取り出したりする錬金術師たちだ。錬金術師は、知っていることを知られることさえ恐れ、その術を文字には残さず、口頭伝承だけで、門外不出としているらしい。


 俺は、また、禅の不立文字ふりゅうもんじという言葉も思い出した。文字は解釈次第でどうにでもなるから、文字の中に真実はない。己の体験が大切という教えだ。


 文字や文章は、為政者によって操られる。文章は為政者に都合の良いように書き換えられ、不都合な文章は闇に葬られる。さらに注釈だの評論だので、脚色される。史実と言ったところで、しょせんは誰かがいいように書いているのだから、話半分で受け取っておきなさいと、平手先生がおっしゃっていた。


 すべてのことを文字では表せないし、すべてのことを文字で表すべきでもないと、思った。


 とは言え、たとえ完全ではなくても、書き残された文字によって、すでにこの世を去った人と、話ができる。この世を去ったあとに文字を書き残すこともできる。思うに、死後の世界は存在していると信じていいだろう。


 ふと思いついた。もしかしたら、俺の死後に、誰かが文字にして、俺のことを後世に残すかもしれない。きっと出まかせばかり書かれるのだろうな、と思うと、くすりと笑えた。もし、未来に行ける道具があるなら、どんな出まかせが書いてあるのか、ぜひ読んでみたいものだ。


 フロイスの話は続く。


 活字が発明されるずっと前に、教会の教えは聖書に書いていない嘘っぱちだと論破して、磔にされたやつがいると言う。イエス・基利斯督キリストと言う。新しい聖書には、キリストのことも書き加えられているという。切支丹キリシタンとは、キリストを信じる一派だ。それから千五百年もたつと、やはりローマカトリックは、聖書にないことを教え、活字で聖書を出版したプロテスタントに、してやられたというわけだ。


 「人は馬鹿だな。同じことを繰り返す」


 フロイスは頷いた。

 

 「聖書の教えは、イエス様の教えでも、ローマ法王様の教えでもありません。聖書の教えは、デウスの教え、神の教えです。それを、正しく広めようとイエズス会があるのです」


 ちなみに、ヨーロッパでは、くだんのキリストが生まれた年を基準にした暦を使っているそうだ。それによれば、今年は西暦千五百六十九年だそうだ。またフロイスは地べたに1569と算用数字を書いて見せた。なるほど、1000を超えるような数は、算用数字の方がわかりやすい。この0という数字が工夫の種だ。


 「イエズス会は、太陽中心説をもとに、精密に太陽の動きを計算して、新しい暦を考えています」


 1500年も使っていたら、閏日の誤差が積もって、春分の日が10日ほどずれてしまったのだという。それで、太陽中心説をもとした、日食の予測が当たったら、新しい暦に変えるために、準備を進めているという。


 「その日食はいつだ?」


 と俺が聞くと、


 「西暦1582年6月20日」


 とフロイスは答えた。


 あと13年。


 新九郎さんに連れられて行った黒谷青龍寺で暦の話を聞いたのを思い出した。暦だの単位だのはばらばらだと不便だ。だから統一した方がいい。フロイスの話を聞いて、本当の天下統一とは、ヨーロッパも含めた地球上のすべての国々で統一することではないかと思い至った。ヨーロッパの改暦に合わせ、元号などやめて、日本の暦も全部西暦にしてしまえば、便利なことこの上ない。要は、どの暦が一番正確で便利で優れているかだ。


 日食の起きるころ、俺は49歳になっている。人間50年というから、俺がこの世にいるかどうかは五分五分だ。いずれにしろ、死後の世界に思いをはせるより、生きているあいだになすべきことをした方がいい。そのときにヨーロッパと足並みをそろえて西暦に統一できるだろうか。


 そのとき、けたたましく家来が駆け込んできた。将軍に建ててやった、二条城の石垣の件でもめているという。


 二条城の築城のとき、石垣に墓石を使った。


 浄土真宗の坊主どもがうるさいので、墓石を石垣にする前に、「遷仏法要」とやらをやった。墓石に住まう仏にお引越ししていただくための法要だ。


 ところが、「魂抜き」をしていないという。言ってきたのは、日蓮宗の日乗という、もと武士の坊主だ。墓石に宿る魂を抜かねばならないと言う。日蓮宗と浄土真宗には、カトリックとプロテスタントのような違いがある。


 フロイスは言った。


 「私たちはエスピリートソウルを使い分けています。しかし、仏教の多くの方々は、魂と霊と仏をごっちゃにしているようです」


 「エスピリート精神スピリットと言っても良いと思います。たとえば、織田様が志なかばで、亡くなったとします。しかし、織田さまの天下布武という精神は、織田様の死後も永遠に受け継がれていくことでしょう。織田精神といいます。ソウルというのは宗教的なものです。人間に宿る肉体以外の何かです。肉体の死後に霊が残るかどうかを信じるのは、その人次第です」


 なるほど。死後の世界に文字で書き残せるのは、スピリットなのだ。


 フロイスの話は、筋が通っている。


 「いちど、坊主たちと、直接話をしてみるか?」


 と、俺が尋ねると、フロイスは、その情熱あふれる青い瞳をこちらに向けて、にっこり笑って頷いた。



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