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11 逃避願望

 遠ざかるメイさんの背中に、俺はできる限り大きな声で叫んだ。


「関係切るなんて、絶対しません!会う前からずっと、メイさんは大事な友達ですから…!」


 周囲の視線が集中していたけど、今は羞恥心しゅうちしんより、メイさんの孤独感を消してあげたいという思いの方が強かった。その孤独感すら、俺の勘違いならいいのにと思う。


 夕方の乾いた風が、メイさんの長い黒髪をさらりと舞わせた。


「……ありがとう」


 一度だけ振り返ったメイさんは、聞こえるか聞こえないかの小さな声でそうつぶやき、今度こそ立ち去ってしまった。


 長いようで短かったメイさんとの話し合い。今は、長編ファンタジー映画を観た後のような気分だ。


 言魂使い(オラルメンテ)が色んな人に狙われているとか、望月君の存在とか、メイさんが見せてくれた資料のこととか、この世には他にも人ならざる者がいる話とか、その時その場ではリアルな体験として受け止めていたのに、こうして空音かのんと二人きりになるといまいち現実感がなく、妙な感覚だけが体を包んでいた。


慈輝いつき……」


 それまで沈黙を保っていた空音が、俺の服の裾を掴む。強く、心細げに。


「どうしたの?お腹すいた?」

「……このままどこかへ逃げぬか?わらわ達のことを知る者が誰もいないところへ」


 今まで聞いたことのない、深刻な声音だった。


「逃げるって、どうしてそんなこと……」

「……」

「空音……っ!?」


 突然、空音が俺の胸に飛び込んでくる。その体は震えていて、さっきまであった胸のざわつきをより強いものにした。


 通りすがりの人達が何事かと言い俺達の方を見てくるが、そんなことより空音の様子が気になった。さっきからずっと様子がおかしい。


「空音が嫌なら、メイさんへの依頼、なしにしてもらってもいいんだ。無理することはない……」


 本気だった。俺にしがみついてしまうくらい怖いのなら、本当のことなんて知る必要ないんだ。


「違う。わらわのことはどうでも良いのじゃ」

「え……?」


 空音は俺から離れ、こわばった顔をうつむかせる。


「嫌な予感がする。メイの存在だけじゃない。あやつがおぬしの能力を知っていたことがとても引っかかるのじゃ。望月もちづき永音ながとなる者の存在を明かしてきたことも……」

「それは、メイさんにそういうのを見抜く力があるから」

「それすらウソだったとしたら?」


 空音がいやに静かだったのは、そういうことを考えていたから?


 たしかに、メイさんの話はどれも突拍子のない内容だった。彼女自身も言っていたように、それらは大半がウソなのかもしれない。空音が不安を感じてしまうのも分かる。ただ……。それでも、メイさんがウソを言っているようには見えなかった。俺が鈍いからそう思うのかもしれないけど……。


 考え込む俺をしばらく見つめた後、空音はカラッとした声で明るく笑った。


「なんてな。冗談じゃ」

「えっ!?冗談……!?」

「わらわはメイと肌が合わん。そのせいで彼女の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくを曲解しておるだけじゃろ。はじめから逃げるつもりもない」

「そうなの!?そのわりに本気っぽく聞こえたんだけどっ!」

「迫真の演技じゃったか??はっはっは。だてに留守番中テレビドラマの視聴はしておらんぞ」


 テレビドラマだって!?今のはそれを真似た演技だったっていうのか?電波放送の影響力すごいな!


「もう!本当に心配したんだからな!?」

「そうムキになるでない。可愛い顔が台無しじゃぞ」

「可愛くないっ!!」

「ふははは!ビックリしたおぬしの顔もなかなか良いのう。碧音あおととの会話のネタにさせてもらうとしよう」

「するなっ!」

「冗談じゃ。ホントにおぬしは生真面目じゃのう」

「空音の冗談が分かりづらいんだよっ」


 空音に合わせてたら、会話もいつもの調子に戻ったけど。ーー…今の、本当に冗談だったのか?


 電車に乗っている間、空音は無邪気に窓の外を眺めて目に映るものを話題にしていたけど、適当に相槌あいづちを打つだけで、そのやり取りはことごとく俺の頭の中からすり抜けていった。



 空音は、もう記憶を取り戻すことにこだわっていないと言っていた。


 逃げたい。ーーそれは空音の本音だったのではないだろうか。人探しも、地上へ来た目的も、記憶を失った今はどうでもよくなってしまったのでは?


