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ただ寝転がっていても腹は空く。
俺がそういうと、田中のおっさんは何か作ってくれると言う。
ちゃっちゃっ、とフライパンを振っている。やけに手際が良い。包丁さばきも素人ではない。
五分も待たずに出て来たのは飯粒がパラッとした感じの炒飯。
妙にうまそうである。
聞けば、かつて板前をやっていたという。
そのおっさんの手料理を食らう。
「まずっ」
俺は口に入れるなり言った。
「なんでこんなに甘いんだよ。おかしいでしょう」
おっさんは、ああ、と言って、
「塩を袋に足そうと思ったら、砂糖を入れちゃってね。捨てるの勿体ないからそのまま使ってる」
とぬかした。
捨てろよ。
そういうところが、板前の勤まらない理由だろうと俺は察した。
この一件があってから、田中のおっさんは料理を俺に振る舞わなくなった。
昼過ぎまで、俺とおっさんは大した会話もせずにテレビを見ていた。
今話題の玉ねぎの皮の茶が健康に良い、という全く興味の湧かない番組しかやっていない。
玉ねぎの皮の茶の効果を二人で確認したあと、おっさんがおもむろに口を開いた。
「焼き肉やらない?」
「いいよ。やるやる」
ここのところ肉らしい肉を食っていなかったので、俺は即答である。残金も残りわずかな俺にとっては、焼き肉など夢のようなことである。
ひとつ、ジューシーなやつを食らいたい。肉汁をすすりたいものだ。
「でもさ、肉あんの?」
「買わないと無いよ」
買わないと無い。ということは、焼き肉をするにはどこかで肉を買う必要があるのだけど、俺は金銭的に貧しい。この人も労働をしていないのでどのくらいの財産があるのか非常に疑わしい。
「俺、あんまり金持ってねえんだけど」
素直に言うと、
「俺があるからいいよ」
と全く顔色を変えずに答える。
聞くと、丸丸町というところに母親が暮らしていて、年金生活を送っているらしい。おっさんは、彼女の年金からパチンコの軍資金と称して箪笥の奥から五千円、一万円とくすねてくるのだという。
「ふうん」
と俺はそれだけ答えた。まあ、どうあれ金があるならいい。金があれば気持ちよく焼き肉ができるのだから。
おっさんは一万円くすねて、それをパチンコで三万円ほどにしたから金は俺が出すと言った。頼もしいことだ。そうして適当な店で肉やビールを買うはこびとなった。
まず蛍光灯が薄暗かった。客がいねえ。店内が狭いし、品揃えもよろしくない。
皆が行くような食品スーパーに行けばもっと安いものが品数多くあるのに、どういう訳か八十がらみの婆さんがやっている薄暗い食品店にいる。
なんとも世間の事情に乏しい。
田中のおっさん、こういうところがダメなのかもしれん。しかし、実際に金を払う人間がそこだと言えば、逆らう訳にもいかない。
数日間一緒に暮らして、俺は神経を逆なでするようなことをおっさんに言ってきたが、まだ一度もおっさんの怒る顔を見ていない。だが、普段怒らない人間が怒るというのは、いつも怒っている人間が怒るのよりも恐ろしい。
しかし滅多に怒らない人というのは、意外なところで激憤するものだ。
あんまり言うと怒り狂って襲ってくるかもしれん。
しかたなしに、明日にも潰れそうな店で買い出しを行う。
すれ違うことが困難な狭い店内。幸いなことに、客は俺たちしかいない。
すいている。いや、混雑する時間があるのか疑わしい。
スーパーより狭い食品店はなんと呼称するのだろう。やっぱりスーパーでいいのか。ここをスーパーと呼ぶにはちっと足りない気がするんだけども。
おっさんは買い物かごを手にして、肉を目指して奥へ進んでいく。
俺は黙って後ろをついていく。
道中、ウィスキーと目が合った。
撫で肩の瓶に入った、飴色の液体。そそるぜ。たまらん。
口に含んだときの味と鼻から抜けていく香りを想像した。
できれば、焼き肉の後にこういった小粋なモノをやりたいものだ。
「これ買って良い?」
と聞くと、
「いいよ。酒、もっと買っていこうか」
おっさんは生活用品こそ粗末だが、こういう嗜好品には惜しみなく金を使うのだろうと思い、プロセスチーズ、さきいか、鮭とば、ポテトチップス、煙草などを気ままに放り込んだ。本命の肉を選ぶころには、買いものカゴはすでに並盛りほどになっていた。
そのせいで、会計が五千円を超えてしまった。
おっさんは、婆さんが弾いた電卓をじっと見つめている。
「喜村君」
「えっ」
「ちょっと出してくれる?」
会計の際になって言いだしやがる。
さすがに高額だと思ったのか。しかし、会計がこんなになったのは俺が人の金だと思って欲望のままにカゴに入れたせいなのは確かであろう。
とりあえずポーズで財布を出したが、
「俺、手持ちがあんまり無いんだけど」
俺、三千円しか持ち合わせていない。かといって口座にも二千円ちょっとくらいしかない。
「じゃあ千円でいいよ」
おっさんはやはり平然とした態度であった。いかなるときでも平然超然としている。
ここで嫌だと言うと、俺たちの関係に罅が入るかもしれないので、大人しく千円払った。
千円を失ったことで、心がわだかまった。
千円というのは、俺がこの先生きるための金である。
店の外へ出てからおっさんに文句を言った。
「田中さん、まじ勘弁してよ。俺、金無いんだけど。さっき出してくれるって言ったじゃん。田中さんと違って金引っ張れるところも無いし」
おっさんは依然として超然スタイルを保っている。
「いやね、軍資金が減っちゃうと思って」
微笑をしつつ、ビニール袋を提げて歩いている。
「またパチンコ行くのかよ。いい加減やめろよ」
「一万が三万になったわけだろ? 今日四千円使って、余った金でパチンコしたら、ゼロになるかもしれないじゃん。でも残った金持ってたら、またこうやって肉買ったりできるわけだろ」
「やめようやめようと思っているが、新台が出るたびに行ってしまうんだよね」
と言葉を濁した。
元は親の年金からくすねた金。それで肉を買ったり、パチンコに興じたりしている。
このおっさん、どうしようもねえ。
「でもさ、親がいるってことはさ、借金取りとかそっちに行ってんじゃないの?」
「縁は切ってあるから。続柄では他人だし」
田中さんはひょうひょうと答えた。この人、どんなときでも無表情なので感情が読みにくい。何を思考しているのか判別しがたい。こういう人間でも泣いたり怒ったりするのだろうか。それとも、今までこんな感じのポーカーフェイスで金を借りたり、パチンコをしたり、猫をいじったりしてきたのだろうか。
「金無かったらさ、サラ金で借りたらいいよ。限度枠までは引っ張れるから」
「その限度枠ってのはなに?」
田中さんはただ正面を向いて歩くだけで答えなかった。
「つうか、さっきからどこ向かって歩いてんの? 家は向こうだろ」
俺、焼き肉は家で行うものとばかり思っていた。しかし、おっさんの家にはホットプレートなどの焼き肉を行う環境が無いという。よって、どこか適当な屋外にて適当に火を熾したるのち、肉を焼いて食おうと言うのである。
「網はあるからさ」
さきほどの店で網を買ったのをいささが不審に思っていた俺だが、これで合点がいった。
「とにかく早く焼き肉がしたいんだけど。どこでやんの」
おっさん、また無言で歩きだす。
俺、また無言でついていく。