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9 神のワガママ

 閉めた覚えのないカーテンが丁寧に閉じられているのを見て、碧音あおとがそうしてくれたんだろうなと思った。


 結局あれから一睡もできず、昼頃になってやっと少しだけ眠れた。それもほんの浅い眠りだったけど、考え過ぎて疲れた頭をだいぶ軽くしてくれた。優しいピアノの音色が耳に届く。


「アイツ、先に起きたんだ。にしても、ピアノなんて久しぶりに聴いた」


 服を着替えている間、静かな調子で部屋を満たすクラシック音楽。碧音が弾いているんだろう。


 昔、碧音と一緒に近所のピアノ教室に通っていたけど、俺は1ヶ月もしないうちに辞めてしまった。一方碧音は、中学卒業するまで根気よく習い続けていた。学業優先のため高校進学と同時に碧音がピアノ教室を辞めたことは、父さんと母さんの夕食会話伝いに知った。


 前までは当たり前のように響いていたピアノの音色も最近では聴いていなかったので、今、少し驚いている。


 一階の客間。その隣室に、ピアノ部屋はある。優しい音調につられるように俺は階下へ降りた。


 防音設備はないので音は近所にただれだろうけど、幸いそれで苦情が来たことはない。碧音がピアノ教室を辞めた後も調律師の手で定期的にメンテナンスされているアップライトピアノは、綺麗な音色を出していた。


「久しぶりだな、お前のピアノ聴くの」

「おはよう、慈輝いつき


 演奏の手を止めると、碧音はこちらを向き穏やかに微笑する。悔しいくらい、コイツにはピアノが似合う。同じ顔をしてるはずなのに、昔から碧音の方がサマになってた。


「おお、慈輝。夕べはよく眠れたか?」


 当然のように碧音のそばにいた空音かのんがケロリとした声音で尋ねてくる。いつもの空音だ。なのに、なぜか違和感がある。


「うん、まあまあ寝れたよ」

「それは何よりじゃ。さあ碧音、続きを聴かせておくれ」


 空音はいつも通りで、昨夜俺と言い合いになったことなんて気にしていないようだ。そのことに安堵あんどしつつ、どうにも胸のざわめきが抑えられない。普通にするんだ、普通に。


「じゃあ、弾くね」


 碧音が見ている楽譜を覗くと、『愛の夢』と書いてある。リストの有名な曲だ。失礼だけど、碧音らしくない選曲だと感じる。


 碧音が再度指先を動かそうとする寸前、俺はつぶやいた。


「珍しいな、リストなんて。前はベートーヴェンとかラヴェルばっか弾いてたのに」


 なっ、何でこんなことを言ってるんだ!?これじゃあ碧音のピアノにケチつけてるみたいに思われる!


「悪い。深い意味はないんだ。別に何弾こうがお前の自由だよなっ。続けてくれ」

「慈輝のリクエストも教えてくれる?後で弾くから」

「いや、俺は買い出しにでも行ってくる。さすがに寝すぎて体ダルいし、散歩がてらにさ」


 碧音や空音の反応を待たず、逃げるようにピアノ部屋を出た。寝すぎてなんかいないし、買い出しなんてもっと後でもいいのに、なんで俺はこんなウソをついちゃったんだろう……。


「はーあ……」


 外に出てすぐ、ため息が出た。


 さっき、空音の顔を見た瞬間に覚えた違和感。あれは、俺が変化したせいで感じたものだ。


 空音への恋を自覚したから、これまでみたいに妹感覚で接することができない。空音を特別な存在に思うから、碧音の選曲を深読みしてしまう。


「恋は病ってよく言うけど、ホントだな……」


 ゆずきちゃんのことはもう完全に吹っ切れている。碧音とゆずきちゃんの関係にショックを受けたのはつい先日のことなのに、もうすでに遠い日の出来事に感じる。今は空音のことで精一杯だ。


 ……まずいな、これ。空音は神なんだし、気付いたところで俺の気持ちは報われない。重症化する前にさっさと忘れないと……。


《異種族間での友情や恋愛は、成立したらいいな〜とは思います。そうなったら夢みたいですよね。でも、実際には難しいのかもしれません。異種族間で、友情や恋愛は成立しない。俺もそう思います。》


