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8 眠れない夜

 やばい。ついうっかり舞い上がりそうになってしまった。


「決めつけるのは早い。空音かのんがそう言ってたわけじゃないだろ?」

「そうだけど、人には非言語コミニケーションが存在するんだよ。そこには、言葉による情報以上の感情が表れる」

「非言語コミニケーション…?碧音あおとの言うことは難しいな。バカな俺にも分かりやすく話してほしい」

「ザックリ言うと、無意識のうちに態度や仕草に出る本音ってことだよ」

「なるほど……。そういえば、前にテレビで言ってた。好きな対象を見る時、人の瞳孔どうこうは通常時より大きく開くって。目がキラキラした状態って表現されるのはそのことだとかなんとか……。つまりそういう話か?」

「そう!ちょっとした心理学だよ」


 心理学、か。そういえば、俺達が入れ替わった日、碧音の部屋の本棚にそれっぽいタイトルの本が何冊かあるのを見かけた気がする。


「学校の勉強も大変なのに、よく他のことまで勉強しようと思うな。今日一日の学校交換で改めて進学校のすごさを知ったし」


 学校自体は楽しかったけど、北高の授業を受けるなんて二度とごめんだ。留年しそうだし。


「すごいよ、碧音は」

「そんな大したものじゃないよ。興味あることはとことん突き詰めたくなるたちなだけ」


 それでもすごい。学校の勉強ですらあまりやる気がしない俺とは真逆の姿勢だ。


「でもさ、心理学で言われてることって人間だから当てはまるんじゃ……。空音って神だし、この場合どうなんだ?ちょっと違う気もする」

「そうだね。神だから人間の心理そのものを当てはめるのは間違いかも。ただ……。その言葉、空音ちゃんには禁句かもよ?」

「どうして?」

「彼女は神である自分にジレンマを感じてそうだから」

「ジレンマ……」


 碧音は、俺とは違う見方で空音を分析してるらしい。


「自分は神の力を取り戻し世界を統括とうかつしなければならない存在。分かっていながらも、慈輝いつきに惹かれ、このまま人間でいたいと願ってしまう。そんなところじゃないかな」

「そんな……。でも、そんなの本当かどうか分からない。お前の推測すいそくだろ?それより、もうこの話はやめよう。父さん達に聞かれたら困る」


 父さんと母さんは空音の正体を知らない。空音の話は家でしないよう気をつけている。


「ああ、父さん達から帰宅メールが来たっていうの、ウソだから」

「なっ、そうなのか!?どうしてそんなウソをっ」

「あのまま放っておいたら、空音ちゃんと慈輝、間違いなくこじれてたでしょ?」


 そうだった。碧音のウソがなければ、俺達は冷静になれなかったと思う。


「ありがと、碧音」

「気にしないで?ちなみに、父さんと母さん朝帰りになりそうだって」

「えっ!?仕事じゃないの?」

「明日休みだから、久しぶりに仕事後のストレス発散にって、駅周辺のバーはしごしてるって。けっこうおいしい店多いとかで」

「そうなんだ。大人も色々大変なんだな」

「ってわけで、今夜は久しぶりにボーイズトークできるよっ。思う存分思いを吐き出しちゃって〜?」

「やけに嬉しそうだな。空音を先に寝かせたのはわざとか?」


 ジトッとした目を向けると、碧音は子犬のように潤んだ目をした。


「ひどいよ慈輝。俺と二人きりがそんなに嫌?」

「女の子がやったら可愛いけど、男がやるとうさんくさいな、上目遣いって……」

「まあまあ、とにかく座って座ってっ」


 まあ、いっか。碧音と二人で話すなんて何年ぶりか分からないし、正直今は空音と顔を合わせづらい。この流れは助かった。



 碧音の作ってくれた手作りフライドポテトをつまみつつオレンジジュースを飲みながら、俺達はリビングで月を眺めた。


「今ちょっと気分も落ち着いて分かったんだけど、あの時ショックだったんだ。空音に、ゆずきちゃんと二人きりで会えって言われたから」

「慈輝、やけに抵抗してたもんね。どうしてそこまでショックだったの?」

「何でだろ?分からない。ただ……。だからこそ、空音が俺を好きだなんて、ありえないと思うんだ」

「そう?」

「だって、好きな人が他の異性とデートしたら、普通は嫌だろ……。空音は平気で俺をゆずきちゃんに会わせようとした。俺のこと何とも思ってないってことだろ?ショックだよ……」

「慈輝も、やっぱり空音ちゃんのこと居候いそうろう以上に思ってるんだね」

「え…!?そんな、別にそういうのじゃっ」


 あわてる俺に、碧音は見透かしたような視線を向ける。


「無自覚な慈輝にもう一つ教えてあげる。さっき空音ちゃんと一緒におでん作ってた時、彼女、慈輝の話ばかりしてたよ」


 空音が俺の話を?


