2 双子の弟
空音の人探しを手伝う代わりに、と、メイさんから提示された2つの条件。彼の返信を何度も読み返し、俺はじわじわ喜びを感じていた。
直接会って嫌われるのが不安。そう思っていたのは俺だけじゃない、メイさんも同じだったんだ!そんなメイさんの言葉が意外だったし、今まで以上に親近感を覚える。
あくまでチャットでのイメージだけど、メイさんはどんなことにも動じないタイプの人だと勝手に思っていた。それなのに、他者に嫌われる不安を口にするような人だったなんて……。驚いた。
俺はさっそく、想いのままメイさんにメールを送った。
《おはようございます。早くのお返事、本当にありがとうございます!
メイさんのご協力があればうまくいくと思うし、空音も喜びます。
直接会って嫌われないか……。その不安は俺にもあります。でも、俺は絶対メイさんを嫌ったりしません。メイさんさえよければ、これからも仲良くしてほしいです。 キジ》
キジとは、俺のハンドルネームだ。本名・慈輝を別の読み方にすると慈輝になるので、それを逆さにしてSNSではキジと名乗っている。
不特定多数の人が見るネットでは当然のようにハンドルネームで動いていたが、メイさんに会うのだとしたら、彼にだけは本名を教えてもいいかもしれない。電脳世界ならともかく、現実で顔を合わせる相手とハンドルネームで呼び合うのは変だし……。
メイさんから、すぐに返信が来た。
《嬉しいよ。ありがとう。君を信じてる。
君の経験を考えると、君が他人を信じたり心を開いたりするのは難しいことかもしれないが、どうか僕のことは信じてほしい。この3年間があったから、僕は今の自分があると思っている。 メイ》
この3年間、助けられていたのは俺の方だよ……。そこまで大切に思ってくれていたなんて。少し泣けてくる。誰かと同じ気持ちになるって、幸せだ。
直接会うと俺が驚くような事情が、メイさんにはあるのだろう。そしてそれは、サイトのプロフィールを見ただけでは分からないこと。
「たとえメイさんがプロフィールを偽っていたとしても、俺達の3年間は消えたりなんてしないから。絶対」
電波に乗せて届けたい想いを、あえて声に出してみた。こうすることで、メイさんとの友情がたしかなものになる気がしたから。
「慈輝。おぬしはいつまでパソコンとしゃべっておるのじゃ」
「空音!?いつの間に…!まだ寝てるのかと…!」
昨夜、父さんと母さんは空音のために一階の客室を空けてくれた。昔はおじいちゃんがよく泊まっていた部屋だ。定期的に掃除しているので、今回のように、突然の泊まり客にもスムーズに対応できる。
「太陽の光で目がさめる。人間とは実に効率のいい体をしておるな」
「健康的だな。ストレス社会のこの世の中、そんな起き方できるのは一部の現代人だけだよ」
現実逃避半分娯楽半分で夜遅くまでパソコンに向かっている俺は、太陽の光にも鈍い低血圧ねぼすけ野郎だ。
空音は納得したように小さくうなずき、殺風景な俺の自室を見渡した。
「父上達はもうすでに会社に行ったぞ。碧音もな」
「やばい…!もうこんな時間!?」
スマホで時間を見て、焦る。メイさんのメールを確認するため早起きしたのに、いつの間にか家を出なければならない時間を十五分も過ぎてる!
「メイさんから返事が来たんだ!それを見てたら遅くなって……。彼、空音の人探しに協力してくれるって。詳しいことは帰ったらまた話そ」
昨日の空音は階段の上り下りを嫌そうにしていたのに、今は急ぎ足の俺について普通に階段を駆け下りている。
「足、大丈夫?無理してない?空音はゆっくりしてていいよ。俺のペースに合わせなくてもいいから」
「む?おぬし、わらわを年寄り扱いしておるのか?」
「そっ、そうじゃないけどっ」
むすっとする空音に、俺はたじたじだ。年寄り扱いしてないと言えばウソになる。階段上るのをつらそうにしてたのは昨日のことだし、そりゃあ、ねぇ?
