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エルゼリアの石 - Stones of Ersellia -  作者: 水野煌輝
第1章 守護神石の導き(Guidance of the Guardian stones)
7/22

7. 剣術大会での珍事 (Strange event at the sword competition)

 一時課の鐘がカルディーマに鳴り響いた時、ティムは噴水の前にいた。周囲には数羽の小鳥が、可愛らしい鳴き声を上げながら戯れている。その中で彼は横になり眠っていた。


 そんな彼を、道行く人々は軽く一瞥しただけで通り過ぎていった。カルディーマで、人が道端で寝転がっているのは、さほど珍しい光景ではない。物乞いが寝転がっているのは四六時中だが、朝はたまにはめを外し過ぎた酔っ払いが寝転がっていることもある。勿論ティムは酒を飲んでいないが、人々がティムのことを酔っ払いだと勘違いしても、何も不思議ではない。


 そこにライアンがやって来た。虚ろな表情でふらふらと噴水に近寄っていったかと思うと、頭を噴水に突っ込んだ。水しぶきに驚いた小鳥たちが、一斉に飛び立つ。


流石に、道行く人々の多くはライアンに注目した。ライアンは喉を波打たせて噴水の中の水を飲み終えると、ティムの横に勢いよく座り込んだ。そして、二日酔いのぼんやりとした頭で記憶を辿っていく。



 昨日俺は一体何をしていたんだっけ。

 まず酒場に行って、女の子と一緒に楽しく飲んでいて。

 いや、その前にとんでもないモンスター女三人と飲んでたのか。

 でもその後、ちゃんと可愛い女の子が来て。



 ・・・。



 その後、どうしたんだっけ。


 

 ・・・。


 まあ、いいや。


 とにかく、現状明らかにまずいのは、俺が今ほぼ一文無しということだ。

 何故か懐に四十ルーン入っていたが、これが無かったら完全な一文無しだった。


 ライアンは、左手の拳に握りしめていた四十ルーンを見つめた。そして次に隣のティムを見やる。ティムは相変わらずすやすやと気持ち良さそうに寝息を立てて眠っていた。


 うーん、どうやってこいつに言い訳しよう。


 そんなことにしばらく漠然と思考を巡らせていると、ライアンは再び眠りに落ちた。





 丁度その頃、カルディーマの西の草原を、鎧を身にまとった兵士が乗った十数体の馬が駆けていた。

 彼らの行く手には、大きな城が荘厳と聳えている。彼らが仕えている城、ヘーゼルガルド城である。


 領内に入ると、地面に跪き自分たちを迎える町人たちの前を颯爽と通り過ぎ、一行は城まで一直線に向かった。馬たちは固いひづめの音を響かせながら、速度を緩めることなく、勾配の強い坂を駆け上がる。

 そして城の前まで来ると、一行は手綱を力強く引いた。


 フレデリックは馬を下ると、王の間へと向かった。王座へと続く大きな鉄の入り口を、配下の兵士が開くと、フレデリックは中へ入った。


 奥に王座があり、そこには穏やかな表情を浮かべ、亜麻色の髭をたっぷりと蓄えた恰幅のいい男が座っていた。ヘーゼルガルド王である。王のすぐ横にいる額の禿げ上がった厳格そうな顔をした男は、大臣のコルニックである。他には数人の王の世話係りの兵士が待機していた。


 フレデリックは前へ歩み寄り、王の前まで来ると跪いた。

「ヘーゼルガルド軍六番隊隊長、フレデリックただ今戻りました」


 ヘーゼルガルド王は、「うむ」と、ゆっくり頷いた。


 大臣のコルニックが咳払いと共に口を開く。

「ええ、では、カルディーマの警備の報告を」


「はっ。昨日は、二件窃盗があり、どちらも盗人を捕らえることに成功しました。それ以外では、特に目立った事件はありませんでした。ゴブリン等も姿を現すことはありませんでした。ただ・・・」

 そこでフレデリックが言葉を濁す。


「ただ、どうしたのだ」

 王がフレデリックに聞いた。


「・・・二人の少年と出会いました。一人は我らヘーゼルガルド軍の第十一番隊長であるジョナスの息子でした。どうやら入隊を希望しているようで、近い内にヘーゼルガルドを訪れるようです」


