02-1
『君達の立場は、彼らとは全く異なるものだ。能力の違いから勘違いしている者も多いが、君達と彼らには確実な格差が存在する。君達は姫神様に近く、彼らは鬼や災厄に近い』
だから必要以上に親しくなるな。
以前、職場の上司から語られた言葉を思いだす。
しかし、だ。
いくら親しくなりたくったって、皆が皆、あちらから逃げていくから、そんな心配不必要だと現場に居る桜子は常に実感している。
彼らは月日を重ねることで心を閉じていき、そしていつの日か自ら災いを振り撒き死を望む。
今までのそう長くはない桜子の半生で、けれど古株と言われるほどには在籍する組織の中。知り合った数多の下部の人達は誰一人漏れることなく、みんなそうだった。
ルビーレッドのボディカラーも鮮やかな愛用のコンパクトデジタルカメラを手にし、唯一の女性の先輩である二年生の真緒と、同じ一年生でクラスメイトでもある親友の瑠奈と共にグランドに出た桜子はやさしく気持ち良い日差しに相反し、いつになく非常に機嫌が悪かった。
今日は何を撮ろうか、と談笑する二人の後を、先ほどのまでの自分に対する、直人と大地の様子を思い出しつつ追いかける。
これは、過去の経験から、ズルズルと先伸ばしされて、うやむやにされるパターンだ。
絶対そうだと思えた。
いや、そうとしかいえない。
そして、今日を逃せば確実に、なーなーの直人にうやむやにされる自分も桜子には想像に容易かった。
桜子は容姿の優劣ば別として、一見ごく普通の少女だ。
けれど、桜子は自分が一般的に普通と括られる少女から非常に離脱していると、特別視はしていないが自負している。
しかし、その異常性がこのような場合あまり活用出来ないことも桜子はその実体験からよくわかる。
人がいい。
と表現されるそれは、桜子にとっては美徳とは思えぬ悩みの種の一つでもある。
要は桜子は流されやすく、丸め込まれやすい。
いつだか組んだもう顔も思い出せない青年はからかいつつも優しい瞳でそう評価していた。
だからこそ、例え、直人が昨日のバイト後の交通事故の怪我の痛みに顔を歪めていようとも、……いや、バイト後の交通事故なんて装っている怪我をしているからこそ、何がなんでも本人が後ろめたさをまだ感じている今日中に、桜子は口を酸っぱくして直人に、お説教せねばならないのだ。
桜子はいつもの後悔はしないぞと、自分でも若干無謀かとおもいつつも、澄み切った青空を見上げ再度強く決意した。
*****
朝、いつも通り目覚ましの音で目覚めると、2LDKの広い家の中にコーヒーとパンとベーコンの焼ける美味しそうな匂いが満たされていた。
着替えを済ませ、自室から隣室のダイニングを覗けば、テーブルの上には朝食の用意ができていて、杏子叔母さんが新聞を左手にマグカップ右手にテレビにうつるニュース番組を見ている。
「おはようございます。お行儀悪いですよ、杏子さん?」
昨夜は居なかったはずの見知った顔に、驚くどころかなんとなく事情を察し、呆れ顔で桜子が挨拶すれば、新聞を持っていた手を下ろした杏子が、人差し指を立て唇に当て、二重のまつげの長く美しい瞳でウィンクする。よく見れば、くるりくるりと毛先が巻かれた、長く綺麗な髪の隙間から見える彼女の耳に、スワロフスキーのビーズで飾られた黒いスマホのハンズフリー用インカムが見え隠れしていた。
なんて事はない、彼女は絶賛、朝食中にテレビを見つつ、新聞を読みつつ、更に電話の通話中と言う、その麗しい姿に似つかわしくない、お行儀の悪いこと、この上ないことを実行中なのだ。少なくとも昔の偉人を目指してはいなさそうだが。
「……うん、その件は、榊君に話しといてあるから。……そうそう。桜子ちゃん起きて来たから、続きは……うん、じゃぁ、よろしく。」
組織内で一番偉い人物を君付けで呼ぶ杏子を横目に静かに椅子に座る。いただきますの挨拶を声を出さずにした桜子が、彩りの鮮やかなクロワッサンサンドに噛り付いたところで杏子は通話を終わらせ、無言で咀嚼する桜子をとても嬉しそうに見つめてきた。
