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01-1

Latitude(ラティチュード)

写真用語で露光(露出)寛容度。写真で表現できる、白とびや黒つぶれを起こさない、レンズを通る光の量の範囲。




朝日と思われる日差しが目に沁みる。いや、心に染み入る。

目覚めた自室は、不健全な睡眠時間がもたらした露出オーバーで、白とびしていた。いや、自分と言うフィルムのISOが、日差しと瞬きのスピードに合っていないのかもしれない。

そんなに朝早い時間ではないが、健全な朝の到来を伝える、閉じきっていないカーテンの隙間から差し込む鋭角な光は、目の下に生まれたであろう隈を否応なしに想像させる。筋肉痛、と言うか、打撲痛がこだまする疲労感を引きずったままの体は、ベッドから起き上がろうともがけば、まるで鞭打ちの後のように、かなり辛かった。実際に打たれたことは今まで無いはずだが、このリアリティ、なんだろう?と一瞬悩むものの、いや……よく思い出せば、昨夜、本当に鞭打たれた後だったと直人はベッドの中、肩を落とした。



結局、昨夜の帝都某駅構内炎上騒ぎで、直人の希望していた新幹線への乗車は間に合わなかった。それどころか、関係する多数の設備にも現象が飛び火してしまった結果、新幹線自体までが運行中止となり、直人は渋々、地元基地までヘリで送ってもらうことになってしまった。幾重にも重なった諸事情に押しつぶされた直人の帰宅時間は、智也に話していた本人の当初の予定とは裏腹に、桜子にバレ、両親が心配する領域を軽々と突破し、高校生としてはあるまじき深夜を過ぎるものとなる。

自分達のミスが原因といえば原因なのだが、とりあえずそれは置いておこう。


直人がヘリを嫌うには、それなりに理由もある。軍基地と名は付くものの、ヘリで降り立つのは小さな地方都市の基地だ。どんなに人との関わりを避けても〈神使の下部〉ともなれば国からの保護も手厚く不特定多数に自分を意識されてしまう。どこに知り合いが居るかわからない中、できれば直人としては避けたかったのだ。けれど今回は、他の優先事項を考慮すれば致し方ない。毎回、ヘリを用意されるたびに、表層に現れそうな苦渋の表情を隠す直人に、智也あたりは『バレたらバレたで、そのまんま、重い枷を一緒に引きずる仲間にすればいい』なんていうが、今まで真っ当に生きてきたであろう大人を巻き込むのは、正直、子供の自分には、やはり大層気が引ける。

それはたとえ、相手が直人が知る自衛軍とは趣を違える軍の職業軍人であっても、だ。

ハイリスク、ノーリターン。

一害あっても利益なしどころか、倍の倍位の害は当たり前。

知る人も少ない三柱様に、姫神様に関わるということは、そういうことなのだと直人は理解している。


さらに今回、嫌々ヘリに乗らなくてはならなくなった交通事情以外にも、直人の帰宅時間を遅らせる、おそらくはこちらがメインになるであろう、要因もあった。

優しくて悪い意味で優秀なバイト先の大人達が、何も事情を知らない直人の家族から、直人の怪我を誤魔化す為の偽装工作に勤しんでくださったのだ。あまりにも手の込んだことをしてくださったお陰で、直人の帰宅は更に予定より遅いものになってしまった。

あのホームでの戦いのせいで、いや、正確には大雑把な智也の対応の為なのだが、直人の肋骨には誤魔化せないレベルで見事なヒビが入ってしまっていた。杏子の用意した車の後部座席に座った瞬間感じた痛みだけで、ただ事ではないと察することは出来たが、生憎、いつもの様に直ぐに診て貰える医師の確保ができなかった。直人自身のあまり思い出したくも無い、過去の経験則から、肺に傷が付いているかも知れないと判断できる状況で、下手に動いて悪化させるのは、周りの説得を受けなくとも火を見るより明らかなことだった。

これも帰宅手段にヘリを選ぶ要因だったのは言うまでもない。

しかもだ。腹立たしいことに、選択肢が必然的に一つしか選べなくなった直人を乗せたヘリがビルの屋上から飛び立つのを、隣のビルの屋上に不法侵入したであろう背に黒い羽を生やした智也が、いやらしい笑みで、手を振りながら見送っていたのを直人は見つけてしまっていた。

日頃の付き合いからも、わざとだろう?!と思ってしまったのも致し方ないだろう。


遅い帰宅が親公認になったので要らぬ心配はかけずに済んだと思う。多分。肋骨のヒビ以外は。

まぁ、多少は鞭打たれた青黒い痣の跡も身体にあったので、一緒に誤魔化すことが出来て、よかったとしよう。

国家権力を振りかざした優しくて優秀な大人達こと、ボスの榊さんとバイトの面子の世話係である杏子さんは、直人のバイト帰りの途中の交通事故を完全に偽装した。

バイトと言っても、毎日のように帝都に出掛けているなんてこと直人は、親に、とてもではないが言えない。国家権力を横暴に振りかざす直人の上司御両人としても、未成年に健全で正式な保護者が居る場合は、出来るだけその保護下に普通の状態で置いておくのが常らしく、市内の公共機関での情報整理のバイト、と言う建前を用意してくれている。そのバイトの帰り道、自転車に乗った直人は前方不注意の車に一方的にはねられた、らしく、事故現場に到着した直後、救急車で病院に運ばれた。

