10-1
降りしきる雨の中、赤色灯を滲ませながら、この雨の警戒の為であろう車両が通りすぎていく。
行きは見舞い品という名の色々な買い物があり、市内をぐるぐる回ったので気が回らなかったが、今、何も言わずとも車が向かいかけているであろう桜子の住まうマンションは確実に真緒の家より病院からは遠かった。
気が付いた桜子に気が付いたのか。このまま自宅に送ってあげるわとクスリと笑う真緒に提案されたものの、自転車を残したままだと後で困りますから傘さえ貸していただければと桜子が辞退すれば明日取りに来ればいいじゃないと真緒がさらりと笑った。
「明日は朝から快晴よ、きっと。多分、っていうかそれ以外方法がないんだから確実なんだけど、直人君、今夜決着をつけちゃうんじゃないかな」
「決着って……昨日の今日で、まだ直人君と大地君は闘かわないといけないんですか?」
沢山の管を身体に繋げ、白い包帯で身体を被っていた直人と智也、二人の姿を思いだし、桜子は身震いをした。帝都近辺の戦闘特化型下部にあってあの二人はセンター内で確実にトップレベルにいる。
そして、そんなあの二人にあんな大怪我を負わせた大地だってただではいられなかっただろうことは火を見ずとも明白だ。
さらに、大地と直人はそれでなくとも、桜子なんかが関わるずっと前から幼馴染だとか親友だとか言われる太い絆を持っていた。
酷い言いようかもしれないがおそらくはきっぱりと他人だと割り切れる智也はともかく、優しく甘い香りがする大きな背中の大地も、心底心配な癖に素直に出来ない口悪い直人も、これ以上向き合えば身体だけでなく心にまで深手を負ってしまうであろうことは桜子にだって想像にたやすかった。
かといって、大地が立たされた状況が芳しくないことも桜子は今までのセンターの経験でよく理解できている。
こんなことを願ってはいけない、考えてはいけないとはわかってはいる。
わかってはいるが、せめて傷を負うのなら生き残る確率が高いであろう直人には深手を負ってほしくないし、そう桜子が思ってしまったのも仕方ないという言葉でその感情を片付けられる位には、この世界は少しだけ現実に真摯で残酷で複雑だ。
「大丈夫よ。大地くんも遥香ちゃんも消えない為の闘いだから」
在り方は随分と変わっちゃうだろうけど。片足突っ込んじゃったからねぇ。生きてこその物種。それは仕方ないか。
惑う桜子の心中が表情に漏れ出していたのか、再びクスリと笑いかけてきた真緒の言葉は恐ろしい内容なのに、どこか無垢な少女のようにかわいらしい話し方過ぎてその狭間に桜子は背筋がぞくりとした。
「直人君ってさ、人が良すぎるのよ。だから自分の感情一つでさえちゃんと表に出せないの。何があったのかは、赤の他人である私は詳しく知らないけど、さ。多分、自分の言葉で傷つく人が居るかもしれないって実体験で知っているから、かな?さっきも言ったけど、写真ってさ、本当にちょっとしたことで表情を変えるでしょ?具体的になら……そうだな、例えば光。光の調節とかもとっても重要じゃない?同じものを同じアングルで撮っても、光の入りかた一つでそれは全く別なものに見える。それと同じなのよ。多分、あの二人の在り方も。本人達は多分何も変わらない。変わるのはそれを見つめる私たちの心のレンズの光量。だから外野の私達は冷静に、かつ自分の心に素直になって露出調整をしなければならないの」
露出アンダーで黒く塗りつぶすのもオーバーで白く飛ばすのも本来見えてるものを隠しちゃうでしょ?
