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システマイザー・信長  作者: 武田正三郎
風に乗って
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義兄弟、再び

 夕闇迫る豊川のせせらぎの音が耳に優しい。岩の階段を伝って湯に降りてゆく。奥三河の名湯、湯谷ゆや温泉だ。


 「久しぶりやな、竹千代」


 素っ裸で、ざぶんと湯に入りながら、背中から声をかけた。十数年ぶりに見る竹千代は筋骨隆々たる躯体である。竹千代は湯の中でゆっくりとこちらを振り返った。体は大きくなっても昔のままの不愛想で読み取りにくい表情だ。突き刺すようにこちらを見つめてきた。


 「少々熱くないか」


 の問いに


 「さほどでもない」


 と答える。この可愛げのない言い草。この素っ気なさ。体が大きくなっても間違いなく竹千代である。なんだか嬉しくなってくる。湯の中に竹千代をおいて、俺はひとりで岩に腰をかけた。湯の中から、真っ赤な顔で竹千代が言った。


 「藤吉郎殿、でしたか?あの顔で頼まれたら断れません」


 「俺もあの禿鼠の顔をはじめてみたときは、笑いが止まらなくなった」


 竹千代はにこりともしない。俺は単刀直入に話の本題を切り出す。


 「で、ええやろ?」


 「はい」


 話は終わった。儀式ばったことは、家臣がのちのち段取りしてくれるだろう。


 竹千代は岡崎城にいる。岡崎城の近くを流れる矢作川のあたりは、幼少の禿鼠が奉公先を飛び出してねぐらにしていたあたりだ。禿鼠はあのあたりにも人脈が多い。俺がこうして竹千代と会う機会を得たのも禿鼠のおかげだ。


 湯から上がった。さあ飯だ。きっといい返事をくれるだろうと竹千代が喜びそうな献立を準備してある。岩風呂の陰の東屋に緋毛氈を敷いて竹千代を座らせた。提灯があたりをほの暗く照らしている。柱には桔梗ききょう女郎花おみなえし吾亦紅われもこうなど野趣あふれる花を竹の筒に生けて飾ってある。俺は集めておいた松の葉っぱに火を点けて茶釜に湯を沸かし、あらかじめ椀によそってあった飯と具に湯を注いだ。香ばしい香りが立ち込める。椀と箸を膳に乗せ、座っている竹千代の前に差し出した。


 「これは何ですか?」


 趣向を凝らした料理に気を留めてくれるのが嬉しい。


 「あまごの茶漬けだがや。味噌の下にたまった汁、醤油であまごを骨まで柔らかくなるまで煮て、それを抹茶仕立ての湯漬けにしたもんや。さあ、食ってくれ」


 あまごを甘露煮にするのには手間がかかる。捕れたあまごを串刺しにして焦がさないように焼き、一昼夜風通しのよいところで陰干しし、酒を入れて煮て、それから醤油で煮詰めていく。そうすることで保存も効き、頭も骨も柔らかくなって残さず食べられる。ご飯も乾飯ほしいいではない。茶釜に米と水を入れて炊いた姫飯ひめいいである。あまごの茶漬けは、抹茶の香ばしさと甘露煮の風味を飯とともに味わう、ぜいたくな茶漬けである。あまごの甘露煮も姫飯も俺が自らしつらえた。堺の与四郎さんの域にはまだまだ遠いが、茶の湯のもてなしの心の何たるかを少しはわかっているつもりだ。


 竹千代が椀を手にとった。汁を啜った。目をつぶって舌の上で汁を転がしている。ごくりと音を立てて汁を飲み込むと、不愛想な竹千代の口角がわずかに上がった。


 「あの日以来、」


 竹千代はゆっくりと目を開けると言葉を続けた。


 「竹千代は、信長様を、信じとった」


 十数年の歳月の隔たりが一瞬で無くなった。俺と竹千代は義兄弟に戻った。昔話に花が咲き、そして将来の夢について語り合った。


 味噌は貴重な栄養源である豆と塩を同時に保存可能にする。俺はこの味噌を量産するのに甕のかわりに桶を使う方法を推奨した。さて、その味噌だが、風に触れるとあっというまに傷んでしまう。俺は、桶に仕込んだ味噌の上に、美濃紙を敷いて風に触れない工夫をした。さらに軽い美濃紙が浮かないように重しを載せる必要があった。俺が欲しかったのは、その重しに使う石積みの技術だ。ガキの頃、新九郎さんに連れられて、比叡山の琵琶湖湖畔の坂本と言う街に言ったことがある。街並みは石畳と石積みで出来ていて見事な景観だった。今川義元は、その石積みの技術を城作りに応用していた。そして竹千代はその石積みの技術を習い知っていた。俺の美濃紙の技術と竹千代の石積みの技術の提携で、大桶を使う味噌作りはさらに発展するだろう。


 優秀な親を持った子供が幸せとは限らない。いつも親と比べられ、肩身の狭い思いをすることもある。今川義元の息子の氏真はまさにそれだった。今川氏真は連歌や和歌、蹴鞠にその才を発揮したが、ただそれだけでほかに興味を示さなかった。すでに三河でも大桶を使った味噌造りがそこそこ広まっていた。甕を使った座衆の既得権を守るために、かの今川義元との合戦に駆り出されたことを恨みに思う民衆も多かった。土地が痩せている三河では、米があまり育たない。主力農産物は豆になる。それだけに大桶を使った味噌造りへの期待が高かったのである。そこへ禿鼠の働きもあって、竹千代は今川氏真を見限り独立することに腹を決めたのだった。


 俺が矢作川を越えないかわりに、竹千代は俺が味噌作りしている知多半島へ進出しない。美濃紙と石積みの技術は提携する。そんなところで話はまとまった。


 夜が更けて、そろそろ寝ようと言う矢先に竹千代が不意を突いてきた。


 「ところで信長様。あの桶狭間のいくさで大高城に兵糧入れに行ったときやけどな、信長様の砦の中からよもぎの匂いが漂っとった」


 俺はぎくりとした。竹千代は何を考えているかわからないようなところがあるが、見るところはしっかり見ている。俺が黙っていると、


 「昔、濃姫様に蓬を使った草餅を御馳走になった。小さい頃だっただけにあの蓬の香りはよく覚えとる」


 と言って、例の突き刺すような視線で俺を見つめてきた。沈黙が続く。しばらくして竹千代が口を開いた。


 「信長様を信じとる。だから何でも話す。大桶で作っとるのは、味噌だけやないな」


 俺は竹千代の洞察力に舌を巻いた。喧嘩は確実に勝てる相手とすべし。そうでなければ仲良くすべし。


 俺は新九郎さんから託された夢の欠片のことを竹千代に明かした。知多半島の砦で大桶を使った焔硝製造法の研究をしていることも話した。竹千代は岡崎の地で、俺といっしょに焔硝製造法の研究すると言ってくれた。もちろん、焔硝に関しては、たとえ家族でも口外しないと約束した。もし約束を違えたら、どちらかの死をもって償うことになるだろう。いやでも竹千代はそんなことをしない。なぜなら竹千代も本気でいくさの無い世の中を望んでいるのだから。


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― 新着の感想 ―
[一言] 信長と家康と藤吉郎。 光秀の謀反で道を違えましたが、織田家を支えなかった本作読むと信長没後の二人の本音が気になりますね。 史実でも尾張では味噌が作られていて、隣の三河でも八丁味噌が古くから…
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