 そんな思いは、日々胸の中で膨らんでいった。



 それから4日後の、5月9日。


 予定通り、ウチで碧音と俺の誕生日パーティーが行われることになった。リビングとダイニングを使えば、碧音や俺の友達を呼んでもゆとりある広さを確保できる。家がこんなに広く使えるなんて初めて知った。


 前々からこの日の準備はしていたものの、正直今は祝われる気分じゃない。空音の言った本音のような冗談が、いまだに忘れられなかったから。


 あれきり空音がああいうことを口にすることはなく、今まで通りちくわ好きな言動を見せ、俺のベッドで昼寝をするという習慣も続けていたけど、だからこそ、俺はますます空音の気持ちが気になって仕方なかった。


 表面的には、今までと何ら変わりない日常。だけど、メイさんに依頼した日から、水面下で何かが変わっている。そんな気がしていた。


 不安をあおるかのように、メイさんからの他愛ないメールも来なくなった。仕事が忙しいだけなのかもしれないけど、それまでほぼ毎日来ていたメールがこのタイミングで途絶えると、やっぱり不自然に感じて……。悪い方へ悪い方へと考えてしまう。


「もうすぐ田神たがみっち達来るって!」


 碧音がスマホ片手に報告してきたのにも気付かず、ぼんやりしていた。


「どうしたの?心ここにあらずって感じだね」

「そうか?昨夜夜更かしたからかな。面白いアプリ見つけて」

「慈輝って、ウソをつく時、絶対目をそらすよね」

「そ、それはっ」


 碧音には、考え事の原因を話せないでいた。メイさんに依頼したことは報告したけど、それだけ。メイさんに人の能力を見破る力があることや望月君のこと、空音が逃げたがっているかもしれないことは教えてない。心配かけたくないからだ。


 ただでさえ、碧音には昔から重荷を背負わせてきた。言魂使い(オラルメンテ)がどのような存在で、周囲にどれだけ影響を与える能力者なのか、メイさんの話を聞いてますます思い知らされた。


 人に話して楽になることもできたはずなのに、碧音はそうせず、一人で秘密を守ってくれていた。それは、俺に危険が迫らないようにするためーー。


「碧音には敵わないよ……」

「いきなりどうしたの?」

「ありがとう。心配かけて悪いな。でも、大丈夫だよ、俺は」

「慈輝……」


 本当は大丈夫なんかじゃない。調査結果が分かるその日が近づくにつれ、俺は寿命が縮むような思いだった。


 調査報告を受けるのは5月12日。メイさんにはまた会いたいけど、3日後が永遠に来なければいいのにと願ってしまう。


「今日は楽しもう!俺達にとっても久しぶりの合同イベントだしな」


 晴れない気分を吹き飛ばすべく、できるだけ明るく元気な声で碧音に言った。


南音みなとももうすぐ来るって」

「慈輝の学校の友達だよね。学校交換の時に話したよ。明るい人だったね」

「うん。こういうパーティー大好きって言ってた」

「慈輝のこと大事にしてくれてるんだね。来たら挨拶しないと」

「俺もするよ、碧音の友達に」

「ぜひそうしてあげて?皆喜ぶと思う」


 碧音はきっと、俺が悩んでることを察してる。でも、あえて何もいてこない優しさに、いくらか元気をもらった。


 大丈夫だ、大丈夫。何も心配することはない。最近色々なことがあったから脳内で処理しきれていないだけ。ちょっと疲れがたまって悲観的になってるだけ。そうに違いない。メイさんはああ言ってたけど、調査の結果が悪いものばかりとも限らないんだ。



 なんとか気持ちを切り替え、誕生日パーティーを楽しめるギリギリのところまで気分を回復させた。


 集合時間は11時から12時の間と約束している。一番最初に来たのは、田神君をはじめとした北高の男女グループだった。碧音が出迎える。


「お邪魔します」

「おはよう。上がって?」


 リビングで俺の顔を見るなり、田神君は端正な顔をクシャクシャにして近付いてきた。一度見たら忘れられないくらい彼にはインパクトがある。もちろんいい意味だ。高身長で大人っぽく、清潔感もある。碧音の本性を知っても引かずにいてくれる器の大きさもまさに完璧!非の打ち所がない。