先ほどまでガラス窓に書いていたその容貌には似合わない文字列を手のひら全体で消すと赤い縁取りの眼鏡をキラリと光らせ小首を傾げた、桜子のよく知る普通の、人間離れした部活の先輩が笑いかけていた。
「Latitude……っていうんでしたっけ?直人君の口悪さが彼の優しさの裏返しっていうのは私でも気がついています。多分彼が神使様の下部なんてものになったのもそのせいでしょうし」
長い眠りから目覚めた後、数か月前まで病室で無言のまま窓の外の赤く小さな明かりの点滅を見つめていた直人の背中は外からの暗さに浸食され黒く塗りつぶされていて、いつしか消えてしまいそうだった。
今は緊急事態なのでそうでもない様子だが、日常で直人が桜子に悪態をつくのだって、桜子が彼に禁厭を使うことに対する負い目を持たないようにという直人なりの優しさだということだって、いくら鈍い桜子だってとっくに気が付いている。
明るい陽の下でさえ、彼は思いを周囲の光で掻き消して自分というのが存在を消してしまいそうにする。
「桜子ちゃんって、真相に一番近く寄り添っていても、一番他人でいることを求められる辛い立場よね」
まるで、今回の大地君と遥香ちゃんの関係みたい。
歌うように語る真緒が、最後に音なく唇でのみで付け足すように呟いた内容に桜子は相似性を認められず思わずことりと首をかしげてしまった。
今までの話の流れなら、大地と遥香、そして直人と桜子の関係性に似ているところがあるはずなのだが、生憎桜子はセンターの同僚と学校での同級生というくくり以上に直人に深い関係性を求めているわけでもないし、彼のことをより詳しく知りたいとも思っていない。おそらく直人のひねくれよじれ曲がった優しさと共にあるそっけない態度も桜子同様の意識を持っているためだろうと認識もしている。
確かに任務の都合上、常に側にはいる。居るが、どこをどうすればそういう発想に真緒が至るのか皆目桜子には理解できなかった。
そんな直人と桜子の薄い関係性なんかと遥香達が抱えていたものは全く違っていた。
桜子が聞かされた遥香の想いは関係性の拒絶を拒絶する、さらなる深い関係性を求めるものだったのだ。
降りしきるオレンジ色の雨の中、遥香が桜子にもらした心の純然たる雫は、切ないほどに美しく儚く、そして本来、人は忌むべきものだった。
『私は……お兄ちゃんと並んで歩きたい。私はお兄ちゃんを……うんん、私は大地を血の繋がった兄としてではなく、一つの個として愛してるの。こんな感情、人として間違ってるって知ってる。ずっと前からわかってる。この気持ちが届かなくてもいい。拒絶されてもいい。このまま別々の道を進んでもいい。だから私はお兄ちゃんを私という枷から自由にしたかった。後ろに背負われたままなんていやだ。気がついたの。お兄ちゃんを目隠ししてまで重い荷物をしょったまま歩ませてるのが他の誰でもない、私自身だって。〈彼女〉に会ってからわかったの。彼女が言う〈望まれる虚像と真実の実像の相違〉を正したかった。だけど二人、望んだのはこんなことじゃない。こんなの最悪。人であってゆるされないなら、人でなくなればいいなんて甘言、嘘。もっとお互いに両足で立って、まっすぐ前を向いて。その先お互いの道が混じり合うことがなくても大切な人が隣で息をして笑ってる、それが何よりも愛しいの。こんなに薄汚れてしまったけれど、望むことさえ憚れるものになり果ててしまったけれど……私は自由になったお兄ちゃんの笑顔が見たい。望むのはそれだけ。それだけなの』
あの時、桜子は確かに大地の優しいながらも繊細で緻密な愛情を彼の妹の手にある彼の神器に見た。それは妹の個を拒絶するどころか、彼女の影の感情までも多い尽くせる覚悟を持った、それこそ遥香が語る兄妹愛を凌駕するほどの強く大きな力を、本人から離れていようと宿していた。いや、本来のあるべき場所に収まっているかのようにさえ桜子には感じられた。
同時に桜子は、遥香の中に、確かになにか別の気配も感じたが、それも遥香に害をなしたり敵意を持つものではなかった。むしろ良くないものが介入した際によく感じる微かな残り香から、虚ろになりつつあった遥香を守ろうとする優しい女性の手のひらのようなものだった。
だからだろうか。根拠なんてこれっぽっちもなかった。けれど、だ。大地の神器であろうガラス製のバレッタが生み出す美しい禁厭の幾何学模様のように桜子の中でなにかが繋がった。