「また直人君……じゃなくて……直人先輩を連れ出していたんですか?」
こんがりとした良い焼け具合のベーコンエッグを空っぽだと訴えるお腹の中へ牛乳で流し込んだところで、やっと桜子は、その杏子の視線に目を合わせる。
「おはようございます、桜子ちゃん。ごめんなさいね。人手が足りなかったの。特に昨日の件は午後になって急に決まったことだったから」
シルバーのシンプルなネックレスにインナーの白色のデザインシャツの上品なレースが桜子が羨ましいなとついつい思ってしまう大きめな胸元を飾る。テーブルに隠れているグレーのフレアスカートは彼女の椅子の背もたれにかけられた上着と揃いのものだろう。オフィス街が似合いそうなスーツ姿の杏子は、その現実のキャリアの高さに似合わぬ清楚な表情を申し訳なさそうに少し歪め謝ってきた。
いつものように。
「守れって、自分達で言ってるんだから、勝手に連れ出さないでください。何かあれば始末書を書くのはこっちなんですもん。せめて一言あればこちらも対応できます」
ちょっとだけ、そう、ほんのちょっとだけ言葉に不機嫌さをのせて伝える。桜子だって、ほんの数年前までは最前線に在籍していたので、わかってはいるのだ。
機密性が高い任務だ。急に集まった情報への対応となれば、時間がおしていたこともあったのだろう。関係各所への調整もあったのだろう。だから、杏子さんは悪くない。悪いのは、あのなんでも見透かしているような口を叩く、いけ好かない、陰険人外眼鏡こと榊調査官なのだ。杏子さんは、その辻褄あわせと尻拭いをしているだけなのだ。
「そうなのよね。本当にごめんなさい」
もう一度謝る杏子の姿に、思わずきゅんとしてしまうのは仕方がないだろう。杏子には、桜子でなくとも、こちらが無条件に申し訳なく感じてしまう不思議さがある。
「別にいいです。直人先輩……あ。直人くん?にも、周囲に良くないモノを集めたくなければ新幹線の中からでもいいから連絡くらい入れろって、今日、お説教しときます。……それより、今日の卵、焼き加減最高です!」
なんとなく、本来は桜子が正当で気にしなくてもいいはずの後ろめたい気分を全て、問題の元凶の人物へのお説教に乗っけてしまおうと決めれば、後は美味しい朝食タイムを楽しむだけだ。桜子にとって一人ではない朝食は半月ぶりだ。しかも大好きな杏子と一緒となればもう嬉しくて仕方がなかった。
「直人君が悪いわけじゃないのよ?それよりベーコンエッグが、桜子ちゃんのお口にあって、よかった。最近この家に来ないと料理もろくに出来なくって」
「そんなに、最近忙しいんですか?」
フォークの先、食欲をそそるベーコンと卵に、寂しそうな表情を見せる杏子は、その仕事の有能性に比例してか、料理がとても得意だ。直人や大地あたりはまだ付き合いが浅いせいか、彼女の仕事面の冷たく割り切った感のある一面しか知らないようだが、本当はとても可愛らしくて家庭的な優しい人だ。
桜子が小さい頃から楽しんでいる杏子の料理は、桜子の家の冷蔵庫の中の物だけで作られているはずなのに、別物と思われるほど美味しい。どうしてこんなに美味しいのか、幼い頃尋ねた桜子に杏子は笑顔で、延々と……それは小学低学年には多少厳しいくらいの長さで、料理好きを語ってくれた。
「うん……ちょっとだけだけどね」
「今日はこれから、叔父……じゃなくて、父に?」
職務上の色々な制限で言葉を濁さざるを得ない杏子の、今日の予定で推測されるものを口にしてみる。杏子はこの街に仕事で来ると、必ず桜子と食事を一度は楽しみ、桜子の病弱な父の通院の付き添いや、お見舞いをしてくれる。
ちなみに、桜子の唯一の肉親である、現在入院中の父親である総次郎は、桜子の本当の父親ではない。
それは数ヶ月前のこと。