「慈輝君だよね?はじめまして。田神たがみつかさです」

「いつも碧音がお世話になってます。慈輝です。今日はわざわざ来てもらってありがとうございます」


 厳密に言えば田神君達に会うのは2度目なのだけど、彼らはこれが俺との初対面だと思っているので、こっちも合わせた。


「俺のことは宰って呼んで?あと、敬語はなしでいいよ」

「うん。タメだもんね、俺達。俺のことも名前でいいよ」


 完璧すぎるあまり一見絡みづらい人なのかなと最初は思ったけど、宰君って気さくでいい人だな。碧音のフリして北高行った時と全然変わらない。


 柔らかい雰囲気と人好きのする話し方の相乗効果で、さらにイケメンに見えてくる。しかも他校の俺にまで親切にしてくれるなんて。いくら碧音の友達だからって、普通ここまで俺に親しみをあらわにしないよな。田神君はサービス精神旺盛な人だ。


 内心感動していると、


「ねえ、せっかくだし番号交換しよ。メールとかしたいし」

「う、うんっ、いいよっ」


 マジか!俺なんかとメールしたいと言ってくれた男子、南音以外では初めてだ!実に自然な流れで、田神君は俺に連絡先の交換を申し出た。


「あー!私も慈輝君の番号知りたいー!」

「俺も!」


 田神君との番号交換をきっかけに、北高の人達みんなと連絡先を教え合うことになった。


「慈輝、モテモテだね〜」


 碧音が来て、俺達の顔を見渡す。皆に出す料理やケーキの確認をしていたらしい。碧音を手伝っていた空音も、ひょっこり顔を出した。


「おお、碧音の学友達が一番のりか」

「その子が例の女の子!?超かわいい!」


 碧音は、あらかじめ空音が居候いそうろうしていることを皆に話しておいたらしい。碧音のクラスの女の子達は、人気のアイドルに出くわしたかのようにキャイキャイし空音を囲んだ。


「おっ、おいっ、わらわは見世物ではないぞっ」

「話し方も個性的で可愛い〜!」

「碧音、この者らを何とかせんかっ」


 もみくちゃにされている空音に、碧音と俺は手を伸ばした。


「可愛いがりたいのは分かるけど、皆そのくらいね」

「空音の実家は村民数人しかいない山奥にあって田舎育ちだから、人の多い環境に慣れていないんだ」


 これは今日のために考えた空音の仮設定だ。正体を隠すのはもちろんだが、空音の言動は一般人を装うには無理があるので、そういう設定を設けることで乗り切ろうという話に、昨夜なった。ちなみにこれは碧音の提案だ。


