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LAST DAY  作者: 憂木冷
3/8

一章

 隠田かくれだ後示こうじ

 都立とりつ河南こうなん高校二年二組。

 四月十五日生まれ。

 十七歳。

 朝は……弱い。

 九月一七日。残暑の厳しいこの季節。

 六時から、六分周期で繰り返されるアラーム音はとうとう二〇回目を迎え、そこでようやく彼の手によって止められた。

 午前八時である。

 ちなみに、河南高校の生徒の登校時間は、午前八時三〇分。

 彼、後示の住む隠田家から河南高校までは、自転車で平均二二分かかる。

 急げばまだ間に合う時間だ。

 後示は、汗だくになってまで自転車を漕いで遅刻を免れたいとは、露ほどにも思っていない、が。

 彼は結局、汗だくになってまで自転車を漕いで遅刻を免れる道を選択する。

 それが周囲が彼に期待する行動だから。

 みんなが期待する自分を演じていれば、とりあえず平和に過ごせる。

 八方美人を演じていれば、とりあえず平和に過ごせる。

 自分はまったく楽しくないけど、平和に過ごせればそれでいい。

 人生に劇的な展開なんて必要ない。

 楽しさも諦める。

 ただ楽でさえあれば、それでいい。

 だから後示は全力で自分を演じる。

「うぉぉおおおおお! やっべえ、遅刻するっ!」

 全力を尽くす彼の演技に休みなどないのだ、例え一人しか居ない時でも全力を尽くす。

「また誰も起こしてくれなかったのかよぉお」

 文句を付けつつ迅速に行動開始する後示。

 そして見事七分で準備、着替え、トイレ、洗顔、朝食までを済ませ玄関から飛び出し戸締りをする。

 しかし彼の勝負はここからだ。

 実は隠田家、一〇階建てのマンションの最上階に位置している。

 先ほど、学校までは平均二二分かかると言ったが。あれはあくまでも、自転車に乗ってからの時間だ。

 ゆえに後示は――走る。

 エレベーター方向へ。

 そのままエレベーターの扉上部に視線を向ける、階数表示のランプが点いているのは三階だ。このまま待っていたのでは間に合わない。

「くそっ、今日は階段かっ」

 いつものことだ。

 エレベーターの前を素通りして階段を目指す。

 当然のことながら、階段を一段ずつ降りて行くような悠長なまねはしない。

 二段三段抜かしで、文字通り跳ぶように駆け降りて行く。

 このマンションの階段は人一人とすれ違うのがやっとの広さしかなく、おまけに屋外に面している方の壁がかなり低い造りになっていて、平均的な高二男子の身長である後示の胸の下あたりまでしかないため、下手な勢いで突っ込むとかなり危険なのだが。

 もはやそんなことはお構いなしだ。

 と言うより慣れっこだ。

 毎朝同じ事を繰り返し続けている後示の動きは、階段を降りる歩数やリズム、踊り場でのターン、どれを取っても洗練されていて、ただ階段を全力で下っているだけなのに、ある種の美しささえ覚えるほどだった。

 ……かもしれない。

 そんな一朝一夕では身に付かないほどの階段ダッシュも彼にとってはルーチンワーク、朝飯前だ。

 いや、正確に言うなら。遅刻ギリギリのくせにしっかりとご飯を食べている彼にとっては朝食後なのだが。

 ただの食後の運動なのだが……。

 とはいえ。

 例え朝飯前だろうと朝食後だろうと、朝の弱い後示がダッシュすることに変わりはない。

 そして、特に何のドラマも生まれる事なく一階へとたどり着く。

 もし後示がラブコメの主人公だったら、階段の途中で見事美少女とぶつかったりもするのだろうけど。そんなこと、現実ではそうそう起きるものでもない。

 ただただ全力で走る。終わり。

 それが後示の人生だ。

 ドラマがない、物語が生まれない。

 どんなに美しく階段を走ろうと、そこには何のストーリーも組み込まれない。

 どこかで道を間違える前に。

 どこの道も歩かなかった。

 ある日。

 彼は人生のスタート地点に立った。

 そこで満足した。

 踏み出さない。

 スタートラインの後ろで。

 何も始まらない物語を眺め続ける。

 偽りの自分が歩いてく背中を眺め続ける。

 本当につまらない。

 心の中でそう呟きながら。

「あと二一分チョイか。ギリいけるな」

 左腕に巻かれた腕時計を確認し。

 自転車を走らせる。

 普通の学生同様、遅刻ギリギリで焦ってるような顔をして。

 やっぱりまた、全速力で。

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