表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
システマイザー・信長  作者: 武田正三郎
風を捉えて
22/47

青緑色の炎

 どうしたら天下統一を為し得るか。


 竹千代と別れてから、俺なりにひたすらそれを考えた。


 国境は共有地だから、必ず奪い合いが起こる。では、なぜ国境ができるのか。


 もし天に駆け上って大地を見下ろすことができたら、きっと大地は緑に覆われているだけで、国境なんか見えるはずがない。国境は、所詮人が作った縄張りだ。人の農業の営みによってその縄張りの広さが食べものの豊かさになった。人は、着るもの、食べもの、住むところがなければ生きてゆけない。人の生活が狩猟生活から農耕生活なることで、食べものを安定して手に入るようになった。しかし、安定と言っても、天候によっては豊作もあれば、不作もある。実のところ農地があるということで、得体の知れない安心感を持っているだけだ。


 余剰な米は蓄えもできる。この蓄えもまた得体の知れない安心感を与えてくれる。明日に戦で死ぬかもしれないのに、蓄えがあることで人は安心感を手に入れる。米にその根底をおいている以上、蓄えがある安心感は、耕すべき農地がある安心感にすり替わり、この農地の独占権を安堵されることで、安心感を手に入れる。この農地の独占権を警察権をもって統治し、余剰な米を年貢として集めて食っているのが武家だ。


 米は蓄えになるがゆえに、物々交換の媒介としても機能する。しかし、ここに来て米と交換するものは、肉や魚ばかりでなくなった。農地を基礎におく米を物々交換の媒介とすることで様々な揉め事が起こった。揉め事を収めるために、米に代わってもっと信用のおける何かが必要になったのだ。そこで親父が辿り着いた結論は、米のかわりに銭を使うことだった。


 親父は、病床から身を起こし、なぜ美濃の齋藤氏と和睦し、駿河の今川氏と敵対することになったかも話してくれた。


 明との交易が盛んになり、永楽銭が大量に流入し、貨幣経済がはじまったこと。貨幣で年貢を納める代銭納が普及し、室町幕府が時代の流れについて行けず困窮したこと。徳政令が困窮した公家や守護職を救済するための単なる借金踏み倒しになり下がったこと。などなど。


 そして川の氾濫などで安定した収穫を見込めない尾張の内地の人々が、代銭納をするために瀬戸焼や常滑焼などの焼き物を開発したこと。堺の商人が津の港を通じて焼き物を買い付けに来ていたこと。親父が津の港で商人と工人の間を取り持って、商人の利益の一部を関税として集め、それを尾張の国の殖産興業に充てたこと。木曽川の氾濫のたびに国境問題で揉めてはいたものの、美濃の齋藤氏も親父と同じ重商主義による政権樹立を目指していたこと。それに対して今川氏は金山を笠に着て公家を担いで既得権益の擁護に固執していたこと。などなど。


 結果、美濃の齋藤氏と和睦し、駿河の今川氏と敵対することになったということだ。


 弱々しい口調で語る親父は、病床にあって体中が黄色になり、すっかりやせ細っている。かつてその勢いから尾張の虎と呼ばれた親父だが、今はみすぼらしい野良猫と言われても仕方がない。白目が黄色くなって、腹だけが異常に大きく膨れ上がり、その腹に何やら気味悪い模様が浮き出している。医者によれば、親父は血の病で、肝の臓が腫れているというのだ。面倒見の良い親父は若いころから揉め事の仲裁に奔走し、話がこじれて戦になれば先頭にたって戦い、傷ついた者は自らの手で手当てした。不幸にして討ち死にした者が出たときは、たとえその者が農家の末っ子だろうと自らの手でねんごろに弔った。医者によれば、そのときの血の中の病魔に触れて、親父も同じ病が移ったというのである。疫病神と言っていい。疫病神も目には見えないけれども、確かに存在する何かのようだ。


 知は力なり。もし知っていれば、血に触れずに手当てすることを工夫しただろう。しかし、今となってはいたしかたない。医者によれば親父の病は治る見込みがないそうだ。残された時間を少しでも苦痛を和らげる手立てを考える方が現実的だ。そして親父の持つ知識と経験を、親父が生きている間に俺が引き継ぐことだ。俺と親父が共有できる時間は残り少ない。


 親父は貨幣製造にまつわる技術も教えてくれた。


 金は簡単に採掘できない。だから希少価値を持つ。ということは簡単に製造できない銭を作れば同じ希少価値を持たせることができる。永楽銭に匹敵する高品質の銭を作れれば、不足している貨幣を補って、さらなる経済発展が見込めるであろう。そう考えて親父は美濃の斎藤氏と同盟し、神岡の鉱山を開発し、灰吹き法の灰を改良し、金属の生産性を高めた。さらに親父は、灰に含まれる鉛を活用した砂張さはりという合金の開発に成功したのだ。砂張は硬く高品質な貨幣の材料として適している。しかし、その合金の配合は極めて難しく、開発は困難を極めたと言う。