「そうなんだぁ!山奥って、1週間に一度しか買い物行けないとかそういうの?」

「まあ、そういうことじゃ。わらわの父上と母上は仕事でなかなか家に帰ってこんから、しばらくここで世話になっておる」

「そっか、大変だったね。でも、碧音と慈輝君がイトコなら心強いんじゃない?」

「そ、そうじゃな。まあ、助かっておるのはたしかじゃ」


 俺が口にしたウソ設定を信じた碧音の友達が、話に食いつく。良かった、信じてくれて。空音も、違和感ハンパないと言いたげな顔をしつつも話を合わせてくれている。


 そこへ田神君がやってきて、空音に声をかけた。


「はじめまして、空音ちゃん。碧音から話は聞いてるよ」

「おぬしは、碧音の……」

「北高1年の、田神宰です。今までも何回かここには遊びに来てたんだけど、こうして会うのは初めてだね」

「わらわがここで世話になったのは最近のことだからな」

「そうだよね。いつまでここにいるの?」


 何気ない質問。田神君にとっては世間話の延長みたいな気分だったんだろう。だけど、空音は不機嫌になった。


「田神宰と言ったか?おぬしには関係のないことだ」


 賑やかだった場が、しんと静まる。さすがにまずいと思ったのか、


「すまぬ。言い過ぎた。また後で顔を出す。悪かったな」


 空音は逃げるように2階へ行ってしまった。


「空音ちゃんがここに居るの、彼女の親が仕事先で色々揉めたせいなんだ。それでちょっとナーバスになってるのかも。悪気はないと思うから許してあげて?」


 碧音がフォローするのを見届け、俺は空音の後を追いかけた。


「空音……」

「……おぬしは今日の主役じゃろ。わらわのことなど放っておけ」

「ここ、俺の部屋なんだけど?」


 寂しげな背中に、俺は話しかけた。そう、空音は、俺の部屋に逃げ込んでいたのだ。普段使っている1階の客室ではなく、ここに。


「うっかりしておった」

「いいよ、ここにいて?」

「……」


 出ていこうとする空音を引き止め、ベッドに座らせる。


「田神宰は、不愉快じゃ……」

「いつまでここにいるか、かれたから?」


 空音は首を横に振る。


「分かっておる。あやつは悪くない。初対面のわらわと会話を盛り上げるべく気を遣ってくれたのだろう。だが、あやつの質問は、わらわを責めているように聞こえたのじゃ……」

「……空音」

「記憶など、無い方が良かった……。初めておぬしに出会った時のままのわらわでいたかった」


 空音は、今にも泣きそうな声をしている。立ちっぱなしだった俺は彼女の隣に座り、その顔を覗き込んだ。


「そんな悲しいこと言わないで……。記憶があってもなくても、空音は空音だよ」

「本当にそうなのか……?」

「そうだよ」

「報告するほど大きな変化はないが、わらわの記憶と力は少しずつ戻っておる。そのたび、ここにいてはいけない気持ちになる。こうしている間に、良くないことが起こる気がして……。こわいんじゃ……」


 空音の両手は震えていた。


「田神宰の質問に責められている気がしたのもそのせいじゃ。あやつにそんな気はないだろう、それは分かっておるが、『やるべきことをせず、いつまでこんなところで安穏あんのんとしているつもりだ?』そう問われた気がしたのじゃ……」


 短く苦笑した後、空音はつぶやいた。


「おぬしの誕生日にすまん……。楽しんでこい。気持ちが落ち着いたらわらわも参加する」

「安穏として、何が悪い……?」

「慈輝……?」


 無力でごめん。そんなことを言わせてごめん。悲しませて、ごめん……。空音の気持ちがリアルに流れ込んでくるようで、気付くと俺の目にも涙が溢れていた。


「空音が神様に戻ったら嫌だなって、そんなことばかり、ずっと考えてた。本当に自己中……。メイさんの調査報告を聞くのもすごくこわい。どうしようもないヤツなんだ……」

「分かっておったよ、おぬしの気持ちは……」


 慈しむような空音の声。胸が震えた。


「でも、空音の方が何倍も不安でこわいんだ。なのに俺は自分のことばかり……」

「どこが……」

「え?」

「自分のことしか考えられないヤツが死ぬのを覚悟で言魂使い(オラルメンテ)の力など使わんじゃろ……。わらわの記憶と力のためにおぬしが力を使ってくれたことは生涯しょうがい忘れん」


 まるで別れのセリフみたいだった。


「記憶が戻っても、わらわはおぬしのそばにいたい」

「空音……」

「だが、いざその時が来たら、わらわは自分がどう動くのか分からぬ。メイの調査結果次第だがな……」


 分かってる。


「わらわが人間なら、女としておぬしのそばにいることを選択できる。だが、わらわは人ではない。神は世界の存続のために存在しなくてはならない。個人意思など邪魔になるだけじゃ」

「っ……!!」


 空音はもう、失った記憶のほとんどを思い出しているんだ。かつて自分の中にあった神としての在り方を……。


「まあ、肝心なことは全く思い出せておらんのじゃがな……。天界で争った相手や、言魂使い(オラルメンテ)という言葉に反応した理由、誰を探しに地上へやってきたのか、などなど……」


 それを思い出したら、空音はもう……。


 空音も同じなのか、俺達はどちらかともなく無言になり、それに連なってしんみりした雰囲気が訪れた。


 気まずいはずのこの時間すら、愛しいと思う。神でも、神じゃなくても、俺は空音のことが大好きだ。


 今俺にできることは、空音のために、背中を押してあげること。


 笑って言うんだ。神様に戻っても元気でねって。簡単だろ?なのに、どうして言えない?