「神の力を無くして、まだ本調子じゃないかと思ってさ」
「そうなんじゃがな。なぜか今日はすこぶる調子がいいんじゃ」
「よく食べてよく寝たからじゃない?」
微笑し、俺は空音を見つめた。初めて会った時より空音の顔つきは柔らかい。神だったとはいえ、今はただの女の子だ。人間にとって必要不可欠な食欲と睡眠欲が満たされて調子も良くなった、そう考えるのが自然。
「そうじゃの。おぬしのおかげじゃ」
空音は満足げにうなずき、片手を小さくひらひらと振る。
「留守番は任せるがいい。心おきなく勉学に励め」
「うん。なるべく早く帰るから、誰か来ても出ないようにね」
「わかっておる。行ってまいれ」
「いってきます」
こうして、朝、知り合って間もない女の子に見送られるのは不思議な気分だけど、けっこういいものだな。ウチは、父さんも母さんも碧音も早起きしてキビキビ動く方なので、一番最後に家を出て鍵をかけるのは俺の役目になっている。
「もう奥行っていいよ。鍵はコレで閉めるから」
合鍵を目の前にかざし空音を下がらせようとすると、
「そのままの顔で学校へ行けばいいではないか」
「えっ……?」
唐突にそんなことを言われ、戸惑う。視線をそらす隙すら与えないと言わんばかりに、空音は両手で俺の頬を挟んで至近距離で目を合わせてきた。空音の呼吸を肌で感じてしまい、顔が一気に熱くなる。
「ちょっ、空音、何するの、離してっ…!」
「昨日初めて会った時のおぬしは凍りつきそうなほど冷たい瞳をしておったが、それは偽り。今のおぬしこそ本来の姿なのじゃろう?」
「っ……」
キスされるのかと思った。それくらい近い距離でささやかれて、胸が壊れそうなくらい高鳴ってしまう。だけど、空音の手はすぐに離れ、その甘い香りもスッと遠ざかった。
「初対面のおぬしより今のおぬしの方が、わらわは好きじゃぞ」
背を向けてそう言うと、立ちつくす俺を玄関先に残し、空音は今度こそ奥に引っ込んだ。
作っていない素の俺が好き…?
空音の言葉にウソはないと思う。正直に感じたことを言ってくれたんだろう。昔だったら喜んでいただろう褒め言葉。今の俺は素直に受け入れられなかった。
通学路。家から学校までは歩いて片道三十分ちょっとの距離。今日は遅く家を出たので、走って学校に向かった。走ることでモヤモヤした気分を晴らしたいし。
おかげで遅刻はせずにすんだけど、どれだけ走っても気持ちはスッキリしなかった。
高校に入ってから俺は、『クールで他人に無関心な男』を演じている。中学時代までの自分らしさを捨て、おじいちゃんへの憧れや尊敬の気持ちにフタをし、普通の男子高生になるために本当の自分を隠して毎日を過ごしている。
空音は、早くもそんな俺に気付いたのだろう。朝から、しかも学校に行く直前にそのことを指摘され、動揺した。
空音の言っていることは、きっと正しい。それは俺にも分かる。人はそれぞれ生まれもった個性があって、それはその人その人によって違う色をしている。だからこそ世界は楽しいと言う人だっている。
だけど、実際はそんな風にうまくいかない。ありのままの自分を否定され続けた結果こういう生き方をするしかなくなってしまった。俺には、選択肢なんてもうない。
空音の言葉にモヤモヤを感じたのは、彼女にそのことを理解してもらえなかったからでもある。今の俺でいるのはそれなりの理由があり痛みの経験があるからなのに……。って、出会って24時間も経ってない人を相手に自分の全てを理解してもらうなんて無理な話。分かっては、いるけど……。
今まで出会った全ての人が空音のように俺を肯定してくれていたら、きっとこんなことにはならなかった。
学校へ向かう途中、何人かのクラスメイトと会った。そのたび俺は、「うっす」「よぉ」と、テンション低めにスカした返事をした。
幸い、かつての俺を知る同中の生徒はこの高校にいないので、俺はそういうキャラだって浸透させるのは簡単だった。