 数時間前、メイさんのメールにそう返事をしたのだから。考えに考え、結論を出したのだから。


 昨日みたいに空音と不穏な感じにならないためにも、軽く散歩して買い出しに行って、その間に気持ちを落ち着けないとな。歩けばちょっとは気が晴れるかもしれない。天気もいいし。



 家を出て最初の交差点を曲がったところで、


「待て待てぃ!」

「空音!?」


 なぜか空音が追いかけてきた。諦めると誓ったばかりなのに、嬉しい気持ちが込み上げてくるから困る。普段通りの言動を意識し、ドキドキをごまかした。


「おぬしはわらわを走らせる天才じゃのう、はぁ、はぁ……」

「どうしたの?」

「忘れ物をしておるぞっ」


 空音が渡してきたのは、手のひらサイズに折りたたまれているエコバッグだった。いつもはコレを使っているけど、忘れた時はスーパーで袋をもらっているから別に困らない。でも、その必死さに胸を打たれ、何も言えなかった。空音、運動苦手なのに……。


「わざわざありがとう。ごめんな、走らせて」

「そんなの、半分口実じゃ」

「えっ?」

「わらわも買い出しに行きたいのじゃ」


 必死に訴えてくるその目に、がんじがらめにされそうだった。空音と恋人同士になるとかそういった願いはもう諦めてるけど、可愛いと思うくらいなら許されるかな。


「それはいいけど、碧音の演奏聴かなくてよかったの?碧音も、空音のために弾いてたっぽいし……」


 これは100%カンだが、碧音は空音に特別な感情を持ってる。疎遠な時期はあったけど、双子だから分かるんだ。昔からアイツの表現は遠回し、そう決まってる。大事なことほどそうなんだ。


「たとえそうだとしても、わらわはおぬしと共に行く買い出しの方に魅力を感じるのじゃよ」


 揺るがない意思のこもった言い方だった。ただ、俺と買い出しに行きたいだけだ。分かってるのに、その言葉にそれ以上の特別な何かがあればいいのにと、期待してしまう。


「空音……」

「さて、今日はどんなちくわ料理をリクエストしようかのう」


 俺の返答を待たず、空音はスタスタと先を行く。断ってもついてくるつもりだったんだな。にしても、ちくわ料理なんてジャンル、空音が来るまで聞いたことなかった。


「……ごめんな、碧音」


 ピアノの前で空音の帰りを待っているであろう弟を想像し、小さくつぶやく。その声は空音の耳にも届かず空に消えた。俺は弾んだ心持ちで空音についていく。


 先に起きて退屈していた空音を、碧音はピアノ演奏で相手してあげていたのだろう。だけど、その役目をかすめ取っても良心が痛まないくらい、空音は特別な存在になっている。


「ちくわのレパートリー、調べないとな…!」

「頼んだぞ。おぬしだけが頼りじゃ」

「そのわりに、碧音のおでんおいしそうに食べてなかった?」


 うわぁ、めんどくさいこと言ってるな、俺。自分で自分に引いてしまう。でも、なんか止まらない。気持ちは穏やかだった。


「それはそれ、これはこれ、じゃ」

「答えになってないな〜」

「おぬしの焼きそばが、わらわは一番好きじゃ。今夜所望するぞ」

「いいよ」


 碧音の話は本当だった。空音は俺の話を碧音にしていた。焼きそばのことも。


「今日は、具、奮発するよ!何がいい?空音の食べたい物全部、焼きそばに入れるよ」

「本当か!?」


 空音は目を輝かせ、両手の指を折ることで具の数を数えつつリクエストをした。


「なら、アレがいい!イカとエビ、そして、さつま揚げ。もちろん、ちくわは大本命じゃ!」

「わかったよ。それ全部入れて作ろっか」

「そなたはきっと、死後天国に行ける!わらわが保証するぞ!」

「あはは!それなら嬉しい」


 空音は日を追うごとにそういう軽口も言うようになった。天国とか、空音が言うとシャレにならない。


 今夜は海鮮率高い焼きそばが出来上がること確定。空音の喜ぶ顔が見られるなら、このくらいお安い御用ごようだ。



 放っておくとちくわが売ってるコーナーでずっと立ちつくしていそうな空音をなんとか促し、無事スーパーで買い出しを済ませた後、俺達は少し遠回りして遊歩道を歩いた。


「あともう1つ。いや、2つ、ワガママを言ってよいか?」

「この際、全部聞くよ。何でも言って?」

「あそこにソフトクリームの店があるじゃろ?寄ってほしいのじゃが……」


 改まった様子で言うから何事かと思ったけど、そのくらいのワガママどうってことない。可愛いもんだ。ワガママのうちにも入らない。


「なんだ、そんなこと?全然いいよ」


 空音が食べたいと言ったのは、バニラ味のソフトクリームだった。それを2つ買い、遊歩道のベンチにそろって座る。遊歩道を囲うように広がる昼時の海はとても綺麗で、いつまでも眺めていたくなった。太陽の光がキラキラ反射している。