直人が神使の下部になってしまった出来事で判明したことだった。
それまで、桜子は総次郎の事を本当の父親と思っていたし慕っていた。二人寄り添い合う細々とした生活を維持する為、アルバイトと引越しに追いたてられるこの生活だって厭わなかった。
そして、真実を知った今、何か変わったことはあるかといわれれば、何も変わらない。
今でも桜子は本当の父親のように慕っているし、この生活も続けているし、続けていくつもりだ。
何も変わらない。何も変わらせない。
何も変わらないが、強いて言えば、桜子と桜子の母が居なければ、この人の人生は違ったものになったのではなかろうかと、自分の兄と成り代り、兄の人生を、桜子の本当の父親の人生を歩むことは無かったのではなかろうかと思うことがある。たとえそれが、今の父自身が選び取ったものだとは言え、本人は全くの無自覚とはいえ、少しだけ悲しさを覚えることはある。
ちなみに、目の前にいる杏子も、桜子の本当の叔母ではない。
病気がちな父親の為。この小さな家庭を守る為。小学生の頃から特殊災害情報センター付きで働くことを望んだ桜子に榊調査官が用意してくれた、父親以外の保護者対応できる人物だ。
彼女にとっては仕事の一環だというのに、もう十数年付き合ってくれている杏子は、周りに居たどの大人たちとも違って一個人として桜子に接してくれた。
桜子にとっては会ったこともない本当の叔母より本物の叔母のようて、優しくて厳しくて大好きな人だ。
「うん、ここんところ忙しくって、なかなかお見舞いにいけてなかったしね。そうそう、ハウスキーパーの中村さん、どう?部屋の様子とか冷蔵庫の中身とか見た感じ、結構良い感じかな?とか思ったんだけど?」
桜子が帝都を中心に活動していた幼い頃は杏子も一緒に暮らして居たこともあった。けれど、任務の関係で地方都市を父親の転勤扱いで桜子が引越歩くようになった為、現在は別れて暮らすようになっている。
杏子は帝都のセンター本部に在籍し、常にこの国の幸を祈り日々戦っている。
帝都で忙しいはずの杏子が突然今朝、桜子のところに顔を出したということは、昨日か今日の早朝、仕事で彼女はこの街を訪れたのだろう。この街には妙に縁者や下部が集中しているものの、それは直人の特異性のもたらす影響の範疇だろうし、なにより、桜子は今この街に気になるほどの異変や悪意のある禁厭を感じない。となれば、おそらくはここ数回繰り返されている本部の悪癖、桜子が仕事として守るべき直人を、極秘に緊急で帝都に連れ出し、尻拭いとして杏子が送ってきたといったところだろうか。
謝る位なら事前の一報か、作戦に混ぜて欲しいところだが、前述のような理由だって子供ではない桜子には想像もできる。
まぁ、そんな杏子の事情を桜子が察し、最初の会話になるのだ。
「とても良い方ですよ。夜は私が食事と入浴を終わらせるまでは一人では心配だからと居てくださるし、時折、父のお見舞いにも行っていただいている様です」
二年前から、この街でお世話になっている初老の優しいハウスキーパーさんは、桜子の就寝の準備が完了し、家の戸締りをしっかり確認してからでないと帰宅を良しとしない。それがなんだかドラマで見たことのある本物の祖母のようで、桜子はくすぐったいような心の感覚が大好きでたまらない。
「よかった。いくら桜子ちゃんがしっかりさんでも、年頃の女の子の一人暮らしって心配だし。でも、私もこんなのだから、なかなか一緒に生活っていうのも厳しいんですもの。……はい。これ、少し早いけれど、今月の現金分の生活費と桜子ちゃんのお小遣い。残りはいつものように桜子ちゃん名義の貯金とお父様名義の引き落とし用の口座に入れておいたから。急な入用のときは私かセンターの裕子ちゃんに連絡入れてくれる?すぐ手続きするから」
そう、いいながら飲みきったコーヒー用のマグカップをテーブルに置いた杏子は、ATMの横によく置いてある地方銀行の名前が印刷さた封筒を二つテーブルに差し出し、そのままの流れで、次にと用意されていたティーポットに手を伸ばす。