「おお、そうか。ジョナスの息子か。奴の息子なら骨があるんじゃないか。楽しみじゃわい」

 そう言って王は穏やかに笑い、再び問いた。

「それで、もう一人とは」


「もう一人はジョナスの息子と道中で出会ってから共に行動しているのですが、何とその少年は・・・ボヘミアン・アンギルモアの息子でした」


「何だと」

 王が驚いて目を見開いた。

 コルニックの顔にも当惑の色がありありと出ていた。


「彼の話によると、ボヘミアンはもう死んだということです。そして、どうやら今は彼が父親の遺志を継ぎ、守護神石を集めているようです」


「そうか、やはりボヘミアンは死んでいたのか。それに息子が今石を集めているとは。運命とは面白いものじゃのう、フレデリックよ」

 そう言って、王は豊かな顎鬚を摩ると、付け加えた。

「彼はもう石を見つけているのか?」


「はい。二つ持っております」


「ヘーゼルガルドに来るつもりか?」


「はい。ジョナスの息子と共に行動しているようなので、近い内に来ると思われます」


「なるほど。そうか、そうか」

 王は、今度は先程よりも大きく笑った。

「御苦労だったな、フレデリックよ。もう下がってよいぞ」


「はっ。それでは失礼致します」

 フレデリックは立ち上がると、踵を返して王の間から立ち去っていった。


 フレデリックがいなくなり、王の間がもう一度静けさに包まれると、王がまた口を開いた。

「ジョナスの息子にボヘミアンの息子。その二人が一緒にわしを訪れるというのか。実に楽しみじゃ」





 ライアンに体を揺り動かされてティムが目を覚ました時、太陽は高い位置からティムを照り付けていた。


「ふわぁ。おはよう、ライアン」

 ティムは寝ぼけ眼を擦って、大きく伸びをした。


「おう」

 ライアンはティムの隣に座り直した。

「昨日はカジノ、楽しんだか?」


 ライアンの問いかけに、ティムは寝起きのぼんやりとした頭で昨日の記憶を探った。

「あっ」

 思わず声を漏らす。


 ライアンがティムをちらりと見た。

「どうした?」


「いや、実はね」とティムはおずおずと切り出した。

「負けに負けて有り金全部なくなっちゃった!」

 そう堂々と言ってのけると、ティムは気まずそうに舌を出した。


「お前・・・」

 ライアンが震える。


「ごめん! 良かったら恵ん・・・」


「俺と同じことしてるんじゃねえ!」

 ライアンの胴間声が轟いた。





 それから二人は冷静になって、昨晩何をして過ごしたかを教え合った。


「そういうことね。ライアンも今一文無しなんだ」

 ティムが頭に両手を重ねて、安心したように言った。


「ったく、お前をあてにしていた俺がバカだったよ」


「お前にそれを言う権利は無いだろ」


 ライアンはわざとらしく大きな溜息を吐き、がっくりとうなだれた。

「はあー。俺たちこれからどうすればいいんだ。食料だってもう残り少ないから、ここで買わないといけないっていうのによ」


「あははは。まさか二人ともお金がなくなるなんて想像できなかったよね」


 ティムが呑気に笑うと、ライアンは目を向いて声を荒げた。

「何でこんな状況なのにお前は安心しきっているんだよ。金が無いんだぞ。旅を続けるには金がいるんだぞ」


「あっ。そうか」


「はぁー」


 ティムの能天気振りを目の当たりにして、ライアンはより一層がっくりとうなだれる。しかし、すぐに何かを思い出したように声を上げた。


「あ、そういえば」

 ライアンは右手を懐にがさがさと突っ込むと、四十ルーンを取り出した。


「ライアン、それは?」


「どうしてか分かんねえが、朝気付いたら持っていたんだ。酔っ払っていたから、知らない内に懐に入れっぱなしにしていたのかもしれねえな」

 ライアンはその四枚の紙幣をぼんやりと眺めながら言った。


 ティムの顔が輝く。

「よく分からないけれど、良かったじゃないか。これで一文無しじゃなくなった」


「そうだな。でもこんなはした金、すぐに無くなっちまう。何か手を打たねえと」

 そう言ってライアンは、紙幣を持つ手をぎゅっと締める。


 ティムが立ち上がった。

「とりあえず、街を歩き回ってみようよ。何かいい金策が見つかるかもしれない」





 二人は酒場や商店を回り、仕事を探したが、なかなか二人が望むような条件の仕事は見つからなかった。


「くそったれめ。まる一日皿を洗って、たった五ルーンって、絶対になめてるぜ」

 街道を歩きながら、ライアンが罵るような口調で吐き捨てた。


「それじゃあいつまでたってもこの街から出られないね」

 ティムがライアンの隣で肩を落とす。


 ライアンは更に語気を荒げた。

「まったくだぜ。酒場で仕入れた、行商人の近衛兵の仕事はそこまで悪くもなかったが、もう少しマシな賃金を払ってもいいはずだ」


「何か一発ぽーんと儲かる話でもあればいいのにな」

 ティムは両手を頭に乗せながら、唇を尖らせる。


「あいつら、こっちが金の無い旅人だと思って足元見やがって。頭に来るぜ」

 そう吐き捨てると、ライアンは道端に転がっていた石を力任せに蹴飛ばした。


 蹴飛ばされた石は空気を切り裂いて飛んでいき、ことあることに前方を歩いていた屈強な剣士のきれいに剃られた頭に直撃した。


「あ・・・」

 ティムは思わず口を両手で覆う。


 赤くなった後頭部を見せながら、男はしばらく立ち止ったまま静止していた。しかし、ゆっくりと首を動かして後ろを振り向いたその顔は、激しい憤りによりぴくぴくと痙攣していた。