「記憶を失い、右も左も分からず公園で呆然ぼうぜんとしていた時、躊躇ちゅうちょなく手を差し伸べてくれたのが慈輝だったって、ね。あと、初めて食べたご飯がとてもおいしかったって。ちくわは好きだけど、中でも、慈輝の手作り焼きそば(ちくわ入り)が一番好きだって言ってたよ。今日の夕食おでんで納得してもらうのすごく大変だったんだから」


 碧音は困ったように笑う。俺がいない間にそんなやり取りがあったなんて……。聞くと、今夜の夕食を決める時、空音は何度も俺の焼きそばを食べたいと訴えたそうだ。


「材料がなかったし慈輝も帰ってないから仕方なく諦めてもらったけど」

「ごめんな、面倒かけて」

「全然いいよ。これから慈輝が夕食当番の日は焼きそば率増えそうだね」

「ははは、間違いない。そんな話聞いたら作らないわけにいかないしな」

「ふふっ。なんか本当の妹みたいだよね、空音ちゃんって」

「そうだな、それ思った。しっかりしてるかと思えばちくわ食べたいってごねたりして。初めて作った焼きそば、冷蔵庫のあまりモンで作った手抜き品なのに、そこまでリスペクトされてるなんて思わなかった」

「そういえば、そのこと空音ちゃん気付いてたよ」

「えっ?」


 手抜きで焼きそばを作ったことや人生に諦めを感じていたことなど、空音は俺の全てを見抜いていたと、碧音に話したそうだ。


「『優しいのかそっけないのか分からない』。慈輝に対して初めはそんな印象を持ってたみたいだよ、空音ちゃん。でも、根っから優しい人間だってすぐに分かったって」


 碧音の話を聞いているうちに、頬がほてってくる。


「空音ちゃんは、まるで自分のことみたいに嬉しそうに慈輝の話をしてたよ。学校交換も楽しんでてほしいって言ってたし、恋愛に関しても、慈輝にはいつか運命の人と幸せになってほしいって」

「空音がそんなことを…?」

「他にもあるよ。慈輝の匂いが好きだから慈輝のベッドで寝ると安心するとか。だから、昼寝する時は慈輝のベッドをこっそり使ってるって。あ、これ、口止めされてたんだった!」

「まっ、マジか…!それ、俺に言っていいのか!?」


 全然知らなかった。そういえば前も、俺のベッドで寝てたことあったっけ……。通りで最近、ベッドから心当たりのない甘い香りがしていたわけだ。匂いの記憶は強く残るらしく、話題に出るだけで追体験しているかのようにドキドキしてしまう。


 碧音は悪びれることなく空音の秘密情報を提供してくる。その様子はどこか楽しそうだ。内容が内容なだけに、俺はしどろもどろになるし、恥ずかしくて仕方ない。顔だけじゃなく全身熱くなってきた。


「でも、だからって好きとは限らないだろ?ほらっ、よくあるアレだよ。異性に見れない男子には平気で好意あるっぽいことできる女子ってよくいるし!」

「そうかもしれないけど、空音ちゃんはそういうのじゃないと思うよ」

「いや、甘い!マカロンより甘いぞ碧音っ」


 神だった時、空音は裸で暮らしてたような身だ。居候先の男のベッドを使うことも、食事や睡眠といった基本行動の延長くらいにしか思ってないだろう。


「そのわりに慈輝いつき、嬉しそうだね」

「べっ、別にそんなことはっ!」


 今まで、何度か女の子に告白されては嫌われてきた。モテたとは言えないハンパな状況ばかり経験してきたけど、誰かに好意を打ち明けられるのはやっぱり嬉しい経験であることに違いなかった。


