4 兄弟の想い
「よくそんなに落ち着いてられるなっ!気付かれるとか気付かれないとか、それも大事かもしれないけど、色々問題あるだろ?学校とか!特にお前は、友達付き合いもたくさんあるし大事な彼女だっている。ゆずきちゃんがこのこと知ったら心配する。どうするんだよっ!」
まくし立てる俺を穏やかな目で見つめ、碧音は小さく笑う。
「なっ、何がおかしいんだよっ」
「慈輝はやっぱり、昔と変わってないね」
「進歩がないって言いたいのか?」
何なんだコイツ。朝から嫌味なヤツだ!
「そんなこと思ってないよ。良い意味に受け取ってほしいな」
「お前が言うと裏がありそうで逆にこわいよ」
俺の返しに怯むことなく、碧音はスッとベッドから起き上がると、スマートな足取りでこの部屋を出ようとした。
「とにかく、お互い学校の制服に着替えようよ」
「こんな状態で学校に行くつもりか?休むわけにもいかないけど、だからって…!」
「話していたいのはやまやまだけど、朝の5分は貴重だよ。話は帰ってからしよう」
「で、でも!そんなのやっぱり無理だって!俺はお前の体で、お前は俺の体でっ!見た目はごまかせても、気付く人は気付くんじゃないか!?」
俺は取り乱し過ぎだろうか。たしかに、碧音の言う通り俺達は一卵性双生児だから、お互い自分の学校の制服を着れば周囲の目はごまかせるだろう。でも、体はやっぱり違うわけで……。
深く考える俺を見て、碧音はクスッと笑った。
「大丈夫。ゆずきとは至ってプラトニックな関係だから」
「なっ、何でそういう話になるんだっ!?」
「慈輝が気にしてるのって、そういうことじゃなかったの?」
「言われてみればたしかにそれも大事だよな……。って、ちっがーう!俺はそんなこと気にしてない!こともないけど……」
「安心して?慈輝の唇は死守するから。ファーストキスは空音ちゃんとって決めてるんでしょ?」
「ばっ、バカなこと言うなっ!」
コイツ、昨日の言い合いはゆずきちゃんのことが原因なのだということを忘れてないか!?
「ゆずきのことは何とも思ってないって言ってたから、そうなんだとばかり思ってたよ」
「あいにく俺はお前みたいにモテませんから」
「ありがとう。慈輝に褒められると嬉しいよ」
「褒めてないっ!」
意地になり、俺は言い返した。
「空音と俺は本当にそんなんじゃない。持ちつ持たれつ、助け合う仲間みたいなもんだ。恋愛感情なんて……。そんなことにはならない!」
碧音相手にここまで言う必要はなかったのかもしれないけど、なぜか俺は、なかば自分に言い聞かせるような気分でそんなことを言っていた。
空音は可愛いし、一緒にいて楽しいけど、女の子の姿をしてるだけで、本当は神様だ。今は力を失っているけど、人ならざる者だ。そういう相手と人間の俺が普通に恋愛できるほど世の中は簡単じゃないってことは何となく分かる。マンガやファンタジー映画から得た予備知識だけどさ。
「空音ちゃん……!」
「えっ!?」
碧音の視線の先を追うと、そこには空音がいた。下の客室で目覚めてすぐ、俺の部屋に来てくれたのだろう。部屋の出入口にぽつんと佇むその姿はいつもと変わらないのに、彼女らしい気丈さが欠けているようにも見えた。
「空音、今の話……」
なぜか、焦る。別に悪いことなんてしてないのに、失言で彼女を裏切ってしまったかのような気持ちになった。しかし、それは気にしすぎだったようだ。空音はいつもの微笑を見せ、
「おぬしら、ちょっと見ぬうちに仲良くなったのぅ。良きかな、良きかな」
ふわりとした口調でそんなことを言った。
「空音ちゃんもそう思う?嬉しいな。俺もそう思ってたとこなんだよ〜」
「おい碧音!仲良くした覚えはないぞ!?これは緊急事態だったから仕方なく……」
「あ、そろそろ学校行かないと!じゃあね、慈輝。帰ったらまた話そっ。空音ちゃんも、留守番よろしくねっ」
「おいっ!」
俺の言葉など完全スルーで、碧音は自室に戻り着替えをすませるとさっさと家を出ていってしまった。
「何なんだアイツは……。こんな状況でよく普通に日常生活送れるな」
「慈輝、おぬしも用意せんとまずいのではないか?」
ここ数日の間に俺の生活パターンを覚えた空音が、壁の掛け時計に目をやる。
「やばいっ!今日も走って登校確定だぁっ」
空音にも入れ替わりのことを話したかったけど、その必要はなかった。
「おぬしら、顔は同じでも性格が全然違うの。入れ替わっても、わらわには分かる」
出がけにそんなことを言われてしまったから。
空音の理解に、なぜだか俺はひどく安堵した。
「悔しいけど、碧音の体の方が走りやすいっ!何でだ!?アイツ、何もしてなさそうなのに実はこっそり筋トレとかしてるのか?」
学校へ向かいながら、そんな独り言。俺の体は、ここ最近で一番軽かった。
学校へは、何とかギリギリ到着。冷静な自分を意識して作り教室に入る。
「おっはよ!慈輝!」
席に着くと、南音がいつものように声をかけてきた。
「っす」
「今日はいい顔してるな、慈輝」
「え?」
ヒヤッとした。もしかして、入れ替わりに気付かれた!?
