6
木々に囲まれた公園。
普段はコンクリートや無味乾燥した街並みに暮らす者が、緑を求めてやってくるような森林公園である。
実に清々しい。
鳥も鳴いているし、虫もいる。舗装もされておらず、凹凸の地形からして、ここは昔、城のお堀かなにかだったようだ。
「焼き肉、ここでやるの?」
「うん」
「たしかに燃やす物はありそうだけど、公園で焼き肉やって大丈夫なの?」
って、俺が少し不安になって聞く。
「人もいないし、大丈夫でしょ。そのための公園だし」
おっさんは貯金箱の穴みたいな目をしている。
幸い、人は誰も居らぬし、こんなところに用のある人は俺たち以外にいないのであろう。ここで火を熾すことにした。
炭代はケチったので、その辺の木を拾って薪にする。
田中のおっさんは、だらだらと先ほど購入した物を物色し、肉は肉、酒は酒という感じに整理して並べ始めた。手に取ったひとつひとつの品を、いとおしむかのごとく眺めておる。
そういうのは後にしろと言うんだ。
俺は憤ったが、おっさんのケツを蹴っても素早く動くとは到底思えぬので、俺が一人で薪を集め始めた。
雨は最近降っていないというのに、地面の少し深いところは湿っている。落ち葉をめくると、すぐに湿った土が現れる。
これなら火事の心配はねえな、って俺は界隈の枝や乾いた葉を集めた。三度ほど運んだ。おっさんは、動かない。今度はウィスキーのラベルを丹念に矯めつ眇めつしている。ウィスキーを凌辱しているような、いやらしい目であった。汚らしい目つきであった。おっさんは、俺が薪を拾うのは当然で、自分は俺の薪拾いが終了するまで監視する係と勝手に決めているようだ。手伝う気配がない。
なんやねん、このおっさん。やっぱり腹立つわ。殿様かよ。
肉は、絶対に俺が多く食う、
そう誓いつつ、焼き肉に適量な薪を運んだ。
「おっさん、薪運んだぞ。これくらいでいいだろ?」
「ああ、充分でしょ」
おっさんは腕組みして仁王立ち。俺の拾い集めた薪を、仕事ぶりを批評するように見下ろしている。
この労働のせいで腹が減ったうえに、結構汗もかいた。その俺に向かって「ああ、充分でしょ」と言う。ふたりで焼き肉をやろうと決めたのに、いざ焼き肉をする段になるとどういう訳か主従関係、俺は見てる係、喜村は作業する係と勝手に立ち位置を作ってくる。
このおっさん、意識しているのか、それとも無意識なのか、一挙一動が本能的に頭にくる。
こんなおっさんを、心の中とはいえ聖人だと言ったり、寛容だと思ったりした俺が恥ずかしい。きっと、人間関係に貧しい俺の観察眼は衰えているのだろう。
あんまり気にしていると、おっさんに飛び膝蹴りをしたり、アームロックをかけるといった粛清をしてしまうかもしれない。そりゃまずい。傷害になっちまう。
これでも一応大人の部類である。我慢をしつつ、俺は火を熾した。
ややあって、太い木がちょうど炭のようになった。炭火に近い感じである。
「そろそろいいんじゃないの?」
おっさんに言うと、
「こんなもんでしょ」
「じゃあ、網置いて、」
と言いかけたとき、「ちょっとあんたたち」と怒声が飛んできた。
見ると、そこには蝶の刺繍があるエプロンをつけたおばさん。きついパーマをかけていて、頭から黒い綿飴を被ったような髪形をしている。手には水の入ったバケツを持っている。
おばさん、サンダル履きで俺たちの方へ歩み寄って来た。
「なにか?」
おっさんが口を開いた。取り澄まして、一体なんのことかさっぱり分からないというふうな口調であった。
「私たちは、公園内の正当な使用方法をしているだけですが?」
十中八九、火を熾していることへの文句であることは明白である。っていうか、その辺の子供にも分かることだろう。ところが、おっさんはなんのことやらスタイルをやめない。
その態度が、すでに立腹気味のおばさんを怒りの頂点へと到達させた。
「こんなとこで火、熾したら火事になるでしょうが。たき火は禁止って書いてあるでしょう。ねえ、分かってんの、このムシけらども! 煙がこんなに出てたら間違われるでしょう。大人が昼間っから酒なんか飲んで非国民。人間の最下層!」
おばさんは、田中のおっさんに掴みかかろうとする勢いである。