 誰かに特別なプラス感情を持たれるのは、心弾むもの。知ってはいたけど、今回の場合は喜びもひとしおだった。


 空音が俺のことを好き。そんな碧音の言葉に、俺は自分が自分でないみたいに浮かれてしまう。女の子に好かれてここまで気持ちが舞い上がるのは初めてだった。


「アレコレ否定してたけど、慈輝は空音ちゃんのこと気になってるんだね。ゆずき以上にさ。ゆずきとのことなんて、最近じゃ思い出すことも少ないんじゃない?」


 碧音は満足そうに微笑する。


「悔しいけど認める。空音に好かれてるかもしれないなんて、嬉しいよ」

「それって、空音ちゃんのことが好きだからだよね」

「えっ?」

「どうでもいい人から好かれてもそこまで喜ばないし、あんなに嫉妬したりしないでしょ?」


 嫉妬?俺が……?


「やっぱり気付いてなかったんだね。慈輝、すっごくピリピリしてたでしょ?空音ちゃんと俺がおでんの支度してる時」


 たしかにあの時、胸の辺りがモヤモヤしてた。仲よさげな二人を見て、無意識のうちにイラついてたのかもしれない。


「大丈夫。空音ちゃんのことは奪わないから。ゆずきともちゃんと終わらせるし」

「当たり前だっ!双子の兄弟で同じ子好きになるーなんて展開、絶対回避したいしな……。でも、そうやって先に宣言されると心配だ。ただでさえお前、何考えてるか分からないとこあるし」

「そう?慈輝にはありのままの自分をさらけ出してるつもりだよ。それに、長年会話してなかったからそう思うだけじゃない?コミュニケーションを増やしてお互いのことを知っていけばそんな疑念はすぐに消えるよ」

「だといいけどな」


 天使スマイルがデフォルトの碧音。信じてるし、仲直りした以上過去のことをほじくり返す気はないが、


「奪おうと思って奪えるものじゃないしね、恋する気持ちは」


 などと最後に言われたら、どうしたって裏を読みたくなってしまう。


「なんかそれ、空音のこと好きだけど無理だから諦めるみたいに聞こえる……」

「慈輝は想像力豊かだね。他意はないから安心して?」

「ホントかー?」

「ホントだよ。最初から応援するつもりだもん、慈輝の恋は」


 いつの間にか、碧音の手には俺のスマホが。


「《素敵な恋に出会うために》。興味深いサイトだね。どうしたらモテるかや、意中の相手に自分を意識させるための小技などなど、実例を交えた恋愛マニュアルが多数掲載されてる。授業中もこっそり目を通しちゃうくらい面白かったよ」

「そっ、それ!俺のブックマーク…!お互いスマホは勝手に見ないって約束したよなっ?俺は守ったぞっ!」


 取り返そうとするも、碧音は憎らしいくらい軽やかな動きでその手をよける。


「約束は破るためにあるんだよ。なんてね」

「お前っ…!最初から人のスマホ覗く気満々だったな?とにかくもう返せっ!」

「あとちょっとだけ!もう少しで読み終わるんだよ、だから待って?」

「自分のスマホかパソコンからアクセスすればいいだろっ!サイトは逃げたりしないんだしっ」

「そうだけど、他にも見たいところがいくつかあるしさぁ」

「ちょ!お前、俺のスマホくまなくチェックするつもりか!?」

「そうだけど、今日は都合悪い?緊急で連絡しなきゃならない相手がいるとか?」

「永続的に都合悪い!っていうか、連絡したい相手がいてもいなくてもチェックは嫌だわっ」


 何とか力づくでスマホと取り戻すと、碧音は観念したとばかりに両手を広げた。


「ごめんね、慈輝」

「分かればよろしい」


 さすがに恋愛マニュアルサイト閲覧の事実を知られたのは恥ずかしかったけど、それ以外に見られて困るものはないし、口で言うほど怒る気にもならない。幸か不幸か、友達ゼロに等しいからメール機能もほとんど使ったことないし。