ようやく演じることに慣れてきたけど、やっぱりまだ学校モードの自分に違和感がある。
以前の俺だったら、朝クラスメイトに会ったら「おはよう!」と愛想よく挨拶をし、今日の授業予定や学校行事についての話題につなげていた。普通ならそういう対応の方が人に安心感を与え人間関係もうまくいきそうなものなのに、今の無愛想な俺の方が人受けするのだから、同年代の男女の心理は理解不能だ。
高校に入学して以来、こんなに深く自分のことについて考えたのは初めてかもしれない。難しいことを考え過ぎて、脳内がショートしそうだ。
教室に入り、窓際の最後尾の席に着く。人目に触れにくいこの席が、けっこう気に入ってる。
それに、中学までと違い、ここには碧音がいない。双子というだけで碧音と俺は何かと比較されてきたけど、高校を別にしてからはそういうことも無くなったので本当に良かったと強く思う。
春の朝。優しい風が流れてきたおかげで、しめっぽかった気分もわずかに穏やかになった。
いつか、空音の褒め言葉を素直に受け入れられる日が来るんだろうか。そんな日が来る頃には、俺にも本気の恋が訪れたりするんだろうか。
恋して、友達作って、幸せになりたい。でも、そのためにはきっとたくさんの努力が必要だ。生きていく上で、もう誰にも嫌われたくない。俺はどうしたらいいんだろう。時々分からなくなる。
何の代償もなく願い事が叶う魔法があったらいいのにな。……なんてね。それこそ夢物語だよな。
「おはよ!慈輝」
「っす」
「いつもだけど、ムスッとしてどしたの?」
「別に普通だけど」
全然普通じゃありません!が、俺は自分のイメージを保つべく、元気に声をかけてくれた友達にそっけなく答えた。本当はもっと愛想よく受け答えしたいっ!
「慈輝、反抗期の中学生みたいだな。ぷぷっ」
この、能天気な前向き人間を絵に描いたような男は、クラスメイトの拝郷南音。入学式早々に遅刻してしまった俺に声をかけてくれた面倒見のいいファニーフェイス男子だ。
同じ15歳とは思えないくらい、器が大きいなと、いつも思う。こんな可愛げのない俺を入学初日から友達にしてくれ、その上スマホの番号やメールアドレスまで交換しようと言ってくれたのだから。
南音は、初めて出来たリアル友達。本当の自分を隠したおかげで得られた大切な人。
無表情でそんなことを考えていると、南音は俺が物思いにふける理由を勝手に想像し、それを口にした。
「分かってるぜ。でも、隠すなんて水くさいじゃんか。俺には教えてくれてもよかったんじゃない?」
何の話だ?分からず、視線だけで話の続きをうながすと、南音は察し、こう言った。
「慈輝、他校の子と付き合ってるんだろ〜?隠してもムダ!ちょっと前に駅前のカフェで見かけたんだ」
「人違いじゃない?」
「照れんなって〜!何度も見たぜ。彼女いるならそうって言ってくれればいいのに」
南音、何を言ってるんだ!?しょっちゅうデートするような彼女がいたら、自称神の女の子を家になんか連れ帰らないって!
「すっげー可愛い子じゃん!奪らないから、今度紹介してよ〜!俺も女の子と遊びたい!」
いないものを紹介しろと言われてもな……。
女子いわく「南音は、友達としては申し分ない、何でも相談できる男子!」とのこと。俺は内心「それならじゅうぶん幸せじゃないか!俺なんか女子に相談すらされたことないんだぞ!」とうらやんでいたけど、ここまで女子との接触に飢えてたとは……。人の実情ってパッと見じゃ分からないな。
面倒なことになる前に、このよく分からない誤解を解かないと。
「さあ、席に着いて。出欠を取りまーす!」
担任の初老男性が入ってきたので、南音は自分の席に戻っていった。意味ありげなウィンクを俺に飛ばして。
ったく。女の子と遊びたいのは俺も同じなのに。くっそー。逆にこっちが南音の女友達に会わせてほしいくらいだ。
……ん?今、空音の顔が頭に浮かんだ。なんでだ?