「2つ目のワガママなのじゃが……」


 ソフトクリームを食べ終わる頃、空音はおもむろに口を開いた。


「昨夜はすまんかった。言葉を押し付けるようなことを言ってしまった。深く反省しておる」

「気にしてないよ」


 起きてすぐ空音と顔を合わせた時は気まずい感じがしたけど、不思議といつの間にか気にならなくなっていた。空音との買い出し、楽しかったし。


 空音は眉根を寄せ、ひかえめに顔を覗き込んでくる。


「そうか?ならいいのじゃが……」

「2つ目のワガママ、聞くよ」

「昨夜はああ言ってしまったのじゃが……。わらわは、おぬしとゆずきを二人きりで会わせたくはないと、本当は思っておる」


 心臓が飛びねそうになった。それって、碧音の言ってた通り、ゆずきちゃんとの関係にヤキモチを妬いたから……?


「事情があるとはいえ、表向きゆずきは碧音の彼女じゃ。そんな立場にある者とおぬしがデートなどしたら、碧音の友人から受けるおぬしの評判が悪くなるじゃろ?」

「そうかもね」


 なんだ、そういう意味での心配か……。残念。けっこう碧音の言葉に影響されてたんだな、俺は……。


「わらわは、おぬしの評判が悪くなるようなことはしたくない。碧音が言っていたのだが、あやつの友人らはおぬしに並々ならぬ関心を示しておるという話じゃ」

「そういえば、北高に行った時、碧音の友達に『慈輝君にも会わせて』って言われたな」


 なんだか照れるけど嬉しかったから、よく覚えてる。


「やはりそうか。だがしかし、このままゆずきとおぬしのことをアヤフヤにしておけぬという思いも、わらわにはある。そこでじゃ!今度おぬしらの家に碧音の友人とゆずきを同時に呼びパーティーを開いてほしい。もちろん、おぬしの学友も必要ならば招集してくれてかまわない」


 パーティー!?予想すらしてなかったその言葉に、寝不足の頭がショートしてしまいそうだ。つまり、碧音の学校の友達とゆずきちゃん、そして、南音みなとやメイさん(ネット友達だけど)が一堂いちどうかいするってこと!?


「ウチはそんなことができるほど空間スペース広くないし無理だよっ。そもそも、パーティーなんてやったことないし!どうやったらその人数を集められるか……。それに、碧音の友達だけならまだしも、ゆずきちゃんまで来てくれるとは限らない」


 今はどうか分からないけど、小学時代ゆずきちゃんはおとなしい子だった。大勢の人が来る場所へ好んで行くような感じがしない。


「何を言うておる。彼女は必ず来る。もうすぐ5月じゃぞ?」

「ゴールデンウィークだからって、そのメンバー全員呼ぶのは無理があるよ……」


 むしろ、大型連休に何が楽しくてウチへなんか来るだろう?たとえ碧音や俺がいいと言ったとしても、ゆずきちゃんや北高の皆は他に予定があるに決まってる。南音やメイさんを呼ぶことに関しては、個人的に反対する気ないけど。


