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7 無自覚の恋


 死ぬ覚悟で言魂使い(オラルメンテ)の力を使った。自分がどの程度の能力を持つのかも知らなかったクセに無茶苦茶な判断だけど、後先のことは心底どうでも良かった。空音かのんの力が戻ることを心から願っていたから。


 再び生きて空気を吸えるだなんて、その時は思っていなかった。


 でも、どういうわけか、俺は生きていた。


慈輝いつき!慈輝……」


 碧音あおとの涙声で意識が戻る。俺の体は、リビングのソファーに横たえられていた。背中がほんのりあたたかいのは、さっきまでここに碧音と空音が座っていたから……。言魂使い(オラルメンテ)の力を使ってから、そんなに時間は経ってないらしい。


「俺、生きてる…?」

「慈輝!良かったよっ!」


 起き上がる前に、碧音に抱きしめられる。碧音の横で正座していた空音が、困ったように笑った。


「おぬしの力は発動されていないようじゃの」

「えっ…?」

「この通り、わらわは記憶も力も取り戻してはおらぬ」

「そんな……」


 言魂使い(オラルメンテ)の自覚も浅いクセにムシのいい考えかもしれないが、その力を使って空音の役に立ちたかった……。それが叶わず、一気に気持ちが下がる。


「そのような暗い顔、おぬしには似合わぬぞ。いつもの明るい顔を見せておくれ」

「そうだよ、慈輝」


 空音の言葉に同意を示した碧音は、俺から離れ真剣な眼差まなざしになる。


「慈輝は生きなきゃダメだよ。ここで死んだら、父さんと母さんが悲しむ」

「……そうだよな。ごめん……。そこまで考えてなかった」

「もう……。俺だって、慈輝がいなくなると思ったら……。グスッ」

「ちょ、碧音っ!?」


 碧音は涙ぐむ。男相手にこんな表現したくはないが、その顔は普段の落ち着き加減がウソのように弱々しくちょっと可愛い。いつもこうならいいのに。


「泣くなよ、助かったんだから」

「慈輝は無謀すぎるよ!言魂使い(オラルメンテ)の話なんてするんじゃなかった!」


 泣いたと思ったら、次は不機嫌になる。コロコロ変わる碧音の感情表現には戸惑ったけど、それ以上に嬉しかった。涙や怒りの裏には心配する気持ちがこもっていると、痛いほど伝わってきたから。


「悪かったよ。心配かけて……」

「分かればいいよ」


 切り替え早く、碧音は無害な笑みを見せる。


「仲直りした直後に慈輝が死んだらシャレにならん。本当に良かったぞ。わらわも嬉しい」


 空音の笑顔に、ホッとした。空音がここに住むことになってからいつも、彼女のゆったりした雰囲気に救われてる。


「……でも、どうして願いは叶わなかったんだ?やっぱり、言魂使い(オラルメンテ)の力なんて最初からなかったんじゃ……」

「慈輝は間違いなく言魂使い(オラルメンテ)だよ。今倒れたのはその反動に他ならないもん。体に痛みが出なかったことを考えると、慈輝の言魂使い(オラルメンテ)レベルは高いと見て間違いないんじゃないかな」


 碧音はそう断言し、「これは俺の意見だけど」と、言葉を続けた。


言魂使い(オラルメンテ)の力をもってしても、空音ちゃんの記憶と力は戻らないようになってるんだと思う。そもそも、神様が記憶をなくすなんて、本当の話だとしたらただ事じゃないよ。空音ちゃんは本来、こうして人と暮らすような生活をする存在ではないんだから……。記憶と力を失ったのには、それ相応の原因があるんだよ、きっと」


 本来、人と暮らすべきではない存在。その指摘に、胸が痛んだ。大きな音を立てて。


 たしかにその通りだ。神様は神様らしく天界で地上の人間を見下ろしているべき存在だ。こんなところで高校生と雑談したり兄弟ゲンカの見守り役なんてしている方がおかしい。だけど……。


 空音が人間じゃないことなんて、はじめから分かってたのに、なんでかな。嫌な感じに、胸がズキズキする。そのせいか、頭痛の一歩手前みたいな症状も出る。脳内は不快な何かでいっぱいだ。


 内心不安定な気持ちになる俺とは違い、空音は冷静に碧音の言葉を受け入れた。


「そうじゃの。碧音の言うことはもっともじゃ。言魂使い(オラルメンテ)の力が効かんということとわらわがこんな状態でいることには深い意味があるのじゃろう。しかし、今は何も分からぬ……」