遥香さえしっかり両足で立ち上がれば、なんとかできるはずなんだ、と。
だから桜子は、もう一度遥香の認識を強め、遥香を真緒の家にと連れていった。
大なり小なり、多少ずれていたり、時には間に合わないこともあるけれど、求めるものに神は救いの手を伸ばすと知っているから。
「朔が直人君の端境に招き入れられた時、既に大地君は身動き一つできない状態だったのにね、直人君はとどめをささなかったの。一番簡単な解決方法が目の前に転がっていたのに彼はそれを選ばなかった。あえて辛く苦しい道を自ら進んで選んじゃってるのに悪役を演じる姿には滑稽ささえ感じちゃったわ。お馬鹿さんよねぇ。……家族や友、隣人に恋人。いろいろな情を人は持っているけれど。前から私、思っているんだけど、love & pieceなんかじゃない愛もあると思うの。そうね、love is war。愛する事は戦いなのよ。許されない愛なら尚更に」
「随分物騒で偏屈な愛情ですね」
疑問に首を傾げた桜子を置いたまま真緒はどういう繋がりか、その瞳の奔放な輝きのままに物騒な愛情を語った。
桜子としては不意打ちだったこともあり本心からの相槌だ。そんな過激な思想や想いがあるから人は時に他者を傷つけ、時に鬼に惑わされ、一度……いや一度ならず二度までも道を踏み違えるのも事実なのだ。
「桜子ちゃん。どうして、遥香ちゃんの記憶はあんなに忘れたことを気にしていたのに、昨日、私に鍵を渡してしまった記憶が差ほど気にならないか理由ってわかる?」
「あ……そんなのもありましたね、昨日。いろいろありすぎて、きれいさっぱり忘れてましたけど」
コロコロと変わっていく、真緒の質問の意図がわからないまま答える素直に桜子の首は更に傾きを深くしていく。そんな桜子の姿が可笑しかったのか学校での姿そのままに吹き出し笑った真緒は少し体温が低く感じられる指先で桜子の頭を真っ直ぐの位置へと戻し、悪戯を思い付いた子供のように無垢にけれど唇の端に毒針の気配を残し笑ってみせた。
「どんなことであろうと違和感が残るってことはね、変えられる可能性がそこにあるの。だから綻びが生じるの」
クイズ番組の正解を伝えるアイドルのようにはっきりと語った真緒の瞳に、桜子は一瞬影が走った気がしたが、それはすぐさま気配を消した。
「強制的に自然光を人工光だと思わせられている身にもなって欲しいわよね……バランスが取りにくいことありゃしないって」
車の濡れ、曇る窓の向こう、どこかここでない場所を見つめ深いため息とともに呟く真緒の言葉に、これは本能的に聞き漏らしてはいけないような気がして桜子は耳を澄ませた。
「私ね、桜子ちゃんも今夜の闘いの行方を知る権利があると強く思ってるの」
直人くんには連れてきちゃダメって口を酸っぱくして言われたんだけど、<現地に連れていかなければ>セーフだと思わない?
次は自分の番だと言わん限りにことりと首をかしげその薄紅色の頬に切り揃えられたさらさらの髪をのせ真緒は笑う。
「だって、桜子ちゃんは最初に遥香ちゃんを大地君から預かった訳だし。なにより、希望くらいなければ悲しいじゃない」
「え……?」
「桜子ちゃんが安易に他者の幸福とか願ってはいけないってことは智也君経由で知ってるわ。状況は移ろうものだから、その時の幸福が次には不幸ってことは多々あることですものね。だからこその提案、なんだけど、今回桜子ちゃんにどうしても願ってほしい事があるの」
「だからこその提案?」
「余所の国の神様のお話にね、神様から人間に与えられた美しい娘が、人の世に来る際一緒に持ってきた神様が作った決して開けてはいけない壺を開けてしまうお話があるの。大体、開けてはいけないっていうなら、渡すなっていうのは私の持論ではあるんだけど、どこの国でも神様って人知を越えた趣味趣向をお持ちみたいだし……って話がずれちゃった。でね、美しい娘はついつい興味から壺を開けちゃって。そしたらさぁ大変。その壺はありとあらゆる禍が詰まってて、それらが開けたとたん人の世に飛び出しちゃうというbadトラップ発動。娘は慌てて壺に蓋をする訳なんだけど、まぁ、こういうのって今の人の世にもよくあることよね?ダメダメ言われたら見たいって心理わからなくもないわ。迷惑だけど」
「あー、それ聞いたことがあります。ありますけど、ここでいう美しい娘と箱が指し示すものが頭の悪い私にはよくわかんないです」
