藁灰の温もり
人を殺すのに武器は要らない。生きる望みを失えば人は自ら命を絶つ。
冬の夜空に雪が舞い散る中、俺の仮病の見舞いにきた弟の勘十郎信行は、清州城の楼閣から薄氷が張った堀に身を投げて死んだ。
正しいことは厳しい。言い返せないからだ。逆らいようがない。勘十郎は俺に逆らうことはできなかった。
勘十郎は品行方正で頭脳明晰だった。楽市楽座のことをよくわかっていた。楽市楽座で、諸国から有能な人材をかき集めて登用しないと尾張全体がじり貧になる。そこをわからないのは、時代の流れについてゆけない頭の固い年寄りどもと、既得権益にしがみつく上役と、それにへつらう腰抜けどもだ。それら守旧派を排除せねば楽市楽座は実現できない。勘十郎は直面する現実を解決する糸口が楽市楽座であることをわかりすぎるほどわかっていた。しかし勘十郎は、その守旧派に担がれて縛られて身動きできなくなっていた。
俺は、勘十郎に名古屋の守旧派に送る書状に署名するよう迫った。勘十郎は、正論と守旧派との板挟みになって逃げ場がなくなった。署名しなければ帰れない。名古屋に帰って、その署名が露見したら、守旧派に責めあげられるのは間違いない。下手をすれば殺されかねない。勘十郎は俺に逆らうことができなかったし、守旧派にも逆らうことができなかった。勘十郎は懊悩の末、生きる望みを失い自らの命を絶ったのだ。結局のところ勘十郎は守旧派に殺されたようなものだ。勘十郎は気の毒だが、定めと割り切るほかはない。
名古屋には俺が勘十郎を惨殺したと噂を流した。そうすれば、守旧派は俺を何をしでかすかわからない恐ろしい奴だと思い込むだろう。君主は愛されるより恐れられる方がいい。頭の固い守旧派は現実を確かめない。噂を鵜呑みにしてその足りない頭だけで考える。そして誰かに言いつけるだけで仕事をしていると勘違いし、物事が進まないとなるとすぐに悪者探しに終始する。案の定、守旧派は残酷な俺の噂を聞いて混乱し、お互いに責任をなすりつけあい、向心力を失った。
残酷な君主を演じていると人の心が離れていくのが感じられて寂しい。孤独との闘いだ。孤独に苛まれると濃姫を思い出す。濃姫は新九郎さんの娘だけあって、そのあたりの機微に敏感だった。何も言わず俺の頭を膝枕に乗せて察してくれたものだった。その濃姫は行方知れずだ。そのことが孤独を一層強く感じさせた。
俺は板の間にごろりと寝転がった。濃姫の膝枕と違って板は硬く、頭を動かすとごろごろとぶつかって痛かった。頭を座りのいいところに収めて、天井を睨んで思案した。
人を活かすには武器が必要だ。強力な武器は抑止力となり、無駄な争いを無くし、秩序を守る。だから圧倒的な強さが欲しい。強さのない正義は、偽善でしかない。
せっかく準備した鉄砲五百艇はまだ活用されていなかった。鉄砲を撃つには極めて高価な火薬が必要だったからだ。鉄砲五百艇の用途は、隊列を作って威厳を示すとか、そうでなければならず者を取り締まるのにたまに威嚇射撃するのに留まっていた。
鉄砲五百艇を実戦で使えるような強力な武器に仕立てるには火薬が大量に必要だ。火薬は木炭と硫黄、焔硝から作る。このうちもっとも厄介なのが焔硝だ。新九郎さんの形見となってしまった「サンスケ入るを許す」と書いた紙きれを取り出した。そしていっしょに大切にしまい込んである水晶にも似た六角柱のその欠片を取り出してしげしげと眺めた。こんな大きな焔硝の結晶をどうやって作ったのか。甲賀では厠の縁の下で焔硝ができるのが知られていた。厠近くでできるので小便塩とも呼ばれていた。新九郎さんの指南書には、甲賀とは全く違った新しい焔硝の作り方について書いてあった。絶対に他人に知られてはならない秘密だ。まず桶を作って、そこに焔硝を作る目に見えない生き物を棲まわせることをせねばならない。
瀬戸から多治見に連なる山と、知多半島の狭間にある丘陵地帯にある杉を使い、焔硝を作るのに適した大きな桶の試作が進んでいる。そこは遠国から呼び集めた桶職人で賑わっていて、いつしか桶狭間と呼ばれるようになった。新九郎さんの指南書には、桶の中に焔硝を作る目に見えない生き物が棲みつくまで数年を要する、とある。まだ研究は始まったばかりだ。気長に辛抱強く待つしかない。もちろん桶職人に焔硝のことは知らされていない。兵糧のための味噌を大量に作る桶の開発ということになっている。
