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システマイザー・信長  作者: 武田正三郎
風を捉えて
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痛恨の極み

 親父が死んでからというもの、目が回る程忙しい。やれ土地の境界がわからなくなったの、やれ年貢の計算が間違っているのと、それはもう次から次へと困りごとを陳情しにやって来る。親父は病床にありながら、よくもこれだけの仕事をこなしたものだ。平手先生も天手古舞てんてこまいだ。


 仕事が一段落して、居間でごろりと寝転んでいると、廊下を足音を立てて家臣が飛び込んできた。山口なんとかが、助けてほしいと陳情していると言う。親父が死んだことを聞きつけた今川方が楽市楽座をやめるよう兵を連れて強談判こわだんぱんに及んでいるらしい。億劫がる自分に活を入れて起き上がると、墨をって、各方面に兵を出してくれるよう書をしたため、使いを出した。


 ほどなくすると使いが帰ってきた。皆なんやかやと理由をつけて兵を出し渋っている。親父の位牌に抹香を投げつけたのが良くなかったのだろうか。俺は俺なりに、これからの新しい世の中を体現したつもりだ。しかし、家中の者には、俺の真意はなかなか伝わらないようだ。俺より弟の勘十郎につきたいと考えている連中が増えている始末だ。平手先生が、とりなしてくれたので、ようやく兵を集めることができた。専従の兵がもっと欲しい。


 兵が八百ほど集まったところで名古屋城を出発した。中根村を駆け抜け小鳴海に移動した。五月晴れだ。新緑の丘陵地帯を通るときに聞こえる時鳥ほととぎすの鳴き声は、具足で身を固めた隊列の緊張感に馴染まず、なんとなく間が抜けている。ようやく山口の領地へ辿り着いて、三の山へ登ってみたら、東の方に見える赤塚の里は、なんとすでに今川の軍勢で包囲されていた。近寄ってみると今川方の兵がさかんに野次ってくる。


「やーいやい。うつけの手下、ご愁傷」

「たわけと、いっしょに、城帰れ」

「おおうつけっ。おおうつけっ。親父の位牌に灰投げた」

「おおうつけっ。おおうつけっ。おおうつけったら、おおうつけ」


 うつけの大合唱だ。俺は何とも思っていないのだが、兵がいきりたちはじめた。挑発にのったこちらの兵が弓矢の射程に突っ込んで行ってしまった。いかん。矢を射かけられた。射貫かれて倒れた兵を助けに、また兵が突っ込んで行く。乱戦状態である。まったく統制が取れない。その今川勢の背後には、見覚えのある山口の家来衆がいて、拝む真似をしている。今川方につくことにしたという合図だろう。こうなっては仕方ない。昼を過ぎて今川勢がいったん引き上げ、休戦状態になった。その隙に、敵陣に逃げ込んだ馬をお互いに返し合い、生け捕りになった捕虜同士を交換した。そして、さっさと名古屋に引き上げた。


 へとへとになって帰城した。息をつく間もなく、主力商品である瀬戸物にクレームがついたと陳情があった。言うまでもなく瀬戸物は親父の開発した尾張の資金源だ。これにクレームとは穏やかではない。原因を聞いてみると掘り出している粘土の質が下がっているという。平手先生に兵の報償の配分を任せ、俺は僅かな供を連れ、瀬戸の粘土の採掘現場に急行することにした。


 粘土の鉱山は瀬戸の里から離れた山奥にある。年老いた焼き物職人がにこりともせずにふんどしひとつで待っていた。その顔にたくわえられた白い顎鬚あごひげと刻まれた深いしわがその男の年季を雄弁に物語っている。俺は鉱山に入るのは始めてだ。やぶが凄い。その職人の後について藪をこぐ。茂みをかき分け、崖をよじ上ると、岩肌にぽっかりと穴が開いている。下は吸い込まれるような絶壁だ。からからと足許から石のかけらが崖下の谷川に落ちてゆく。うっかり足を滑らせたら大変だ。かごに入れた小鳥を連れて穴に入る。毒ガスがあると小鳥が先に死ぬのだそうだ。穴の中は、真っ暗で狭い。人一人がやっと通れるぐらいの穴だ。前を進む職人はすいすいと奥へと進んでゆく。ほのかな灯りを頼りにあたりを見ると、穴にめぐらされたはりは地圧でぐんにゃりと曲がっている。暑い。汗が滝のように流れる。梯子はしごを降りる。栄螺さざえの殻に灯した明かりを近づけると、穴の分かれ道に道しるべとなる埴輪はにわがおいてある。


 埴輪にはひとつひとつに意味があって、それを並べることで文章を作る。紙や文字が無かった時代から続く焼き物職人の伝承法だ。生きてゆくのに欠かせない米の煮炊きは、土器があって始めてできる。稲作が始まった頃の焼き物職人は、よほど貴重な人材であったに違いない。目の前で案内してくれている年老いた焼き物職人の頭領は、この並んだ埴輪の文章が読める数少ない職人らしい。焼き物の技のすべてが書かれた教科書も埴輪の並びで伝承されたそうだ。名人と呼ばれた職人の中には、遺言を埴輪でしたためて自分の墓に並べた者もいたらしい。