「ひえええ! 何でこうなるの!」

 ティムが泣き喚いているのを気にも介さず、その巨漢の剣士はずんずんと二人の前まで歩み寄り、怒鳴った。


「俺様の頭に石をぶつけやがった命知らずのゴミムシはどっちだコラァ!」


「ひー、こっちこっち」

 ティムは慌てて、ライアンを指さす。


「やったのはてめえか! この金髪モンキー野郎が!」


 男がライアンの胸倉を掴みながら喚くと、ライアンも男の胸倉を掴み返した。

「うるせえ! 俺は今相当虫の居所が悪ィんだ。あんまり俺にストレスのお裾分けをしやがると、テメエのまばゆい頭で夜道照らして徘徊するぞ、このハゲコラァ!」


「何だとォ? 誰に口利いてんのか分かってんだろうな、この長髪小便野郎が!」


「だ、誰が長髪小便単細胞野郎だコラァ!」


「いや、そこまで言ってねえよ!」


「ちょ、ちょっと落ち着きなよ!」

 ティムが止めに入ると、通りすがりの人たちが異常に気づいて二人を制止してくれた為、二人の喧嘩は鎮圧された。


 男が去った後、ティムが冷や汗を拭いながら言った。

「ったく。あんまり変な揉め事起こさないでくれよな」


 しかし、ライアンは依然として鼻息が荒い。

「あのハゲ、次に会ったら鼻の穴を一つにしてやる」


「ハハハ」

 ティムは、乾いた声で笑った。





 そして、二人は、また歩き出した。


 ティムが、ふと周りを見渡す。

「それにしても、この辺は戦士の身なりをした人がいっぱいいるなあ」


 ライアンも辺りを見渡すと、そこは頑丈な鎧と剣を纏った男たちで溢れ返っていた。

「言われてみれば、確かにやけに多いな」


 その時、ティムが何かに気付き、宙を指差した。

「ねえ、ライアン。あれ」


 ティムの指の先を追っていくと、集まった群衆の少し向こうに『剣術大会』と書かれた看板が見えた。


「なるほど。ここに集まっている奴らは、これに出場するのが目的なのか」


「俺たちも近くで様子を見に行こうよ」


 二人が群衆をくぐり抜けて看板の近くまで歩み寄っていくと、その看板の下には小奇麗な旅着を身にまとった男たちが数人立っていた。


 その内の一人が突然ひょっこりと現れた二人に気付き、話しかけた。

「やあ。君たちも参加希望者かい」


「勝ったら何かいいことあるの?」

 ティムが尋ね返す。


「ああ。一位になれば賞金千ルーンだ。ただエントリーするのに一人につき二十ルーン頂くがね」


 ティムがライアンの方を向く。

「聞いたか。千ルーンだってさ」


 ライアンが目を輝かせながら、何度も頷く。

「しかも俺たち、丁度二人分のエントリー代を持っているぜ」


「うーん、でも一位になんてなれっこないよね」


 そうティムが言い終わる前に、ライアンは既に受付の男に、なけなしの四十ルーンを突き出していた。


「おっちゃん、二人エントリーね」


「ちょ、ライアン。待ってよ。もう少し考えた方が」


「考えるって何を考える必要があるっつうんだ。この辺に集まっている奴ら全員ぶっ倒すだけで、千ルーンだぜ。こんなにおいしい話はねえぞ」


 もう優勝したかのように一人歓喜しているライアンを見て、ティムは不安そうな顔をした。

「本当に倒せるの? ほら、あそこにいる奴とか、大分やばそうだよ」


 ティムの指し示す先には、全身筋肉の鎧に包まれた巨漢が、ティムの身長とさほど変わらない大きさの鉄槌を、平然と上下に振っていた。


「あんな化け物に勝てる訳が無いよ」


「はい。これ、お前のな」

 ライアンはティムの話が全く聞こえていないかのように、男から受け取った番号札をティムに手渡した。





 間もなくして、大会は始まった。

 受付をしていた男たちの一人が、声を張り上げる。

「長らくお待たせしました! それでは恒例の剣術大会を始めたいと思います!」


 群衆からどよめきと共に、盛大な拍手が送られる。


「これって恒例だったんだな」

 ライアンがティムの耳元で言った。


「それでは、ルールの説明をさせて頂きます! 大会はトーナメント制、試合は無制限一本勝負で、相手の体のどこかに攻撃を当てた時点で勝ちが決まります! 試合では皆さんにはこちらで用意した木刀を使って頂きます! そして、見事一位になられた方には、賞金として、千ルーンを差し上げます!」


 これにも群衆は沸き、口笛の音と拍手の音が響き渡った。


「それでは、試合を始めて行きたいと思います! まずはガイエル様とチェンドラー様!」


 こうしてティムとライアンの、賞金を巡る剣術大会の幕が開いたのだった。





「オラアァァァ!」

 雄々しい掛け声と共に木刀を振り下ろし、ライアンは相手の肩に鋭い一撃をお見舞いする。


「そこまで! 勝者、ライアン様!」


 第一戦をあっさり勝利したライアンは、背筋をしゃんと伸ばして、出場者が控えている場所に戻ってきた。


 ティムが出迎える。

「ライアン、やるじゃないか」


「へん、これくらい余裕だぜ」

 ライアンは鼻高々に言い放つと、胸を張ってみせた。


「でも、まだ一戦目だからね。賞金を得るには後、四、五戦連続で勝ち残らないといけないよ」


「よおし、任せとけ。俺たちの賞金の前に立ちはだかる輩は、皆ぶった斬る!」

 ライアンは両腕を天に掲げて吠えた。


 その後も、試合が連続して行われ、遂にティムの出番が来た。


「えー、次はティム様とダシール様の試合です!」


 ティムの名前が呼ばれると、ライアンはティムの肩に手を置いた。

「どっちにしろ賞金は俺が頂くことになるだろうが、精々頑張ってこいよ」


「おい。お前がもらっても、ちゃんと俺に分けるんだよ!」

 ティムは舌足らずにそう喚いた。


 輪の中心に来ると、ティムは審判の男から木刀を受け取った。持ってみると、木刀はやはり丈夫で堅かった。当たり所が悪ければ、十分に痛いはずである。さっきの試合でライアンはあれ程強く木刀を振り回す必要は絶対に無かった、と、ティムは思った。


 ティムの相手となるダシールは、全身が紫色のベールに覆われていたので、身長がティムより少しだけ低いこと以外の外見的な情報は全く分からなかった。そして、その謎めいた外見に、ティムの緊張感は更に煽られたのだった。


