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システマイザー・信長  作者: 武田正三郎
風に乗って
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甕の時代から桶の時代へ

 もともと知多半島では、酒を造っている。半島の南端に美浜塩田があるので、酒ばかりでなく味噌も造っている。年貢の代銭納化が進んでいるので、米や豆をそのまま売るより、保存ができて付加価値の高い酒や味噌へと加工した方が儲かるのだ。その連中は、常滑窯とこなめようの甕で酒や味噌を作っている。うわぐすりを使わず焼き締める常滑窯の甕は、安価で大型で丈夫だった。酒造りや味噌造りの蔵人に迎合した常滑窯は、実用的な容器として需要が高まり、猿投窯さなげよう渥美窯あつみように変わって突出して発展を遂げた。


 半島の付け根に鳴海城がある。親父が死んだ後に、今川方に裏切った山口なんとかの居城だった。山口なんとかは、酒蔵や味噌蔵の蔵人や常滑窯の窯人からなる座衆から税を集めていた。だから座の組織を使って商工業を管理する今川方になびいたのだ。その山口なんとかも座衆と折り合いが悪かったのか今川方に切腹させられ、今や鳴海城は今川直属の城だ。


 そのあたりの丘陵地帯に堺で大桶造りを学んだ面々が帰ってきた。


 重たい甕を担ぎ上げることができない丘陵地帯の杉を使って大桶を作り、それで酒や味噌を造り始めた。大桶と甕では生産性が段違いだ。当然価格破壊が起きる。打撃を受けるのは昔ながらの甕で酒や味噌を造っている蔵人だ。守旧派の蔵人は今川方の鳴海城に秩序を乱すと陳情した。堺の酒蔵の量産で打撃を受けた京都の酒蔵が室町幕府に陳情したのと同じだ。今川方には京の貴族が大勢食客として来ているから、きっと京の様子は伝わっていて、くるべきときが来たと思っていることだろう。加えて蔵人に甕を納めている常滑窯の窯人も今川方の大高城に陳情した。常滑窯の甕は、京にも移出されている。京と交易がある今川義元としては、何か手を打たなくてはならない局面だ。


 しかし既得権にしがみついているだけの奴は生き残れない。誰が何と言っても大桶の方が生産性がいい。もっとも甕で酒や味噌を造っている蔵人の座衆が、大桶での酒や味噌の製造に許可を出すはずがない。そこで無許可で大桶を使った製造を始めることになる。すると鳴海城や大高城から座衆が、取り締まりと称して、大桶を打ち壊しにやってくる。だから俺は鳴海城や大高城を囲むように砦を作り、丘陵地帯で大桶で酒や味噌を造る蔵人を庇護している。


 窯業を見限るつもりはない。しかし量産容器としての実用性で甕は明らかに桶より劣っている。釉を省いて見た目を犠牲にし、実用性を重視することで猿投窯や渥美窯に優位に立った常滑窯だが、それが裏目に出た。与四郎さんの茶室で見たような釉を効かせた洒落た茶碗であれば、少しは容器としての価値が残ったかもしれないが、釉を省いた常滑焼は見た目が野暮だ。むしろ安価で大型で丈夫な特徴を活かして常滑窯で瓦を焼くのがいい。尾張はまだ茅葺き屋根がほとんどだが、堺で見てきた通り、いずれは瓦葺き屋根が普及するだろう。すでに新しいいぶし瓦の技術開発に着手している若い焼き物職人がたくさんいる。要は焼き物は容器だけという固定概念を捨て、あらたな建材という市場を開拓すればいいだけのことだ。