「ごめんね、慈輝」

「いいって。謝るくらいなら最初からやるなよな〜」

「今までごめんね、慈輝」

「碧音…?」


 自分のスマホを大切そうに見つめ、碧音はつぶやいた。


「今朝、学校行く前、慈輝とメールできて嬉しかった。短いやり取りだったけど……。ようやく俺達の時間が動き出したって思ったよ」

「……そうだな。俺もちょっと楽しかったよ、メール」


 メイさんとのチャットも楽しかったけど、碧音とのメールは、それとは別の貴重さを感じた。


 普通の家のキョウダイは、スマホを持つことと同じくらい当たり前に仲良くメールのやり取りをしてたりするんだろうな。南音みなとも、昼休みとかによく妹と電話してたりするし。


「いつでも送って。何かあればこっちからも送るし」

「……うん」


 涙ぐみ、碧音はホッとした顔でうなずく。


「情けないけど、空音ちゃんがいなかったら、今も慈輝と話せてなかったと思う」

「それは俺も同じだよ。空音がいてくれたから、色々スムーズにいったんだし」

「……なんて、俺の場合は言い訳だったかも」


 そう言い、碧音は自嘲じちょう気味な笑みを浮かべる。


「慈輝に話しかけるチャンスはたくさんあった。同じ家に住んでるんだし、夕食でも毎日顔を合わすし」

「そうだな」


 それでも俺は、ここ数年の間一瞬たりとも碧音の目を見ようとしなかった。


「慈輝が俺を嫌ってるのは態度で伝わってきた。だから、避けられた状態のまま放置してた。こわかったんだ。話しかけて、はっきり『嫌い』って言われるのが……」

「……ごめんな。一人で勝手に誤解して、傷つけて」


 自分を守ることばかり考えて、碧音の気持ちや立場なんて完全無視だった。


「ううん。黙ってた俺が悪いから。あの時、クラスの人達のこと、慈輝に相談してればよかった」

言魂使い(オラルメンテ)の力もあるしな!どんな悪いやつも倒せたかも」


 しんみりした空気を明るくするべくそんな冗談を言ってみたが、碧音は笑うことなく、真剣な顔つきのまま。


「慈輝は優しいから、俺の悩みを自分のことみたいに背負ってくれる。それが分かってたから、相談もためらわれて……」

「しんどかったよな、お前も」

「慈輝……?」


 碧音の頭をワシャワシャとなで、俺は言った。


「おじいちゃんに言魂使い(オラルメンテ)話聞いたのって、いつのことなんだ?」

「初めて秘話を聞いたのは幼稚園の頃だったかな。あと、おじいちゃんが亡くなる間際に、もう一度。それが、おじいちゃんと話した最期だったよ」

「そんな幼い頃から抱えてきたのか……」

「抱えたつもりはないよ。慈輝は考えすぎ。俺にとってはもはや言魂使い(オラルメンテ)伝説は常識だから」


 碧音は余裕の笑みを見せる。そんなそぶり見せないけど、初めて言魂使い(オラルメンテ)の存在を知った時の重圧は大きかったと思う。子供だったしなおさら……。それなのに、不満をもらすどころか、今でも俺を好きでいてくれる。


「人生なんて面倒なことばかりって思ったこともあるけど、俺は恵まれてたんだな、ずっと……」


 兄弟や親友を大切にしろーー。おじいちゃんが残してくれた言葉の意味が、今ようやく分かった。


「碧音。お互い謝ったり謝られたりはもうなしだ。しょうがなかったんだよ。こうして話せるようになってよかった」

「慈輝……。そうだね、分かったよ。もう謝らない」


 兄弟だけど、同い年の仲間。昔の俺達に、これから戻っていける。そう確信し、碧音と握手をした。時計は、深夜3時を示している。



「あ、田神たがみっちからメール来てる」

「田神君って、北高で碧音と同じクラスの?」

「うん。彼しょっちゅう夜更かししてるからメール来るのはたいてい夜中なの」

「そうなんだ。田神君は、本当のお前を知ってるっぽいな」


 北高で、唯一ゆずきちゃんと碧音の関係を心配してた友人。


「事故だよ。学校まで予告なく迎えに来たゆずきに冷たくしてるところ、偶然見られちゃって。それで事情話すハメになって、仕方なく田神っちには素で話すことにしてる。演じられても反応に困るって言われたから」

