知識チートの不可能性、不必要性、及び葛藤問題
「現代日本人の俺が、野蛮な異世界に転生した。異世界人は物知らずだ。やれやれ、しょうがないな! 俺の知識で異世界の生活水準を向上させてあげよう。目立ちたくないからこっそりとね」
こういう話も嫌いではありませんが、もちろん実際にはこうはいきません。知識チートは不可能です。
知識チートで「知識」といわれているのは実は狭い知識です。テクノロジー、技術と言った方が適切でしょう。
ときおり経済学などの非技術的な知識によるチートの話もありますが、基本的には知識チートより技術チートと言えるものがほとんどだと思います。技術チートは不可能です。
技術とは何か。だいたい次のようなものです。
――資源aをn個、bをo個、cをp個……以上を方法mどおりに組み合わせたら、t時間後に、prの確率で、dがq個できる。
たとえば――ごはん150グラムと、卵1個と、器1個、以上をこの1個の器によそったら、1分後にはほぼ必ず、卵かけご飯が1杯できる。
素朴な例ですが、これが技術です。
・知識チートの不可能性
さて、この現実世界の技術は異世界でも概ね通用すると仮定しましょう。さらに、ゲームから転生した異世界人は、そのゲームのスキルが異世界でも通用すると仮定しましょう。
それでもチートは不可能です。
なぜなら、成功とは知識の力ではないから。
技術も知識の一種ですから、成功とは技術の力でもありません。
たとえば、あなたの知識で自動車を作れるとしましょう。自動車を作るには大量の資材と人手、数年間、高度な知識を必要とします。馬車も同じです。知識だけがあっても成功できません。知識の他に、大量の資材と人手、数年間を必要とします。ほんのわずかなお使いイベントでは賄い切れない手間ヒマがかかります。
手間ヒマの描写がよく省かれるのはこのせいです。車作りには材料が必要です。必要な材料を作るにはまた材料が必要です。材料作りに必要な材料を作るのにもまた材料が必要です。以下同様。酷い手間だ! そしてこの手間ヒマが存在しないと考えられているかぎり、その知識チートは著者自身にさえ実行不可能と考えられているのです。手間ヒマが存在しない技術知識はもはや技術ではありえないのですから。その「技術」、その「知識」とは、口をあんぐり開けて天の恵みを待つに近い何かのことでしょう。それは技術というよりは文字通りチートスキルでしょう。
しかし、チートスキルのおかげで資材と人手、時間は何とかなると仮定しましょう。もはや知識チートの不可能性の射程を大きく超えていますが、技術に関するかぎり、チートスキルすら社会的な成功には繋がらないと言わなければなりません。チートは不可能です。
あなたは自動車を製造するだけではなく、自動車の需要を予想する必要があります。
自動車技術者が自動車会社を経営したり自動車業界の株で儲けたりできるわけではありません。
自動車は(なぜか元から開けた平らな地面の上の)高速移動や長距離移動で時間を短縮してくれます。一部の商人はその試供品を欲しがるかもしれません。「中世ヨーロッパ風」の異世界政府が一般商人に自動車を許すわけないのはともかくとして。軍人はさほど欲しがらないかもしれません。奇襲でも考えないかぎり、予め待ち合わせした場所で一騎打ちするのになぜ自動車が必要なのでしょうか。
いずれにしても……先祖代々の馬車や軍馬を由来不詳の鉄塊に切り替えていく? 面白い無能です。
それが有用だからって、誰も彼もが欲しがるわけではありません。異世界人自身の知識に照らしてその有用性が保証されなければなりません。先の技術の式を見れば分かるとおり、すべての技術には確率が伴います。製造する前も、製造した後も。その車はいつまで使えるのでしょうか。異世界の環境における致命的な故障はどのくらいの頻度で発生するのでしょうか。
異世界人自身は遅い世界に生きています。多くの物語では、少なくとも語られざる舞台裏で、数年、数十年おきに飢饉が起こっていると推察されなければなりません。そうでなくとも、異世界人は彼ら自身の既存の知識に照らして理解可能な保証、数十年、数世代を超えた経験による保証を必要としています。これは個人レベルから家、村や町、都市、県や州、国レベルまでの権威の階層によって保証され、規制され、促進されます。おそらく大部分の権威者は理解不可能な鉄の塊を拒絶するでしょう。たとえ王様や議会が一部での試用を受け入れたとしても、それを国全体に許可し普及させるのは悪政もいいところです。
異世界人は非合理的だと馬鹿にしているわけではありません。速い世界で生まれたあなたは遅い世界では合理的な需要変動を予想できないと言っているのです。
サブサハラの黒人への人道支援は概して理解されませんでした。彼らへの設備投資は概して無駄な投資に終わりました。
同じ世界でさえ予想できなかった途上国需要を、なぜ異なる世界で予想できると思われるのでしょうか?