「それでは二人とも、準備はいいか?」


 審判の問い掛けに、ティムは木刀を両手で強く握りしめて構えると、頷いた。ダシールも木刀を握る腕をしなやかに伸ばし頷く。


 一瞬の間を空けて、審判が右腕を上げる。

「始め!」


 開始の合図が出ても、二人は動かなかった。ティムが攻撃のタイミングを見計らっている一方で、ダシールはまるで石になったかのようにぴくりとも動かない。ダシールの表情が分からないこともあって、ダシールが何を考えているのか、ティムには見当もつかなかった。


 結局、ティムから動いた。素早く前に足を踏み出して、ダシールに木刀を振りかざす。するとダシールは、ティムの攻撃が当たる寸前に木刀で攻撃を受け止めた。そして、ティムの木刀をはじき返すと、今までの硬直が嘘のように、目にも止まらぬ速さでティムを連打し始めた。ティムは大分後ろに押されてはいたが、それらの攻撃をぎりぎりで防御し、再度斬りかかった。しかし、ダシールは腰を落としてその一撃を回避し、再度素早い動きでティムを斬りつける。ティムはその攻撃も間一髪で防いだが、圧倒的な手数に負けて、大きく後退した。


「ティム、負けんなよ! 頑張れ!」


 ライアンの野太い声援がどこかから聞こえてきた。もちろんどこから聞こえてきたのか確認する余裕は、ティムには無い。


 木刀と体全体のバネを駆使して、ティムはダシールの高速ラッシュをかわしていったが、無理な動き、すぐに体は悲鳴を上げ始めた。


 遂に敗北が目前まで迫ってきた時、ティムは残った力を振り絞って跳び上がり、体を空中で一回転させてダシールを斬りつけた。だが、ダシールは遠心力のこもったその斬撃を、なんなく受け止めた。それを見たティムは、完全に敗北を確信した。そのまま地面に、むざむざと落ちていく。


 その時。



 ティムのベルトの袋から、サファイアが弾けるように飛び出した。



 大勢の人々の視線を浴びながら、サファイアは神秘的な青い輝きを放ち、高く宙を舞った。そしてティムが地面にどさっと崩れ落ちると、遅れてサファイアはこつんと地面に落ちた。


 人々がどよめき始める。会場は、異様な空気に包まれていた。


 サファイアが落ちたのを見ると、ダシールは、堂々とした足取りでサファイアに近づいて行った。そっと腰をかがめて、サファイアを手に取る。顔はベールで見えないが、観察しているように見えた。


「それを・・・返せ・・・」

 ティムは残りの力を振り絞って、立ち上がろうと試みる。


 サファイアを持ったまま、ダシールはティムを見た。ティムはダシールを睨み返す。

 そのまましばらく二人は見つめ合っていたが、突然ダシールはティムにゆっくりと近付き始めた。ティムは歯を食いしばって立ち上がろうとするが、体が痺れて思うように動かない。 


 ダシールは、ティムの前まで来ると、持っていたサファイアを地面に置いた。

 ティムは思わずダシールを見上げる。一方ダシールは、木刀を振り上げたかと思うと、ティムの頭をぽこりと叩いた。


 一瞬の静寂の後、審判の男が右手を挙げた。

「そっ、そこまで! 勝者、ダシール様!」


 それと同時に、会場は元の剣術大会の雰囲気に戻り、人々からは歓声と拍手が送られた。


 ライアンがティムのもとへ駆けつける。ティムはライアンに引っ張り起こされて、輪の外へ出た。息がまだ切れている。


 ライアンが聞く。

「おい、大丈夫かよ」


「大丈夫。ちょっと疲れただけだよ」

 ティムは呼吸を整えるべく大きく深呼吸した。


「それにしてもボロ負けだったなあ。まあお前にしちゃあ頑張った方なんじゃねえのか」

 ライアンがにやにやと意地悪な笑みを浮かべながら、ティムを肘で小突いた。


「ったく。減らず口が絶えないなあ、もう」


「大丈夫だって。賞金は俺が頂くから安心して寝てろ」

 ライアンは豪快に笑いながら、ティムの背中をばんばんと叩いた。


 ティムは苦笑いすると、納得したように頷いた。

「そうだね。気晴らしに散歩でもしてくるよ。ライアンは頑張って賞金を取ってくれよ」


「おう。任せとけ」

 ライアンは胸を張った。


「じゃあ、また後でな」

 そう言って、ティムは一人その場を離れた。


「次の試合は、ドムニク様とイアン様!」


 審判が大きな声で名前を呼ぶと、観衆の前に男が二人現れた。そのうちの一人は、若い剣士だったが、もう一人は先程ライアンと一悶着あった、あの坊主頭の屈強な剣士だった。


 双方共審判から木刀を受け取り、構える。若い剣士が、真剣な眼光で坊主の剣士を見据える一方、坊主の剣士は不敵な笑みをたたえながら、首の骨を鳴らした。


 審判の始めの合図と共に、双方がぶつかり合い、木刀が打ち合う音が弾ける。最初は互角かと思われたが、すぐに若い剣士は力で押され始めた。そして、あっという間に若い剣士の手から木刀が弾き飛ばされ、坊主の剣士は若い剣士の肩口を木刀で叩いた。


「勝負あり! 勝者、ドムニク!」


 どっと歓声が上がる。


 坊主頭の剣士の名前はドムニクというらしい。ドムニクは木刀を捨てると、にこりともせずに下がっていく。


 ライアンはその試合をじっくりと見た後、唇をぺろりと舐めた。どうやら、鼻の穴を一つにするチャンスは本当に訪れそうだ。





 ティムは街の大通りへ出た。前方から差し込む西日に目を細めながら、道行く人にぶつからないように注意して歩く。大半の商店や露店は、少しずつ閉める準備をしているようで、売上金を数えたり、店の掃除をしていたりしていた。