 すんなり首を縦に振れない俺を見ても空音は動じず、何か策があると言うようにベンチから立ち上がり、座ったままでいる俺の前で仁王におう立ちした。


「パーティーは5月9日じゃ」

「そ、それって……!」

「そう、おぬしら双子の誕生日じゃ」

「どうしてそれを!?」

「さっき碧音が教えてくれた。おぬしが起きてくる前にな。つかみどころのない言動が目立つが、あやつもなかなか気が利くのう」


 盲点もうてんだった!ゴールデンウィークのことばかり意識していたし、自分の誕生日なんてここのところ関心なかったからすっかり忘れていた……。


「めでたく16歳になるのだったな。そんな日に来ない学友などおるまい。皆喜んでおぬしらの生誕日を祝福してくれるじゃろう」

「たしかに、誕生日パーティーって言えば皆来てくれるかもしれないけど、家族との予定がある人もいるんじゃ……」

「都合がつかん者には欠席権を与える。わらわも鬼ではないしの」

「さっきまで全員強制参加の圧力を感じたんだけど気のせい?」


 俺のツッコミを「ふふふ」という怪しい笑い声でもみ消し、空音は熱く言った。


「誰にとっても誕生日は特別なもののはず。わらわはそうあってほしいと思う。碧音に聞いたが、おぬしら双子は長年、誕生祝いをはじめそれらしい共通の祝い事を別々にしてきたそうじゃな」

「うん……。父さんと母さんが気を遣って……。中学卒業した後も、高校合格のお祝いも、碧音とはバラバラだった」

「良い機会ではないか。父上と母上も呼んで、友人らも一緒に、すっきりさっぱり過去を洗い流し、未来を夢見ようではないか」


 空音は、知ってるんだ。長年家族とつながれなかった俺の、親に対する罪悪感。友達とワイワイ騒いで楽しみたい気持ち。ゆずきちゃんとじっくり話せなかった後悔。


 誕生日パーティーを開く。それは空音のワガママじゃなく、碧音と俺のために考えてくれた、空音からのとびきりのプレゼントなんだ。


「帰ったら、碧音に相談してみよ。アイツもゆずきちゃんと俺達の四人で会いたいって言ってたから、この件いいって言ってくれると思う。ありがとう、空音」

「これはわらわのワガママじゃ。こちらこそ礼を言うぞ。ありがとな、慈輝」

「どういたしまして」


 立ち上がり、ベンチの陰に置いておいたエコバッグを手にする。それなりの重量感はあるのに重いと感じない。体も心も軽かった。


「帰ったら焼きそば食べ放題じゃ!わらわは幸せ者じゃのう!」


 数歩前でスキップしてこちらを振り返る空音を見て、俺も幸せだと思った。


 こういう日々は、あとどれだけ続くんだろう?空音が来てから、俺の生活は明らかに変わっている。


 空音は本当に、神様に戻りたくないと思ってる?碧音の言葉は全部本当のこと?だったら、言魂使い(オラルメンテ)の力で、空音を人間にすることもできるーー?


「あのさ、空音」

「どうした?真面目な顔をして」

「ううん、何でもない」

「何でもないことないじゃろう」

「……昨日、ちょっと考えてたことなんだけどさ」

「ほう?言うてみぃ」


 甘いソフトクリームの味がまだ口に残っているのに、空気は苦い。そんな気がした。


「異種族間での恋愛って、やっぱり成立しないよね。空音はどう思う?」

「ふむ。唐突とうとつな質問じゃの」


 立ち止まり、空音は迷いのない瞳で言った。


「成立しないと思えばしないし、あると思えばある。世の中の目に見えぬものは全てそうじゃと、わらわは思うぞ」

「言い切るね。異種族だよ?」


 神と人間の関係は、それ以上でも以下でもないんでしょ?空音にとっては……。


「おぬしは何と言われれば納得するのじゃ?」

「えっ…?」


 頬が急に熱くなった。俺の気持ち、何もかも見透かされてる!?


「おぬしは、わらわより夢のある能力の持ち主じゃ。人間を造れはしても、神はそれらの生き方にまで干渉できん。しかしおぬしは違う」

「……神だった頃の記憶が、また戻ったの?前はそんなこと言ってなかったよね」

「まあな……。神の立ち位置を思い出したのはついさっきじゃ。神とはどうやら、全てを自在に操れるわけではないらしい」


 切なげに伏せられたまぶたには、動揺が色濃く出ていた。不安や戸惑いとはまた別の感情。


「異種族間の恋愛か……。あると言えばあることになるし、ないと言えばなくなる。おぬしの能力は無限の可能性を秘めた諸刃もろはつるぎなのじゃから」


 穏やかな声音で語られる。それが、空音の答えだった。


 その回答から俺への感情を推測するのは困難で、だけど、結末をたくされているような気もして、どう受け止めたらいいのか分からない。


 いつまでもこの状態が続けばいいのに。……なんて、自己中だよな。


「そろそろ帰らねばな。碧音も待っておる」

「ねえ、空音……!」

「どうした、そんな必死な顔をして」


 あのさ……。


 思ったんだけど、記憶を取り戻す必要ないと思う!急いでどうにかなるものでもないし、今のままでいいよ!