 俺はその砂張で銭を鋳込む技術に興味を持った。興味を持つととことん突き詰めたい。何事も自分の目と手で確かめたい性分なのである。もちろん内密の話ではあるが、聞けば、美濃の坂祝さかほぎの里のあたりで鋳物師が銭を鋳込んでいると言う。美濃の坂祝さかほぎの里と言えば、昔、美濃紙を見たくて無謀にもひとりで出かけて、新九郎さんと出会ったあの場所である。急に懐かしくなっていてもたってもいられなくなった。さっそく見学に出かけることにした。

 

 いつもの小袖と、半袴を身に着け、腕と足には布を巻き、腰のまわりに七つ道具。小物を何人か従えて、木曽川に向かって屋敷を馬で飛び出した。桜のつぼみも大きく膨らんだ三月だと言うのに、どんよりとした曇り空のもと小雪が舞っている。おおかた名残雪であろう。


 木曽川をわたり、峠を越えて、坂祝さかほぎの里に入った。金屑山である。何年ぶりだろう。寺の鐘やら壊れた鍋やらいっぱいうっちゃってある。よく見ると仏像もうっちゃってある。こんなぞんざい仏像が扱われているのを知ったら、咎めだてする人も出てくるかもしれない。なるほど余人は中に入れないに限る。


 薄暗い鋳物を作る作業場に入ると、とても暑かった。小雪の舞っている外の肌寒さがうそのようだ。ふいごがごうごうと音を立て風を吹き込み、真っ黒な炉の中の炎を勢いづかせている。その炎は美しい青緑色の光を放っていた。俺は炎は赤いものだとばかり思っていた。鋳物師によれば、銅を熔かすと炎が青緑色になるとは当たり前のことで、腕のいい鋳物師は炎の色で、銅の純度がわかるそうだ。


 鋳物師は、仏像の頭をこともなげに炎の中に放り込む。汗を流しながらひたすらに青緑色の炎を見つめ、仏像をその中に放り込むのに何のためらいもない。鋳物師にとって銅は銅であって、銅以上でも銅以下でもないのである。余人が見たら、罰当たりに見えるかもしれない。しかし、罰にあたった鋳物師はひとりもいないそうで、寺の鐘や仏像を丹精込めて作っているのだから罰があたる理由が思い当たらないと言う。もっともだと思った。


 銅を鋳込む鋳型は、銭笵せんはんと呼ばれ、砂と粘土を配合した焙土ばいどで作られている。粘土は瀬戸や多治見から採ってきたものだ。鳳来寺の金鳳石で作った母型を焙土に押し当ててびた銭の鋳型である銭笵を作る。一つの鋳型にはいくつもの銭がぶどうのように連なっていて一度に何枚も鋳込むことができる。溶けた金属をと言い、湯が流れる鋳型の道を湯道ゆみちと言う。

 

 鋳物師は頃合いを見計らって、炉からひしゃくのような形をした取鍋(とりべ)に溶けた銅を注ぐ。ぶわっと火の粉があたり一面に飛び散る。鋳物師は、まったく憶することはない。意に介さぬ様子で、今度は湯を取鍋から鋳型に注ぐ。湯は橙色に輝く一筋の光となって鋳型の中に吸い込まれる。またぶわっと火の粉が飛び散る。銅に錫や鉛を混ぜると、そこまで炎の勢いがなくても湯がよく流れるそうだ。


 湯を鋳型に流し込んで待つことしばらく。ぷすぷすと音を立てていた鋳型が徐々に静まり返る。


 やおら鋳物師が立ち上がり、事も無げに木槌で鋳型を叩き割る。


 ぱかっと割れて砕けた鋳型の中から、枝に連なったびた銭が出てくる。その枝と枝をぶつけてみると、チーンチーンと澄んだ音が響く。硬い良い砂張ができた証拠だ。


 銅だけでは、こういう音は出ない。柔らかすぎるのである。銅に錫を混ぜると固くなる。お寺の鐘はそうやって響きがよくなる。しかし精密な字を鋳込むことが難しい。そこで親父はさらに鉛を混ぜることで、精密な文字を鋳込め、しかも十分な硬さを持つ、砂張さはりという合金の開発に成功したのだ。鉛は灰吹き法で金や銀をとったあとの灰に含まれており、鉛を混ぜることで銅の使用量が減るため、元手も節約できる。実用化まであと一歩である。


 鋳物師は、黙々とびた銭を枝から切り離し、砥石で銭の表面を仕上げにかかった。


 にわかに不愛想だった鋳物師たちが色めきだった。銭の出来ばえを確かめに頭領が来るのだと言う。その頭領の名前を聞いて驚いた。鋳物師の仲間うちで新九郎さんと呼ばれているというのだ。急にどきどきしてきた。もしかしたら、舅殿の新九郎さんかもしれない。もしかしたら、また会えるかもしれない。


 そのとき、作業場の戸ががらりと開き、外の光が射し込んだ。もしかして新九郎さんか? その外の明るさとはうらはらに作業場に入ってきたのは沈痛な面持ちをした家臣だった。その家臣は「ご免」と一声言うと、小走りに俺に近寄ってきた。


 「お耳を拝借……」


 胸騒ぎがする。俺が耳を貸すと、その家臣は俺の耳元に口を寄せて囁いた。


 「父君の容体急変、危篤でござる……」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