帝都の、国の機関にお勤めの少し偉い肩書きを持った方が、日帰りで地方都市に出張中、自転車に乗った高校生と接触事故を起こした、という事で警察では処理されている。

ちなみに直人の事故の相手については、問い合わせれば、ちゃんとお役所に存在する。席だけは。呼び出せば折り返し連絡も来るし、会うことも可能だ。自分が知るその人に。但し、自分が知るその人物と、他の誰かが別件で知るその人物が=(イコール)になるとは限らない。

そんな人物だ。

病院で慌てて駆けつけてきた直人の両親に謝罪していたのは。

それでもお役所のネームバリューとトーク術はすばらしいらしく、相手が名刺を差し出し一方的に悪かったと平謝る席で、気が付けば話は丸く収まっていているんだから、さすがだと思う。

結局、病院での検査の結果、直人の肋骨には運よく肺に傷を付けないまでも、予想通りヒビが入っていた。事故と言うことで入院も勧められたが、それでなくとも色々と後ろめたい事項を抱えていることもあって疲れきった身体を休めるのは自宅のベットが一番だと思う直人は、思い切り猫をかぶり、医師や周りの大人を上手く丸め込む。

結局、帝都から病院経由で両親と共に帰宅した直人が自宅のベッドの住人になれたのは、夜半をかなり過ぎた時間になってしまった。




それでなくとも二十四時を過ぎてから睡眠をとれば、翌日確実に悲鳴を上げる軟弱な直人の身体だ。肋骨の怪我まで負ってしまい、目覚めた直後は普通に行動するのも辛かった。

今日は土曜日で学校も休みだ。入っている予定と言えば、たかが部活だけだ。休めばいい、家族にもそう勧められたが、事前に痛み止めを飲み、いつも通りの笑顔を貼り付けた直人は、心配しているであろう担任に報告もしたいし、部活の後、親友に付き添ってもらって病院にいくから、と診察券を預かり自宅を出た。


日頃、人当たりが良いフリをしていると、こういう時、効果的だ。

しみじみ思いながら、直人は一度やってみたいと思っていた優雅なタクシー通学を満喫する。

支払いはもちろん事故の相手方。……本当は多分、庶務係の裕子さんが伝票を切ってくれている。来週、後片付けがてら挨拶に行くときは、手土産に彼女がお気に入りのこちらの銘菓を持っていこう。直人は昨夜の件だけで、一山出来上がった書類の山に泣いているであろうバイト先の先輩、というか社員さんの、年上とは思えないほど幼い拗ねた可愛い表情を思い出し、心に決めた。




*****




朝が早い運動部の活動の、伸び響き渡る声がすでにグラウンドから、窓の開いた体育館から響く。部活動開始時間より少し早い生徒用玄関には、吹奏楽部や合唱部といった文科系部活動の女子が、直人の部屋の隅の、猫の毛玉のように集まってふわふわしていた。

そんな毛玉女子の間を、目立たぬよう、乱気流を発生させないよう通過し、階段を上がる上下運動が響く身体に顔を顰めつつ、直人は無事部室前にたどり着く。


二階東校舎の第三理科室に隣接する第三理科準備室が我らが写真部の部室だ。


ちなみに、第一理科準備室に隣接する元空き教室を部室としているのが実験馬鹿やロボット馬鹿の集う科学部、第四理科室の隣、第四理科準備室で活動するのは無口な夜行性集団の天文部で、これに写真部も含め、うちの高校の、男臭い文科系御三家という不名誉な括りで纏め語られることが多い。第一、二理科準備室が、それぞれ理系教員の憩いの場になっているせいもあるかもしれないが、生徒会からの訪問者や何も知らない女子生徒が、よく迷い、間違ってそれぞれの部室にやってきては、ドン引きして去っていく。


写真部部室はもともと器具室として使われていた第三理科準備室を更に改造したしたスペースだ。今時の写真技術に対応する為、写真部専用のパソコンは三台、外付けハードディスクは4台設置されているが、暗室は無い。

せっかくの高校の部活なのだから、直人としては本当は現像もしてみたかった。しかし、現在の先輩方は全てデジタル派で、入部直後確認してみれば、暗室用のカーテンすら備品にはなかった。仕方なく現像知識を校内で唯一持つであろう化学の教師に直人は直訴してみたものの、既に卓球部の顧問で、毎週の練習試合で忙しいとのことであっさり断られてしまった経緯がある。