「イキイキしてるっていうか、憑き物が落ちたっていうか」
なんだ、そういう意味か……。まあ、碧音と俺の違いなんて、共通の知人以外は気付かないよな。南音は碧音と直接関わったことないし。って、憑き物って表現も喜んでいいものかどうか微妙だな。あんまいい意味じゃなさそうだ。
「慈輝のそういう顔、初めて見た!」
「いつもと変わらないけど」
「そっか。じゃあ、そういうことにしとく!」
予鈴に合わせ、南音は俺の肩を軽く叩き自分の席に戻っていった。
南音とは出会ってまだ1ヶ月も経ってないし、表面的に関わるだけ、「友達」という肩書きを持つ者同士ってだけの浅い関係だと思ってたから、変化を見抜かれたことに俺は内心驚いていた。今までの同級生がそうだったように、南音も俺のことなんて深くは見ないだろうなって思ってたから。
そのせいか、家を出た時から続いてる体がフワフワ浮くような軽快さが、まだ、抜け切らない。
態度や雰囲気を意図的に変えても、人の中身はそんな簡単に隠せないのかもしれないなーー。
そういえば、空音は気になることを言ってた。今まで俺が嫌われてきた原因は俺にではなく他にあるんじゃないかって。……あんなこと初めて言われたし、何の取り柄もない俺をああして前向きに受け止めてくれる空音の言葉はとても嬉しかった。
でも、そう言われた時は喜びいっぱいにもなれず、素直に「そうだね」とも言えず、何とも言えない気持ちで無反応を決め込んでしまった。その結果、空音に『今は力を失った愚かな神の戯言』だと言わせることになってしまった。
俺は何てことをしてしまったんだろう。今さら後悔が押し寄せてくる。空音は記憶や力を失ったばかりで、ただでさえ心細いはず。これからはなるべくあんなことを言わせないように気をつけよう…!
空音は俺のことを良く言ってくれる。それはきっと、わけもわからず1人公園に佇んでいた彼女に関わった最初の人物が俺だったから。それ以上でも以下でもないだろう。
ただ、空音の神的直感が本当に当たっているのだとしたらどうだろう?空音の言っていたように、俺が今まで人から嫌われてきたのには他の理由があるんだろうか。たとえばどんな?……考えても、さっぱり分からない……。
今この体は碧音のものなんだよな?俺の体は碧音が使ってる。碧音は冷静だったけど、そういうとこがよけいに腹立つし憎たらしい。
アイツの提案通り、制服さえ自分の物を着れば学校へは来れるけど、こんなこと何日も続けるなんて無理がある。本当に大丈夫なのか?そもそも、どうしてこんなことに?