 それまでの暗い空気がウソだったかのように、空音は明るく尋ねてきた。


「しっかし、人間とはなかなかに奥が深いのう!田神宰という男、かなりの美少年ではないか!」

「話題の切り替え早すぎる!しかもベクトル違いだっ」


 思わずツッコミを入れてしまう。


「やはり、類は友を呼ぶのじゃな。碧音と慈輝は美しい少年じゃ。田神宰もそこへ惹かれたのじゃろうなぁ」

「それ、碧音のクラスの女子達に聞かれたら変な誤解されそうだ……」

「よいではないか!男の園!麗しい友情。時にそれを超えてもわらわは止めはせん」

「止めてくれっ!男の園なんていらんっ」

「そうか、おぬしは女子おなごが好きなのじゃったな。はぁ……」

「何なんだそのため息はっ!っていうか、その言い方だと女好きにも聞こえるから訂正を求めます!」


 空音の発言は相変わらずだ。彼女の本当の姿は神様ではなく、実は男同士の恋愛物語を熱心に描く漫画家さんか何かなのではないだろうか。その辺、俺は詳しくないけども。


「でも、宰君がカッコイイのは分かるよ。碧音とゆずきちゃんのことも気にかけてくれてたし、俺にも良くしてくれるし」

「あやつは、前からよくここに遊びに来ていたと言っておったな。わらわが住まうようになってからも、そういう機会はあったかのう?」

「それはないと思うよ。たしかに碧音はしょっちゅう友達連れてくるけど、俺が見ている限りでは宰君と空音は今日が初対面のはずだよ」

「わらわもそう記憶しておるのじゃが……。以前にも1度会っておるような気がしてなぁ……」


 空音は首を傾げた。


「うーむ。こういうのは思い出せんと気持ち悪いのう……。なんじゃったかな。そうか、分かったぞ!この前寄ったコンビニの店員に、どことなく似ておる!」

「ああ!あの時の!言われてみればたしかに似てるかも!」


 和んでいると、碧音がやってきた。


「南音君来たよ。あと、ゆずきも」

「分かった、すぐ行く……!」


 そうだ。今日は、ゆずきちゃんと話す最初で最後の大チャンスだ。


 元々は碧音のフリをして図書館デートの仕切り直しをするつもりだったけど、ここまで来ると、今日はゆずきちゃんとの過去を断ち切るための儀式なのだと思えてきた。それに、碧音も今日、ゆずきちゃんと別れるつもりでいる。


「チャンス見てゆずきと慈輝二人きりにするから、頑張ってね」

「碧音も、しっかりな」

「うん。じゃあ、俺は先戻るね。田神っち達が待ってるから」


 碧音の後をついていこうとすると、空音に背中をつつかれた。


「空音も、行こ?」

「……おぬし、ゆずきにフラれに行くのだな」

「そうだよ。というより、もう未練はないってことを再確認するための儀式かな。俺自身のけじめ」

「……言魂使い(オラルメンテ)の力を使えば、一人と言わず何人もの女子おなごとイチャイチャし放題、ハーレムも叶う。なのになぜ、おぬしはそのために力を使わぬのじゃ?高レベルの言魂使い(オラルメンテ)なのだと分かったのだから、それくらい容易たやすいじゃろうに」

「ハーレムって……。ずいぶん極端な話だね」


 そりゃ、昔の俺が言魂使い(オラルメンテ)のことを知ってたら、ゆずきちゃんと両想いになりたいって願ったかもしれない。


「空音の言うことも一理ある。でも、俺はこの力をそういうことには使わない」

「……そうか。恋愛に憧れておるおぬしらしからぬ結論じゃな」

「そうだね」


 今だって、空音と両想いになりたいと願えば叶うのかもしれない。いや、かもしれないではなく、絶対叶うんだ。それが言魂使い(オラルメンテ)言魂ことだまの力なのだから。でも……。