神と言うには証拠不十分、だけど、魔法みたいな力で物事の流れを変えてしまう不思議な少女。出会ってまだ丸2日も経っていない。
ちくわが好きってことは、さつま揚げとかかまぼこも好きになるかもしれない。今日、学校帰りに買って帰ろ。
その日、昼休みになっても、南音はまだ朝の話題を忘れてなかった。昼食のパンを持って俺の席に来るなり、
「なあ、付き合ってどんくらいなの?」
「だから、彼女なんていないって」
「うーん……。でも、あれはたしかに慈輝だったんだけどなぁ。俺だけじゃない、他のクラスのヤツらも見たって言ってたぜ」
「本当に身に覚えないんだけど」
「おっかしいなぁ……。しゃべってるとこ見たけど、声も同じだったような気がしたんだけどな」
「世の中には自分に似た人が3人はいるって、よく言うでしょ」
そっけなく返事をしつつ、俺はひとつの予想をしていた。
南音が外で偶然見かけたカップルの片方は俺ではなく、一卵性の双子の弟・碧音だった可能性が高い。碧音の恋愛事情なんて知らないし興味もないが、友達たくさんいるリア充だ。彼女の一人や二人、いても全然驚かない。そのうち家に連れてきたりするかも。
「女子と遊びたいなら他当たって?人脈ない俺に頼られても困る」
「慈輝〜、あいっかわらずクールだなぁ。女の子と遊びたくない?」
「興味ない」
「そっかぁ、残念!」
がっくり肩を落としクリームパンを頬張る南音を横目で見て、俺はミックスサンドを口にした。
この学校には同じ中学出身の人がいないから、俺に双子の弟がいることを知る人はいない。なので、いつも一緒にいる南音にくらいは話した方がいいのかもしれない。何度もそう思ったけど、やっぱり俺は、南音に弟の存在を明かす気にはなれなかった。
話したら、どうせまた比べられて嫌な思いをするから。それなら話さない方がいい。
碧音に対する感情は、最初はほんのささいな劣等感だった。それが今では避けるべき対象、大きな障害、目の上のたんこぶになってる。血を分けた兄弟なのに。昔は仲が良かったのに。
ぼんやり考えていると、南音が自分の家族のことを話してきた。
「昨日、妹に店で服見るの付き合ってって言われてさー。疲れてるから嫌だって断ったら『だからお兄ちゃんはモテないんだよ!』って怒られてさ〜。いつものことなんだけど、ほんっとウチの妹は理不尽なんだよ〜!」
「怒られるの分かってるなら、はじめから諦めて付き合えば?そんな時間かかるもんでもないし」
「甘い!甘いよ慈輝!女の買い物は長い!それに、平日の買い物なんつーのはたいがいが口実で、その実態はウィンドーショッピング!今度友達と遊ぶ時に買い物するための下見同行係なんだよ俺はっ」
南音、妹いたんだな。性別違うキョウダイがいる暮らしってどんなんか想像つかないし話聞いてると大変そうだけど、気軽に買い物誘われたり軽くケンカするくらい南音と妹は仲良いんだな。そういうの、ちょっとうらやましい。
放課後、早めに家に帰ると、空音は俺の部屋のベッドで猫のように丸まって寝ていた。普通の子とはちょっと違うといえ、その状況を作り出した空音を見てドキッとしてしまった。
「おーい、空音!もう夕方だよ。起きて〜?」
「むう…?」
「もうすぐ夕食の時間だよ」
帰り道、近所のスーパーで適当に練り物を買ってきた。それらが入ったビニール袋を床に置き、空音の肩をそっと指先で叩く。
「起きて〜」
ベッドには一応除菌スプレーしてるけど、消臭までされてるかどうか分からない。変な匂いとかしてない?大丈夫かな。空音、不快に感じてないといいけど……。
「空音の好きなちくわ、買ってきたよ。他にも似た系統の物いっぱい。起きないと俺が全部食べちゃうよ〜」