神だったと話す空音。彼女と関わるようになってから、俺の周りでは異常なことばかり起こる。本人は力を失ったと言ってるけど、空音の存在が影響していたりして。
神様って何だろう。日本神話やギリシャ神話などに出てくる存在ってことは知ってるけど、その辺りの知識は全くないし、興味もなかった。人間の想像にすぎないと思ってたし。
気になることはまだある。碧音が言ってた、オラルメンテって言葉。空音もそれをやけに気にしていた。でも、碧音はそのことを空音には言わなかった。俺には言ったのに。
どうして碧音は、あんなことを言い出したんだ?オラルメンテって何なんだ?人の名前?地名?
ーー碧音と言い合った翌日に、俺達の体は入れ替わってた。兄弟は大切にしろっていう、人ならざる者からの警告だったりするんだろうか。
兄弟や親友は大切に。おじいちゃんが死に際に言っていたことを、また思い出してしまった……。
えんえん考え事をしていたら、放課後が来る。1日が終わるの、いつもより早かったな。
「じゃーな、慈輝!また明日っ」
「おう」
「あ!そうだ!」
帰り際、俺にバイバイと手を振ろうとしていた南音が、何かを思い出したようにこっちにやってくる。
「慈輝って、ゴールデンウィーク何か予定ある?家族旅行とか」
「特にないけど」
「ほんと!?よし!じゃあさ、遊ぼうぜ?場所はそん時テキトーに決めるってことで!」
南音、マジか。俺なんかと遊びたいって本気か?初めて人から誘われたぞ!
「あ、ああ…!いいけど」
「じゃ、そういうことでよっろしく〜!バイバイ!」
南音は人好きのする笑みを浮かべ、軽快な足取りで教室を出て行った。俺は、本日2度目のフワフワ感を全身に感じていた。
高校生になってようやく、ゴールデンウィークの予定を決めることができた!碧音の体でそのイベントに臨まなきゃならないのは残念だが、それでもやっぱり嬉しい!気持ちがウキウキする。
本当の自分はまだ見せれてないけど、友達がいるっていいなぁ。それだけで、日常の景色がうんと違って見える。木々の緑や、空の青。こんなに鮮やかな色をしていたっけ?
そんな心持ちのまま、高揚感に満ちた足取りで帰路につく。いつか、南音に本当の自分を見せれる日が来たらいいな。なんて、俺、調子に乗りすぎかな。
ほどなくして例の公園が見えてくる。空音と初めて出会った場所。
「ん……!?」
早く帰って空音のご飯を作ろうと考えていたのに、俺は思わず足を止めてしまった。初めて出会った日と同様、空音がベンチに仁王立ちして辺りを見渡しているからだ。あの時と違い、ちゃんと服を着ているのを見てホッとする。
「空音…!」
「おお、慈輝。今日も学業ごくろうじゃった。もうこんな時間か」
「ビックリしたよ、居ると思わなかったから」
「留守番役を放棄してすまぬ。家には鍵をしてきたから安心せい」
「それはいいんだけど、いつからここに?退屈じゃなかった?」
空音は力なくベンチに腰を下ろし、ため息混じりに言った。
「ここに来れば何か思い出せるんじゃないかと思っての。……と言うのは副次的な理由じゃ。わらわの記憶の件は今はどうでもよい」
「どうでもよくはないだろっ?副次的…?他に主な目的があったの?」
「おぬしと碧音のことについて知りたいんじゃ」
「え……?」
「話題が話題じゃ。家では話しづらかろうと思いここでおぬしを待ち伏せておった。わらわはスマートフォンなる便利アイテムを持たぬし、頭の中で意思伝達をする能力も使えなくなっておる身ゆえ」
空音は俺の手を引くと、隣に座るよう視線でうながした。一瞬だけつながれた手の感触に女の子っぽさを感じドキッとしてしまう。ごまかすように空音から目をそらし、さりげなく手を離すと俺はベンチに座った。
「おぬしにとっては話したくないことかもしれぬ。わらわも、ここまでするべきかどうか熟考した。今も正直、無関係のわらわが口を出すべき問題ではないと思っておる。しかし、やはり口を出さずにはおれんくてな」
「見ての通り、仲の悪い双子。それだけだよ。心配かけてごめんな」
空音には申し訳ないことをしてる。一緒に暮らしてたら、嫌でも碧音と俺のことを気にしてしまうんだと思う。空音は最初からそうだった。いつも俺達兄弟のことを見ていた。そのことを自分の記憶以上に大事だと言ってくれるなんて、嬉しいけどもったいない。
「俺達は多分、このままだと思う」
「……そのことじゃが……。わらわから見て、碧音はおぬしのことを心底好いているように見える」
「それはないよ」
「おぬしは碧音のことが嫌いか?」
「……っ」
嫌いか?そう訊かれ、すぐには答えられなかった。嫌いだ。あんなやついなくなればいい!いつもそう思っていたはずなのに、なんで即答できない?