こうして、あなたの技術的知識に必要とされた資源は無駄に費やされました。資源の無駄遣いにつれて、あなたは異世界文明を後退させました。
以上の「たとえば」が成り立ってしまうのには三つの理由がありました。
第一の理由。
暗黙の仮定……わたしたちと異世界人は同じ価値観をしている。この前提が満たされるためには、同じ価値観であるために、わたしたちと異世界人が同じ技術知をもっている、とまで仮定を進めなければなりません。そのとき知識チートは不可能です。同じ知識をもっているのですから。
第二の理由。
知識があっても資源がなければどうしようもありません。労働し、貯蓄し、投資しなければ知識を使う機会など巡ってきません。物を作るための材料を作るための材料を作るための材料を作るための……土地を穿り返すところから始めましょう。
第三の理由。
需要は知識ではどうにもなりません。需要を予想するのは判断力です。
知識とは確実な信念であり、技術に関する知識とは技術に関する「確実な信念」です。しかし需要に関する信念は決して確実ではありえません。企業家は、資源を買って労働者に賃金を支払う際、需要を予想します。しかし企業家が成功するか失敗するか、その需要の読みは確実ではありえません。知識をうまく使うには、需要を読む能力も伴っていなければなりません。
成功の鍵は知識ではなりません。たとえ知識をもっていなくても、有り合わせの資源と知識で成功することができます。彼ら成功者がもっているのは資源と判断力です。
異世界でも現実世界でも、世界で成功したいならば、知識チートではなく資源・判断力チートを願いましょう。
・知識チートの不必要性?
わたしたちは知識(技術)の所持に関してアドバンテージをもっているとされます。しかし異世界人の生活を知り、異世界人の感性を知り、異世界人の嗜好を知るのは異世界人自身であり、需要の予想に関してアドバンテージをもっているのは、わたしたちではなく異世界人です。
いや、あなたが企業家としても非現実的・虚構的なまでに有能であると仮定しましょう。うまく異世界の需要を予測し、つつがなく数十年のチート生活を終えたとしましょう。盛大な葬儀が行われ、一変した世界に原住民が残りました。そしたらどうなるでしょうか。
残された人たち、あなたのおかげで増えに増えた人口の、大飢饉の時代の到来です。
結局、技術の発見と需要の予想は同じ一つの能力に根ざしています。知能です。
知能が高いから技術を発見できる。
知能が高いから需要を予想できる。
技術を発見できない低知能民族は需要を予想できません。
需要を予想できない低知能民族は技術を発見できません。
知識チートの異世界ものの可能性条件は、異世界人の低脳でした。
異世界人がわたしより馬鹿でなければ、知識チートは成り立ちません。
知能指数の基準値100は、近代ヨーロッパ人の平均に相当したといわれています。このとき、知能指数を発見し、これを測定したとき、このときが知識の時代、科学革命の時代でした。知能指数100以上の人種は先進国になることができました。以下の人種(ヒスパニック、ネグロ)の現状は、ご存知のとおりです。
で、異世界人の知能指数はどうなのでしょうか。期待のとおり(馬鹿であってくれ、俺の活躍のために)100以下でしょうか。それとも100以上でしょうか。
100以上なら、なぜ自分たちで知識を発見できなかったのでしょうか。
いずれにしても、異世界人は自分で知識を発見するという困難と工夫を知らずに近代技術の恩恵に預かりました。
それだけでも危険極まりないのに、異世界人は自分で需要を予想するという困難とリスクを知らずに近代製品の恩恵に預かりました。
彼らは物の売り方が分かりません。ただ、食べ物と子供を作ることができると喜ぶだけです。
主人公は学校を建てるかもしれませんが、近代的な学校ではすでに発見された知識しか学べません。
急激に増えた子供たちが労働力ではなく普通教育に吸収され、仕事しながら学ぶべき作文と算盤に無駄な時間をかけながら、応用の仕方の分からない化学や物理学をわけも分からず詰め込まれます。結局、応用力は困難な工夫とリスクの過程からしか学べないのです。
古い生き方を捨てた歪な大人たち。急激に働き方を忘れてゆく大量の子供たち。
大量の近代製品に囲まれることは、数千年単位で構成された安定的な環境から、濁流のような大変動の世界に放り込まれることを意味します。何が何に影響するかも分からず、数十年から数百年かけて、土壌や気候は思いがけない様変わりを遂げるかもしれません。人々の新しい価値観は不安定で、急激な需要変動に応じた生産構造の変化を取り仕切らなければなりません。予想力を駆使して、入れ替わり襲い掛かる変化の大波を繰り返し繰り返し乗りこなさなければなりません。
この異世界人には高い知能が要求されています。
二、三世代のうちに、急激な知能向上が。
そうでなければ大飢饉ですから。
主人公の活躍のために、異世界人は馬鹿でなければなりませんでした。同時に、主人公の一生涯のうちに異世界人全体の知能指数が急上昇することも要求されなければなりません。しかし、そしたら主人公の存在意義はどうなるのでしょうか。
主人公がいなくても、自分で知識を獲得するのでは?
主人公いらなくね?
・知識チートの葛藤問題
以上のすべての言いがかりを考慮するような主人公がいたと仮定しましょう。彼は長寿であり、優秀な企業家であり、適正技術水準を逸脱しないように努力しています。
現地の異世界人と足並みを揃え、異世界人自身の視線で、助け合い、理解しあいながら生活しています。
彼は人口ストックと天然資源ストック、資本財ストックを計算に入れて、少しずつ技術を提供します。
そのとき、彼は数百年か数千年、酷い場合は数万年の寿命をもたなければなりません。
そこまでして知識で役に立ちたいでしょうか?
わたしだったら余計な手は貸さずに異世界の自然な発展を見守ると思います。
まあそれでも知識で役立ちたいというのなら立派かもしれませんが、異世界がわたしたちの現実世界の近代技術に追いついたとき、わたしはもはや役に立たないでしょう。
わたしの知識は受け売りなのですから。
知識チートの最大の問題点は、真の知識の人は異世界で知識チートなど試みないことにあるでしょう。