ちなみに写真部の顧問は教頭だ。趣味は野鳥撮影。特に撮影マニアの幸せの青い鳥、カワセミに夢中で、バズーカのような形の、ゼロが沢山並ぶ、子供には決して手の出せないレンズも沢山持っているレンズ沼だ。

教頭は自身の撮影活動が忙しい為、めったに部活には顔や口を出さない。が、その権力で生徒会配分のはずの資金を部員数の割りにがっぽりとせしめてきてくれて、良い写真が撮れた頃を見計らって展示会や発表の機会をがっちり用意してくれるらしい。

どちらかと言えば、顧問と言うよりは、同士に近い関係、とは卒業後もOB会を結成し活動する、長年連れ添ってきた先輩達の素直な感想だ。

今思えば、そんな上司の遊び場を汚したくないと、化学の教師も遠慮しての断りだったのかもしれない。


直人もデジイチ(デジタル一眼レフカメラ)やコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)を持っているが、やはり主流は二眼レフフイルムカメラを愛用している。

同じ写真を愛するもの同士、先輩方も直人のその姿勢を、ものめずらしさも相まって、好意的に受け取ってくれているらしい。

今現在、現像は学校行事でお世話になる写真屋さんに頼み込んで、学割で現像をしてもらっている。現像以降は自宅の設備で対応出来るとはいえ、フイルム代も掛かり学生には金銭面が辛い所なので、本当に感謝だ。

そうだ、バイト代も振り込まれただろうし、おととい、お願いしたフィルムを今日の帰り取りにいかなくては。


そんなことを考えながら部室の扉を開けると、同時に、直人は、華麗に殴り飛ばされた。


気のせいではない。

偶然開いた扉にぶつかったわけでもない。


見事に、開けた扉の先、桜型の髪止めがとても似合う、綺麗な肩まで真直ぐ伸びる黒髪を靡かせ仁王立ちする、目の前の愛らしい少女の右手が決まって、良い勢いで直人は吹き飛ばされた。



いやぁぁぁぁぁ。

心の中、絶叫する。

直人としては、声を出して叫びたいところだが、階段の登るだけで悲鳴を上げた身体だ。痛みで声さえ出ない。

まるでドラマかアニメのワンシーンの様に、直人は胸部に強烈な痛みを感じた後、廊下を数メートル飛んだ。


無意識に抱えていたカメラバッグを抱きしめるように守る体勢をとった自分を、褒め称えてもいいと思う。そのまま滑るように床に付いた背中の冷たさが、心地良いなんて思いながら、直人はそのまま、廊下で身動きできないで伸びた。見上げた先、怒りのオーラを放つ、殴った張本人である桜子が、スカートの中身が見えそうな仁王立ちしたまま、しばらく直人を見下ろしていた。が、それも僅かの間のことで、その後の直人の反応に、あれ?という驚きの表情を見せた後、見る見る間にそれを焦りのものへと変えていく。そして、そんな、桜子の後ろから、多分状況は把握しているであろう親友の大地の呆れた様な表情も見え隠れする。


「ご、ごめん。桜子ちゃん。昨日バイト帰りに交通事故にあってさ、僕の肋骨、ヒビが入ってんだ」

やっと搾り出した台詞は、ほとんど音声を伴わず、呼吸の音だけだ。それでも伝えたかったことは伝わったようで、桜子の怒りで上気していた頬が、見る見る間に、蒼白に変わっていく。二重の黒目がちな、大きな愛らしい瞳が潤んでいるのは、先ほどまでの理由の見えない怒りからなのか、今の状況を生み出したことへの罪悪感からなのか、怖くて直人は聞けない。

「えぇぇぇぇぇ?!ごめんなさいー!ごめんなさいー!大丈夫ですか、直人く……先輩ぃぃぃ」


直人の引きつった笑顔が崩壊寸前のところで、後ろから、渋々やってきた大地が、動揺し直人を激しく揺さぶる桜子を引き剥がした。

大地に両肩を押さえつけられた、この目の前の力強い……いや、本当は健気で可憐な美少女のはずなのだが……少女が、特殊注意人物としてピックアップされてしまった直人を守る為、という名目の元、センターのボス、榊さんの指示で越してきたのは去年の春だ。そして、運悪く、桜子自身の抱えていた問題と、直人自身の抱えていた問題が交じり合い、縺れた結果、どうしても桜子を守りたいと思ってしまった直人が、一見理不尽にも思える姫神様との契約を結び、神使の下部なんてものにまでなってしまったのは数ヶ月前のこと。


桜子は直人にとって、とても大切な存在だ。

直人には必ず成さねばならぬことがある。けれどその片手間に、たとえ姫神との契約で、自分が霧や霞のように消滅してしまう戒めを背負ったとしても、その、どんな願いでも叶えられる力に縋りたいと思わせたほどに大切な存在だ。


とはいえ、今、痛みに悶えるこの時は、殴り殺されるのも本望……とは、とても直人には言えなかった。




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