第四話
「へぇ、プリクラ。頑張ったじゃない」
誰もいない空き教室でお弁当を食べながら、絢奈はわたしと紘平のプリクラを眺めていた。
開け放した窓からは草木の匂いを含んだ風が吹き込んでくる。季節は夏に変わっていた。
「ところで、これは何なの」
絢奈が一枚の写真を指差す。
「恋人仕様です」
「は?」
「カノジョいないのがバレそうになった時のための、救済策」
「野村くんがやったの?」
「そう」
「あはは、これぞ本物のサギプリだ。それにしてもバカだねー、あいつ」
「ホント、こっちの気も知らないで」
愚痴るような口調で訴えれば、絢奈は「うーん」と唸った。そしてニヤリと笑う。
「もしかしたら、野村くんも野村くんなりに意図があったのかもしれないよ?」
「意図?」
「それは教えないけど」
含み笑いを浮かべたまま、絢奈はわたしにプリクラを返した。ふと思い出し、ポケットから一枚の、別のプリクラを取り出す。
「これ、紘平が友達と撮ったやつだって。なんか、一枚もらっちゃった」
「えっ、何それ。……あはっ、気持ち悪っ」
それを見た絢奈は、声を立てて笑い出した。紘平を含む四人の男子が写っているのだが、皆目が最大限に広げられていて、さらにチークや口紅までしているのだ。……ホント、気持ち悪い。
この写真は絢奈のツボに入ってしまったようで、しばらく笑い続けていた。やっと笑いがおさまった絢奈は、「話変わるんだけど」と切り出した。
「藤原くんっていたじゃん」
「藤原?」
「あたしたちと同じ中学の。あたし、クラス一緒なんだけど」
「あぁ、藤原くんね。イケメンの」
「そうそう、その藤原くん。今日知ったんだけど、カノジョできたんだって」
「ええーっ、そうなんだ。相手は? どんな子?」
「逆にあたしが聞きたいの。美緒のクラスの子らしいよ。市川さんだって。知ってる?」
市川さんを思い浮かべる。髪の長い、かわいらしい子だ。まだ、会話はほとんどしたことがない。
「うそ、市川さん? すごいかわいい子だよ。あのね、清楚系? アヤとは正反対な感じ」
「何が言いたいのかな、君は」
「アヤはサッパリしてて、頼りがいのあるお姉さん系の美人」
「よろしい」
絢奈はデザートのゼリーをスプーンで掬うと、わたしの口元に運んでくれた。餌付けられているみたいだが、嫌な気はしない。
「いいなぁ、カップルかぁ」
「あたし的には、美緒たちだって実質つき合ってるようにしか見えないんだけど」
「ないない。紘平はわたしのこと、友達としか思ってないもん」
「そうは言うけど、案外お互いに同じこと思ってるだけかもよ?」
「アヤ」
「うん、ごめん」
「いや、いいんだけど。でも、期待したってつらいだけだから」
「そうだね。……でも、今あたしが言ったことは、慰めとかじゃないからね。客観的に見た感想っていうか」
「うん、ありがと」
絢奈はジッとわたしの顔を見て、口を開いた。
「美緒。あのさ、これ、聞いたら終わりな気がしてなかなか聞けなかったんだけど……」
「何?」
「野村くんの、どこがいいの?」
真面目な表情で尋ねてくる絢奈を見て、わたしは笑ってしまった。
「さあ」
「さあって……」
「わかんないんだもん」
「まあ、そんなに悪くはないけどさ。楽しい男の子って感じだし。でも、美緒から見て、かっこいいとか思う?」
「全く。かっこわるいとは、何度か思ったけど」
「なんじゃそりゃ」
絢奈は呆れたように顔をしかめた。
「美緒って、夢見る少女っていうか、メルヘンちっくなの好きじゃない?」
「そうかも」
「妄想族だし」
「よくおわかりで」
「でも現実は野村くんなんだよね」
なんだか、ものすごく理不尽に紘平が貶されていますが。
「まあ、中学の頃は、ある意味ずっと夢見てたから」
「野村くんのこと?」
「うん」
「そっか。美緒のことロマンチストかと思ってたけど、ロマンチックなことが好きなリアリストだったのかな」
絢奈はクスッと笑い、もう一口、ゼリーをわたしにくれた。
その日六限の古典の授業が終わると、紘平は教科書を手に持ったまま振り返った。
「なぁ、これ、懐かしくない?」
彼が開いたページは、短歌の内容のところだった。今日の授業とは全く関係がない。
紘平の指差す部分を覗き込む。一首の短歌が印刷されていた。『忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな』。どこかで聞いた歌だ。
「なんだっけ、それ。聞き覚えはあるけど……。あ、もしかして百人一首?」