 それにしても、ベールを被ったあのダシールとかいう奴は、半端なく強かった。こっちは限界まで筋肉を駆使して戦っていたというのに、あいつは体力を消耗しているようには全く見えなかった。ライアンのあの自信はどこから来ているのか知らないが、ダシールがいる限り、優勝はあり得ないと思えた。


 そんなことを考えながら歩いていると、ティムはまた本来の目的を忘れていることに気付いた。旅費の獲得ばかりに集中して、守護神石の情報を得ることを忘れてしまっては、本末転倒である。


 ティムは一人の時間を利用して、情報収集を行うことにした。情報通な行商人なら何か知っている可能性が高いと踏み、露店を出している商人中心に聞き込みをしていったが、なかなか情報は入ってこない。


 しばらく歩いていると、アクセサリー屋をしている恰幅のいい商人を見つけた。アクセサリーを売る商人なら、守護神石について何か知っているかもしれない。


 ティムがその商人の露店に寄ると、商人は軽快に切り出した。

「いらっしゃい。お客さん、いいタイミングに来たね。もうすぐ店じまいだから、買うなら今の内だよ」


 そう言い終わらない内に、商人は目の前にある台から銀のネックレスを掴むと、ティムに突き出した。それを受け取り見定めている振りをした後、商人に返す。同時に品物が載っている台に目を通すが、勿論守護神石は売られていなかった。


「このネックレス、本来十五ルーンと言いたいところだけど、もう店終いだし、お客さんだけ特別に十ルーンで売りましょう。どうだね」

 商人は目尻を下げて、とっておきの営業スマイルをティムへ向ける。


「ごめん、ちょっと聞きたいことがあるんだ」


 ティムが言うと、商人は眉を上げて、きょとんとした顔をした。


「聞きたいことって、何だい?」


「守護神石のことについて、知りたいんだ。何か知っていたら教えてくれないかな」


 商人は数回ぱちぱちと瞬きをすると、言った。

「守護神石か。あたしは一度もお目にかかったことはないが、話はよく聞くなあ。何でもエルゼリアに十二ある守護神石の所持者は、不思議な力を得て、魔法を使えるようになるんだとか。そして、何よりその輝きは、エルゼリアのどんな石よりも美しいと聞く。是非いつかお目にかかりたいもんだ」


「どこにあるかとか、分からないかな?」


 その商人は肩をすくめて、両手を広げた。

「うんにゃ、分からんね。力になれなくて申し訳ないけど」


「ヘーゼルガルドにあるってことは考えられない?」


「ヘーゼルガルドかあ」

 商人は顎を指で摩りながら記憶を探っているようだったが、不意に手をぽんと叩いた。

「おお、そういえば、ヘーゼルガルドで守護神石が見つかったっていう噂を聞いたことがあるよ」


「え、本当に?」


 商人は頷いた。

「ああ。でも大分昔の話だなあ。最近はヘーゼルガルドに行ってないから、今あるかどうかは分からないね。そもそもただの噂だったのかもしれないし」


「そうなんだ」

 どこまで有力な情報かどうかは分からないが、とにかく守護神石の情報を掴むことができ、ティムはささやかな達成感を覚えた。やっぱりヘーゼルガルドに守護神石の一つや二つある気がしてきて、胸を躍らせた。


 しかし、ふとティムは思った。もしヘーゼルガルドに守護神石があるとしたら、守護神石の希少価値を考えると、城に住む王族の管理下にある可能性が高い。そうであれば、昨日守護神石の話になった時にフレデリックがそのことに触れるはずだ。そんな話がなかったということは、守護神石があるにしても、それは王族ではないということになる。それとも何か。守護神石はあるけれども、機密の観点から言えないだけだろうか。


 やはりヘーゼルガルドに行かなければ。そうティムは確信した。


 色々教えてくれたお礼に、ティムはサファイアを商人に見せてあげた。


「おお。これは守護神石の一つ、サファイア。一体どこでこれを?」

 商人は、手の平の上で重みを感じながら、その輝きに目を奪われていた。


「父親の形見なんだよ」


 商人はルーペを取り出し、サファイアを丹念に観察した後、唾を飲み込んだ。

「まさしく、本物のサファイアだ。初めて見るが、噂は本当だったようだね。エルゼリアのどんな石よりも美しい」


 ティムは肩をすくめた。

「他の噂は嘘だったみたいだけど。不思議な力も、魔法も使えない」


「ほおお」と唸りながら、商人はもう一度サファイアを食い入るように凝視する。


 その様子を見据えながら、ティムはおもむろに言った。「これ、売ってあげるって言ったらどうする?」


「な、何だって?」

 思いがけない発言に、商人は目を剥いた。

「こ、これを売ってくれるのかい?」


 ティムは、特に頷くこともせず、ただ驚愕の表情を浮かべる商人の顔を見つめながら、そっと下唇を噛み締めた。


商人は冷や汗を垂らしながら、ティムの顔とサファイアを見比べていた。しかし、やがて目を閉じたかと思うと、ティムにサファイアを差し出した。

「是非売ってくれ、と言いたいところだが、これに見合う金が無い。そもそも値をつけられる代物でもないな。大事にとっておくといい」


 そう言われた後も、ティムはしばらく商人の顔を見つめていたが、不意にふうと息を吐いた。

「そうだよね。今の話は忘れてよ」


 この後に及んでのしかかる重圧から逃げようとしている自分がいることに気付いたティムは、軽い自己嫌悪に陥った。





 その後も色々と聞き込みをしたが、新しい手がかりは得られず、ティムは昼にライアンと訪れた酒場に来た。


 その酒場は石造りの建物で、中には十脚程のテーブルが雑然と置いてあり、部屋の奥にはカウンターがあった。酒場の店主が、そのカウンターの向こうで切り盛りをしている。昼に来た時は、店内は明るく、食事をする若者も多く見られたが、夕暮れ時の今の店内は、薄暗く、客も旅人か中年の男たちが大半だった。