禍っていうのは災厄とおんなじでいいとして、おそらくは現状のなにかを例え桜子に語っているであろう真緒の意図が桜子はまったくわからなかった。ただし、なんとなく、求められる行動には予想がつく。
「今朝、うちの家に冴えないオッサンが来てたでしょ?」
「冴えないって」
桜子の質問に答える気なんてないのか。再び脈絡もなく続けられた真緒の言葉に思わず桜子は絶句してしまった。桜子でさえニュースでよく見かける国政に携わる政治家を冴えないオッサンなんて言えるのは怖いものなしの何の予備知識もない幼児や学生か、または桜子の目の前の、権力者の地位に居する意味を理解しているであろう女子高生の真緒ぐらいなものだろう。
「国防関係の部署から代表してこの悪天候の中、寸断された大型交通網を何とか渡り歩いてひいこら来たらしいんだけど。不本意だったとは言ってるんだけど、うちの庭で、あいつらクソ面白くもない実験をした上にヘマしちゃったみたいでねぇ。末端部署のことで監督不行き届きです。どうにも止められなくなりました。助けてください。って土下座しにきたの」
しかも、ここまでの状況になったくせにどこまで本当かなんて疑惑だらけで、ウケちゃうんけど。
「国防……実験って……」
ケラケラ笑う真緒を前に、桜子の脳裏に、今朝、K.Kで噂になっていた〈軍部の極秘訓練〉だとか〈謎の実験〉だとかいったこの雨に関する高校生らしい他愛もない脈絡のない憶測の話が過る。面白い観点での妄想だなんて、あの時の桜子は酷評し、その後、真緒の意味深な言葉にセンター自身の関与さえ疑った。しかし、だ、これはとんでもない勘違いだったのだと今ならわかる。
センターの関知出来なかった事象が発生し、故意なのか事故なのか、その予兆が見逃されたのだ。
「高校生の持つ直観力と感性って本当に怖いわ~」
朝の車内と同様にウフフと目を細め、口元に白い人差し指を軽く添え、けれど、小首を傾げたまま苦笑を見せる真緒の言葉と仕草に桜子は思わず息を詰めた。
どうやら目の前のお姫様は桜子の想像力の範疇を遥かに飛び越えた場所に座している。よくよく考えればもともと第一神使の依り代で、もっとも神使の下部を有しているというセンターでさえ容易に手を伸ばせない存在なのだ。
「おそらくはただの取引先の受付事務員さんか何かだっただけなのに、何の因果か偶然目をつけられて、丁度いいからって検体に使われてしまった遥さんとその彼氏についても、智也君に聞くに、今現在、不必要なくらい私の方がセンターより掴んでることも多いみたい」
「え……」
真緒にしては歯切れの悪い口調に、桜子は聞き漏らしたであろう言葉を再度真緒に求めようとして、その歯軋りさえ響か白く広い額に濃く深い皺を刻む、いままで一度も見たことのないほどの苦悩の表情に口をつぐんだ。
「昨日から智也君と細かに答え合わせを続けてたんだけど、先週末の帝都の交通網の麻痺。あれ、多分、っていうか確実にセンターが絡むずっと前から、もっとゲスな奴らが後ろから糸を引いていたのよ」
「それって、故意に災厄を、人間を生け贄に禍を生み出したってことですよね?!」
冷たくはっきりと紡がれた真緒の言葉が桜子の頭の中に入ってきて形を作り出す前に、桜子は、狭い車内だということも忘れて叫んだ。
「胸くそ悪いこと限りないけど、そういうこと。可能性は元々あったんだろうけど、ね」
可能性は可能性で方向性をずらして救う方法だって有ったはずなのに。
真緒の言葉の余韻がそう語る。
「そんな……酷い」
桜子は幼い頃から何度も人が堕ちる様をみてきた。みてきたからわかる。
現在だけでなく未来も過去も全てが激しい痛みとも表現できない苦しみを伴い奪い取られる、酷いなんていう言葉では表現できないほどに残酷な仕打ちなのだ。
「そしてね、それに連なっていると思われる今回の遥香ちゃんと大地君の一件。これも、こちらの不手際が要因にあるのは確実なのよ。だから私も何とかしたいの」
本当は桜子ちゃんから頼られ、鍵なんかを人質に取る前に動くべきだったのかもしれないわね。
後悔、とは違うな……。
真緒の独白ともとれる言葉の響きになぜか桜子はそう思えた。
昼間とは思えぬ薄暗さのせいだろうか。対向車のライトが真緒の顔に窓ガラスを濡らす雨粒を写し出して見せて、それが、今の真緒の口元にだけ薄い笑みを浮かべた表情に一番しっくりくるように桜子には思えた。
*****
真緒の語る美しい少女が冴えないゲスなオッサン達なのか遥香なのか、開けられた箱が手を触れてはいけない技術だったのか忌むべき想いだったのか。