夢うつつの空音をベッドから出すためそんなことを言うと、彼女はすさまじい勢いで体を起こし俺のそばにあるスーパーのビニール袋にキラキラした目を向けた。それまでぐっすり寝ていたくせに。
「慈輝!ちくわはどこじゃ!」
「後でね。さあ、早くベッドから出て」
「叩き起こすためのエサか。わらわはそれを見抜けなかった。神が聞いてあきれる。はぁ」
「こうでも言わないと起きてくれなかったでしょ?」
「まだ寝ていたかったのに、神に対するいたわりがなってないぞ」
ブーブー言いつつも、言葉ほど不機嫌ではなく、空音は穏やかな顔つきをしている。
「今朝の話の続きじゃが、メイと交渉成立したんじゃったな」
「うん。メイさんとは家も近いから、今度お互いの予定が合う日に会ってもらえることになったよ。良かったね、空音」
「探偵の力量は知らんが、慈輝の友人じゃ。きっと力になってくれると信じておる。話をつけてくれてありがとうな、慈輝」
「見つかるといいね。空音の探してる人」
「そうじゃの。何の手がかりもないゆえ、メイには迷惑をかけてしまうかもしれんが……」
空音の記憶は、まだ欠けたままだった。俺が学校に行っている間に多少何かを思い出しているかもしれないと期待したんだけど、そう簡単にはいかないか。
空音が探している人。やっぱりそれは、神の力なる魔法的な話に関係しているんだろうか?
「その人に会えたらきっと今より思い出すことが増えるだろうし、俺もできることは何でもするから」
「頼りにしておるぞ」
堂々としていてもどこか気弱な色をしている空音の瞳。そんな彼女が笑うと、何とかなってしまいそうな気がするから不思議だ。
「そういえば、昨日、母さん達に、居候させてくれる代わりに家族を危険から守るみたいなこと言ってたけど、あんなこと言って良かったの?空音には無理してほしくないんだ。まだ記憶もしっかりしてないし、神の力だって完全じゃないみたいだしさ」
たとえ今神の力が万全だとしても、そんな力、使わなくたってかまわない。
「心配無用じゃ。いつか力が戻った時、たっぷり恩返しさせてもらうからの」
「そんなの気にしなくていいよ。父さん達、100%善意だから。見返りなんて求めてない」
「そうじゃの。おぬしも、おぬしの家族も、みんな優しい」
「そう?」
「そうじゃ」
「そっか」
そうだね。碧音以外は。心の中で無意識にそうつぶやいた。
空音が家に来て四日目。学校が休みで他に予定もなかった俺は、空音を連れて少し遠くのショッピングモールに足を運ぶことになった。空音専用の洋服や生活雑貨を買うために。
母さんが空音を連れ歩きたいと言っていたし最初はその予定だったけど、急な仕事を頼まれてしまったとかで、俺がその代役を務めることになった。父さんは会社の人とゴルフ、碧音も朝早くからどこかへ出かけてる。
「わらわなら今ある物でかまわんのじゃが。わざわざ買ってもらうなど居候の身で申し訳ないしの」
「そんなこと気にしなくていいよ。今は家族の一員なんだから」
女の子の服は高いって南音が言ってたけど、今日の買い物のためのお金は父さんと母さんがくれたので金銭面の心配はいらない。女の子の物を買うのが昔から父さん達の夢だったとかで、財布の紐を緩めすぎってくらいに緩めてくれた。
とはいえ、俺が出来るのは本当に付き添うことくらいで、空音の服をコーディネートしたりなんて全然できない。ここに来れないと分かった時、母さんが落胆したワケが今ようやく分かった。俺では役に立てない。
ショッピングモール内。ショップのあちこちに様々な系統の女子服が並ぶ。流行最先端だったり、季節を先取りした夏服だったり、個性的なデザインだったり。どれも空音に似合いそうだけど、組み合わせを間違えたらおかしなことになりそうだ。
自分の服なら適当にパパッと選んで買うけど、空音のはそういうわけにいかない。女の子の服って難しいっ!
