生きた証
頭上には明るい青空が広がっている。でも風は突き刺すように冷たい。
与四郎さんに紹介してもらった酒造りをしているという納屋衆のところへ向かっている。
昔は京都の寺で作られていた酒が、今は堺で安く量産されていると言う。酒造りで収入を得ていた京都の寺が経済的打撃を受けたため、そのことを室町幕府に陳情しているらしい。酒に限らず、安く良いものを提供すれば、生産者も顧客もお互い幸せになれる。なのに寺は寺という組織の維持とそのための収入を優先し、顧客をないがしろにしている。そもそも寺は学問のための組織ではないのか。昔、新九郎さんと訪れた延暦寺のふもとの酒色に溺れた生臭坊主だらけだった雄琴のことを思い出す。学問をしない寺は百害あって一利なしだ。いずれ破壊せねばなるまい。
堺の街は堀に囲まれている。街並みを離れ、堀を構成している土居川を渡ると、建物がなくなり急に視界が開けた。枯草色に見えるところは葦原だろうか。遠くに生駒山が連なっているのが見える。なんとなく名古屋から飛騨の山々を眺めたときの景色に似ている。生駒山の向こうには奈良があり、昔の大和朝廷があった。奈良盆地に降った雨は生駒山の南の切れ目から、大和川となって大阪湾に注ぐ。広く続く地平のはるか向こうに木立があって、そこがその大和川であることが見てとれた。この地形では、大和川の治水にもだいぶ苦労をしているこことだろう。そう言えば、親父も洪水のたびに揉め事を収めに奔走していたっけ。堺の街の堀は、要害としての役割だけでなく、洪水のときに水を街から海に逃がす水の迂回路のような役割を担っているのかもしれない。
生駒山に降った雨水は伏流水となって、腐葉土で濾過され、ところどころに泉となって湧き出ている。田んぼを作るのに泉の在処と水の分配は大切な祭りごとだ。改めて平野を眺めると、こんもりとした森が点在している。はるか昔の豪族たちの古墳だ。湧き水を管理した者が、そのあたり一帯の支配を担い、豪族となって建てた墓だろう。このあたりを和泉と呼びならわしている由来がわかった気がする。
それにしてもこの生駒山から続く平野に肥料を施すには、刈敷というわけにはいくまい。刈敷山になりそうな山はなく、刈敷があっというまに枯渇するのは目に見えている。刈敷のかわりになる肥料としては魚粉だろう。幸い海が近い。与四郎さんが漁師から処分に困った魚を買い上げ、魚粉にして肥料として売っていた訳がわかった。田んぼをやっている方も魚粉を買うのに銭が要る。銭を得るのに米より、付加価値の高い酒にする。市場競争力を持たせるため市場価格を低く抑えて利ざやを確保するには、量産体制の確立が必要だ。それで大桶という答えにたどり着いたのだ。
案内されて点在している森のひとつの中にある神社に入った。神社の裏手が酒蔵になっていると言う。
暗い酒蔵に入ると、甘い香りが鼻についた。広い建物には見事な大桶がずらりと並んでいた。
堺で作られていた大桶がこれほどの大きさであることに驚いた。やはり現場に来て、現物を見ることが、唯一の現実を知る方法だ。現実は嘘をつかない。見上げる桶の高さは人の背の高さを優に超える。これで何十石の酒が造れるのだろうか。桶の周りの壁には、吉野杉から切り出した板や、割った竹で編んだ箍などの資材が立てかけてあり、床には用途にあわせたさまざまな鉋がおいてある。堺は古墳時代から刃物の伝統技術がある。ひとつひとつ形に工夫を凝らした刃物の種類の多さにも驚いた。
ちょうど大桶が出来上がるところだと言うので、そちらの現場に足を運んだ。
ドォーン………………。
耳をつんざくばかりの大音響が腹を揺さぶる。
「やーそれやん、さー」
掛け声に抑揚をつけて、大桶の縁に立った二人が「さー」の呼吸で、胴突と呼ばれる大きな角材を振り下ろす。
