大垣
「わ! 子供が落ちとる」
「何? 生きとるんか?」
人の声にはっとした。まだ生きている。警戒心が沸き起こる。敵か味方か。
「おーい、大丈夫かー? 今、降りてくぞー」
心配そうに覗き込む様子が見えた。すぐに縄梯子が降ろされた。慌てた。警戒したのが何だか恥ずかしくなった。人を疑った俺がばかだった。信頼してよいかどうかはどうやって見分けたらいいのだろう。少なくとも言葉はあまりあてにならなそうだ。そう遠くないところに住むお百姓さんたちだった。干し飯、焼き味噌、芋がらなど分け与えてくれた。俺は奪っていない。彼らが与えてくれたのだ。俺たちは奪いあって生きているのか。それとも与えあって生きているのか。
「今夜はいっしょにタヌキ汁だら」
と嬉しそうに言うひとりに
「なんで、助けてくれたん?」
と聞いてみた。
「大人が子供を助けるのは、当たり前やんか」
と不思議なことを聞くものだという顔をした。それが当たり前だったのか。言われてみれば、獣や鳥もわけもなく子供から命を奪ったりしない。尾張に帰る途中で山賊に襲われてはぐれた、と言ったら、それは気の毒に、家に泊まって行け、と言ってくれた。
空腹が癒えて、しばらく小春日和の青空の下を歩いた。見えてきた刈り取りの終わった田んぼの上を、行き場を求めてふわふわと赤とんぼが頼りなく飛んでいる。遠くにわらぶき屋根の農家がぽつんぽつんと見える。大垣の里だ。新九郎さんたちの荷駄隊は、無事に大垣を通過したのだろうか。農家の母屋の周りで、牛や馬がのどかに草を食んでいる。道々俺を助けてくれたお百姓さんたちと話を交わした。
体重のある牛や馬を使って田畑を耕すことで、収穫が上がったという。だから世話になっている牛や馬は食わないのだと言う。食うのはウサギ、イノシシ、シカ、クマ、タヌキなど山の野生動物だけだそうだ。収穫を上げる方法は、牛や馬を使うことばかりではない。堆肥と呼ばれるものを田んぼの下に敷くのだと言う。堆肥はどうやって作るのかと聞いたら、山に行って草を刈って、それを積み上げておくのだと教えてくれた。草を刈って、それを田んぼに敷くから刈敷。刈敷を取ってくる山を刈敷山。実際に堆肥を作っているところを指さしてくれた。近くを通ると、つんと鼻を突く独特の匂いがした。
雄琴で、新九郎さんが、振舞ってくれた鮒寿司も、つんと鼻を突く匂いがした。本能寺で、又三郎さんが試し撃ちしたときに漂ってきた硝煙も、つんと鼻を突く匂いがした。大徳寺で、与四郎さんに教わった大徳寺納豆も、つんと鼻をつく匂いがした。そして草木をそのまま埋めて仕込んだ堆肥も、つんと鼻をつく匂いがする。大徳寺の豆も、往生極楽院の紫葉漬けも、刈敷山の草木も、春から夏にかけて仕込む。春から夏にかけて仕込むと、つんと鼻を突く匂いの何かができる。その何かに神仏の力が宿る。人を生かし、鉄砲玉をぶっ放し、稲を育てる神仏の力だ。何かがつながりかけている。実在する神仏の力の正体がわかりかけている。
水田一枚に入れる堆肥を作るには、その何十倍もの広さの草刈り場が必要だそうだ。堆肥のためだけでなく、牛や馬に食わせるための草も必要だ。腹を空かして彷徨ったところが、禿げ山だらけだったのは、そういうことだったのだ。人が米を食うために、稲の収穫量を上げる。そのためにほかの草木がなくなれば、これも奪い合いだ。神仏の力を奪いあっていると言っていい。
草木はできるだけ入会地と呼ばれる共有地から獲る。自分が損をしないように、誰かに先を越されないように、共有されている草木を先に獲る。結果として、共有地はあっというまに荒れ果てて禿げ山だらけになる。「共有地の悲劇」だ。無秩序な共有は、乱獲を招き、全てを破滅に追いやる。破滅から逃れるには、秩序が要る。権力による秩序の維持が要る。ふと黒谷青龍寺の若い学僧の暦の話を思い出した。天下統一が必要なのは、暦だけではない。共有するもの全てに天下統一が必要なのだ。
堆肥に使えるのは、刈敷だけではない。草木を焼いた草木灰も効果があると言う。驚いたことに干魚や胡麻油を搾ったあとの油粕も効果があると言う。しかも干魚や油粕は金肥と言って、商人からお金で買ってくるというではないか。新九郎さんが商っていた胡麻油や、与四郎さんが商っていた干魚は、こんなところでつながっていた。刈敷山はどんどん禿げ山になり、今では遠くまで草木を取りに行かねばならなくなったという。体力の衰えた年寄などは、貯えを取り崩し、借金をしてでも金肥を買って、収穫量を上げねば、年貢が払えないのだそうだ。
年貢を出せの一点張りの守護職は、お百姓さんがこれだけ工夫して収穫を上げているのを知っているのだろうか。堆肥の足らなくなったお百姓さんが、商人に金を支払って金肥を手に入れているのを知っているのだろうか。共有地にもめごとが起こるのは当然だ。まして氾濫などでで田畑の境がわからなくなればなおさらだ。秩序を与えるしきり役が必要だ。うちの親父が収めていたもめごとの正体が見えてきた。恐らく跡取り息子の俺がそれを継がねばならないのだろう。
その晩は、親切に助けてくれたお百姓さんの家に泊まった。夜に粥と味噌仕立てのタヌキ汁をご馳走になった。獣臭くて不味かったが、飢えと寒さを味わった後なのでありがたかった。囲炉裏の周りは暖かで心地良かった。囲炉裏から立ち上る煙で、柱や藁ぶき屋根が燻されて虫がつかないのだと言う。ここにも神仏の力が働いているとわかった。タヌキ汁をすすりながら考えた。一歩間違えば、自分もタヌキといっしょに、落とし穴の底でのたれ死んでいた。
「人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり 一度生を得て 滅せぬもののあるべきか」
床の中で、与四郎さんと堺の芝居小屋で見た敦盛の一節を思い出した。小さな声で口ずさんだ。次の日、お百姓さんたちにお礼を述べて、大垣を後にした。




