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システマイザー・信長  作者: 武田正三郎
風に向かって
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青い瞳の同志

 降りしきる小雨の中、小袖にみのをはおって、腰のまわりに七つ道具をぶら下げて、雇い入れた者たちの飯場に来ている。明るくなったばかりというのに、人でごったがえしている。


 俺は現場、現物、現実が嘘をつかないことを知っている。だから現場に足を運んで、自らその飯を喰い、現実を確かめている。


 賄いの小者たちが、せわしく椀に飯をよそって、味噌汁をかけて配っている。俺も雇い入れた者たちに混じって行列の後ろに並んだ。俺の番になって賄いの小者にびた銭を手渡すと、その椀をもらった。岐阜で作ったびた銭を通貨として流通させている。雇い入れた者に報酬としてびた銭を渡し、飯を喰うのに使わせる。飯を喰えるとわかれば、びた銭が京でも流通するに違いない。俺は手にした椀に口をつけて飯をかっこんだ。現場で現物が俺の喉をくぐり現実が体を巡った。


 白味噌はいかん。即座にそう気がついた。

  

 味噌汁を飯にかけて食うと、飯がはずむものだが、京の白味噌の味噌汁は甘ったるく、飯に粥をかけて食っているようで、飯がはずまない。飯を食わねば力が出ない。これでは戦場でも建築現場でもへこたれてしまう。


 京は海から遠いので、塩田がない。もともと塩づくりは、浜に海水を担ぎ入れるため人手がかかり、海水を濃くするのに天候にも左右される。だから塩はとても高価だ。京では遠国から塩を運ぶため、関税もかかってさらに高価だ。だから塩をけちって、味はみな薄口なのだろう。尾張なら、熱田神宮近くの星崎や前浜などの塩田がある。


 甘いものが欲しいからと米を麹で甘くしただけの味噌は、公家のおやつにはいいかもしれない。だが強い兵を作るには物足りない。強い兵を作るのは家柄ではない。武器と飯だ。


 その点、紫葉漬けはいい。塩気は少ないが程よい酸味で食が進む。昔、新九郎さんに連れられて大原の里で食べた、柴漬けを思い出した。上方見物で与四郎さんと食った大徳寺納豆も飯の供にいい。


 桃さんの京屋敷に戻ると、すぐに紫葉漬けと納豆を手配した。


 三河では、竹千代が岡崎城から八丁ほど離れた場所で、新開発の豆味噌を開発している。同じ場所で火薬の原料の煙硝も開発している。いずれも大桶を使った大量生産法の開発だ。塩辛い豆味噌で、粥ではなく釜で炊いた飯を食わせる。これが強い兵を作る。飯食いたさに人も集まる。石垣の石を運んだり積み上げたりするように力仕事にはそれがいい。


 俺は現場、現物、現実が嘘をつかないことを知っている。しかし俺はまた多くの人が風聞だけで物事を判断するのも知っている。


 今日は大石を運ぶ。庭園の石などなんの機能もないが。美しさは秩序になる。桃さんは美しさに少しばかりうるさい。しかし美しさは機能にもなる。それに大きな石を派手に運べばいやでも俺が御所を作ったと知れ渡る。宣伝効果抜群だ。多くの人は風聞だけで物事を判断し、現場に足を運ぶのはすこぶる少数派だ。庭園の石をド派手に運べば、将軍のために御所を作ったのは織田信長だと噂になるだろう。京は噂の集散地と言っていい。京の噂は全国に伝わる。


 俺は大石があるという細川邸に出向き、極太の注連しめ縄を大石に何本もくくりつけさせ、赤と白の牡丹の花を挿して飾りたてさせた。その大石を大八車に荒縄でくくりつけ、笛や太鼓で囃したてながら、京の都をわざと大回りに練り歩いた。むろん俺はド派手な衣装に着替えて、馬にまたがり、鉄砲と朱塗りの三間柄に囲まれている。鉄砲と槍の穂先に男根をかたどった酒器をかぶせることも考えた。しかし、そこまですると、肝心のの大石が目立たなくなるので、それはやめにした。


 注連しめ縄を大石行列が京の街を練り歩くと。道行きすれ違う人々は、みなこちらを振り返り見ている。俺は笛太鼓の囃しに合わせ、見物人にド派手な美濃紙の傘をぐるぐる回してみせた。きっと目論見通りの噂が流れることだろう。


 御所の建築現場に到着した頃は昼を過ぎていた。朝早くから動き回っていたので腹が減った。建築現場で配っていた菜飯おにぎりをもらうと、積み上げている石垣に上り、やぐらの梁の上に腰をかけて、それをほおばった。いつの間にか雨は上がり、湿った風が吹いている。石垣には農家の惣村の拠点となっている寺社からいただいた墓石や石仏が使われている。細川邸の庭園の石をあれだけド派手に運べば、石垣の出どころに気づく者は少なく、罰当たりと大騒ぎされることもあるまい。