「遠慮せず好きな服を選んで」
そんなセリフは逃げだ。分かっていても、無知な俺はそうやって「君の好みを尊重するよ」的なことを言って空音の購買欲を刺激することしかできない。
「うーん、そうじゃな。ならば、あれはどうじゃろ」
「えっ……!?」
空音の視線の先には、女の子の下着専門のショップが。しかも、空音が興味を示したのは、マネキンの体がスッケスケになっちゃってるドレスみたいな下着だった。
「ちょ、本気!?アレはどっからどう見てもダメ!」
「なぜじゃ?淡いピンク色で気持ちが丸くなる優しいデザインではないか」
「色はいいけど、デザインが問題だよっ!あんなの着て出歩いたら、日本の警察だけじゃなく変な人にまで目ェつけられるからダメ!却下です!」
「好きな服を選べと言ったのに、慈輝はワガママじゃのう」
「これは決してワガママじゃないっ!一般論だっ」
空音はやれやれとため息をつく。自分の着る物にはあまり関心がないようだった。ため息をつきたいのはこっちだよ。
「メイさんに会う時に着ていく服を想定してみたら?実際に着てる姿を想像しながら選んだらピンとくるかも!」
「そうじゃな。人に会う時の身なりは大切じゃしな」
良かった。こちらの言いたいことは伝わったらしい。
「ひととおり人間の常識は頭に入ってはいたが、実践するとなると難しいのぅ」
「服着るのってそんな難しいかな?」
「おぬしらにとっては普通のことじゃろうが、わらわは感覚的にまだ慣れん。天界では常に裸で過ごしていたからな」
「なっ……!だから初めて会った時もあんな格好を!?家では絶対脱いじゃダメだからね?あ、外でも!」
「分かっておるよ。しかし、おぬしはなぜそう必死になる」
どこかからかいの色を含んだ空音の瞳。俺が恥ずかしがるのを見て楽しんでいるのか?そう思うとなんか悔しいけど、それ以上に空音の楽しげな様子を見ると安堵して、結局俺は何も言い返せなかった。
その後いくつかのショップを巡ったおかげで、空音のワードローブを増やすという目的は達成された。
当然俺は荷物持ちをすることになった。空音は本当に文字通り身ひとつでウチに来たので、足りない物を買い足したらものすごい量の買い物になってしまい、時々すれ違う他の客(特に男性)から同情の視線を向けられた。年下の女の子から奴隷的扱いを受けている哀れな男とでも思われたのだろう。
一個一個は軽いけど、小物や服はかさばるとさすがに重たいし疲労感は時間と共に増す。でも、それが嫌だなんて、俺は全く思わなかった。
「すまんな、慈輝。わらわはとても助かるが、その量、人間には負担じゃろ?もしもわらわの力が戻れば、1秒かからず家に物質転移できるのじゃが……」
「気にしないで。こういうの、ちょっと夢だったんだ」
「他者の荷物持ちをすることがか?わらわが言うのもなんじゃが、おぬしは相当変わっておるのぉ。虐げられるのが好きな男を、最近の流行語でドM男子と言うんじゃったか」
「ドM男子なんて流行するほどいないし、それ以前に俺に対する解釈が間違ってる!そして、遠い目をしないでくれっ」
こうやって女の子の買い物に付き合い、彼女の荷物を持ってあげる。何でもない会話をしながら肩を並べて歩く。中学の頃から、ひそかにやってみたいことのひとつだった。
「こういうの、恋人ごっこみたいでちょっと楽しいなって」
「慈輝……。おぬし、それほどまで恋愛に憧れを抱いておったのじゃな。パソコンを見て分かってはいたが、そこまでとは……」
「って、改まってそういう話するの恥ずかしいな。変なこと言ってごめん。今のは忘れて?」