「迷いがあるようじゃの」
「違っ……!」
空音は見透かしたように俺を見る。その瞳が優しくて、俺は、反発する気を削がれてしまった。
「碧音はおぬしと仲良くしたそうじゃ。しかしおぬしはそれを拒んでいる。その理由はいかに?」
「アイツはそういうヤツなんだよ。表ではいい顔してるけど、裏では俺をバカにしてるんだから」
「それは本当か?」
空音は驚いたように目を見開く。
「小学生の時、聞いたんだ。碧音が、自分のクラスのヤツらに俺のこと悪く言ってるの」
俺が碧音を避けはじめた理由。それはアイツにある。そのことを、俺は空音に話した。
「昔は仲が良かったよ。だから、碧音の悪口は本当にショックだったんだ……」
碧音と俺は双子ということもあり、学校は同じでも毎年別々のクラスにさせられた。そういうもんだ、仕方ない。分かってはいたけど、幼い頃の俺は、碧音と同じクラスになれないのが歯がゆくて仕方なかった。
碧音も同じ気持ちだったと思う。今でこそコミュ力高いハイスペック男子高生だが、碧音は昔、超がいっぱい付くほどの人見知りで、新年度を迎えるたび新しいクラスで友達を作れず困っていた。他人と関わることを、現在の俺以上に困難だと思っているかのように。
俺は人に話しかけるのも話しかけられるのも好きな方だったので、昔はそれなりに仲間がいた。碧音も、俺の友達に混ざって遊ぶ時は家にいる時みたいに明るかったし、いつも俺の後をついて回ってた。俺も、碧音がそばにいることが嬉しかったし、双子とはいえ先に生まれたのだから兄として碧音を守りたいと、子供心に思った。
小学4年の春、俺と碧音はやはり別々のクラスになった。休み時間は可能な限り碧音の訪問に応えていたし、こっちからも行っていた。おとなしい碧音をからかうヤツがいたら追い払ったり注意したりもした。
それでも碧音は、心細かったらしい。夏の気配が近づいたある日、学校から家に帰るなり、アイツはランドセルを背負ったまま泣き出した。
「慈輝と同じクラスになれないのなら、学校行く意味なんてないよ。僕、もう学校なんて行きたくないっ!慈輝のいないクラスなんて楽しくないし、勉強なんか家でやればいいし……。慈輝と一緒に、ずっとお家にいたい。僕は、慈輝さえいれば他に何もいらないもんっ」
「……ごめんな、碧音。お前がそこまで悩んでるなんて知らなくて……」
クラスメイトからどんなにからかわれても人前で泣いたことのない碧音が、声を上げて泣いた。そのことに俺はひどく衝撃を受け、そんな顔をさせた俺は兄としてダメだと思った。そして、碧音にもっと楽しい毎日を送ってほしいと強く願った。悲しい思い出ばかり積み上げていくなんて、同じ兄弟としてやる瀬ない。
翌日俺は、職員室に直談判をしに行った。
「来年は、碧音と俺を同じクラスにして下さい!お願いします!そのためなら、苦手な教科のテストだって満点取るから!俺、頑張るから!」
当然、そんな交渉に応じてくれるような先生はおらず、俺のその言動は、その日のうちに学年中のウワサになった。その時たまたま職員室にいた同級生が皆に言いふらしたらしい。
どうしたら碧音を笑わせてあげられる?おとなしい性格が悪いことだなんて思ってほしくない。碧音には碧音のいいところがいっぱいあるんだから。
俺はその時、職員室でのことが人に知られても気にしなかったけど、そのウワサが原因で、碧音はクラスのヤツらにからかわれることになる。
「お前、どんだけお兄ちゃんコなんだよ!小4にもなって恥ずかしいヤツー!」
「あ、こんなことしてたらまた慈輝が来るんじゃね!?って、ホントに来た!」
「逃げろ〜!」
その後俺は、震える碧音を力一杯抱きしめた。
「……もう大丈夫だからな。碧音。誰が何て言っても、俺はずっとお前の味方だ」
その翌日から、碧音はパッタリ俺のクラスに顔を出さなくなった。それまで毎日、休み時間のたびに訪ねてきていたので、俺は不思議に思い碧音のクラスに足を運んだ。すると、ガラの悪そうな男子数人と楽しげに話す碧音の姿があった。