杏子は大の飲み物フェチだ。朝だけで三種類の飲み物を口にする。
コーヒーの後の紅茶に異論を感じなくも無い程度に、桜子もその趣味に付き合っているわけだが、朝は寝ぼけちゃってるからどうしてもコーヒーが一番になっちゃって。と笑う彼女の嗜好は尊重している。
花柄の杏子のお気に入りのティーカップに注がれる金色の液体が朝日にキラキラ輝く様は、意識を集中させた時に感じる命の煌きを見ているようでいつも心引かれる。
ベーコンとコーヒーの香ばしい残り香りから一変、オレンジの強く清々しい香りに変わった室内に、杏子が静かに紅茶を啜る音が響く。
自分以外の人が居るっていいな。
そう思いながら、残った紅茶の御相伴に預かる為、桜子もいつの間にか杏子があつらえた花びらが舞うデザインのティーポットに手を添えた。
*****
「ごめんなさいね。こんな忙しい予定じゃなかったんだけど」
聞きなれた台詞が下駄箱の上で踊る。
食事の直後、彼女の携帯端末にかかってきた電話で、杏子は桜子の家を急ぎ出ることになった。
余程の何かが起きたのか、通話の途中から、その普段なら色気さえ漂う艶やかな紅色の唇から血の気が失せていく。桜子を気遣い、片付けをしないまま出掛ける事を非常に申し訳なさそうに謝っていた杏子だったが、必死に表情を繕ってはいても、いつにもない青ざめた顔色が伺えた。
桜子としては、起きた時点で食事が用意されていた分、時間に余裕があったので、気にしないで、と笑顔で杏子を送り出した。
送り出した後、閉められた扉の前で、何があったのだろうかとほんの少し考えを巡らせてもみたが、桜子自身の絡みで思い当たることは特には無い。
冷たいと言われるかもしれないが、世の中、気にしてもどうにもならないことは多い。とりあえず、今は、忙しい杏子が、桜子と朝食を一緒にとってくれたことを素直に喜ぶべきだとモヤモヤする頭の中を一掃し、桜子は手早く二人分の食器を片付けた。
だから、杏子が訪れてくれたお陰で生じた余裕そのままに、自宅で手持ち無沙汰になってしまった桜子が、いつもより三十分以上も早く上機嫌で部室前の廊下に到着してしまったのも、致し方ないといえるだろう。
しかし、だ。
目前に見える部室には鍵が掛かっており入室できない。ミスったの一言だ。
現写真部部員はのんびりしたタイプ……というか、遅刻魔が多い為、集合時間ギリギリ又は過ぎないと集まらないのを、杏子との朝食で浮かれていた桜子は失念していた。
生徒会のルールで、部室の鍵は上級生しか職員室に借りにいけない。
一年生の桜子に残された選択肢は待ちぼうけ以外何もない。
自分の手で選びとれないって苦痛よね。とは口にしたものの、声に出したのか出さなかったのか。
本来ならこの時間、杏子とゆったりとした二人のティータイムを楽しめていたはずなのだ。
だいたい直人が仕事であろうが何であろうが連絡もなしに急に帝都に行くからその尻拭いで、多忙な杏子さんが急ぎの用をかき分けて、こんな地方都市まで微調整の為、足を伸ばさなければならなかったのだ。
本当なら杏子にとって少しでも余裕がある状況でこの街に来てほしかった。ゆっくりお話したかった。ゆっくりお茶の時間を楽しみたかった。なのに……なのに……腹立たしいことこの上ない。
なにより、直人には集めやすいとか狙われやすいとかオブラートとに表現されている自分の体質への自覚と、彼を守る為の毎回の微調整を施さなければならないこちらの苦労も考えてほしい。本音をいえば、微調整くらいそんなに大変じゃないけど。……いや、いや、いや、ちゃーんと、桜子に機密とはいえ毎回連絡の一本もくれたら、変なモノに目をつけられる事も集わせることもないのだし、杏子さんに面倒を押し付けることもないのだ。
「……ちゃん?、桜子ちゃん、どうしたの?」