「人の心はその人だけのもので、俺がどうこうしていいものじゃないから。それに、好きな人には自然に振り向いてほしい」

「振り向いてもらえなかったら泣くのは自分なのに、か?」

「うん。それならそれで結果を受け止めるよ」


 空音が記憶を取り戻し神様に戻ってここから出て行ったとしても、彼女を好きな気持ちはそんなに簡単に消えないと思うから。


「他人の感情を自由に操るなんて、許されないことだよ。……行こっか」


 何か言いたげな空音を促し、俺達はそろって皆のいるリビングへ戻った。



 レストランでデリバリーした料理を食べたり、家族向けボードゲームで盛り上がったりしているうちに、時間は過ぎた。


 気付けばパーティーも終盤。皆がトランプで楽しんでいる時、俺はゆずきちゃんに声をかけられた。


「慈輝君、久しぶり」


 1日中同じ空間にいたのに、今日初めてゆずきちゃんと直接言葉を交わした。碧音は、俺と話をするよう、あらかじめゆずきちゃんに言っておいてくれたらしい。


 碧音と目が合うと小さくうなずかれた。口パクで礼を言い、ゆずきちゃんを2階の廊下へ案内した。


「ごめんね。皆に聞かれない場所、こんなところしかなくて」

「ううん、大丈夫だよ」


 女の子を部屋に連れ込むのは抵抗があったので、申し訳ないけどここで立ち話をすることにした。


「あの時は、ごめんなさい……」

「もう気にしてないよ」

「でも、話ってそのことだったんじゃ……」


 ゆずきちゃんは、昔のことを責められると思っていたらしい。それもそうか。振った男に再度呼び出されたら、誰だってそう思うよな……。


 俺も、こうしてゆずきちゃんと対面するまでは、正直何を話せばいいのか分からなかった。でも、今は、言いたいことが自然と口から出てくる。


「いきなりこんな風に呼び出されたら心配になるよね、ごめん。ゆずきちゃんのこと責める気はないんだ。ただ……。告白した後から気まずくなったから、そういうのってなんか寂しくて。同じ小中学校出身だし、これからは普通に話せたらいいなと思って」

「そんな風に思っててくれたんだ……。私、ひどいこと言ったのに……」


 ゆずきちゃんと俺は、俺が告白をする前までは普通に挨拶を交わしていた。特別親しかったわけでもないけど、授業で同じグループになれば同じ意見になって盛り上がったし、クラスメイトとして遠すぎず近すぎず、適度に話していた方だと思う。それが、振られて以来目も合わせてもらえなくなってしまったことが、振られたこと以上にショックだった。


 ゆずきちゃんは、意を決したように言った。


「私、ウワサを信じたの」

「ウワサ……?」

「碧音君のクラスの不良っぽい人達が中心になって流してたウワサなんだけど……。慈輝君は女好きの遊び人で、変な能力で先生を脅していい成績を保ってるっていう話……。慈輝君は知らなかっただろうけど、あの頃そういうウワサが学年中ですごく広まってたの」

「そんなっ……」


 全然知らなかった。たしかに、言魂使い(オラルメンテ)だと知った今、変な能力〜って辺りは全否定できないけど、昔成績が良かったのは碧音によく勉強を見てもらっていたからだ。それに、女遊びなんて、小学校時代の俺には未知の世界の話だ。


 にしても、そんなウワサを流すなんて、その不良達はよっぽど俺のことを嫌っていたんだな……。そういえば、碧音も言ってた。不良達が俺のことを敵視してたって。


「慈輝君はウワサのこと知らなさそうだし、このこと話すのも迷った。でも、話した方がいいと思って……。告白をあんな風に断って傷付けて、本当にごめんね」

「もういいよ。気にしてないから。ゆずきちゃんも怖かったんだよね……。話してくれてありがとう」

「碧音君のおかげなの」


 ドキッとした。そうだ。彼女は今、碧音の彼女役を買って出てまで、アイツの復讐心を満たそうとしている。


「そのウワサを否定してくれたのは、碧音君なんだよ。今日こうやって慈輝君と話す勇気が持てたのも、碧音君がいたから……」

「でも、アイツは復讐心でゆずきちゃんと……!」


 言いかけ、俺は言葉を切った。


「ごめん……」

「ううん。大丈夫。友達もそう言って碧音君との付き合いを反対するから」


 ゆずきちゃんは、それでも碧音を……?なぜそこまでされて好きなんだ?


「これは碧音君から口止めされてるんだけど……。学年中に広まってた慈輝君のウワサを否定して回ってたのは碧音君なんだよ」

「え……?」

「慈輝はそんな人じゃない!って。碧音君の言葉を頭から拒否する人もいたけど、最後にはほとんどの人が碧音君の言葉を信じて、ウワサは消えていったの。碧音君は、最後まで諦めなかった。慈輝君を振ったことで有名になった私のところへも、碧音君は何度もやってきた」


 それで、元々接点のなかった二人は知り合うことになったそうだ。


「ウワサで印象悪くなった慈輝君の評判が良くなるよう、碧音君は何度もねばった。私にも、慈輝君とのこと考え直すよう何度もお願いに来て。最初はおかしいと思った。『双子の兄弟だからって、普通ここまでしないよ』って。でも……。そんな碧音君のことが、いつの間にか好きになってた」