良かった。碧音、自分のクラスで友達ができたんだな。
一歩前に進んだ弟のことを嬉しく思いつつ、兄離れを始めた碧音のことが寂しくもあった。でも、やっぱり喜びの方が大きい。晴れやかな気分で碧音の教室を立ち去ろうとした直後、信じられない会話が聞こえてきた。
「碧音、今日いきなり雰囲気変わったよな〜。慈輝みたい」
「そうかな?そんなことないよ」
「前までは慈輝に頼って俺らのこと無視してたじゃん。ま、それが気に食わなかったんだけどさ、俺らも」
「ごめんね。でも、慈輝のこと頼ったつもりないよ。慈輝って本当はバカなんだ。なのに皆に好かれてて、変だよね。僕はああはなりたくないかなぁ」
「あはは!碧音んなこと思ってたの!?兄弟なのにコエー!本音過ぎ!」
碧音の悪口に反応して男子達が笑う。人の笑い声を不愉快に感じたのはその時が初めてだった。
碧音はずっとこんなつらい思いをしていたんだなーー。もう一人の自分が冷静にそうつぶやいたけど、大部分の俺は碧音の言葉を深く受け止め、後戻りできないほどの傷を負った。
碧音に対する劣等感が募るようになったのはそれからだ。それまでは喜べていた碧音の成功を喜べなくなった。失敗して痛い思いをすればいい。碧音に何かいいことが起こるたび、俺は心の中で暗く強くそう願うようになっていた。
「弟だし、家族なんだから、許したい。でも、無理なんだ。こわいんだよ。他人に嫌われるのはキツいけどまだ耐えれる。でも、碧音にだけはあんな風に言われたくなかった……」
親しき仲にも礼儀あり。まさにその通りで、近しい人の言動だから受け入れられないってことがある。自分にとって遠い人だったら、忘れられるんだろうけど。ゆずきちゃんへの恋心が時間の流れと共に薄れていったように。
もう6年も前の話なのに、碧音に悪く言われた瞬間のことはつい最近の出来事みたく鮮明に覚えている。
空音に全て話し終えた後、俺は改めて碧音のことを振り返った。
碧音は俺のことを尊敬していると言ったけど、そんなのうわべだけ。アイツのことだ、父さん達に心配かけないよう表面的に俺と仲直りした風を装いたいだけだろう。過去のこととはいえ、いまだに俺がこんな気持ちなんだ。碧音の俺への本音だって、6年経ったところで変わるわけない。
「話してくれてありがとう、慈輝」
「ごめん、なんか暗くなって……」
「わらわが訊いたのじゃ。気にせんでいい」
それきり、俺達は黙り込む。空音の横顔を盗み見しつつ、考え事をしているフリをした。気の利いたセリフも思いつかないし、なんとなく気まずい。
思いついたように空音が口を開いたのは、しばらく経ってからだった。
「おぬしの話を疑うわけではないし、今の状況に陥るのも理解できる。ただ、碧音側にも何かしらの事情があるような気がするのう」
「碧音の事情って?」
「おぬしのことを悪く言うに至った理由じゃよ。何かしらあったのではないか?」
「そうかな?」
「おぬしの語った過去話には色々と不可解な部分がある。そこまで深く慕っていた兄を人前で悪く言う心情も分からんし、人見知りする質の碧音が突然クラスメイトと打ち解けられたのも不思議じゃ。それもガラの悪い者と」
「それはそうだけど……。人と人が仲良くなるキッカケってひょんなことだったりするから」
「……オラルメンテ」
空音は神妙につぶやいた。
「わらわはたしかに、碧音がそう言ってるのを聞いた。オラルメンテの力さえなければ、俺達はこんな風になってなかった、と……」
「オラルメンテか……。俺には何のことかサッパリだよ」
「おぬしらが仲違いしている原因はオラルメンテにある。わらわはそう断言したい」
「いきなりだな!そうとは限らないじゃん。碧音が俺の悪口を言った、それが全ての始まりなんだ。他に理由なんて……」
言いかけていた俺の言葉を、空音は強いまなざしで遮った。