「そういうことか……。帰り田神君と一緒に帰ったんだけど、会話かみ合わなかったんだよなぁ。バレてないかな?入れ替わりのこと……」

「今まさにそのことがメールに書かれてるよ。『帰り様子おかしかったけど大丈夫か?』って。眠くてボンヤリしてたって返しといたから大丈夫だよ」

「それでごまかせればいいけど、心配だなぁ。なんとなくだけど、田神君って鋭そうだし……」


 大きくうなずき、碧音は言った。


「そうだね。神出鬼没しんしゅつきぼつというか、人とは違う空気があるね。でも、慈輝が困るような事態には絶対しないから大丈夫。それに、幸い田神っちは口がかたいから、万が一入れ替わりに気付いたとしても口外しないと思う」

「そう願いたいな」


 俺は小さくため息をついた。


「碧音がそこまで言うなら大丈夫なんだろうけど、入れ替わり状態が終わるまで、このこと他人ひとには気付かれないようにしないとな」

「そうだね。父さんと母さんにも」

「こうなったのは言魂使い(オラルメンテ)の力が働いたからなんだよな?俺が碧音になりたいって言ったから……。そうだ!逆に、言魂使い(オラルメンテ)の力でその願いを無効化することはできないのか?」

「できるよ」


 「でも」と、碧音は眉を下げ言葉を続ける。


「最初の願いを打ち消すには、それ相応の気持ちを込めて言魂使い(オラルメンテ)の力を使わなきゃならないんだよ」

「それ相応の気持ち…?」

「慈輝が俺になりたいと願った時、その言葉には強い気持ちが宿っていたはずなんだ。元の自分に戻るには、心からそう願って言葉を紡げば叶うよ」

「元に戻りたいと心から願う、か……」


 そんなこと、俺は望んでるのだろうか?あわよくばこのまま北高で楽しい高校生活を送りたい。ほんの少しだがそんなことを思ってしまっている今の心境で、願いが叶うとは思えない。


 でも、このままだと困るのもたしかだ。入れ替わり生活には意外と早く慣れたけど、父さんと母さんが気付いてしまうかもしれないと考えるとヒヤヒヤするし、碧音にも都合があるだろう。こんなことが何日も続けば、兄弟とはいえ、いつかうんざりするかもしれない。


 内心葛藤していると、碧音はほがらかに言った。


「本気の恋が叶ったら、おのずと元の自分に戻りたいと思うんじゃないかな、きっと」

「そうかな?」

「うん。だからってわけじゃないけど、慈輝と空音ちゃんのこと応援するよ」


 俺の勝手な発言でこうなったのに、責めずにいてくれる。碧音の気遣いが嬉しく、そして、胸に痛かった。


「ありがとう、碧音。でも……」

「何?」

「ううん、何でもない」


 胸に芽生えた新しい不安を紛らわすため、話をそらした。


言魂使い(オラルメンテ)って、言霊ことだまじゃなくて言魂(ことだま)って書くんだな。一般的には言葉の言に霊って書いて言霊じゃなかった?」

「おじいちゃんの話だと、それには明確な意味があるんだって。言葉には魂が宿る。それを操れる能力を持つから言魂使い(オラルメンテ)

「なるほど……。深いな」

「うん。言魂使い(オラルメンテ)はもちろんだけど、人の放つ言葉って時に強力だもんね」

「そうだな」


 いい言葉も悪い言葉も、それひとつで周囲に影響を与え何らかの結果を導く。碧音との関係で、ゆずきちゃんとの出来事で、俺はそのことを知った。


「俺は絶対、悪徒あくとにはならない。証人になってほしいんだ、碧音」

「分かった。信じてるよ、俺は」

「そこまで言われたら裏切れないな」


 言魂使い(オラルメンテ)の力は、人を幸せにするためのものだ。他の言魂使い(オラルメンテ)がどうかは知らないが、俺はこの気持ちを曲げない。今日改めて誓う。


「にしても、分からないな。空音は言魂使い(オラルメンテ)とどういうつながりがあるんだろ?」

「そうだね。そればかりは何とも分からないよね」

「結局この力も効かなかったしな……」

「神だった頃、言魂使い(オラルメンテ)の知り合いや友達がいたのかもしれないね。あそこまで反応するってことは、何かしらの強い思い入れ、あるいは、深い関わりがあったんだと見える」