 酒、味噌、焼き物などの移出をしている港の近くに熱田神社がある。熱田神社の若い神官は話がわかる奴だ。神官にその話をしたところ、伸び悩んでいた窯業にとって新しい瓦は新しい市場として期待できると言ってくれた。そこで、俺は、新しい瓦の試作品ができたら、奉納すると言った。ところが残念ながら神社の屋根は、千木ちぎだの鰹木かつおぎだので格を示さなくてはならないから、瓦葺きに出来ないと言う。瓦葺きの屋根はだめなので、代わりに瓦葺きの塀を建てて欲しいと言われた。屋根は神社社会の伝統につきあうとして、戦乱の防御設備としての塀を提案するあたり、若い神官は時代をよく読んでいる。俺は瓦葺きの塀を奉納することを約束して、熱田神社の協力をとりつけた。


 今川義元が俺を叩き潰しにくる計画があると知ったのは、それからほどなくだった。

 

 砦に包囲されて孤立した鳴海城と大高城が救援を今川方に求めたのだろう。いずれそのときがくると思っていたものの、二万五千の大軍と聞いて驚いた。正直血の気が引いた。夜逃げしようかとも思った。しかし考え直した。尾張の新興勢力を一掃しようという今川義元だ。逃げ出したところで草の根分けても俺を見つけ出して首を刎ねるに決まっている。じたばたしても無駄だ。


 親父の今際いまわきわの言葉を思い出した。


 (天が定めた順番に従って逝くだけのことや。いずれは、お前の順番も来る。その前にやるべきことを、やれ)


 天命は天のみぞ知る。生きるか死ぬかを憂えるよりも、最善を尽くすだけだ。


 今川義元も銭の流通についていけなくなった座の問題点を把握している。俺も今川義元も未来を明るくしたい点で一致している。ただそのやり方が違うだけだ。俺は座を見限ったが、今川義元は座を建て直そうとしている。俺の民衆主義か、今川義元の官僚主義か。俺の生きた証が未来に残るか、今川義元の生きた証が未来に残るか。桶か甕か。ふたつにひとつだ。


 季節は廻り、梅雨空が続いている。


 俺は民衆主義だ。熱田神社を中心に地域の協力を求め、できる限りの事前工作を推し進めている。家臣に頼るのではない。新しい技術、高い生産性、自由経済といった新しい時代に夢を抱く民衆とともに動く。砦に兵糧を次から次へと送り込んだ。むろん砦にあるのは甕ではなく桶だ。大容量の保管も流通の速さも、甕より桶の方が圧倒的に効率がいい。この物流の速さは、酒、味噌、漬物などにとどまらない。銭と人の流通も加速する。それは情報の速さと言っていい。寝返った家臣の何人かは、この情報に翻弄され、今川方の猜疑をうけて切腹した。俺はこの高速情報網を使って今川に対峙する。


 今川義元は官僚主義だ。今川義元が二万五千の大軍を動かすのに、指示系統に階層構造を採用している。今川義元が十数人の寄親よりおやを直接指揮し、その寄親に数十人の寄子よりこを指揮させ、さらに寄子に数十人の寄孫を指揮させる。こういう大きな組織の弱点は、上司の許可をとるのに時間がかかることだ。現場がトップの承認を取るまで遅れが出る。祐筆が手紙を写すのには時間がかかる。間違いがないように念入りに確かめれば、ますます遅れが大きくなる。遅さが弱点だ。


 その今川方の弱点の遅さを突く。高速情報網と俊敏さで迎え撃つ。


 現場には可能な限り、裁量権を与える。勝つためなら何をしても良い。いちいち俺の許可はとらせない。誰が言ったかではなく、何が正しいか。俺の言うことを聞くのではなく、現場で自分が正しい判断を下せる者が指揮官だ。


 この方法が効果的であることを、俺はガキの頃の鷹狩を通して実感している。組織が大きくなって形式や手続きにこだわるようになると俊敏さを欠くようになり、獲物を取り逃がしてしまうのだ。