「わらわの直感がそう言っておる。自慢じゃないが、神だった頃、直感はよく当たる方じゃった」
「空音……」
「それともうひとつ、思い出したことがある」
「何!?」
空音は誇らしげに口角を上げ、頼もしく笑った。
「人間を幸せにしたいと願う。わらわはそういう神だった。人を訪ねるため天界から降りてきたのも、そういう信念と関係していると思うんじゃ」
「そっか、そうかもしれないな!」
「慈輝。さっそくじゃが、ひとつ頼まれてくれんか?」
「何でも言って?」
碧音と俺の関係はともかく、空音の記憶や神の力は取り戻させてあげたい。
「碧音と仲直りし、オラルメンテについてそれとなく聞き出してほしいのじゃ」
「なっ!?」
「私欲のために言っているのではないぞ?美形な双子男子には仲睦まじいものであってほしいという理想が、わらわにはあってだな」
「思いっきり私欲じゃないかっ!」
前も言ってたけど、俺はそんなに美形なのか?だったら多少浮いた話があっても良さそうなのだが、全然ないぞ。モテたためしもない。ということで、空音の言葉は社交辞令として受け取ることにする。
「碧音と仲良くなるのは、わらわだけでなく、おぬしやおぬしの家族にとっても悪い話ではないんじゃないかのう?」
「……そうかもな」
口には出さないけど、父さんと母さんは俺達兄弟が不仲なことに胸を痛めている。家族そろって夕食を取る時、父さんがバカ話ばっかしてるのは場を和ませるためだって、ずっと前から気付いてた。
「こうして体も入れ替わっちゃったわけだしな……」
俺は、自分の両手のひらを見つめた。今、おかしなことばかり起きてるけど、それはもしかしたら、俺の人生の転換期なのかもしれない。碧音と俺の体が入れ替わってしまったのも、深い意味があるのかも。
「違ったらごめんけど、空音の力って、無意識に発揮されることってある?こうして碧音と俺が入れ替わったのも…!」
「それはない」
「言い切ったな」
「神の力が無意識に発揮されるなど、あってはならぬことだからじゃ。あるはずがない。そのようなことがあれば、今頃世界は崩壊しておる」
「そ、そっか。そういうものなのか……」
穏やかな口調に似合わず、空音の気迫はすさまじいものがあった。
「おぬしのスマホが鳴っておるようじゃぞ?」
「え?音はしてないよ」
スマホを見たが何も来ていない。と思ったら、すぐに着信音が鳴った。メイさんからのメールだ。
「すごい!空音、メールが来ること予知したの?」
「予知というより、電波を感じたと言う方が正しい。スマホ本体よりわらわの方がわずかに反応が早い。それだけじゃ」
「それだけってサラッと言うけど、すごいよ!普通電波なんて感じないし!また神の力を取り戻せたんだな、よかった!」
「このような下位の力が戻っても微妙じゃがな……。それより、メイからのメールは見んでいいのか?」
「そうだった!」
メールを開くと、俺達が初めて会う日のことについて書かれていた。
「今年のゴールデンウィークは、その名の通りゴールデンな日々になりそうだ…!」
「どうした慈輝。嬉しそうにして。もしや、メイと会う日が決まったのか?」
「うん!今度のゴールデンウィーク中にって、メールに書いてあるんだ!」
そっか、そうだよな。メイさんは俺と同い年と言ってた。お互い高校生だし、ゆっくり話すなら連休中の方がスムーズだよな!
「南音も誘ってくれたし、メイさんとも会えるし、ゴールデンウイークが楽しみすぎるっ!」
「良かったのう、慈輝」
「空音が来てから、毎日楽しいよ」
自然と笑みがこぼれる。空音は物憂げな横顔で言った。
「初めて声をかけてくれたのがおぬしで本当に良かったよ。ありがとうな、慈輝」
「そんな改まって言われると恥ずかしいなっ」
「ここへ来たのは、おぬしとの出会いのシーンを繰り返し思い出すためでもあったのじゃ」
「そ、そうだったの?」
ドキッとした。意味深な言葉だ。どう受け取ったらいいんだろう?