「空音ちゃんが言魂使い(オラルメンテ)って言葉に反応してたのも、意味深だよね……」

「いつまでも人間の家に厄介になるわけにはいかんし、わらわも早く記憶を取り戻したいんじゃが」

「そんなの、気にしないで?空音ちゃんが来て、父さんと母さんもとても喜んでるし」

「それは本当にありがたいんじゃがのう……。神がこんなところにいたら、いずれおぬしらを変なことに巻き込んでしまうのではないかと心配でな」


 二人は、空音のことを真面目に考えていた。俺もそれに混じるべきなんだろう。むしろ、今までは空音と二人でそうしてきた。


 でも、今は、空音の先のことを考えられなかった。考えるのがつらいから……。


 複雑な胸の内をごまかすように、二人に声をかけた。


「考えることも大切だけど、そろそろご飯にしよ!腹減ったし!」

「おぬしはついさっき倒れたばかりじゃろう。食事などして大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ。この通りもう元気だしっ」


 気遣わしげな視線をよこす空音に、元気なことをアピールするべくオーバーリアクションを取る。碧音はやれやれとため息まじりの笑みを浮かべ、


「今夜はおでんだよ。さっき空音ちゃんに手伝ってもらって作ったんだ」

「そういえば、なんか二人で楽しそうにやってたな」


 何気なく言ったそのセリフは、自分でも知らないうちにトゲトゲしさをあらわにしていた。碧音と空音は驚いたようにこっちを見て、


「おぬし、機嫌が悪いのか?」

「イライラするほど空腹だったの?」


 と、同時に似たような質問をしてくる。


「えっ?別に普通だけど」


 この時、俺は無自覚だった。空音への想いが、仲間意識から淡い恋愛感情へと変化していることに……。


 

「おでんだっけ?久しぶりだなぁ。味噌みそ辛子からし出すか?」

「うん、お願い」

「碧音はホント、手の込んだモンばっか作るよな」

「今日は全然頑張ってないよ。おでん簡単だし。空音ちゃんがちくわ食べたいって言うからちょうどいいかなって」


 そっか。空音、碧音にもちくわをリクエストしたのか……。今日の夕食作り担当は碧音なので、そういう流れになるのも仕方ない。でも、なんだか胸の辺りがモヤモヤする。


 正体不明の不快感を紛らわすべく、夕食中は元気に振る舞った。


 碧音と空音、二人が作ったおでん鍋は、大根や玉子といったメジャーな具材も入っているけど、大半がちくわだった。


「ちくわ祭りだな。空音、こんなに食べれるか?」

「もちろんじゃ!うーん、出汁だしが全体にしみて美味い!」


 熱々のちくわをほうばると、空音はとろけそうな顔になる。その顔はどこかつやっぽく、ドキッとした。


「ちくわばっか食べてたらホントに栄養かたよるぞー?神だった頃はともかく、今は人間なんだから」


 空音への妙な緊張感をごまかすべく適当にそんなことを言うと、碧音が話に乗ってきた。


「大丈夫だよ、慈輝。ちくわは全体的に栄養バランスがいいしタンパク質も豊富だから。毎日食べることを推奨すいしょうする栄養士も多いんだよ」

「おお!そうなのか!だったらわらわは毎日食べるとしよう!それにしても碧音は物知りじゃのう。歩く雑学事典のようじゃ」

「そんなことないよ」


 ……まただ。


 和やかにやり取りする二人を見て、再びモヤモヤした気持ちが湧いてくる。碧音は何でも知ってて、俺なんかよりずっと要領がいい。今日1日学校を交換したことで改めて分かったし、昔からジャンル問わず物知りだった。


 分かっていたはずなのに、どうして今はこんなに変な気分になるんだろう…?