 それにしても、まるでアリの巣だ。とにかく狭い。また分かれ道。揺れる炎の灯りが心もとない。突然、明かりがふっと消えた。鼻をつままれてもわからない程のまっ暗闇だ。心細いことこの上ない。突然背中に雫がぽたりと落ちてくる。心臓が口から飛び出るかと思う。職人が手探りで再び明かりに火をともす。梯子を昇ったり降りたりしながら分かれ道を何度も坑道を奥へ奥へと入っていく。土地勘は悪くない方だと思っていたが、こんなところで置き去りにされたら、とてもではないが出口に戻れそうにない。


 ようやく切羽きりはに辿り着いた。掘ったばかりの壁に顔を近づけると、クレームの原因はすぐにわかった。要は粘土を掘りつくしたのである。それで粘土以外のものまでいっしょに採掘するので、粘土に余計なものが入る。そのまま瀬戸物を焼いていたので、それらの異物が起点となって焼き上げる途中で割れたりしていたのだ。別な採掘場を探すか、粘土から異物を取り除くしかない。親父ならどこから手をつけただろう。生きていたなら聞いてみたいが、もはやそれは叶わない。どうしたものかと考えあぐねながら、切羽を後にした。

 

 暑さで汗をぐっしょりかき、ぐったりして穴から出てくると、家臣がおろおろしながら待っていた。


 濃姫が流産したというのだ。身ごもっていたのか。悪いことは重なるものだ。よりによってこんなときに流産しなくてもいいのに。親父のことやらなんやらで、ストレスがたまっていたのかもしれない。忙しさにかまけて濃姫を顧みなかったことが悔やまれる。心配だ。一休みしたい体に鞭打って名古屋に急ぎ帰ることにする。近くにいい馬がいた。平手先生の息子さんの顔がちらりと見えた。目くばせをして寸借し、名古屋にとって返した。


 屋敷に戻ると濃姫が臥せっていた。まずは濃姫に大事なかったことにほっと胸を撫でおろした。俺に気づいて起き上がろうとする濃姫を優しく手で制した。


「そのままでいい」


 と俺が言うと、濃姫はいかにも申し訳なさそうに


「ごめんなさい」


 と言った。


 責めるわけがないではないか。なんと言って慰めていいのかわからない。置き捨てられた子犬のような目をして俺を見つめる濃姫に、正面から手を差し伸べて首筋のおくれ毛を撫でてやった。しばらくそのままそばにいてやりたいのだが、粘土の採掘場を放り出して名古屋に帰ってきてしまったので、そうもいかない。もういちど現場にとんぼ返りだ。濃姫に言い訳しながら、あらためて腰に七つ道具をぶらさげようとする。


 おや?


 無い。


 腰につけた茶壷がひとつ無い。職人の名前や居所などを書かれた名簿が入った一番大事な茶壷が無い。


 顔から血の気が引いてゆくのがわかる。そのあたりに置き忘れただけではないかと慌ててあたりを見回す。濃姫の枕元に脱ぎ捨てた上着が乱雑に散らかっているだけだ。どこかで落としたのか?


 これが、真っ暗な穴の中で落としてそのまま埋もれているのなら、大きな問題はない。写しは、居間の茶壷の中にもあるからだ。問題は、落とした茶壷を誰かが拾うことだ。そうなったら個人情報流失である。もし、それが敵方の手に渡ってしまったら、とんでもないことになる。濃姫が何か言っているようだが、茶壷が気になって上の空だ。再び粘土の採掘場に向かった。


 採掘場の穴の入り口まで、通った道を丹念に探したが、やはり茶壷は無かった。だいじょうぶ。きっとあの真っ暗な穴の中だ。あそこに落とした茶壷が見つかるわけがない。まして敵方に渡ることはまずなかろう。不安を払拭するために自分にそう言い聞かせた。気もそぞろに現場を去った。


 何事もなく季節が巡って夏になり、暑い季節が過ぎ去った。濃姫の体力も回復し、粘土のクレームもなんとか解決し、無くした茶壷のことも忘れかけて、秋が深まってきたある日のことである。


 平手先生と打ち合わせしている最中に、美濃の舅殿から密使が来た。坂祝さかほぎの鋳物工場の警護の者が殺されて、職人が根こそぎかっさらわれたというのだ。


 背中に冷たいものがつうっと走った。忘れようと記憶の奥底に封印していた無くした茶壷のことが、無理やり引きずり出されて、ありありと浮かんできた。坂祝さかほぎの鋳物工場の場所や職人の名前は秘中の秘だ。職人が根こそぎかっさらわれたとなれば、個人情報が流失した可能性が高い。もはや無くした茶壷のことを平手先生に隠しておくわけにはいかない。いつも口やかましく身なりのことを説教たれるのを、うざい年寄りだと生意気に反発して、あの格好をしてきただけに、これほど言い出しにくいことはない。素行を改めて身なりをしっかりしておけば、茶壷を無くさなかったかもしれないと悔やまれる。


 平手先生が怪訝そうな顔をして俺を見ている。長く重苦しい沈黙が続く。


「平手先生、俺、言わなきゃならんことがあるんや」


 意を決してやっとの思いで口を開いた。


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