 そうだったんだ……。


 碧音のことを話すゆずきちゃんの顔は、昔俺が好きだった頃より可愛かった。


「碧音君、慈輝君のいいところを何度も私に教えに来て……。普通、人のためにそこまでしないよね。私も仲のいい友達はいるけど、その子が困った時、自分のことみたいに助けられる自信、ないもん……」


 ゆずきちゃんは迷いのない瞳で言った。


「私ね、碧音君のそばにいたい。それが、碧音君の復讐のためでも」

「ゆずきちゃん……」

「碧音君が慈輝君を想う気持ち、すごいと思う。私もいつか、碧音君みたいな優しい人になりたい」


 碧音のことを心から好きだし尊敬してる。ゆずきちゃんはそう言った。その結果傷付くことも恐れない。そんな目をして。



 ゆずきちゃんと碧音、二人の気持ちを知って、俺の気持ちは複雑だった。碧音が俺のためにそこまでしてくれていたなんて嬉しい……。だけど、当の碧音自身はどうなる?幸せなのか?……そう考えたら、喜びより悲しみが膨らむ。


 ゆずきちゃんの恋を、一生懸命な想いを、応援したい。だけど、碧音はそれを拒んでる。


 二人の関係なんだから、俺は口を出すべきではないのかもしれない。それでもやっぱり気になってしまう。


 ゆずきちゃんがリビングに戻った後も、俺はしばらく、その場で立ち尽くしたまま動けなかった。




「慈輝、今日は呼んでくれてありがとなっ!」


 夜、パーティーは終わり、南音をはじめ、田神君ら北高メンバーやゆずきちゃんも帰ることになった。


「また、こうやって遊ぼうな!」

「ありがと、南音。プレゼントも大事にする」


 南音だけでなく、俺は今日、田神君達にもプレゼントをもらってしまった。今人気のアーティストのCDや、アプリで課金するためのカード。


「今度は皆の誕生日も祝おうね!」


 俺は言い、皆の背中を見送った。田神君との会話で一度は機嫌を損ねた空音も、あの後は楽しんでいた。


 名残惜なごりおしいとか言っているヒマもなく、碧音が意気揚々と言った。


「さあ、これから誕生日パーティー第二部の始まりだよ」

「そうだった」


 日中仕事だった父さんと母さんは皆とのパーティーに混ざれなかったので、この後、別で祝ってくれる予定になっていた。


 昔は家でケーキやチキンを買ってお祝いをしてくれていたけど、今年は高い店で外食をすると、父さんが言った。そんなに気を遣わなくていいと遠慮したが、「お前達こそ子供のクセに気を遣いすぎだ」と返されてしまった。


「俺達が仲直りしたことで一番喜んでくれたのは、父さんと母さんだったね」

「そうだな……」


 二人には長い間心配をかけてしまった。


「慈輝が言魂使い(オラルメンテ)だってことは、この先も話せないけど……。父さんと母さんの誕生日には、今日の倍お返ししてあげよっか」

「そうだな。夏休みにバイトでもしてお金ためとこっと」

「いいね。慈輝と同じとこでバイトしたいな」

「お前はやっぱり、甘えん坊だな。バイトとなれば、さすがに別々かと思った」


 そう言いながら、甘えられることに喜んでいる自分もいる。碧音がいて、本当に良かった。今なら、素直におじいちゃんの最期の言葉を受け入れられる。




 翌朝は、ここ最近で最も寝覚めが良かった。16歳になったという自覚は浅かったけど、誕生日を祝ってもらった心地いい余韻よいんが胸に残っているおかげだと思う。


 ゴールデンウィークも今日でおしまいだ。そう思うと、やり残したことがたくさんあるような気がしてしまう。もっと、空音と色んな所へ出かければ良かった。


「空音は?」

「さっき出かけたよ。探偵事務所に行くって」

「メイさんのところに?」


 空音を探してリビングに降りるとその姿はなく、朝食作りをしていた碧音が空音の居場所を教えてくれた。


「調査結果は明後日の放課後聞きに行く予定なんだけどな……。しかも、こんな時間から?」

「みたいだね。でも、空音ちゃんはすぐに戻るって言ってたよ」

「そっか……」


 違和感があった。本来の空音なら、寝ている俺を起こしてメイさんの元に向かったはずだ。苦手意識がある相手と二人きりで会うなんて無防備な行動は取らない。知らないうちにメイさんと仲良くなったのかな?いや、それならそれで教えてくれるだろうし、うーん……。


