金と銭
春を待つ寒い朝。戸を開けた途端、光が目に突き刺さる。眩しい。やった! 雪が積もってる! 外に飛び出した。まだ誰も歩いていないその雪の上を、ぎゅっぎゅっと足跡をつけて歩く。なんだかちょっと誇らしい。工夫を凝らして作った雪沓の性能を確かめたくて、ずっとうずうずしていたのだ。自然と顔がにやけてくる。雪沓は、思いのほかうまくできたらしく、足は暖かかった。
枝に雪帽子をかぶった杉木立の間を万松寺の方へ向かって歩いてみる。足もとの雪からは、笹の葉っぱが頭をのぞかせている。どこかでナンテンの実でもついばんでいるのだろうか、ひいよひいよとヒヨドリの鳴き声がやかましい。小さな祠の屋根が見えてきた。朱色の鳥居も真っ白な雪で縁取られている。薬師様を祀ったその祠で、幼い男の子が熱心に拝んでいた。彼は俺に気づくと、ぺこりとお辞儀した。気づくと雪の上に足跡がある。俺より先に足跡をつけるとは小癪な奴だ。むらむらと競争心が沸き上がる。あらためて足もとを見る。雪沓ではなく草履だ。競争心が優越感に変わる。
「足が冷たかろう。俺の雪沓を貸してやろう」
喜んで受け取るかと思えば、
「冷たくなんかない。無用」
と、突っぱねた。生意気なやつ。悔しいから何か意地悪する材料はないかと、しばらく様子を伺っていたら、遠くから平手先生の声がした。
「吉法師様」
元服も済ませて、信長とか言うたいそうな名前をもらっても、平手先生は、俺のことを昔のままの名前で呼び続けている。もっとも、名前など人を区別できさえすればそれで良い。
「おや、竹千代様もごいっしょ。いつのまに仲良くなったんや」
これから少し意地悪して、隙あらば喧嘩を売ってやろう思っていた矢先に、仲良し呼ばわりされて、すっかり毒気を抜かれてしまった。こいつは誰だと平手先生に聞くと、三河の戸田とか言う輩から、永楽銭千貫文で買ってきた人質だと教えてくれた。三河の松平家の嫡男だそうだ。戸田は、駿河の今川家に、この竹千代を人質として護送することになっていたが、護送の途中で織田家に寝返ったというのだ。
「戸田は、なぜ、寝返ったのだ」
と平手先生に聞くと
「永楽銭が、欲しかったのやろな」
と答えた。平手先生によれば、駿河・遠江・三河では、米があまり獲れないのだそうだ。そのかわり富士山の周辺では金が取れた。安倍川上流の安倍金山、富士山麓の富士金山などだ。その金を使って、米や生きていくのに必要なものを賄っているらしい。
「金山には国境はないのか? てんでに掘っていたら、金が無くなるのではないか」
関ケ原で新九郎さんとはぐれたとき、堆肥を作るため刈敷山が禿山になったことを思い出した。金山では共有地の悲劇は起こらないのか。
ほう、と平手先生が一旦話をやめた。そして、金山のしきり役が駿河の今川家や甲斐の武田家だと答えてくれた。やはりしきり役がいた。今まで、うざいとばかり思っていた平手先生の話が、すんなり耳に入る。俺は、自分が賢くなっていることに気づいた。上方見物で、現場に赴き、自分の目と手で現物を確かめ、現実を見つめてきた。それが役立っている。平手先生は、また話し始めた。
金と銭は違う。金は測ることはできるが、数えることはできない。銭は数えることができる。だから少額の支払いには銭の方が便利なのだという。恐らく戸田は、今川家から金で褒美を受け取っても、それを領国で流通させらないことに危機感を持っていた。金を使えるのは、公家とつながりのあるわずかな商人だけだ。銭を領国で流通できなければ、商いが滞る。ほとんどの商人は、生きていけなくなる。そうなれば領民から一揆を食らうこともあり得る。それで思い切って今川家を裏切り、織田家に寝返ったのだ。使途が限られる金より、実用的な永楽銭を選んだのだ。
傍らで大人しくしている竹千代の生まれた三河の国は、土地が痩せていて作れるのは豆ぐらいしかないという。竹千代はきっと幼いころから辛抱が美徳と躾けられてきたのだろう。「無用」と突っぱねた竹千代が哀れになった。つぶらな瞳でこちらを見上げている竹千代の頭を撫でてやった。そしてまた平手先生に訊ねた。
「駿河と甲斐の国境では、なぜ金山を巡って争いが起きないのか?」
平田先生の回答は明解だった。甲斐の国には海がない。海がなければ塩が作れない。塩が無ければ人は生きてゆけない。駿河の国から塩を買っている。しかし甲斐の国には秤座がある。金は銭と違って数えることができない。故に重さを正確に測る秤が要る。それには精密なからくりを作らねばならない。重さを確かめた金は、極印で印をつける。甲斐の国には、そういう技がある。よって甲斐の国と駿河の国は持ちつ持たれつの関係が保たれている。だから今は争いは起きないと言う。
ただ最近になって少し事情が変わった。金鉱石から金を採取する灰吹き法という精錬法が伝わり、金の生産量が上がったと言う。そうなると金は永楽銭の後ろ盾の役割を担い、数えるだけで取引に便利な永楽銭がますます使われるようになってきた。するともともと明から輸入していた永楽銭だけでは足らない。そこで、銭を自分たちで作り始めたというのだ。鐚銭と呼ばれるものだ。鐚銭を作るには、銅のほかに錫と鉛を混ぜて「砂張り」とするのだが、極めて精巧な鋳造の技が要る。その技を持っているのが、相模の北条氏だ、と言いかけて、
「おお、そうやった、吉法師様に伝えんといかんことを、忘れとった」
と話題を変えた。
「おめでとうござりまする。吉法師様の縁談が決まり申した」