「何にしても、記憶を完全な形で取り戻してから分かること、か……」


 胸の奥に追いやったはずの不安が、胸を中心に全身へとにじみ出る。空音が神様に戻ったら、やっぱりもう、この家からは出て行ってしまうんだろうな。元々その約束だったし、分かっていたこと。なのに今は……。



 不安な時、誰かがそばにいると気が楽になる。その相手が、今は碧音だった。


 俺達は、これまでの時間を取り戻すかのように色んなことを話した。


「ずっと気になってたんだけど、慈輝って、俺の買った食材は使わず、自分で同じような物わざわざ買ってきてたよね。そこまで俺のこと嫌いだった?」

「嫌いっていうか、あの時はお前のこと誤解してたから、料理苦手な俺への当て付けだと思い込んでたんだよ。だから悔しくて、材料の買い直ししてた」

「おかげで賞味期限間近な食材が増えて困ったんだからね?後で処理したからいいけど」

「処理って、捨てたのか?」

「そんなもったいないことできないよ。母さん怒るとこわいし。お弁当のおかずや父さんのおつまみ作って片付けてた」

「ホント女子力高いな。男子だけど」

「だったら俺、今日から妹になろっかな〜」

「本気で女装しそうだから全力で止める!断固反対!」

女装子(じょそこ)、けっこう似合うと思わない?俺達、どっちかというと中性的な顔立ちだし」


 スキンケアしてる並みに綺麗な碧音の肌。たしか、中学の時も女子に羨ましがられてたっけ。


「ジョソコって?」

「女装した男子のことだよ。都会ではそのためのレンタルロッカーもあるんだって」

「なっ。女装子はそこまで流行ってるのか?何がいいのか分からんけど、したいならすればいい。高校卒業したらな」

「やっぱりそうなっちゃう?」

「父さんと母さんの庇護下ひごかにある身だからな。周囲の評価が分かれそうなことは脱未成年の後にするのが妥当だろ」

「そうだね」

「って、本気か…!」

「半分ね」


 碧音は、興味持ったら即実行ってタイプか。消極的だった子供時代とは、もう違うんだな。


「お前はさ、今まで好きな女子とかいなかったの?」

「話してて楽しいと思う子は何人かいたけど、初恋とかドキドキとか、そういう感情が分からない。それに、そういう相手がいたらゆずきの彼氏役やらないよ。別の手段で復讐する」