「おー!」
ドォーン………………。
底板はめ込みの現場は、木の性質を知り尽くした職人が絶妙な技で組み上げた桶の最後の仕上げだ。
「……さー」
ドォーン………………。
漏れの無い位置に正しく収まっているかどうかは、頭領が打撃音を耳で聞き分けるという。その頭領が静かに頷いた。
大桶が完成した。
連れてきた家来には農家の三男坊や四男坊が混じっている。目を輝かせて見入っている。武家か農家かそんなことはどうでもいい。家格や肩書が何の役に立つと言うのだ。そんなものは人間の能力を自分の責任で見抜けない腰抜けの言い訳にしかならない。目をきらきらさせて大桶製造に見入っている奴こそ見どころがある。こいつらはここにしばらく留め置いて桶づくりの技術を学ばせてやろう。
酒蔵の片隅にいくつかの大桶と甕が転がっていた。
大桶は何度か仕込むと、丁寧に手入れしていても小さな穴があいて酒から酒精が逃げ出してしまい、生産効率が下がるのだという。だから酒造りの大桶は新桶でなくてはならず、定期的に新桶を作っている。そのために鉋をはじめとするたくさんの道具が常備されていたのだ。使い終わった大桶はどうするのか聞いてみた。味噌屋、漬物屋、染物屋などに安く売るのだと言う。味噌や漬物には古い桶から逃げ出す何かが含まれていないと思われる。
この甕はどうしたのだと聞いたら、大桶の技術が導入される前に甕で酒を造っていたときのものだという。甕の表に何やら紋様がついていた。昔鉱山に入ったときの紋様を思い出した。この紋様は備前の窯元の銘だと言う。酒造りも甕の時代が終わり、大桶で量産する時代になっている。物流が大きく変わり、価格破壊が起ころうとしている。うかうかとしている場合ではない。時流に取り残されたら生き残れない。
尾張に帰る途中、再び京の都で宿を取った。
京の夜の街の店の軒先には灯りが掲げられている。その灯りのひとつに近づくと中の火を包む紙の繊維が煌めいている。上質な美濃紙だ。灯り職人は闇市で仕入れているのだろうか。もはや京の紙座は実質的な機能を失っている。
京の紙がすたれて美濃の紙になった。紙の生産も新しい時代になっている。
この京の都の灯は、新九郎さんの生きた証と言っていい。新九郎さんは亡くなった。しかし、新九郎さんが点けたこの灯りは消えることはない。新九郎さんは、この世から去ったが、新九郎さんは、京の町を明るくした。俺は生きた証として何を残せるだろうか。
座は組織が大きくなりすぎた。そのしがらみから動きが遅く無駄が多い。時代の流れについてゆけない。組織のために生まれた組織などないのに、いつのまにか組織を構成する人は本来の目的を見失い、組織の維持が目的だと勘違いする。だから新九郎さんは座を見捨てて、楽市楽座をぶち上げた。
人は死ぬ。
しかし死後の世界は確実に存在している。人が死んで死後の世界に行くのではない。死後の世界は生きている間に自分で作るものだ。その死後の世界は、自分が生きている世界とつながっている。いつ死ぬかわからない以上、生きているぎりぎりまで世界を良くする努力をせねばならない。
俺も新九郎さんにあやかってもっと世の中を明るくしたい。俺の死後の世界は、俺が生きている世界より明るい世界だ。それが俺が生きた証となる。
提灯を銭で買った。燃料はえごま油でも菜種油でもなく、蝋燭だ。蝋燭は固体だから揺らしてもこぼれることはない。新九郎さんと昔きたときはたいまつだった。えごま油を商っていた新九郎さんの実家はどうなったのだろう。時代は激しく動いている。
それにしてもこの折り畳み式の提灯はとても便利だ。尾張に戻ったら、提灯を量産してやろう。そう思って町の灯りをあとにした。