「慈輝もほら、食べて?」


 碧音は、俺の取り皿におでんをこんもり盛り付ける。こっちの気分を知ってか知らずか……。


 空音は満足げにおでんを平らげ、碧音に尋ねた。


「おぬし、ゆずきとの関係を本当に終わらせることができるのかえ?」

「……うん。慈輝に止められたら、やめるしかないし」

「おぬしは本当に兄が好きなんじゃのう」

「世界一ね」


 屈託くったくなく笑う碧音。その笑顔を疑う気にはもうならなかったけど、俺はもう一度念を押すことにした。


「俺のためを思って色々してくれたのは嬉しいけど、もう二度と同じことはするなよ?それに、ケリつけるなら早い方がいい」


 ゆずきちゃんが碧音を好きであればあるほど、別れる時の気まずさは深くなりそうだし……。


 にしても、どうしてゆずきちゃんは碧音を好きになったんだろう?俺が告白した頃、彼女は碧音と関わりすらなかったはずだ。


 空音も同じ疑問を持ったのか、ストレートに碧音にく。


「おぬしはゆずきとどのようにして関わるようになったのじゃ?」

「うーん、どうしてだっけ?忘れちゃった」

「そうか。まあ、もうだいぶ前の話じゃしな」


 空音はアッサリ引き下がったが、碧音は明らかにウソをついている。そうやって隠されるとよけい気になるじゃないか。だったらこっちにも考えがある。


「あのさ、頼みがあるんだけど」

「何?慈輝がそんなこと言うなんてめずらしいね」

「俺達の体が入れ替わってるうちに、もう一度ゆずきちゃんと会わせてほしい。今日の図書館デート、ほとんど何もせず終わらせてきちゃったからさ。その穴埋めをしたいんだ」

「そんなの気にしなくていいのに」

「そうかもしれないけど、なんか気持ち悪いんだ、このままは」

「慈輝は律儀だね。あんな女のためにそこまでしようだなんて」


 碧音め。仮にも自分の彼女に向かってなんつーひどい言い草だ。まあ、そうさせてしまったのは俺が彼女に振られてしまったせいなんだが……。


「もしやおぬし、ゆずきにまだ未練があるのかえ?」

「なっ、なんでそうなるのさ!」


 空音が変なことを言うから、口の中で咀嚼そしゃく中の大根を吹き出してしまいそうになる。しかも軽くキョドったし。


「はて、なぜかな。うまく答えられん。わらわはなぜおぬしにこんなことをいてしまったんじゃろう…?」


 空音は得心いかないように腕組みをする。


 未練なんて、もうないはずだ。そりゃ、碧音がゆずきちゃんと付き合ってると知った時はショックだったけど……。その後にそれを越える驚きの体験が連続したせいか、ゆずきちゃん関連の出来事が脳内から薄れてるのもたしかだ。


 それより、空音が人の恋愛事情に口出しをするのも意外だった。人の人間関係を心配しつつ、これまでは見守る姿勢を崩さなかったのに。俺は今、ゆずきちゃんのことよりその方が気になる。


 それぞれ思案する空音と俺を交互に見て、碧音がしれっと言った。


「慈輝のこと特別視してるから、ゆずきのことが気になるんじゃない?空音ちゃんは」


 なっ!何を言ってるんだ!?空音が俺を特別視?そんなこと、あるわけないだろっ。記憶を失ってるとはいえ神様なんだぞ。


「空音ちゃんには色々複雑な事情があるみたいだけど、それと恋愛感情は別物だと思うよ、俺は」


 イタズラな目をして、碧音は俺の反応を楽しんでいる。この流れを変えるべく、俺はまとめに入った。


「とにかく、ゆずきちゃんともう一度会ってデートの仕切り直しをするからな?普段はお前に虐げられてるみたいだから、ゆずきちゃんが気の毒だし」

「慈輝の気持ちは分からんでもないが、碧音がゆずきに別れを告げると決めた今、デートの仕切り直しなどせん方が賢明かもしれんぞ」

「え…?」


 碧音がそう言うならともかく、俺とゆずきちゃんのデートにストップをかけたのは意外にも空音の方だった。


「そ、そっか……。空音の言うことももっともだよな。楽しくデートしといて後々振るなんて碧音のイメージ悪くなるだけだし、ゆずきちゃんが碧音の復讐を受け入れてるとはいえ、やっぱり別れの痛みを大きくしちゃうよな……。ゆずきちゃん、碧音のこと本当に好きそうだったし」


 俺は考えなしだった。どうすればゆずきちゃんのためになるかなんて……。よく考えたら、分かっていたはずなのに。やっぱり俺は、まだゆずきちゃんに未練があるのか?