 ふと、積み上げた墓石の傍らで、ひと悶着起きているのが目に留まった。どうやら、雇いあげた男が、通りがかりの女を捕まえ、その着物をはぎとろうとしているらしい。あれほど秩序を守れと言い含めておいたのに。俺は一目散に現場に向かった。ところが、建築現場のことである。いろいろな資材が転がっていて足場が悪い。何かにつまづいて、その男の前で転んで大の字になってしまった。


 男は振り返り、一瞬きょとんとして俺をのぞき込んだ。そして俺のド派手な衣装の方が金になると思ったのか、にたりと笑って、俺に掴みかかろうとした。やばい。と俺が思った瞬間、男の黒目が白目になった。笑った口元が苦痛でひきつった。そのままどさりと俺に倒れかかった。


 「だいじょうぶですか?」


 と声をかけてきたのは、家臣ではなかった。その瞳は翡翠ひすいのように青かった。


 南蛮人だ。


 差し伸べられた手に捕まって起き上がった。女に狼藉を働いていた男は既に家臣に取り押さえられていた。あの男のことは家臣に任せよう。俺はこの青い瞳で流暢な日本語を話す南蛮人に興味を持った。興味を持つと、他は忘れてとことん興味を持つのが俺の性分だ。


 「織田信長様ですね。拝謁いたしたく、庭石の行列からずっとついて参りました」


 そう小さな声でそう言うと、畏まって深々とお辞儀をし、そのまま平伏した。


 「何の用だ?」


 「布教の允許いんきょを戴きたいのです」


 「伴天連バテレンか。何を教える?」


 「デウスの教えです」


 昔、与四郎さんと堺に行ったとき、フランシスコ=ザビエルが来る話を聞いた。あれから随分時がたち、伴天連とか切支丹キリシタンについても噂程度には知っている。しかし通訳を通さずに、日本語で伴天連と話すのは初めてだ。


 「デウスの教えとやらを、一言で言え」


 「愛です」


 その伴天連は小気味よく聞き慣れない日本語で即答した。俺はじれったいのが嫌いだ。逆に、こういう切れ味のいい即答は大好きだ。


 「おもてを上げよ」


 きらきらと輝く青い瞳を見て、南蛮人だと思い出した。南蛮人だということを忘れさせるほど日本語は流暢で、日本の作法も心得ている。


 「名を何と申す?」


 名前は忘れるかもしれないが、この青い瞳と流暢な日本語は忘れないだろう。


 「ルイスフロイス」


 急に日本語ではない音韻が発せられて聞き取れなかった。名前など識別できればそれでいい。どうしても名前が必要になったら、禿鼠に覚えさせよう。


 遠く海を隔てた南蛮にはデウスと言う神仏がいて、その教えを統べるのがローマ法皇と言うらしい。ところが地中海の貿易をするのに、そのローマ法皇がギルドと言う商工組合を庇護し、高い関税をとるようになった。何のことはない、比叡山延暦寺が琵琶湖の水運権を握って座という商工組合を庇護し、高い関税を取っているのと同じである。そのうちに免罪符を発行して金を集めはじめた。金を出せば許されるというのは、南無阿弥陀仏と唱えれば人殺しでも何でも許されると曲解するのと同じである。そのうちローマ法皇率いるカトリック教会に異を唱え、庶民に普及したのがプロテスタントとのことだ。プロテスタントは在家も妻帯も認めている。顕如の浄土真宗と同じである。自由は大切だ。しかしそれは何でも許されるという意味ではない。


 自由な男女の交わりが、地中海に新しい病気をもたらしたそうだ。その病にかかった者は、頭から膝までの全身が膿疱に覆われ、顔からは血がしたたり落ち、感染してから数か月で死に至ると言う。


 そのような病が蔓延する状況にあって、カトリック教会の中に、真実の愛について改めて考え、その教えを広めようと思う一派が現れた。教皇の精鋭部隊と呼ばれた男子修道会、イエズス会だ。真実の愛は男女の交わりとは別次元の崇高な思想であり、それがゆえに司祭は生涯貞節を誓っている。


 流暢な日本語で語られる話は、きわめて理路整然としており、無駄な言葉はなかった。俺は珍しく人の話に耳を傾けた。もっと聞いてみたいとも思った。そして青い瞳とはうらはらに遠い異国に住まう南蛮人も日本人も同じ人であることを伺わせた。


 「真実の愛を知れば、戦も病も無くなり、人々は穏やかに暮らせます。布教の允許を戴けますか?」


 戦や病を無くしたいなら目的は俺と同じだ。本当に戦や病が無くなるかは、やらせてみてから確かめればいい。やらぬ先から不都合をあげつらい、やらぬ理屈をつけるのは守旧派の年寄りどものやることだ。


 「わかった」


 俺は布教を許すことにした。ルイスフロイスはうやうやしくお辞儀をし、お礼を申し述べた後、


 「話を聞いてくださる方が、たとえたったひとりであっても、その人のためにこの地に生涯を捧げます」


 と言った。


 俺は、昔、黒谷青龍寺で出会った若い学僧と同じものをルイスフロイスから感じ取った。


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