 言おうとして、言えなかった。そんな無責任なことは……。


「慈輝……?」

「5月9日決行なら、参加メンバーには早いうちに連絡した方がいいよな?」

「……パーティーの話か」


 ごまかしたこと、気付かれた?


「そうじゃの。それぞれ予定もあるじゃろうし、早いうちに誘っておいた方がよかろう」

「だな。そうする!」


 先のことは分からないけど、どうか、この平穏な時が1秒でも長く続きますように。俺はそっと、心の奥で願った。




 ゴールデンウィークになっても、碧音と俺の体は入れ替えモードを終えることなく、そのまま連休を迎えることになった。幸い、父さんと母さんはそのことにいまだ気付いてないので、当分は安心してよさそうだ。


 あの後、誕生日パーティーの件を碧音にも話したら快く賛成してくれたので、俺達はそれぞれ学校の友達を呼ぶため動いた。


 碧音は友達が多いので、北高の同じクラス、それもごく一部のメンバーに絞ることで参加者が決まり、俺の方も南音を呼ぶことで話はまとまった。


 もともと南音とはゴールデンウィークに遊ぶ約束をしていたので、ちょうどいいと言われ喜ばれた。メイさんも誘ったけど、探偵業の方が忙しく無理かもしれないと言われた。残念だけど仕方ない、別の機会にまたという話になった。


 ゆずきちゃんも、碧音の一声で参加してくれることになった。碧音はその誕生日パーティーでゆずきちゃんに別れを告げると決めたそうだ。


「今すぐ別れてもいいけど、慈輝がゆずきと話すチャンスは誕生日パーティーしかないし、別れるなら印象的な日に振った方が傷も深くなっていいでしょ」


 邪気のない笑みを浮かべそんなことを言う碧音に恐怖感を覚えたのは言うまでもない。とにかく、二人はまだ別れてはいなかったけど、おかげで俺はゆずきちゃんと話せるので、碧音の目的は不本意だがアイツには感謝しなければならない。



 誕生日パーティーの準備も順調に進んでいた5月5日。メイさんと初対面する時が、いよいよやってきた。


 場所は、普通のカフェだった。全国チェーンを展開している有名な店。俺はそこのアイスココアがけっこう好きだ。


「まだ、メイは来ておらんようじゃの」

「俺達が早く来すぎたからね。ゆっくり待とう」


 メイさんとの約束通り、人探しを希望している本人・空音をこうして連れてきた。


 四人掛けのテーブルに向かい合って座り、俺達はアイスココアを注文した。


 実は今、少しだけ緊張している。ネット友達だったメイさんに直接会うからってだけじゃない。メイさんに会えば、空音が地上に現れた目的もはっきりしてしまうかもしれない。そんな未来がすぐそこまでやって来ている気がして……。家を出る前からずっと続いてる、変な胸騒ぎ。


 運ばれてきたアイスココアを一口だけ飲んで以来無口になる俺の前で、空音はメニューを見ている。早くもアイスココアは飲み切ってしまったらしい。


「むむ……。ちくわはないのか?」

「そういったものはないよ。栄養価的に近いものであればフィッシュサンドを勧めるけれど、君が望むものとは違うだろうね」


 低いけど聞き取りやすい涼やかな声。最近どこかでいだことのある香りが、ふわりと漂った。


 空音のなげきとも取れるつぶやきに答えたのは、俺ではない、その人物だった。


「あなたは……!」

「はじめまして、ではないか。君に会うのはこれで2度目になるね」

「この前、駅でスマホを拾ってくれましたよね?あの時はありがとうございました。でも、どうして…?」


 あの日と同じ、パンツタイプの黒いスーツ、長く艶やかな黒髪。爽やかなハーブの香り。二重まぶたの青い瞳はやはり意思が強そうという印象を抱かせるし、女性なのにかっこいい空気を全身から放っていた。


「あなたが、メイさん……?」

「改めまして、僕は得永とくなが命生めいです。よろしくね」


 メールには驚かないでくれと書かれていたけど、驚かないなんて絶対無理だっ!メイさんは俺と同い年の男性のはず。しかも、メイって本名!?その上、駅で会ってたなんて……。どういうことなんだ?


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