「にしても、空音とメイさん、どうやって連絡取ったんだろ?空音、スマホ持ってないのに」

「慈輝が起きてくる前に、メイさんから家電に電話がかかってきたんだよ。それで空音ちゃんが呼び出されて」

「なるほど、家電か。普段スマホしか使わないからその存在をすっかり忘れてた。って、え!?家電??」


 メイさんに家電の番号教えたっけ!?まあ、彼女ならそのくらいの情報、簡単に入手できそうだよな。街ページにも載ってるし、その気になれば探偵じゃなくても家の番号は調べられる。


「空音、一人で大丈夫かな?メイさんの事務所までは電車使わなきゃ行けないんだけど、切符の買い方まともに教えてないし……。起こしてくれれば一緒に行ったのに」

「大丈夫だよ。空音ちゃんって、何に関しても物覚えいいもん。一度手本を見たら完璧にマスターするし、今頃電車もちゃんと乗ってると思うよ」

「だといいけど……」

「万が一のために、テレホンカードと慈輝の番号書いたメモ渡しておいたから、何かあったらすぐ連絡くれるよ」

「そ、そうなの!?なら大丈夫かな。ちょっとだけ安心した」

「良かった。朝ご飯食べよ?」

「俺のも作ってくれたの?何から何までありがとな。いただきます!」


 たしかに、空音は何でもソツなくこなす。それもやっぱり神様スペックなんだろうか……。考えながら碧音の作ってくれたハムエッグとサンドイッチを食べた。やっぱり、俺が作るより何倍もおいしい。


「昨日、ゆずきと別れたよ」


 それまでと同じ穏やかな声で、碧音は言った。


「引き止められたけど……。お前を傷付けて泣かせるために今まで付き合ってたって、言ってやった」

「そんなことを……」


 さっぱりしたぜ。そう言いたげな口調とは裏腹に、碧音の表情は曇っている。


「望み通りに事が運んだのに、期待したほど爽快感がないね。何でだろ……。手順間違えたかな?」


 碧音。それは、人を傷付けることで得られる幸せはないって、お前自身本当は分かってるからだよ。


 何も言えず、俺はサンドイッチをかじるだけ。その瞬間、ポケットに入れていたスマホが着信を告げた。昨日連絡先を交換しあった田神君から電話がかかってきている。


「宰君だ……」

「田神っちが?夜型人間なのにこんな朝早くに電話なんて珍しいね」


 さすがに碧音も驚いてる。そうだよな。でも、何で俺に??彼は碧音の友達なのに。


「とりあえず出てみるよ。はい、慈輝です」

『もしもし、慈輝君!?落ち着いて聞いてね……』


 切迫した声。電話の向こうで田神君が言葉を選んでいるような空気が伝わってくる。


「宰君、どうしたの?」

『今外にいるんだけど、空音ちゃんが怪しい男に手を引かれているのを見かけて……』

「空音が!?今は友達のところに行ってるはずなんですが……」

『そうだったんだ……。でも、空音ちゃんは一人だったよ』

「そんなっ!」


 メイさんとはまだ合流してないのか?


「宰君、今どこにいるの?」


 田神君が告げたのは、メイさんの探偵事務所から近い駅の名前だった。田神君は途中まで空音と男の後をつけていたらしいけど、人混みの中尾行をするのは限度があったらしく、今さっき見失ってしまったそうだ。休日の喧騒が電話越しに聞こえる。


「分かった。すぐ行くよ!連絡くれてありがとう!」


 電話を切るのと同時に席を立った俺につられて、碧音も立ち上がる。


「空音ちゃん、何かあったの?」

「怪しい男と空音が一緒にいるところを、宰君が見てたらしい……。今から駅まで行ってくる!」

「俺も行くよ…!探すなら人手は多い方がいいと思う」


 俺達はそろって家を出た。5月上旬の暑い日差しが焦燥感しょうそうかんを増させる。嫌な想像ばかりが膨らみ心臓が壊れそうだった。


 神の力が戻りつつあるとはいえ、それは完全なものではない。身を守る術などない、今の空音は無力な女の子だ。


「無事でいてくれ、空音ーー!」


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