俺は桶の試作状況を視察するため何度も清州城と桶狭間を往復している。今日もこれから桶狭間に向かう予定だ。そろそろ供の者が呼びに来るころだと思っていたら、果たして誰かが廊下を歩いている足音がした。俺はがばっと起き上がると、僅かな供を連れて桶狭間に向かった。
桶の試作は底板の嵌め込みに苦戦しているようだった。具体的な対策を調べる必要がありそうだ。桶の試作の状況を視察した後、今度は焔硝の原料となる藁灰の調達のため小牧の方へと足をのばした。
灰は蕨の灰汁抜きに使えるばかりでなく、美濃紙の仕上げにも使うし、絹の光沢を与えるのにも使う。焼き物の釉にも使うし、田畑の肥しにもなる。親父も鉱山で銀を取り出す灰吹き法の新配合で灰の工夫をしていた。新九郎さんによる焔硝の製造では、その最終工程で灰が大量に必要になる。あとで十分な量の灰が調達できないではシャレにならない。猿が根回して待っているはずだ。もちろん藁灰の用途は秘密だ。春日井の絹織物を増産するためということになっている。
蜂須賀小六という男がいる。猿の親分筋の男だ。その男が生駒家に渡りをつけてくれたそうだ。生駒家は藁灰を売って生計をたてている。新九郎さんとの再会のときに準備したド派手な衣装も、生駒家の藁灰を使った灰汁媒染で仕上げたものだった。猿はその生駒家に居候している。蜂須賀小六は、生駒家の藁灰だけでなく、かつて京都の新九郎さんの実家に油を卸したりしていた。昔、新九郎さんと上方見物に行ったときの荷駄隊にも蜂須賀小六傘下の川並衆が大勢いた。
その生駒屋敷に向かう途中、かつて濃姫と訪れた田縣神社の近くを通りがかった。濃姫と連れ立って歩いてたときは、桃の花が満開だった。今は、どんよりと曇った空の下、うっすらと雪の積もった野原に、ところどころ葉を落とした枯れ木が突き出している。冬は人影もなく静かでいっそう寂しさがつのる。時折、真っ赤なななかまどの実を啄む鵯の鋭い鳴き声が響いて寒さがいや増した。
「吉法師やないか!」
突然、俺の幼名を呼び捨てにするの声に驚くと、屋敷林の端に干し柿が入ったかごを手に持った女がひとり立っていた。
女の名は吉乃と言った。俺がガキだったころ、社会勉強になるからと平手先生に連れられて生駒屋敷に来ていたころの幼馴染だった。あれから十年も経っただろうか。俺は吉乃に招き入れられるままに、屋敷に入った。
屋敷の中の板の間には、火鉢があった。赤く熾った炭が僅かに藁灰から顔を出していた。手あぶりをすると、炭よりむしろ藁灰の方が柔らかな温かみを感じた。供の者は気を利かしたのかいつのまにかいなくなっていた。猿に言われたのかもしれない。
吉乃は干し柿をかごから取り出しながら、その後の身の上を語った。一度嫁に行ったものの戦で夫を亡くし、今は独り身だと言う。俺の方も濃姫が行方不明で、しかも勘十郎があんなことになったばかりだから、お互いの寂しさが手に取るように共感できた。
話をしながら、吉乃は白湯をふるまってくれた。それを飲もうと椀を持ち上げたら、手がかじかんでいたせいか、うっかりこぼしてしまった。はいていた半袴が濡れた。
「なんや、世話焼けるな。はよ脱ぎ!」
俺は吉乃のされるがままに脱がされて褌一点となった。吉乃は手際よく軒に濡れた半袴を広げて干すと、こちらを振り返って
「ぜんぜん変わっとらんな、吉法師」
と、にかっと笑った。残酷な君主を演じるのに少々疲れていただけに、そのあけすけな物言いと屈託のない笑顔に、心の凝りがほぐれるのを感じた。俺の中で吉乃が幼馴染から何か別のものに変わった。
裸で寒さに首を縮めていると、
「寒いやら?」
と、吉乃は俺を布切れでくるみ、正面から両手で抱きこむように背中を撫でつけた。俺の体が自然と吉乃の体に預けられた。搗きたての餅のような吉乃の体から、その温もりが直に俺に伝わってきた。童の時分に乳母に抱かれていたことを思い出した。安らかで穏やかで懐かしい感覚。何だか濃姫に申し訳ない気がしたが、その思いとはうらはらに俺は吉乃に蕩ろかされた。俺はそのままうっとりと静かに目を閉じた。




