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システマイザー・信長  作者: 武田正三郎
風に乗って
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墨俣の砦

 とっぷりと日が暮れた犬山城の天守から木曽川の方を見る。月のない闇夜だ。淡い星空の光を背にして切り立った巨大な岩の陰に、ちらちらと赤い火影が見える。鵜を使って鮎を獲る鵜飼いだ。炎が一斉に動き出す。舟の舳先に身を乗り出した烏帽子えぼしに腰みの姿の鵜匠うしょうが手際よく手縄たなわを捌く。しばらくすると舟は動くのをやめ、静けさが戻ってくる。


 天守を降りて、屋敷に吉乃の様子を見にいく。「ええよ」と子を産んでくれたのはありがたいが、そのあとどうも病みがちだ。子を産んで命を落とす女もいる。新しい命を創り出す喜びと引き換えに背負った女の代償なのだろう。男は子を産んで命を落とすことがないかわりに、その喜びを知ることはできない。俺がそうしなければ吉乃は子を産まないのだから、吉乃にその代償を背負わせたのは俺ではないか。俺がそう命令しなければ兵も戦に出て命を落とすことがない。とすれば女の出産は戦と同じだ。世の中にしろ子どもにしろ新しいものを生み出すのに犠牲はつきものだ。とはいえできれば吉乃を失いたくない。そんなことを思いながら臥せっている吉乃の寝顔を見る。


 「吉法師やん……」


 吉乃がうっすらと目を開けた。嬉しそうに起き上がろうとする。慌てて制する。俺にしゃべりたいことがあるのだろう。だがその声はひどくしゃがれている。


 「あんな、行灯を灯すとな、その傘の美濃紙に漉きこんだもみじの葉っぱの影がきれいなん」


 慰みになればと紙漉きの里で特別にしつらえてもらった行灯の傘だ。枕元においてあるのをすぐに気づいて喜んでくれる吉乃に癒される。何だか照れ臭いのでそっぽを向いて鼻をほじる。


 「その手、かしてみ?」


 ほじっている手を指さされて素直に吉乃に渡す。吉乃は俺の指を自分の寝ている掛けふとんの端っこでていねいにぬぐってくれる。


 「もう子どもやないんやから、鼻ほじるのはうちの前だけにしとき」


 臥せっているのに俺の世話を焼いてくれる吉乃が会うたびにやつれていくのを見るのが辛い。ぬぐってもらった手を振り払って立とうとする。


 「もう少し、そばにおって」


 握られた手をされるがままにそこに留まる。俺の手をつつむか細げな吉乃の手のひらから、その温もりが直につたわってくる。たまらなく切ない。やりきれなくて話を逸らす。


 「木曽川から墨俣の砦に続く馬防柵を作ろうと思ってるんや」


 紙漉きの里のある奥美濃と味噌蔵のある桶狭間や三河と琵琶湖とを結ぶ高速輸送路線を実現するには、長良川と木曽側が近接する物流拠点である墨俣を守旧派から守るが一番だ。墨俣には新九郎さんが作った砦があり、稲葉山城下までまっすぐに街道が整備されている。新九郎さんの在りし頃は、稲葉山城下の楽市楽座から墨俣、そして琵琶湖へと関税なしで商人が歩いたものだ。


 その墨俣から木曽川にかけて馬防柵を作り、東美濃からの商人を守旧派からから守る。馬防柵の材料となる丸太はすでに飛騨の材木をいかだに組んで板取川から長良川経由で運んでいる。そこにこの犬山城に在庫してある予め加工した大量の板や角材を木曽川から送り込む。板や角材は杉や檜ではなく、今まで使われることの無かった広葉樹だ。


 この加工に一役買うのが刃物の里で拵えた大鋸おがだ。のこぎりを作るには歯を一枚ごとに左右に振り分け、精密に研磨する技術が必要だ。桶を作るかんなもそうだが、研磨にはそのための砥石が必要だ。このところ精密な砥石が出回っており、大きな鋸を作れるようになった。節の多い粗悪な材や繊維の入り組んだ広葉樹でも二人で挽ける大鋸を使えば難なく加工できる。安く大量に板や角材を準備できるのだ。