「そうそう。『人の命』って。昔かるたして遊んだとき、この札がなかなか見つからないことあったんだよなぁ」
「……結局、ちょうどわたしたちの間にあったんだっけ」
「おっ、覚えてる? みんなにさ、なんで二人して気づかないんだよって責められたよな」
『人の命』と言われて思い出した。小学生の時、坊主めくりだけでなく、たまにはかるたもしたのだ。本格的なルールではなく、ごちゃごちゃに並べてみんなで囲んで取り合っただけだが。その時に、なかなか見つからない一枚があった。さっきの句の札だ。「人の命、人の命……」とぶつぶつ言いながら探したものだ。そしてその札は、わたしと紘平の真ん前で見つかった。
当時のことを思い出したわたしは、どことなく後ろめたい感情に襲われた。あの札は見つからなかったのでなく、見つけられなかったのだ。隣に紘平がいることでどぎまぎしていたわたしは、かるたに集中できず、彼の方を見ることすらできなかった。
まさかそんなことを言えるはずもなく、わたしは
「懐かしいね」
と笑った。
「ホントホント」
と紘平も頷く。
「坊主めくりもよくやったよな。今となっちゃ、あれの何がそんなに楽しかったのかよくわかんないんだけど。……でも楽しかったんだよなぁ」
「坊主が出たら叫んだりしてね」
「そうそう。『ハゲだぁ!』ってめっちゃ叫んだ」
あはは、と声を上げて笑う。隣の席の富田くんが、そっと自分の頭をなでていた。
本当に、懐かしい。「姫来い、姫来い」と念じながら引いていたことも思い出す。楽しかった。小学校時代のちょっとした思い出の一つなのに、妙に輝いていた。きっと、紘平と共有している思い出だからだ。
「転校してからもさ、たまに、無性に坊主めくりやりたくなったりしたんだ」
紘平は伏し目がちに少しだけ寂しそうにそう言うと、小さく笑い、前を向いて座り直した。
異変を感じたのは、それから数日後のことだった。
紘平が、なんとなくわたしによそよそしくなったのだ。挨拶はする。話しかければ答えてくれる。でも、今までと何か違う。わたしをちゃんと見て話してくれないのだ。メールも、わたしから送らない限り、来なくなった。 つつかなければ振り向いてくれない、前の席に座る彼の背中を見ながら、わたしはいろいろ考えた。
一つ、わたしが嫌いになった。
二つ、女子のわたしと親しくしているのを誰かにからかわれ、気にするようになった。
三つ、好きな子ができ、わたしといるところを見られると都合が悪い。
希望としては、二つめであってほしい。絢奈に話したところ、一つめは有り得ない、二つめは今更だ、三つめは可能性としては高いかもしれない、と言われた。他に原因がわからないか尋ねたが、これといったものは上がらなかった。
絢奈からは、変に意識せず、今まで通りに接すればいいと言われた。しかし、それは簡単なことではない。基本的に根っこのところはネガティブなのだ。
それに、なんとなく、既視感を覚えていた。彼が遠ざかっていく感覚。五年前にも味わった感覚だった。
しわくちゃの坊主が、脳裏を過ぎった。
「美緒」
紘平の様子が変わってからおよそ二週間後、放課後久しぶりに彼から話しかけられた。
「な、に?」
心臓が跳ね、舌がもつれてしまった。
「このあと、暇?」
「うん」
「じゃあ、カラオケ行こうぜ」
誘いはもちろん嬉しいものなのだが、わたしは無駄に緊張し、構えてしまっていた。彼の意図がわからない。
「え、えっと、誰と?」
「二人で。いいだろ? 俺たち、友達なんだから」
気のせいかもしれないが、彼は「友達」を強調した。
「え、でも、」
「あ、小倉さーん、今日、美緒借りるね」
紘平が声をかけた方を見やれば、絢奈と藤原くんが一緒にやってきたところだった。藤原くんは、市川さんのお迎えだろうか。
「いいよ、貸してあげる。ただし、丁重に扱ってよ。横倒しにしたり水で濡らしたりしちゃだめだからね」
隣の席の富田くんが、荷造りしていた鞄の中身を床にぶちまけた。
「わたしは荷物ですか」
心外に思い呟くと、富田くんはわざとらしく咳払いをした。
「はいはい、心配なさらずに。じゃ、美緒、行こう」
紘平は、わたしの左手をつかんで歩き出した。
「え、ちょっと、待って、」
慌てて手を抜こうとするも、逆に痛いくらいの力で握り込まれる。クラスメートからの好奇の目が突き刺さる。
教室を出てしばらく歩くと、紘平は手を放した。そして「ごめんな」と小さく呟く。何が、と尋ねたかったが、彼はわたしに背を向け、歩く速度を上げてしまった。訳が分からない。
左手を右手でそっと包み込む。紘平に握られた感覚は、なかなか消えなかった。