いや、それらとも異なっているものなのかもしれないけれど、色々と桜子が可能性に想いを馳せた長いようで短い沈黙の後、気がつけば車内にハザードランプの点滅音が響き、桜子は車が自宅マンションのロータリーに横付けされていることに気がついた。
どうやら本当に、明日、桜子は再度真緒の家に自転車をとりに伺わなくてはならないようだ。
なにより、真緒に与えられたたくさんの情報は桜子の処理能力を越えていて、残された時間は短いだろうが、少しだけゆっくりじっくり考えたかった。
お礼を言って、車から降りなければ、と桜子が口を開けようとした瞬間だった。
「やっぱり、私、桜子ちゃんも今宵の行方を知るべきだと思うの」
現地に行けずとも、ね。
ドアに伸ばしかけた桜子の指先を、再び紡ぐ言葉とともに両手で遮るように握ってきた真緒の指は、気のせいだろうが、少しだけ震えているように感じられた。
「うちの優秀な運転手の内藤、ね。実は彼も縁者でね。今回桜子ちゃんの力強い味方になれると思うのよ」
桜子の返答を待たずして真っ直ぐ見つめられ、重ねられた言葉に桜子は思わず運転席に座るその人物をみやった。
「私のようなもののお力ですよろしければ」
バックミラー越しに見えるしっかり櫛の通されたロマンスグレーが素敵な紳士の笑顔が眩しい。
黒い空に灰色の空気の中、心なしキラキラしてさえ見える。
「内藤は、ね。空間と時間の管理に特化している縁者の一族でね。常にうちの家に、いえ、うちの依り代に使えてくれているちょっと特殊な縁者なの」
あ、うちの家の音漏れ管理も内藤のおかげなのよねー。
「え?ええええーーー!!」
ケラケラ笑う真緒の付け足した言葉に桜子は絶叫しか産み出せななかった。
あの広い静寂を愛するお屋敷を守る人物が朔と呼ばれる神使様なんかではなく、この目の前の素敵なキラキラ笑顔のおじ様なんだと言われても、桜子の理解力を越えていた。朝から次々に驚きに巻き込まれる日ではあったが、どう考えてもこれが今日一番の絶叫であり、失礼ながら桜子の中の否定感を露骨に表していた。
「桜子ちゃんに今夜内藤と一緒に出掛けて欲しい場所があるんだ」
拒絶は許さないと雄弁に語る真緒の口調が、おそらくは真緒の中ですでに決定事項になっているであろうことを宣言する。
「それって、提案がらみでもあるんですよね?」
先程答えを得られなかった質問を繰り返す。求められる行動については桜子も予想がついていた。
予想した上で、あまりに抽象的すぎて自信がないということはないものの、それでいいのか?という疑問と心配は残るが、おそらくこれだけは先ほどの例え話の言葉そのままを受け取っていいのだろと桜子も理解できた。
そのうえで必要なのはやはり美しい少女と箱の正体だ。
考える時間が与えられないなら問いただそう。扉にかけようとしていた手の向きはそのままに桜子が真緒の方に体を向き直すと、その行動を肯定ととったのか真緒が人間臭くにんまりと笑ってみせた。
「桜子ちゃんって、こういったら失礼だけど、普通のお嬢さんじゃない?時間的に遅い時間に男の人と二人っきりっていうのが問題あるなら、あの冴えないオヤジに一言言えば、あなたの大好きな叔母様を多方面から圧力をかて特別強制召喚することも可能だから」
更なる真緒が落とす爆弾の直撃を桜子は回避することが出来きず、ぽっかりと口を開けたずいぶんな間抜け面を晒すことになったと思う。叫ぶことはしなかっただけ偉いと自分を褒め称えたいくらいだ。
「わかりました……よーくわかりましたから、とりあえず、管理人さんに声をかけてくるんで車は来客スペースに停めてもらって、お二人ともうちでお茶していきませんか?先輩の家に比べれば狭くっるしい部屋ですが」
何とか衝撃を飲み込んで、ニーソで隠れた自身の膝を見つめ、桜子は深々とついたため息と共に承諾の意を伝えた。ただし、車内の独り言ではなくちゃんとこちらがわかるように説明をした上で、と目の前の自由奔放なお姫様に条件をつけれただけ上々であろう。
真緒の家のように水色が鮮やかな高級緑茶や来客用の何とか焼きみたいな茶器はないものの、たしか杏子が置いていった帝都の有名紅茶店の茶葉と、揃いのティーセットはあったかな?と桜子は想いを馳せつつ、内藤と呼ばれる素敵なおじ様に来客用の駐車スペースをとりあえずは案内することに専念することにした。