 ティムが店内に入ると、入り口の近くのテーブルで飲んでいた髭面の男たち三人がティムに無遠慮な視線を浴びせかける。奥のテーブルでは、五、六人の男たちが調子の狂った笑い声を上げながら、酒を呷っていた。


 客たちの視線を全く意に介さず、ティムは数人の客に当たってみたが、皆泥酔して会話ができないか、何も新しい情報を持っていないかで、埒が開かなかった。


 結局、カウンターの向こう側にいる酒場の店主と話してみることにした。酒場の店主は、精力溢れるきりっとした目をした細身の中年の男で、昼には金策のことで相談にも乗ってもらっている。そして、見つけた仕事の中で最も割が良かった近衛兵の仕事を紹介してくれた。さすがは、情報が飛び交う酒場の店主だけはあるだろう。


 カウンターには、若い女が一人既に座っていた。横からしか見えないが、長い黒髪に仕立てのいいローブを身に纏っている。男ばかりのこの店の中で、その女は豚小屋の中にいる子鹿のように浮いていた。


 ティムがカウンターに座ると、店主が気付いて話しかけてきた。

「おお、昼間の剣士じゃないか。どうだ、何かいい話はあったのかね」


「いや、それが何も無いんだよね。近衛兵の仕事をやらせてもらうかもしれないな」


 ライアンが剣術大会に出ていることは言わなかった。賞金を得る為には優勝しなければならないし、あまりに可能性が低すぎるからである。


「そうかい。気が向いたら、また話しかけてくれよ」


「うん。でも、もう一つ聞きたいことがあってね」


 店主が皿を拭きながら、ティムを見た。

「何だ?」


「守護神石のことについて、何か知らないか。特にどこにあるかが知りたいんだけど」


「おお、守護神石か。それなら、ついさっき情報が入ってきたぞ」


 自分の耳を疑った。何の期待もせずに聞いた分、驚きが大きかった。

「本当に?」


「ああ、今街の東で剣術大会が行われているみたいなんだが、試合中に出場者の一人の懐から守護神石の一つが飛び出たらしい。なんでもサファイアっていう名前の青い石で、風の神の化身だそうだ。ついさっきの出来事だから、持ち主はまだこの辺にいるんじゃないか」


 それを聞いて、ティムは拍子抜けした。


「ん、何だ、もう知ってたのか?」

 店主がきょとんとした顔をする。


 ティムは店主に、気にしないように伝えた。噂が広まるのは早いものだなあと、ティムはつくづく感じた。


 ただ、一つ腑に落ちないところがあった。サファイアという名前を知っているだけならまだいいが、風の神の化身であることまで知っているのは妙である。アクセサリーの商人も言及しなかったところから、一般的にはあまり知られていないのではないだろうか。とにかく、そこまで守護神石について詳しく知っている人間は、そこら中にいるという訳ではないはずだ。


「ねえ、その話、誰から聞いたの?」


 ティムが聞くと、店主はジョッキを洗いながら、顎で指示した。


「そっちに座っている姉ちゃんだよ」


 ティムが横を見ると、その黒髪の女は、葡萄酒のグラスに口をつけているところだった。髪が長いので、横からだと顔がよく見えない。


 ティムは、席を動いてその女の近くに座り、話しかけた。

「どうも、こんばんは」


 女が振り向く。気品のある焦げ茶色の瞳がティムを捕らえた。緩やかな眉は女性的な穏やかさを湛え、すらりとした鼻筋は理知的だった。顔を見ると余計に、喧噪に支配された薄暗いこの酒場は場違いなように思えた。


「今、店主と話をしていたんだけど、守護神石の一つのサファイアが剣術大会でお披露目されたって話は、君が店主にしたんだってね」


「はい、そうです。現場をご覧になったんですか?」


 石を落した張本人であるティムのことを知らないとなると、どうやら直に見たのではなく、人づてに聞いたようである。店主に教えた人間も目撃者ではないとすると、ティムの試合を見ていた誰かが言いふらして回っているのだろうか。


 ティムは少し悩んだが、言うことにした。

「うん、一番近くで見た。あれは俺の石なんだよ」


 女ははっとティムの顔を見た。大きな目を二、三度瞬きさせる。その目は、驚いた目のようにも、その逆のようにも見えた。


「あなたがそうだったのですか」


「突然だけど、質問があるんだ。他の守護神石がどこにあるか、知らないか」


 女は黙って、葡萄酒のグラスを見つめた。質問の意図を考えているのだろうが、ティムの頭にグラスを投げつけようか考えているのかもしれなかった。


 女はグラスを置き、下唇を噛みながら少し考えた後、言った。「私の知っていることを教えることは構いません。でもその前に、なぜあなたが守護神石を探されているのかを教えて頂けませんか?」


「それはまたどうして?」


「興味があるからです」


 ティムは、事のあらましを全て打ち明けた。ティムは、サファイアは死んだ父親の形見であること、その父親の遺志を継いで、自分もエルゼリアを救う旅をしていること、その為に十二の守護神石の全てを揃えないといけないこと、全て話した。