「わらわは、記憶を失う前に探していた人物と早く会いたいし記憶を取り戻さなけれざならない。けど……。この日常を……。人間としておぬしのそばで生きる今をとても尊く思うよ」
「ありがとう。そんな風に言ってくれて」
「この穏やかな時の流れに感謝して、そろそろ家に帰るとするかの」
「うん」
「そうじゃ。最後にもうひとつ」
ベンチから離れると、空音は得意げに俺の顔を見つめた。
「碧音の本音を知るいい方法があるぞ」
「そんなの、簡単にはいかないんじゃない?」
「まあ、まずは聞いてくれ。おぬしらの体が入れ替わった今だからこそ出来ることなのじゃ。慈輝よ、おぬしは1日、碧音のフリをしてあやつの学校へ行ってみろ。それだけでいい」
「えっ!?そんなの無理だよ!アイツの行ってるのはここらへんでもレベルの高い進学校なんだ!授業についていけない!」
「なぁに、心配することはない。1日でいいんじゃよ。それで充分じゃ」
「ちょ、待って!北高には電車じゃないと行けないんだ!早起きも無理だしっ……!」
突拍子もない空音の提案は、戸惑う俺を差し置き実行されることになった。そんなの絶対嫌がると思っていた碧音が、気軽にオーケーなんかしたからである。予想外だ……。碧音、反対してくれよ。
空音の交渉は実に簡単かつおおざっぱなものだった。親が仕事で遅くなるので、先に三人で夕食をという流れになった、まさにその時、空音は碧音に話を切り出した。
「碧音よ。おぬしは有名な進学校に通っておるらしいが、一度くらい他の高校の授業風景を覗いてみたいとは思わないか?たとえば中央高校とか」
「中央高校って、慈輝の……?」
「そうじゃ。実は、慈輝がおぬしの学校生活を体験したいと言っておっての。1日でいいんじゃよ。今なら体も入れ替わっておるしちょうどいいかと思ってな」
俺はそんなことひとっことも言ってないぞ!しかし、碧音はあっさり空音の話に乗った。
「それ、面白いね。俺はかまわないよ。慈輝の高校見てみたいって思ってたし、慈輝にも俺の高校見てほしかったんだ。中学までずっと同じ学校だったのに高校で離れちゃったから寂しくて」
寂しい?よくそんなことが言えるな。コイツは妖怪二枚舌の生まれ変わりなんじゃないのか?
「そう言ってくれると助かる…!じゃあ、さっそく明日実行してみてはどうじゃ?」
「明日って、急すぎるだろっ」
「悠長なことを言っていたら元の体に戻ってしまうかもしれんじゃろ?戻ってからでも、おぬしら双子なら入れ替わって学校へ行くなど造作もないことかもしれんが」
「それは絶対嫌だっ!今より抵抗あるだろうし!」
「じゃ、決まりじゃな」
空音と一緒になり、碧音も「そうだね」と微笑している。本当に何なんだ……。
その後、空音が風呂に入っている間、俺の部屋にやって来た碧音と、互いに私物の交換をした。教科書やカバン、学生証など、学校に持って行く物全て。
「さすがにスマホは自分の持ってくだろ?入れ替わってからもそうしてたし」
「せっかく生活交換するならスマホも交換しようよ。でないと、真にお互いの生活を体験してることにはならないでしょ?」
「俺はいいけど、お前は困るだろ?友達とかゆずきちゃんから連絡来るかもしれないし」
「そうなったら俺の代わりに慈輝が対応しておいて?こっちも慈輝の友達とうまくやるから安心していいよ」
おいおい!借り物競争の延長みたいなそのノリ、おかしいだろっ!