「えー。俺は別にかまわないよ?イメージなんてどうだっていいし、傷つけるためにあの女と付き合ってたんだから」

「お前、学校でのキャラと違い過ぎるだろ。二重人格もたいがいにしとけっ」

「そう?でも、誰だって相手によって態度使い分けてるでしょ?一貫して同じ言動してもやっていけるのなんて、アニメや漫画のヒーローだけだよ」

「高校生のクセに、夢のないことを……」

「本当のことだもん。でも、慈輝は別だよ。慈輝は永遠に地球のヒーローだと思ってる」

「褒めたって何もあげないからな?」

「下心持って褒めてると思ってるの?いつからそんなヒネちゃったの?」

「それはこっちのセリフだっ!お前、学校でのあれ、何なんだ?」


 話の流れで、俺は今日感じたことを碧音に訊いてみた。


「友達が多いのは知ってた。でも、学校でのあれ……。お前、普段から俺の振る舞いをマネしてるのか?」

「うん。そうだけど、そんなに驚くこと?」

「アッサリ認めたな!否定かごまかすとかされると思ってたけど?」

「その通りだもん。俺は慈輝のマネをしてたよ。高校入ってからずっとね」


 何のうれいもない明るい声。碧音は、そうするのが当然と言わんばかりに語った。


「高校生になって慈輝と学校が別れてから、いつかこういうことが起きるんじゃないかと予測してたんだよ」

「予測って……。体が入れ替わったりするのをか?」

「うん。万が一そうなったら慈輝が困ると思って、北高ではあえて慈輝になりきってたんだよ。俺達小中学校は同じだから、慈輝の振る舞いをトレースするには充分な時間あったし」

「そこまで考えてたのか…?どうして……」

「だって、慈輝は心の中でずっと俺のこと羨ましがってたでしょう?」


 気付かれてた……!!最近関わってなかったのに、何で?


「だいたい分かるよ。慈輝の考えそうなことは。昔から一緒だったんだから」

「そうはいっても、体が入れ替わった時のお前の冷静さは異常だと思ったぞ!普通あわてるだろ?」

「そうだね。でも、俺は慈輝の力を知ってたから」

「そうだったな。言魂使い(オラルメンテ)、か……。まだ実感ないけど」

「体が入れ替わる前、慈輝、こういう願いを口にしなかった?『碧音になりたい』みたいな」


 ……!そうだ。ショッピングモールのカフェで仲よさげに見つめ合う碧音とゆずきちゃんを見てしまった後、俺は公園に逃げてそんなようなことをつぶやいたんだ。


「……言ったよ。碧音になりたいって」

「やっぱり……」

「ごめん。俺達の体がこんなことになったのは俺のせいだよな……」

「仕方ないよ。慈輝は自分が言魂使い(オラルメンテ)だと知らなかったんだから。自覚してたとしても、この能力はコントロールが難しいものだし。それに、慈輝のこと刺激するようなことした俺が悪いんだ。復讐とはいえ、ゆずきと付き合ったりしたら慈輝のこと傷つけるって、分かってたのに……」


 それでも碧音は、俺を傷つけたゆずきちゃんを許せなくてそんな手段を取った。やり方は間違ってるけど、俺のために色々考えてくれた気持ち自体は素直に嬉しいと思う。


「でも、他人になりきるって、言うほど楽じゃないだろ?いくら実の兄のマネとはいえ……。やめようとは思わないのか?」


 碧音にそう尋ねてしまったのは、俺自身、今の高校生活がちょっとしんどいと感じてしまったからだ。本当の自分を隠して偽って、孤独にならないため必死にクラスメイトの顔色を伺う。今までは、それで嫌われないなら本望とすら思ってたけど、今日、碧音の学校へ行って気付いてしまったんだ。本当の自分で気負わず学校に行き楽しい気分になりたいって。


「そうだね。やめることはいつでもできるけど……。慈輝のためだと思ったら、俺はつらくなかったよ」

「碧音……。どうしてそこまで……」

「罪悪感もあるのかな。慈輝を孤独な嫌われ者にしたのは、昔の俺のせいだから」

「お前は何も悪くないだろ?」


 自分が嫌われてでも碧音を幸せにしたい。そう願ったのは紛れもなく昔の俺だ。そんな大事なことをすっかり忘れていたのは、当時の俺にとって碧音を守るのは当然のことだったからだろう。


「慈輝は本当に昔から変わらないね。優しすぎるからその甘さに酔って、甘えたくなる。そんな慈輝が大好きで、甘えてばかりの自分でいいんだと、昔は思い込んでた。でも、違うよね。罪にならない罪ってあると思うんだ」