 今川義元を獲物と思え。要は鷹狩りだ。


 鬱陶しい蒸し暑い晩。ついに今川方の二万五千の大軍が、三河に入ったと言う情報が入った。くるべきときが来た。


 清州城の堀の周りに気の早い蛍がすうっと飛んでいくのが見えた。もうそんな季節か。黄緑色の淡い光に濃姫を思い出した。濃姫、どこかで生きているなら、俺を応援してくれ。


 ずっと議論してきたはずなのに古参の家臣たちは未だに籠城か出撃かで揉めている。この期に及んで評定しているこの連中は信用できない。俺の首を今川義元に差し出して自分の身の安全を図ろうとするかもしれない。必要なのは、組織に頼る奴ではなく、自己の裁量で行動できる奴だ。


 俺はその家臣たちに声をかけた。


 「もう夜も更けた。皆帰れ」


 どれぐらいまどろんでいたのだろうか。今川軍が沓掛城から大高城へ移動しはじめたとの報告で目が覚めた。沓掛城と大高城は、知多半島の付け根の東西に位置する常滑窯の移出基地で、窯人の座衆が全面的に今川方を支持している。甕は重いので移出には船と港が必要だ。味噌造りに必要な塩は、沓掛城と大高城の向こうの美浜塩田にある。沓掛城と大高城のあいだにある丸根砦を守らねば、大桶での味噌造りができなくなる。それは同時に大桶での焔硝造りができなくなることであり、俺に託された新九郎さんの夢がついえることでもある。新九郎さんの夢は、俺の夢でもあり、民衆の夢でもある。何とか叶えたい。


 刻々と情報が入る。酒蔵の鳴海城と常滑窯の大高城の攻撃から丘陵地帯を守る鷲津砦が攻撃を受けたとの報告が入った。その時が来た。


 まだ星がまたたいているが、東の空は白んでいる。


 懐から包みを取り出した。新九郎さんからもらった「サンスケ入るを許す」と書きつけた美濃紙と、小指の先ほどの大きさのきらきらと輝く透明な欠片かけらが入っていた。それを再び、大切に懐にしまいこんだ。大きく息を吸い込んだ。頭を振って眠気を振り払った。いつもの小袖と、半袴を身に着けた。肌の露出を避けるため、腕と足には布を巻き、腰のまわりに七つ道具。庄内川を越えねばならない。最初はなから甲冑など身に着けては動きが鈍る。


 敦盛を舞った。秘密の分散出陣の合図だ。密かに砦に伝令が走った。立ったまま湯漬けを食った。単騎、城を飛び出した。馬を飛ばすと早朝の風は冷たくて心地よい。


 熱田神社。集まったのはざっと千名か。頃合いを見計らう。昇ってきた朝日が眩しい。暑くなりそうだ。


 熱田神社の神官が預けた俺の甲冑を着て戦勝祈願している。


 「白鷺が二羽飛び立った、瑞兆じゃ、瑞兆じゃあ」


 神官だけうまいことを言うものだ。敵を欺くにはまず味方から。神官が祈願している間に、こっそりと熱田神社を抜け出す。目的地は善照寺砦だ。


 善照寺砦で頃合いを見計らう。あたりの木々が風に揺らぐ。黒雲が湧き出て急にあたりが暗くなる。一雨来そうだ。


 既に今川の大軍の移動が始まっている。砦の攻撃に一万。後方の守りに一万。本陣に五千。行軍の横っ腹から本陣を突きたい。今川軍の注意を逸らしたい。


 今川義元は鉄砲をよく知っている。知っているだけに鉄砲の銃声を聞けば、警戒するはずだ。幸い木々に隠れて銃身は見えない。音だけで攪乱できる。むしろ音だけでいいなら、銃を持たせない方が動きが俊敏になる。音だけなら火薬だけあればいい。目立つようにのぼりを担ぎ、竹筒に火薬を詰めた爆竹を持った連中が申し出た。


