ゲームを楽しむなら時間を征服せよ!
大方の予想を裏切った米国の大統領選挙、頻発する欧州のテロ、今月発売される新作のゲームソフト。知りたいと思えば、全部インターネットで調べればいい。求めなさい、そうすれば与えられる――良い時代になったものだ。
しかし、パンを買うにもお金がいるように、この圧倒的な技術によって支えられている世界は、代償無しで成り立っているわけではない。
この便利な世の中を享受するために、私たちが失っているもののひとつは――主観ではあるが――余裕だ。私はゲームが大好きなので、日本におけるソーシャルゲームの台頭に例えてみよう。
少し前なら『ファイナルファンタジー』、『ドラゴンクエスト』など、時間をかけてやり込むタイプのゲームがうけた(筆者はいまでも好きだが)。
誰にも気づかれないような、完全なプライベートの時間が多く、世界はゆったりと流れていたため、腰を据えて遊ぶというのは至極当然のことであり、ゲームもその流れを汲んだ。
筆者も、遊んだゲームの話題で盛り上がっていた学生のころを思い出す。
だが、現在の日本では“お手軽さ”が重視され、ソーシャルゲームが台頭している。
なぜか。
パソコン、スマートフォン、車、電車、飛行機、インターネット、これらすべてが、仕事や作業の過度な円滑、効率化を生み、その流れに私たちプロレタリアートが身を任せているから、である。
24時間に詰め込める量が増えたことで、私たちはいつの間にか過度な仕事、作業漬けになっているのだ。
ゆえに、やり込み要素満載、大ボリュームのゲームを遊んでいる“心の余裕”がない。なにかひとつに没頭しようとすると、高速で回り続ける世界に置き去りにされてしまうような、焦燥感にも似た思いがあるから、つねに複数のコンテンツに触れていないと落ち着かない。ソーシャルゲームはほとんどの場合、スマートフォンを使うため、同じ機器でTwitterやFacebookなどを確認できるという点も、人気に拍車をかけているのだろう。
短いプレイ時間でも満足に遊べること、お金を入れれば確率で強いキャラが手に入り、円滑に進められる『パズル&ドラゴンズ』や『モンスターストライク』といったゲームは――それらが楽しいか、つまらないかは別として――日本人の心を打ったのである。“効率化されたゲーム”は、余裕がない、効率化されたいまの世の中にふさわしい。
ファミコンやプレイステーションから続く、コンシューマー(家庭用)ゲームはもちろん、昨今のソーシャルゲームも楽しんでいる私からすれば、とくに問題はないのだが、余裕がなければ、何事も楽しむことはできない。
余裕がないのは、時間に追われている証拠。ならば“時間を征服する”必要がある。
方法は簡単。ただ楽しむだけ。
遊び終えた後のことは、そのとき考えればいい。いま遊んでいるゲームを、全力で楽しめば、時間なんて気にしない。「遊んでいて気づいたら、いつの間にか一、二時間も経っていた」なんてことを経験した人は多いだろう。それこそ、時間を征服するということだ。それは、コンシューマーゲームにも、ソーシャルゲームにも、ひいては、すべての娯楽に共通すると思う。
この拙いエッセイは、ほんの数分でも、あなたが時間を征服するに足る娯楽だっただろうか?