「碧音……」

「甘えてばかり。依存してばかり。それが、昔の俺の罪。罪を犯したら償わなきゃいけない」

「それが、学校で俺を演じることだったのか?」


 碧音は小さくうなずいた。


「俺は、慈輝のためなら何だってできる。自分を隠すことも、女をだますことも」

「……ありがとな、碧音。でも、そんなのダメだ。罪悪感なんて、もう捨てろ…!」


 碧音には、まず自分自身のことを大事にしてほしい。


「ゆずきちゃんへの復讐をやめること。自分のまま学校生活を送ること。約束してくれ。もう、俺のために犠牲になることないんだ」

「ずっと犠牲になってきたのは慈輝の方なのに……。それに、演じるのがつらいのは慈輝も同じだったでしょ?」


 今日の学校交換で、碧音は察したらしい。俺が、学校でクールキャラを演じていることを。


「しんどくないって言ったらウソになるけど、そのおかげでやっと友達ができたんだ。演技ってけっこう便利かも」

「うん。そのことも空音ちゃんに聞いてる。まさか慈輝がそこまでしてたなんて……。想像つくようで、全くしてなかったよ」

「空音に?」


 空音の方を見ると、申し訳なさげに目を伏せる。


「昨夜おぬしが寝た後、碧音は学校での慈輝の様子を知りたいと言い、わらわの部屋に訪ねて来たのじゃ。交換生活で慈輝のフリをする際、学友やクラスメイトらに不自然に思われぬように、とな」

「碧音、そこまで考えてくれてたのか……。俺なんてぶっつけ本番だったのに」

「愛ゆえじゃ」

「愛…?」

「兄弟として、仲間として、碧音はおぬしを慕っておる。昔のことを今日こんにちまで引きずってきたことからも、それはよく分かる。愛しているからこそ深まる罪悪感というものがあるのじゃ」


 碧音の代弁をする空音の瞳は、この時、静かに揺れていた。それを見て、空音の言葉には代弁以上の何かがあるような気がしたけど、それが何なのかまでは分からなかった。


 碧音は降参したと言いたげに息をつき、


「空音ちゃんには敵わないね。俺の気持ち、全部見透かされてる」

「おぬしも、分かりやすいという点は慈輝と似ておるな」

「本当?そんなこと初めて言われたよ。今まで慈輝に似てるのは外見だけって他人ひとから言われてきたし」

「そんなことはない。おぬしらはクセや口調にも似通う部分が多々ある。同じ屋根の下で暮らす者の特徴じゃの」


 空音は本当によく見てる。


「さすが神様だな、空音は。観察眼ハンパない。人のことよく見てるな」


 褒め言葉のつもりだったのに、俺がそう言ったとたん、空音の瞳は悲しみ一色になる。


「……そうじゃな。わらわは神じゃしな」


 うつむき加減で空音の目元が見えないけど、その声はわずかに震えていた。碧音は彼女のそばに寄りその顔を覗き込む。


「空音ちゃん…?」

「……ふっふっふ」


 知らないうちに傷つけたのかと心配したのも束の間、空音は静かに笑い出し、自信に満ちた面持ちで俺を見つめた。そこにはもう、一瞬見せた悲しみらしき感情は浮かんでいない。


「わらわはきっと、刻一刻と神としての感覚や能力を取り戻しておるに違いない。そんなわらわが言うことを、とくと聞くがいい…!」

「えっ!?どうしたの急に!」

「碧音はゆずきと別れるつもりなのじゃ。ゆずきとデートがしたいなら、おぬしが直接彼女に会えばよかろう」

「それじゃあ碧音が行くはずだった図書館デートのやり直しにならないし、俺が行ったらゆずきちゃん絶対嫌がるよっ」

「彼女も大人になった。いつまでも昔のままではあるまいて。普通に外で会うくらいなら了承してくれると思うぞ。断られたら碧音に口添えしてもらえばよい話じゃ。ゆずきは、碧音の頼みは断らんじゃろうしの」

「だからって、どうして俺がゆずきちゃんと!?そんなことしたって……」

「おぬしの中にあるゆずきへの想いを完全に消化するためじゃ。中途半端なまま終わっては、先に進むもんも進まんじゃろ」

「別にいいよ、進まなくても!」


 いつもならありがたく思う空音のアドバイスに、この時ばかりは拒否反応が起きた。ゆずきちゃんとデートすることに意味があるとは思えない。気付くと俺は、熱くなっていた。

 