「それもそっか……。って!復讐するって選択肢はどんな場合も削除されないんだな」

「当然だよ。慈輝を傷つける存在は許せないもん」

「くどいようだけど、ゆずきちゃんのことは自由にしてあげろよ?分かってるとは思うけどさ」

「うん。大丈夫だよ。そのことで、慈輝にお願いがあるんだ」


 その場で座り直し、碧音は改まった口調でこう切り出した。


「さっき、慈輝とゆずき二人で会うって話してたでしょ?それナシにして、そこに空音ちゃんと俺も交ぜてくれない?」

「俺はどっちでもかまわないけど、ゆずきちゃんと俺を二人きりにしたがってたのは空音だ。四人で会うなんて言ったら反対されるかもしれないぞ」

「そうはならないよ。だって、空音ちゃんは本気であんな提案をしたわけじゃないんだから」


 推測が事実であるかのように、碧音は自信ありげに胸を張る。


「好きな人を別の女と二人きりになんて、したいはずないよ。空音ちゃんは神だけど、心は女の子なんだから」

「そ、そうなのか?女の子の言動って難しいんだな」

「経験値を上げれば、そのうち手に取るように分かるよ」

「初恋未経験のわりに経験豊富な発言だな。その自信、俺もほしいよ」


 碧音みたく空音の気持ちを察する目があったら、あんな言い合いせずにすんだかもしれない。


「客観的な立場にいるから分かるだけだよ。心理学もちょっとかじってるしね。俺だって、いざ初恋したら不器用になるのかもしれないし」

「そんな碧音、想像できないな」


 心理学の本、本気で読んでみようかな。空音との距離を縮めてもっと仲良くするために。



 碧音と語り合っていると、月が綺麗だった夜空は白みはじめてきた。今日が休みでよかった。


「そろそろ寝るか」

「そうだね。空音ちゃんが起きる頃に俺達が寝てたら寂しい思いさせちゃうしね」

「そ、そうだよなっ」


 二階にのぼった俺達は自室前でどちらかともなくあくびを殺す。


「これ、読む?何度も読んで内容頭に入ってるから、慈輝にあげるよ」

「いいのか?ありがとう。おやすみ」


 碧音がくれたのは心理学の本だった。表紙に簡単解説と書いてあるので寝る前に一章分だけ読もうかと思ったが、さっぱり分からなかった。


 諦め、そっとページを閉じる。ごめん、碧音。



 ベッドに寝転んだものの、眠れなかった。ついさっきまであくび連発するほど眠かったのに。


 それは、カーテン越しの空が朝日を透かしているから?久しぶりに朝まで起きていたから?それとも、空音への想いを自覚してしまったから?


「力と記憶を取り戻したら、空音は……」

 

 言いようのない不安と寂しさで胸がいっぱいになる。空音が無事神様に戻ることをあんなに願っていたのに、今は……。


 うわ、気持ちが暗くなってくる。ダメだダメだ!そんなこと考えてたら、協力なんてできなくなる。


 湧き上がる良くない感情から逃げるべく、パソコンに向かう。近頃色々あってメイさんへの連絡が途切れがちになっていたし、今のうちに挨拶しておこう。


《こんばんは、ではなく、もう朝ですね。おはようございます。こんな時間にすみません。あと、最近夜にメールできなくてごめんなさい。色々あり忙しくしていました。》


 その『色々』を近況報告とし、メイさんへのメールを書いた。碧音と仲直りしたことや、好きな女の子ができたこと。メイさんには真っ先に伝えたかった。さすがに空音の正体は明かせないけれど。


《追伸

メイさんはその後お変わりないですか?ゴールデンウィークに会えるのが、ここ最近の楽しみです。》


 メイさんも起きていたらしい。5分もしないうちに返信が来た。


《おはよう。そして、近況報告をありがとう。君に様々な幸せが訪れたことを、自分のことのように嬉しく思う。


君の弟さんだ、とても優しい人なんだろうね。居候中の女性への片想いに気付いたばかりとのことだけど、その恋が実るよう、僕でよければ協力するよ。ゴールデンウィークにはぜひ、話の続きを聞かせてほしい。


おかげでこっちも元気に探偵業をこなしているよ。


そうそう。これは個人的な関心事であり、最近の僕はそのことばかり考えてしまうから軽くため息が出るのだけど。……異種族間の恋愛関係や友情は成立するのだろうか?成立せずとも、そういった感情を持つことはありえるのだろうか?人間がペットを飼い、それを家族と言う場合が多々あるが、ペットに対して家族以外の感情を持つという話はあまり聞かない。とはいえ、ないとは言い切れないよね。人間なのだから。


悲しいことだけど、僕はこう思うんだ。異種族間の間に恋愛や友情は成立しない。できるわけがない、と。体や脳の作りが根本から違うのだから、あるとしたら禁忌きんきとしか表現できない。だけど、成立してほしいと思うから苦しい。思考と気持ちが合わないというのは想像以上にしんどいものだね。


君はどう思う?》


 異種族間の恋愛?それって、神様と人間のパターンもあてはまるんだろうか?


 メイさんとこういう会話をするのは初めてではない。自分はなぜ自分として生まれそれ以外の人間にはなれなかったのか。宇宙はどのくらい広いのか。そういった、考えても答えの出ないような疑問を持ち出しあい、延々意見を重ねていくということを俺達はよくしている。楽しかったし、そういう時、キーボードを打つ指は軽かった。


 なのに、今回ばかりは腕が重たく感じ、返す言葉も浮かばない。

 

 空音への気持ちを自覚して初めて、冷静になったんだと思う。


 初めは冗談だと思ってたけど、こうして言魂使い(オラルメンテ)が存在する。空音の話だってありえることなんだ。彼女は神様で、人間ではない。


 根本的に、人間とは違う。だから神様と言われていたんだ……!


 空音と俺は、どう頑張っても恋愛関係にはなれない。特別な感情を持つことは許されないんだ。


 メイさんのメールが映し出されたパソコン画面は、まるで俺を縛るようだ。そこから動けない。体が石になった感覚。


 疲労感はあるのに、今日は眠れそうにない……。


 ーー禁忌。メールに書かれたその単語が、やけに鋭く胸をえぐった。


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