 女は、その一部始終を熱心に聞き入った後、言った。

「そうだったんですか。エルゼリアを救う旅の途中なんですね」


「そう。まあ、雲を掴むような話なんだけどね」


「でも、そんな大きな目標を持って旅をされてるなんて、素晴らしいですね」


「いや、そんなことないよ。目標が大き過ぎるから、そろそろ挫折しようかな」


 冗談っぽくそう言うと、女はころころと笑った。ようやく見る笑顔である。雰囲気からして高飛車な女なのかと思ったら、意外と愛嬌があるらしい。


「じゃあ、そろそろ君の知ってることを教えてよ」


 すると、女はちらりと辺りを一瞥してから、ティムの耳元で囁くように言った。

「ここでは教えられません。場所を変えましょう」





 ライアンは、二回戦目も勝ち抜いた。一回戦目のように難なく、という訳にはいかなかったが、数分間粘った後に何とか勝利をもぎ取った。


 そして大会はどんどんと進行していき、第三戦目に入ろうとしていた。参加者の控えている場所には、最初の半分程の人数しかいなくなっていた。後、二回も勝てば決勝戦にいけるだろう。その分試合の出番も早くなり、あっという間にライアンの順番が来る。


「次は、ライアン様とドムニク様の試合です!」

 審判がそう叫ぶと、歓声が巻き起こった。


 ドムニクが、太い首と指を小気味よく鳴らしながら、前に出てくる。ライアンも続いて前に出ると、ドムニクは汚い歯を見せてにたりと笑った。


 ライアンは跳躍して体をほぐしながら、準備を整える。


 二人は審判から木刀を受け取り、剣を構えた。


「まさか、さっきの借りをこんな形で返すことができるとは思わなかったぜ」

 ライアンが言うと、ドムニクは、声を出さずに笑った。


「いかにも。貴様のようなウジ虫は初戦で消えているかと思った」


「フフフ・・・面白い冗談だ」


 そして数秒の沈黙の後、審判は歯切れよく開始の合図を出した。


「おるああああああ!」

「ふぬああああああ!」


 ライアンがこめかみに青筋をたてながら、ドムニクに斬りかかる。対するドムニクも力一杯木刀を振りかざす。木刀が強い力で合わさり、鋭い音が響いた。そのまま両者力で押し合う。


「うっく・・・!」

「ほぉぉ・・・!」


 両者の口から息が漏れた。


 すると先にドムニクが横に身をかわし、ライアンは少し前のめりの形になった。だが、すぐに後ろに体の向きを変え、ドムニクの次の斬撃をかろうじて受け止める。そのままライアンは後ろに跳び退き、もう一度木刀を振るった。


 ドムニクはもう次の攻撃に移っていた。もう一度木刀が激しくぶつかり合い、今度はすぐにドムニクが下がった。


 しまった、とライアンが思った時には、もう遅かった。ライアンの体が泳いだその一瞬の隙を見逃さず、ドムニクはがら空きになったライアンの頭に木刀を振り下ろす。


 審判が手を上げると同時に、鈍痛がライアンの脳天を揺れ動かした。


「勝負あり!勝者ドムニク!」


 観衆から、毎度のように歓声と拍手が聞こえてきた。


 ライアンは、指の力を失い、ぽろりと木刀を落とした。

 「痛ってえええええ!」と叫び、そのまま頭を押さえてうずくまる。


「ふん、結局口だけのウジ虫だったな」

 ドムニクは、そう呟くと、何事もなかったかのように、くるり踵を返した。


 しかし、二三歩歩くと、今度はドムニクの後頭部に重い衝撃が走った。振り向くと、うずくまっていたはずのライアンが、顔を赤く煮えたぎらせて掴みかかってくる。観衆は、ここぞとばかりに野次を飛ばして、はやし立て始めた。


 ドムニクは殴られた頭を片手で押えながら、訳も分からずうろたえた。

「お前、この後に及んで何を・・・」


「痛かったじゃねえか! 何しやがんだ!」

 ライアンがドムニックの顔面に怒鳴り声を浴びせかける。


 ドムニクはようやく状況を把握でき、怒りを露わにした。

「てめえ、まだやられ足りねえんだったら、これからみっちりと・・・」


「俺の千ルーン返しやがれ!」


「そんなもん知るか! なめてんのかコラァ!」


 そこでようやく審判と周囲にいた参加者の何人かが、止めに入る。

 数人に押さえつけられながらも、激高したライアンは我を忘れて叫んだ。

「千ルウウウウーン!」





 店を出ると、赤い夕焼けに雲が覆い被さり、空は赤紫色に染まっていた。少し薄暗くなってきていたが、まだ日の光は届いている。


「どこに行くの?」

 ティムが前を歩いている女に尋ねた時、女は街角を曲がった。そのまま人気の無い暗い路地裏へと入っていく。


 ティムが路地裏に進んでいく女の後姿を怪訝そうに見つめていると、女が振り向いた。

「ここらへんでいいでしょう。近くまで来てください」


 ティムは言われるままに、路地裏に入った。路地裏は薄暗く、飲食店の出したごみが樽の中に詰められていた。


 ティムは女の元へ歩み寄り、両手を広げて言った。

「こんな食堂の残飯とネズミしかいないような所に何があるっていうんだい?」


 すると、女は無言で腰に括りつけていた小さな袋から、何かを取り出した。それは淡い水色の石だった。薄暗い路地裏で、その石が透き通るような輝きを放つさまは、まるで女の手の上から泉が湧き出したかのようだった。


