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上には上がいる。ということは下には下がいるということ。
おっさんは、俺よりどのくらい下なのか。
いや、田中のおっさんといえど一応人の子。上とか下とか、そういうことを言い始めると俺も人のことなど言えず、世間一般の人から見ればおっさんも俺も同レベルなのでドングリの背比べといった感じになってしまうのか。
でも、強いて言いたい。言わせてください。誰に言ってんだ。自分の心なのだから勝手に言えばいいだろう。じゃ言います。
俺は県民税を滞納しておるだけだが、この人は家賃滞納、多重債務、ギャンブル中毒、おまけに現実を履き違えているところがある。
手におえん。取り返しがつかない。人生を挽回できないと思う。よっぽどホームレスになった方が気楽かもしれん。
どうするつもりなのか、一度真剣に問うてみたい。なにか、人生を劇的に挽回する方法を画策しているというのだろうか。
聞いてみたい気持ちも多分にあるが、ここは現実世界なので、そのことを聞いても聞かなくても時間はどしどし流れていくし、現実はどんどん過ぎ去って過去という灰色を帯びたものになっていく。
おっさんが、火に落ちた肉の油が焦げる煙でむせている。
河原なら文句言われねえだろって、俺たちはただ川がだらだらと流れていて、石がごろごろとした、大して絵にもならぬような河原にいる。
先ほど買ったウィスキーを紙コップに受けて、焼き肉を食いつつ飲んでいる。
久々の肉。舌がびっくりするほどうまかった、と作家なら描写するのだろうか。映画のト書なら、「田中と喜村、河原で向き合って焼き肉を焼いている。喜村、カルビを食べる。田中、煙にむせた後、ウィスキーを紙コップに注ぐ」という具合になるのだろうか。
作家でも脚本家でもない俺が、どうしてそんなことを考えるのか。久々にカルビや牛タンを食っているから、脳が喜んで弾けているのだろうか。そういうことを思ったが、実際問題として、肉の味の方が優勢なので、その思いはどこかへ消えていった。
俺たちは、終始寡黙であった。目の前の相手とのコミュニケーションより、焼けた肉を頬張る方が大事だったからである。俺もおっさんも、場の空気や雰囲気などに気を遣うような時期はとっくに過ぎており、というかろくに社交をしていない俺たちにとって場というものを繕うような技術は身につけておらん。よって目の前の欲望に率直になり、自分の食いたい分だけ網に肉を広げ、程よく育ったところでこれを食らう。相手の食べるペースなど気にしない。相手より一枚でも多くの肉を食いたいと思っている。
河原での焼き肉は、俺たちにとってレジャーではないのだ。
いわば、肉を食らいたいがための唯一の措置である。
別におっさんと親交を深めるとか、そういう意味合いは当然無くて、たまたま欲得が一致しただけのことである。
うまいものはただ、黙して食えばいい。
ということで、俺たちはただ黙して焼けた肉にタレをつけ、またはコショウを振り、飲みかつ食らった。
これだけうまいものを食っておるのに、俺たちはうまいと一言も発しなかったのが不思議である。
俺たちの浅ましい焼き肉を見るや、捕虫網を持った子供たちが見てはいけないようなものを見る目で、こそこそっと走り去っていった。