恐らくはそんな面倒な直人のよろしくない体質目当ての作戦なんだろうな、とは桜子だって予想しているし、わかってはいる。
わかってはいるが、自分自身でも八つ当たりとわかる思考の中、我ながらの大失態に、どうしようかと、とりあえず戻った学生玄関で桜子がぐだぐだと悩んでいると、低音が心地よく親しみやすい声が、背後から掛けられた。
突然の、けれど、そのよく知った声に思わず肩が激しく揺れる。
桜子が若干大袈裟に振り向いた先に居たのは、学生での先輩である大地だった。
よく知る好意的な人物が、人懐っこい笑顔で挨拶の声をかけてくれたことで、桜子はホッとする。棘が生えかけていた心が彼から微かに香るバニラエッセンスの香りにほころぶ。
学校の部活の先輩としても、バイト先の後輩としても、桜子はこの大地という少年が人間的に好きだ。
桜子を見下すことも、恐れることもなく、対等にしっかり向かいあってくれる貴重な人物だ。本人曰く、わがままで可愛い妹が居るから。なんて言っているが、そのがさつそうな大柄の見た目と違い、日常的に女性に対し紳士的な対応をごく自然とこなせて、それでいて人間性がマイナス地点にある智也のように、下心やいやらしさを感じさせないスマートさがある。
今まで大地を共通の知人に持つ人達の間で、彼の悪い噂を桜子は一つも聞いたことも無い。それどころか、みな、彼に確実な好意を持っている。こういうのが、いわゆる人間たらしというモノなんだろうと桜子は理解している。そして、そんな大地に、人間性としては同類にいるらしい桜子も例外なくたらし込まれているとは、口の悪い直人の、あながち的外れともいえない評価だ。
今日は杏子に大地にと、朝から大好きな人たちに次々と会えたし、いい事があるかもしれない!
一時は雲行きが怪しくなりかけたものの、何とか持ちこたえた……いや、さらに浮ついた気分のまま、大地と共に職員室経由で桜子は部室に入った。
……入った。
入って……それから、扉を開けてすぐの場所。
桜子と大地の目の前に、そいつは、鎮座していた。
そいつらは静かに鎮座していた。
あぁ、しまった……こいつも失念してた。
コミュニケーションアプリの残念顔の兎のイラストが桜子の頭中に広がっていく。
昨日、一部の先輩達が副顧問の目を逃れ、数時間を掛け、組み上げたという、部室の四角い木の椅子で作ったタワー。
男の子って小学生の頃と基本的な思考と嗜好は何も変わらないのねーと冷めて見ていた記憶より更に積み上げられたタワー。
それが、その狭い室内の中心部、鎮座していた……。
大地も似たような感想を持ったのだろう。
思わず二人、それを目の前に、沈黙し、立ち尽くしてしまった。通常比二倍は舞い上がっていたであろう桜子の気分は、一気に急降下する。
「桜子ちゃんは手伝わなくていいよ」
無意識に桜子は表情に出してしまったのだろうか。苦笑いを浮かべ大地が言ってくれる。しかし、このままでは危険過ぎて、部室内で避難するべき場所も無い。かといって、廊下で男子どもを待つには時間が早すぎる。
もともとセンターでの仕事で肉体労働には慣れている。桜子は笑顔で大地と二人、それを共同で解体することを提案し実行に移した。
鎮座した椅子の山なんていう馬鹿馬鹿しい癖にかなり危険なものを、やっとの思いで撃破したところで、二人その元凶だった椅子に座り体を休める。
軽い疲労感の中だった。
だから、何かを察した大地の動きを感じ、桜子は頭で考えるよりも体のほうが早く反応してしまったのだ。
解体の合間、桜子の頭の中ぐるぐる回っていたのは先程一度は打ち消した、直人への八つ当たりとしか言えない思考。そのため、虫の居所が、いつもよりほんの少しだけ悪かった桜子が、ついつい……あくまで、故意ではない、ついついだ。……ついつい、直人にクリティカルヒットとなる攻撃を与えてしまった。
これが、つい四十五分前の出来事の全容だ。