 ティムが息を飲む。

「これは・・・」


「十二守護神石の一つのアクアマリンです。私の手に渡ってから、人に見せたのはこれが初めてです」

 女は淡々とそう言いながら、アクアマリンを見つめた。


 ティムは、顎に手をあて小さく何度も頷いた。

「なるほど。つまり、これが君の知っている守護神石のありかって訳だね」


「はい。もったいぶったやり方をしてすみませんでした。あまり、人目に晒したくないものですから」


「いいよ。だけど、君が持っていることが分かった以上、俺は君に頼みがある。まあ、もう君も分かっているんだろうけどね」


 ティムがそこまで言い終わった時、女の目が突如大きく見開かれた。


「その石をよこしな!」


 背後からどすの利いた声が聞こえた。


 反射的に振り向くと、そこには太った大男と小柄な男の二人が、路地裏と街道の間をふさぐようにして、立っていた。二人とも、腰に剣をさしている。


「ギャァァァァ! ナイスタイミング過ぎる!」

 ティムは悲鳴を上げながらも剣を抜いた。


 小柄な男はにやにや笑いながら、舌舐めずりをした。やけに大きい鷲鼻の持ち主だ。


 太った大男が口を開いた。

「タイミングがいいのは当然だ。俺たちは、お前さんの出ていた剣術大会の見物人だよ。お前さんが派手に守護神石をお披露目した試合を見てから、ずっとお前さんを尾行していたのさ。人気の少なくなる夜まで待って、隙を狙おうとしていたんだが、まさか獲物がもう一つ増えるとは思わなかったぜ。本当についていやがる!」


 言い終えると、太った大男は顔を歪めて下卑た笑い顔をつくった。ティムはごくりと生唾を飲み込んだ。


 女は腰にレイピアを差していたが、こんな細い体では戦力として期待できない。


 この女がこんな所に連れ込んでくれなければ、こんなことにはならなかったのに、このバカ女!


 くう、どこかに逃げ道は無いものか。


 ティムは剣を持ちながら、辺りをきょろきょろ見回し、逃げ道を探ったが、そんなものは無かった。


 男二人は、剣を抜くと、薄汚い笑みを浮かべながら、ティムたちの元へ、じりじりと近づいてくる。


 ああ・・・絶体絶命・・・。


 そうティムが思った直後、背後から女が言った。

「下がっていて下さい。ここは私が何とかしてみます」


「はあ・・・?」

 自然と声が漏れていた。


「大丈夫です」


「いや、大丈夫って言われても」


「心配しないで。私を信じて下さい」

 力強く、説得力のある口調だった。


 少し躊躇ったが、結局ティムは後ろに下がった。

「どうなっても知らないからな」


「何だぁ? 逃げる気かぁ? 残念ながら、逃げ道なんて無えぞ」

 男二人は、目を吊り上げて笑いながら、なおも近づいてくる。


 ティムは唾を飲み込むと、剣を構えた。後、数歩で、男二人の攻撃はティムたちを捕らえるというところまで、男二人は迫っていた。


 この女、何なんだ。何とかなる訳が無い。もしかして頭おかしいんじゃないだろうか。


 とにかく、ティムはこのままむざむざ攻撃されるのを、指を咥えて待っている訳にはいかなかった。

 剣を振りかざして、男二人を迎え討つべく、前に突っ込む。



 その時だった。



「ゆらめく水塊よ。骨肉を砕く砲弾となれ」


 凛とした声色で女が呟いた。そして、女の右手が前方に突き出されたかと思うと、水しぶきが凄まじい勢いでほとばしり始めた。


 信じられない光景を前にしてティムはすっかり度肝を抜かれ、持っていた剣がからんと落ちた。


 すぐに水しぶきは止んだ。同時に、路地裏の入り口の辺りに伸びている男二人が目に入る。


 女が振り返る。

「今の内にここから離れましょう」


「あ、う、うん」

 口をぽかんと開いたままその場に立ち尽くしていたティムは、ようやく女の声で我に帰ると、慌てて剣を拾い上げた。


 二人は、すっかり水浸しになった路地裏を走り、通りに出た。男二人は気を失って伸びているようだった。


 しばらく、通りを走り続け、さっきまで二人がいた酒場の近くまで戻ってくると、女は足を止めた。


「この辺でいいでしょう」

 少し息が切れている。


 ティムも止まり、息を吐いた。

「ごめん。尾けられていたなんて気付かなかった」


「いいんです。でも、もうこの街にあまり長居しない方がいいですね」


「君は一体、何者なんだい? さっきの水はどうしたの?」


「私は、ソニア・クランスフェイドといいます。さっきの水は、私の魔法です」


 ティムは、目を丸くした。

「魔法だって!」


「魔法は、ご存知ないのですか?」


「そりゃあ話には聞いたことはあるけど、実際に見るのは初めてさ」


「そうですか。それでは驚かせてしまいましたね」


「おったまげたよ、本当に」


 ソニアは、悪戯が成功した子供のように、ふふっと笑った。

「ごめんなさい。あなたの名前も教えて頂けますか」


「俺は、ティム・アンギルモアっていうんだ」


「ティムさん、これからどうなさるんですか」


 その時、ティムは、忘れていたことを思い出した。

「そうだ、ライアン」


 ソニアがきょとんとした顔で、ティムを見る。


「剣術大会には仲間と一緒に出場したんだ。俺はすぐに負けちゃったんだけど、あいつはまだ勝ち残ってたんだ。そろそろ剣術大会も終わる頃だから、迎えに行かないと」


「そうなんですか」


 しかし、このままソニアと別れる訳にはいかなかった。ソニアは守護神石の一つであるアクアマリンを持っている。それに、守護神石について、聞きたいことがまだまだいっぱいあった。


 すると、ソニアが全て察したように、先に口を開いた。

「私も行きます」


 ティムはこくりと頷くと、剣術大会の会場の方向へ駆け出した。

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