この際、この正義感溢れるおばさんにおっさんを粛清してもらったほうが良いかもしれない。だが、俺も同罪。俺も粛清の対象になるので、立場上、
「まあまあまあ。すみませんでした。すぐにやめますから」
と、おばさんをなだめた。
田中さんは、おばさんを必死に論破しようとしていた。
「私がここで何をしようと、あなたに言われる筋合いはありません」
わざと丁寧な敬語で武装して、紳士的に打ち負かそうとしている。けれど、そういうのはドラマだけのお話、ここではおばさんパワーの方が圧倒していた。
まあ、ここに来るときに「ここでたき火をしてはいけません」という看板を見た気がする。おっさんも、確実に看板の文字を注視していた。だのに、おっさんは今、焚き火肯定の論陣を張っている。
フェアな視点で見れば、おばさんの論は九割以上正しい。おっさんの側には一理もない。やっちゃいけないところで、焚き火をして、それを怒られている。おっさんは今、それを幼稚な紳士的敬語攻撃で論破してひっくり返そうとしている。実に見苦しい。
「私たちに人権はないんですか。あなたは弱者に対して横暴に権力をふるうんですか。じゃあ、あなたは焼き鳥屋の煙がけむいといって訴えますか。あなたが文句を言うのは我々が弱者だからじゃないんですか」
おっさんは震えていた。震えを隠そうとしていた。小心者か。
その、あなたが、あなたは、とか言うのがますます相手の怒りを助長させるというのに、おっさんは気づいていない。ただ、敬語の応酬で論破できるものと思っている。
甘い。おばさんという人種にはそういうものは通じない。
だが、このおっさんはやめない。テレビかどっかで見た弁護士のような口調を真似て相手を黙らせようとしているのだ。
幼稚なおっさんだ。この年になるまで、一度も口論の経験が無いのだろう。
あなたが、あなたは、と幼稚な敬語をやめないので、
「おっさん、俺たちが悪いと思うよ。ほら、火、消して。おばさん、すみませんでした」
おっさんは黙った。黙って、頭を下げる俺を見ていた。
おばさんは、仕留めた獲物、もう抵抗せぬ獲物を見るような目で、
「別に分かればいいのよ。でもあんたたち、どういうご関係? 親子?」
「いえ、ただの知り合いです。すみません。もう安心して帰ってください」
「ふうん。どうでもいいけどね。傍から見たら、あんたたち不審者だから」
おばさんは、おっさんの方をじっとりした目で見て、帰って行った。
田中のおっさんはというと、そのおばさんの背中を憎悪に満ちた目で睨んでいた。
殺してやると言わんばかりの目であった。
しばらく俺たちは、火の消えたように口を閉ざしていた。俺が熾した火も、おばさんが手にしたバケツの水をぶっかけて消していった。
不完全燃焼のときに出るような、妙な臭いが辺りにたちこめていた。
「おっさんさあ、あんたなんなの?」
最初に出た言葉がそれだった。
なんか、意図せずそういう言葉が出てしまった。
先の幼稚なやりとりや、無茶苦茶な論陣を張ろうとしたこと、全部ひっくるめての感想だった。
「別に、俺悪くないし。あのババアが勝手に喚いてるだけだし」
やはり、精神年齢は十分ではないのだろう。しかし、彼は気づいていない。自分が充分立派な意見を持つ大人だと誤解している。俺は悟った。
自分に都合の良いことだけを主張して生きている。都合の悪いことは捻じ曲げて考える。自分が間違っていると知っていながらも、自分が正しいと言い続ける。
社会から弾かれて然り。まあ、社会人にもこういう人、多いけど。
「裁判やったら絶対勝てるよね」
「勝てねえよ馬鹿。公園じゃだめだ。火も消えたし」
この人との議論が不毛だということが分かったので、百パーセント安心して焼き肉ができるような場所を探すことに専念する。
「おっさん、近くに河原ねえか?」
「普通にあるけど」
「じゃあ、そこを最初から言えよ」
おっさんは土偶のような目をしている。自分だけが不当な扱いを受けたかのような、被害者的な目をしている。
つまり、そういう人間なのだ。
おっさんは、荷物を強引にビニール袋におさめて、歩いていく。
俺はそのあとを追った。
ただ、会話もなく、おっさんが歩いていく方向が河原だと信じて。