「学校でお前の友達に合わせる場面を想像しただけで今から胃が痛いのに、電話対応なんかしたらボロが出るに決まってる!」
「大丈夫だよ。たった1日のことだし、多少おかしく思われても後でフォローするから」
「よくそんな前向きでいられるな。心配にならないのかよ」
「ならないよ。だって、これは慈輝が提案したことでしょ?」
そうだった!空音のテキトー発言をちょっとだけうらみたくなる。
「だからって、本当に乗ってくるとは思わなかった。俺達ずっとまともに口利いてなかったし」
「だからだよ。すごく嬉しかった。慈輝が、俺の高校見たいって言ってくれたこと。口は利いてくれなくても関心は持っててくれたって思ってもいい?」
「なんでそうなる。そこはまず引くとこだろ?喜ぶなよ」
「ビックリはしたけどね!」
碧音は肩を震わせクスクスと笑う。
「昔はよく、慈輝と服を交換して父さんや親戚を驚かせてたよね。楽しかったなぁ。懐かしいよ」
「お前がやりたがるから俺は仕方なく付き合ってたんだ。おとなしそうな顔して実は超悪ガキだったもんな、お前」
「だって、冒険したかったんだもん。慈輝の見てるものを俺も見たかったんだ。まあ、父さんと母さんにはすぐバレたけどね」
「さすが親と言うべきだな。人のことよく見てる」
「今回の入れ替わりにはさすがにまだ気付いてないみたいだけどね」
碧音は切なげに笑う。
「空音ちゃんが来た時、慈輝を取られたみたいな気がして彼女に嫉妬したけど、こうして慈輝と話す時間を与えてくれたのが彼女なんだから、皮肉なものだよね」
「嫉妬って。そこまで情もないクセに」
俺の憎まれ口には答えず、碧音は俺のスマホを当然のように持ち去ろうとする。
「おいっ!スマホ交換は許可してないぞっ!」
「いいじゃない。この際徹底的にやろうよ、入れ替わり」
幸か不幸か、不仲にも関わらず碧音と俺は同じデザインのスマホを持っている。カバーさえ交換すれば、中身を入れ替えても分からない。まるで今の俺達みたいだ、スマホも。
「スマホが違えば良かったのに、何で一緒のやつ持つかな」
「慈輝とおそろいにしたくて真似した。ごめんね」
「そこまで来るとストーカーだな。ちょっとこわいぞ」
本当にわけがわからない。碧音はなぜに、俺にここまでこだわるんだ?スマホを真似されてるなんて、言われるまで全然気付かなかった。
「何とでも言って?慈輝も俺のスマホ好きに使っていいから」
「おいっ!そういうことじゃなくてっ。メールボックスとかブックマーク、絶対見るなよっ!?」
「分かってるよ。兄弟でもプライバシーは守る主義なんだ。ま、俺は見られて困るものなんてないけどね」
正気か?その言葉に疑いの目を向けていると、碧音は出入口で足を止め、背中をこっちに向けたまま言った。
「空音ちゃんって何者……?」
どんな感情が込められているのか分からない碧音の声音が冷ややかなものに感じたのは、俺が碧音に抱く偏見のせい?表情が見えないだけに、悪く受け止めてしまう。
「何者って、迷子の女の子だろっ」
空音が普通じゃないことに、碧音は気付いてる。でも、空音は俺以外の人に正体を明かす気はないと言っていた。ここはごまかさないと!
「じゃあな。明日は電車で北高まで行かなきゃだし、俺も風呂入って早めに寝るわ」
「慈輝、動揺しすぎ。浴室にはまだ空音ちゃんがいるでしょ?覗く気?」
「違っ!」
「分かってるよ」
やられた。悔しいけど、碧音は俺より頭がいい。勉強ができることもそうだし、なんていうか、うまく表現できないが、器用に立ち回るのがうまいというか、平然と人を打ち負かす、みたいな。端的に言うと腹黒いイメージ。昔は純真無垢な天使のようだったのに。
「彼女が慈輝に出会ったのって、本当にただの偶然?」
「偶然に決まってるだろ。運命的出会いなんて、小説やマンガやアニメに限って起こる特別なものなんだ」
「そうだね。慈輝の言う通りだよ」
一度だけこちらを振り向くと、碧音は柔らかく笑い、今度こそ俺の部屋を出て行った。
昔は可愛くて甘えん坊で分かりやすいヤツだったのに、今の碧音は謎だ。何を考えているのかサッパリ分からない。同じ遺伝子を持った双子なのに。
「空音のこと探って、どういうつもりなんだ?碧音……」