 この板や角材を使って馬防柵のところどころに屋根つきの小屋を作る。火薬が雨で湿気しけらないようにだ。火薬が湿気っては鉄砲は活用できない。東美濃からの商人を守るだけなら、守りの兵の損失を最小限に食い止めるのに鉄砲は有効だろう。


 この加工済の板や角材を鵜飼の舟にしのばせ、少しずつ現場に輸送している。稲葉山城の天守閣から木曽川を見下ろしたところで、見慣れた鵜飼の松明が下っているとしか思わないだろう。


 このような馬防柵の建設を指揮するには、樵から刃物職人、大工、船頭、商人といった多くの人脈が要る。そういう意味で禿げ鼠はうってつけの人材だ。禿げ鼠に任せてあるので、まもなく馬防柵はできあがるだろう。


 「……」


 木曽川から墨俣へ続く馬防柵の建設について話しているうちに、いつの間にか吉乃は眠っていた。ずっとそばにいてやりたいが、しなければならないことがある。そっと手を放す。また来ると心の中でつぶやいて部屋を後にした。


 時が移ろいでいく。守旧派の美濃の義龍の死後に当主になった龍興の迷いが、新九郎さんの楽市楽座構想を再燃させている。重臣たちがこぞって頼りない龍興に喝を入れているのだ。禿げ鼠は、墨俣の馬防柵の建設の指揮をしながら、新九郎さんの構想を支持する美濃の重臣たちとわたりをつけている。


 その禿げ鼠から墨俣の馬防柵の竣工したという知らせと、吉乃が危篤に陥ったという知らせが同時に届いた。


 竣工式には、大工の棟梁、船頭、商人など関係者が大勢来るので、施主の俺が席を外す訳にいかず、吉乃の容態を気ににしつつも、墨俣近くの木曽川の川べりに馬を飛ばした。


 墨俣の馬防柵を見渡せる河原に紅白の幔幕が張られた小さな祭壇が設けらていた。近くの尾張一宮こと真清田神社ますみだじんじゃの宮司が俺を見つけて恭しくお辞儀した。禿げ鼠のことだからぬかりはないと思うが、念のため火薬を保管する小屋の屋根葺きの具合を遠くから眺めて確かめた。


 時間のたつのが鉛のように重たい。


 宮司が神をお迎えする祝詞をあげ、拍手を打つ。俺の番がやってくる。いつかのように祭壇に灰でも投げつけてやろうかと思ったが、余計に時間がかかることになりそうなのでやめた。宮司が神をお送りしたのを見届けて、禿げ鼠に初穂料を包ませた。


 竣工式が終わると関係者がお祝いを述べに次から次へと挨拶にやってくる。


 「デアルカ」


 と受け流すが、吉乃が気になって仕方がない。かわりに禿げ鼠がうまいこと愛想を振り撒いている。やっとのことで祝い客が途切れたので、禿げ鼠に振る舞いの宴席を頼むと、馬に飛び乗り吉乃のもとに向かった。


 案内も乞わずに、土足で屋敷に上がりこみ、吉乃が寝ている部屋の障子を開けた。目に飛び込んだのは、すすり泣く女たちに囲まれた吉乃の安らかな顔だった。


 「眠るような最期でございました」


 女のひとりが俺に告げた。俺は駆け寄り吉乃の手を取った。血が通わなくなったその手は白く輝き、じかに伝わってくるはずの温もりは、遠く浄土に飛び去り、ただ残酷なまでの冷たさだけが残っていた。


 俺の子を残し、その代償として命を落とした吉乃。


 「あっぱれであった」


 俺は吉乃の手を両手で抱き、溢れ出る涙をこらえながら、そう言うのが精一杯だった。


 もみじを漉き込んだ美濃紙の傘を通した行灯の灯りが、あたりを優しく柔らかく照らしていた。


墨俣の一夜城についてはあまり信憑性がないと言われているようですが、各務原市の2代目市長の松原啓吉さんの松原家古文書並系譜家訓には、ご先祖様が墨俣の普請を手伝ったと書いてあるとかないとか。ちょうど鋸が普及しはじめた頃で、斧では加工できなかった広葉樹を材木に使えるようになり、建材の低コスト化が図られたようです。

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