「なにを悠長なことを……。おぬしは恋愛を成就させ幸せになるのが夢なのじゃろう?なぜ、夢のため自分から動こうとはせんのじゃ!?」


 空音も空音で、俺の勢いに負けていなかった。むしろ、彼女らしからずヒートアップしている。これまで、どんな時も落ち着いていた空音が、こんなに感情的になるなんて……。


「空音ちゃん、その話はまた明日しよ?」


 碧音が空音の前に立った。


「父さん達からメール来てる。もう帰ってくるって」

「おお、そうか」


 さとすような碧音の声に、空音はようやく冷静さを取り戻したみたいだった。


「碧音、大声を出してすまんかった。慈輝も、今わらわが言ったことは忘れてくれ。おぬしの決めることに首を突っ込み過ぎた」


 碧音の方は見るのに、空音はなぜか俺の方を見てくれない。言葉は俺達兄弟に向けられているものなのに。


「人間の体は神のそれと違い、心身共に疲労がたまるのじゃな。そのせいで、ついおぬしにキツく言い過ぎたようじゃ。許してくれ、慈輝」

「それはいいけど、そんなに疲れてるなんて、大丈夫なの?」

「大したことはない。人間の体になり日が浅いゆえ、感覚が追いつかんだけじゃろ。わらわはもう休むことにする。父上と母上にもよろしく伝えてくれ」

「じゃあ、客室の布団敷くよっ」

「自分で出来る。おぬしらは食事の続きを楽しむがよい。めでたく仲直りできたことじゃしな」


 空音はそこで振り返るとようやく俺の顔を見、微笑した。笑っている顔はいつもと同じ。そのはずなのに、見るとこちらが不安になってしまう笑い方だった。


「でも、空音体調悪いみたいだし俺がっ…!」


 空音を追いかけようとした俺の手をそっと止め、碧音が首を横に振る。


「今は一人にしてあげようよ」

「でも、体調良くないって……」

「言い訳だよ、多分。信じたフリしておこ?」

「言い訳?どうしてそんなことが分かるんだ?」

「どうしてだろう?空音ちゃん、俺と少し似てるからかな」

「碧音と?」


 全然似てないと思うけどな。碧音の言ってることがよく分からない。



「空音……」


 やっぱり、記憶がなくなると体の調子も悪くなるのかな。さっきの空音は、どう見ても普通じゃなかった。忘れろって言われたって忘れられない。


言魂使い(オラルメンテ)の力がダメなら、他の方法で空音の力になりたい。どうしたら空音は元に戻れるんだろ……」

「慈輝の優しさで充分、空音ちゃんは救われてると思うよ。でも、だからこそ、空音ちゃんが元に戻ることを望んでるかどうかは分からないけどね」

「どういうことだ?」

「空音ちゃんは、神だった頃の自分に戻ることを本当に望んでるのかな?」

「戻りたいからここにいるんだろ?さっきだって、いつまでも人間の世話になってられないって言ってたし、普段もそうだ。ちょいちょい神の力取り戻してるけど、全然嬉しそうじゃないし……」

「そう。やっぱり」


 何もかもお見通しみたいな顔で、碧音は数回うなずく。


「やっぱりって、何が?」

「空音ちゃんは慈輝のことを特別視してるんだよ」

「そういえばさっきもそんなこと言ってたな。たしかに、最初に空音に声かけたって意味では特別な人間なのかもしれないけど、それとさっきのケンカっぽい雰囲気は関係ないと思うな」

「慈輝の鈍さは年々磨きがかかってるね」


 そう言い、碧音はクスッと笑う。


「面白くないな、それ。絶対バカにしてるだろ」

「そんな!慈輝は変な部分で深読みするね」

「どういう意味だよっ」

「いいと思うよ。慈輝らしくて。俺はそんな慈輝も好きだよ。でも、女子にとっては……。というか、この場合、空音ちゃんからしたらもどかしいかもね」

「もどかしい?そうだよな……。こんな人間に手を差し伸べられても、全然進展がないんだもんな……。神の助けになりたいなんて、たかが人間の俺が言えることじゃなかった。傲慢ごうまんにもほどがある」


 空音の目標達成のため、俺は何の力にもなれていない。むしろ、空音には助けてもらってばかりだ。これでは居候いそうろうしてもらってる意味がない!


「ゴールデンウイークになるまで頼みのメイさんには会えないし、空音の記憶と力も全然戻らないし……」

「慈輝。俺が言いたいのはそういうことじゃないよ?」


 笑いをこらえた碧音は、おかしそうに肩を震わせ、こんなことを言った。


「空音ちゃんはこのままここにいることを望んでる。俺にはそう見えるよ」

「どうして?そんなの、空音は困るんじゃ……」

「慈輝のことが好きだからだよ」

「えっ……!?」


 空音が?


 碧音にそう言われたとたん、胸がドキドキした。本人に告白されたわけじゃないのに……。


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