 「俺たち、囮になるら」


 「その恰好でか?」


 武具も甲冑もない姿に驚いた。たしかにその分俊敏な動きはできるだろう。


 「信長様は、自分の判断で行動せいって言ってくれた。許可も要らん言うてくれた」


 俺は何も言えずに相手を見やった。


 「俺たち、信長様と会えて良かったと思っている。信長様といっしょに夢を見ることができた。運があったらまたいっしょに……」


 熱いものが込み上げる。もう言葉は要らない。黙って頷き、きびすを返す。囮が今川軍の注意を逸らすため、丸根砦に向かった。


 派手な爆竹の音を後ろに聞きながら、川に沿って善照寺砦から中島砦に移動する。中州にある中島砦は木材を運ぶ拠点だ。もう今川軍の大軍は目と鼻の先だ。じっと待つ。川はすでに増水している。やはりぽつぽつと雨が降り始めた。そのうち雷鳴が轟き、あっというまに本降りになった。


 雨とともに頭上からボタリと何かが落ちてきた。どんぐりかなと思ったが、くっついて落ちてこない。何気なく手で払おうとすると冷たい何かが手に触れる。見れば海鼠なまこのように目も口もない不気味な生き物が指の先にぶらさがった。濁った黒い滑らかな肌に茶褐色の縞をもった生き物。これは山蛭やまびるだ。山で遭遇して山蛭ほど気持ちの悪い生き物はいない。人の気配を察して集まっていた山蛭が、雨の勢いでぼたぼたと大量に落ちてきた。


 そのときだった。


 今川義元が開けたところで酒宴をはっているという報告が来た。今川義元のほどの男が戦いの最中に酒宴をはるような油断をするだろうか。不審に思ったものの、機会は今しかない。俺は突撃の号令をかけた。


 今川義元の本陣に突入すると、兵たちはみな血だらけになり、大混乱に陥っていた。しかも酒臭い。


 大混乱の原因はすぐにわかった。山蛭だ。今川義元を守っていた兵は、雨とともに木々から大量に落ちてきた山蛭に吸い付かれて大混乱に陥ったのだ。それで木のない開けたところに逃げ出したというわけだ。


 山蛭は人の血を吸うとき、血が固まらないようにする。無理に剥がそうとしても、伸びるだけで力で剥がすことはできない。吸いつかれた山蛭を剥がすには酒をかけるのが一番いい。今川義元は山蛭を払い落すのに酒が効くことをちゃんと知っていた。だから家臣たちに酒を配った。それが酒臭さの原因だ。ただ残念なことに、指示待ちの家臣たちは、その酒で山蛭を剥がすことを知らなかった。酒は飲んで酔っ払うためだけにあると思い込んでいた。鎧の隙間にあの気味悪い山蛭が吸いついいては、士気が高まろうはずがない。


 俺の兵は、腰に酒の入った瓢箪をぶら下げている。飲むためではない。傷を消毒したり、山蛭を払ったりするためだ。しかも全員腕と足に布をしっかり巻いているので、山蛭が肌にとりつくことはできない。さらに山蛭は人の気配を感じて集まるから、ゆっくりと大軍で移動する今川軍に集まりやすく、俊敏に動く俺たちには集まりにくい。


 天は我に味方した。大混乱の今川の本陣の中から、今川義元の輿を探して、打ち取ったという報告を受けるまで、さほど時間はかからなかった。指示系統に階層構造を採用していた今川軍は、総大将を失い、散り散りになって退散した。


 勝敗は決した。いつの間にか雨は止み、雫が滴る木立から靄が立ち上っている。俺は、首検分の終わった今川義元の首桶に合掌すると、今川義元がさしていた刀を大切にしまいこんだ。今川義元の生きた証は俺が引き継ぐ。甕の時代が終わり、桶の時代がやってくる。


 陽射しが戻ってきた。どこかで今年はじめての蝉が鳴いている。空を見上げた。雲の隙間から覗く青空は、暑い夏の訪れを感じさせた。あたりいっぱいに雨上がりの爽やかな風が吹いている。


 さあ、この風に乗って、民衆とともに夢を叶える旅に出発だ。

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