空音といると、本当の自分でいられる。学校にいる時みたいに演じなくてすむから、つい、色んなことを話してしまう。それぶっちゃけ過ぎだろって自分で自分にツッコミ入れたくなるけど、それでもきっと、空音にはまた色んな話をしてしまうんだろうな。
「忘れんよ」
柔らかな微笑みを俺に向け、空音がつぶやく。
「おぬしの話、わらわは忘れんよ。今回のように記憶が消えん限りは」
「……ありがとう」
空音の記憶が消えた理由は分からないし、この先それを取り戻せるのかどうかも分からないけど、俺が何かを話す分、空音も自分のことを話してくれたらいいな。
「疲れたし、帰る前にちょっと休んでこっか。何か飲も?」
ショッピングモール内のカフェを指さすと、空音は目を輝かせる。
「おお!わらわもちょうど喉が渇いておったのじゃ」
さっそくカフェに入ると、俺達と同じく、買い物後の休憩をしている客でいっぱいだった。
列を作っていた数人の客がはけると、俺達の番がきた。店員にうながされるままレジでメニュー表を見る。
「好きなもの頼んでいいよ。空音は何にする?」
「色々あって迷うのぉ。慈輝は決まったのか?」
「チョコレートシェイクのはちみつがけにするよ。ここ来るとだいたいコレなんだ」
「ほう。なら、わらわもそれがいい!」
「了解。じゃあ、これ2つ下さい」
店員さんに頼むと、注文した物が出来上がるまでレジの脇にズレて待つ。休日ってだけあって、けっこう混んでるな。客が減ってもその分また入ってくるのでいっこうに空かない。二人分の席、確保できるかな?
改めて店内を見渡す。その中に知っている顔を見つけ、俺は血の気が引いた。
「……ゆずきちゃん?」
店内最奥のテーブル席。通路側に座っていたのは、初恋のゆずきちゃんだった。小中学校が同じなんだから、地元から近いこの辺で会ってもおかしくない。それは別にいい。俺が驚いたのは、ゆずきちゃんと一緒にいる男の顔が見えたからだ。
「慈輝、どうしたのじゃ?急に黙って……。あれは……」
「どうして、碧音がゆずきちゃんと…?」
休日に、男と女が二人でカフェにいる。その意味って……。
『彼女出来たなら言ってくれればいいのに〜!』
先日南音が見たと言っていたのは、やっぱり碧音のデート現場だったんだ。見知らぬ他人から見たって一目瞭然。碧音とゆずきちゃんは恋愛関係。二人でひとつのケーキを分け合い、こちらに気付くことなく熱く見つめあっている。こんなのって……。
二人は、いつからーー?
俺がゆずきちゃんにフラれたことは一時ウワサになったので、俺の初恋相手がゆずきちゃんだってことを碧音も知っていたはずだ。
ゆずきちゃんのことはもう吹っ切ってる。だからこそ恋愛して幸せになりたいって前向きな気持ちでネット検索かけたりしてたんだし。だけどさ、だけど……。
俺が見ているものに気付き、空音は言った。
「碧音も出かけたと聞いていたが、同じ場所におったとはの……」
「ごめん、空音。俺は先に帰る…!」
「慈輝っ!」
引き止めようとした空音の指先がわずかに俺の腕をかすめたけど、かまわず俺は店を出た。
どうして!?真っ黒で真っ赤な激しい感情が腹の底から湧き出て止まらない。
ゆずきちゃんは、俺のことを嫌がっていたのに、同じ顔した碧音を選んだ。どうして碧音なの?せめて他の男だったら、ここまでショックではなかった……。
春先の涼しい季節なのに、少ししか走ってないのに、ショッピングモールを出てすぐ、全身に汗が吹き出した。気持ち悪い……。
「……碧音になりたい」
俺達は、どこから別々の人生を生きていたんだろう?双子とは、似ているのに全く別の他人なんだ。改めて、そんな当たり前のことを実感する。
俺を呼ぶ空音の声に気付いた碧音が後ろから俺を追いかけてきていたなんて、この時はまだ知らなかった。