「アルバムの中の彼」
「いつか、サレジオ教会で結婚式を挙げるのが夢なの。」
美優は、付き合い始めた頃から何度も健太に話していた。
高い天井に響くパイプオルガンの音色。
柔らかな光が差し込む荘厳な聖堂。
そして結婚式が終わったら、豪華な海外での新婚旅行。
それは子どもの頃から抱き続けてきた憧れだった。
健太は、その話を聞くたびに笑って言った。
「叶えよう。」
その一言が、美優には何よりうれしかった。
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同棲が始まると、健太は毎月の給料をすべて美優に渡した。
「家計は任せる。」
美優は生活費をやりくりしながら、結婚式と新婚旅行のために貯金を続けた。
「今は節約しよう。」
「その服、まだ着られるよね。」
「飲み会は断れない?」
「趣味は結婚式が終わってからにしよう。」
健太は一度も反対しなかった。
美優は、それが愛情だと思っていた。
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数年後。
美優の夢だったサレジオ教会での結婚式の日。
純白のドレスをまとい、父と腕を組んで長いバージンロードを歩く。
パイプオルガンが静かに響き、厳かな空気の中で二人は永遠の愛を誓った。
式を終えた美優は涙を流しながら言った。
「夢が叶った。」
健太は微笑み、
「よかったね。」
とだけ答えた。
その笑顔が少し寂しそうだったことに、美優は気づかなかった。
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続く豪華な海外での新婚旅行。
美優は旅行中、毎日、「幸せ」と言った。
健太は笑って頷いた。
その笑顔が、少しずつ消えていることにも、美優は気づかなかった。
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帰国してから、健太は変わった。
帰宅は遅くなり、休日も一人で外へ出る。
話しかけても、「疲れた」とだけ答える日が増えた。
ある夜、美優は聞いた。
「最近、どうしたの?」
健太はしばらく黙ったあと、小さく笑った。
「夢は全部叶ったね。」
「うん。」
「でも、その夢を叶える準備をしてる間、俺の気持ちは置いていかれた。」
美優は言葉を失う。
「給料は全部渡してきた。」
「欲しいものも我慢した。」
「友達との付き合いも減らした。」
「全部、美優が笑ってくれるならって思ってた。」
健太は目を伏せた。
「でも、気づいたら俺は、一緒に人生を歩く夫じゃなくて、美優の夢を支えるためだけの存在になってる気がした。」
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それから数週間後の朝。
目を覚ますと、寝室のクローゼットが半分ほど空いていた。
リビングには、スーツケースがなかった。
テーブルの上には、一枚の封筒だけが残されていた。
「ごめん。
もう何年も、自分が何を感じているのか分からなくなっていた。
美優を幸せにしたいと思っていた。
でも、気づけば俺は、自分の心を置き去りにしていた。
このまま一緒にいたら、君を責めるようになる気がした。
そんな夫にはなりたくない。
だから少し離れます。」
美優は、その場に座り込んだ。
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アルバムを開く。
そこには、サレジオ教会で永遠を誓った二人の姿。
海外のリゾート地で、笑い合う二人の姿。
どの写真も、誰が見ても幸せそのものだった。
けれど、今なら分かる。
そこに写る健太の笑顔は、少しずつ、自分の気持ちを押し殺して作られたものだった。
自分の夢を叶えることばかりに夢中で、一緒に人生を歩いてくれている人の心を、全く見ていなかった。
美優はアルバムを胸に抱きしめ、静かに涙を流した。
あの日、サレジオ教会で誓った「生涯、互いを大切にします」という言葉。
その約束をするずっと前から、健太と向き合うことや、健太の気持ちを大切にすることを、私は忘れてしまっていたのかもしれない。
― 健太の視点 ―
美優が初めて「サレジオ教会で結婚式を挙げるのが夢なの」と話した日のことを、今でも覚えている。
目を輝かせながら、スマートフォンに保存していた写真を見せてくれた。
高い天井。
ステンドグラス。
厳かな祭壇。
「それから新婚旅行は海外。子どもの頃からの夢なんだ。」
その笑顔があまりにも幸せそうだったから、俺は迷わず言った。
「叶えよう。」
そのときは、本当にそう思っていた。
彼女の夢が、いつか二人の夢になると信じていた。
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同棲を始めると、毎月の給料をそのまま美優に渡した。
「家計は任せるね。」
結婚するなら、そのほうが安心だと思った。
最初は何の不満もなかった。
だけど、少しずつ「今は我慢して」が増えていった。
新しいスーツが欲しいと言えば、
「結婚式までは我慢しよう。」
友人に誘われれば、
「そのお金は、貯金したい。」
趣味の釣り道具を買おうとすれば、
「結婚したら好きなだけ買えばいいよ。」
そのたびに、「そうだね」と笑った。
彼女を困らせたくなかった。
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数年後。
美優の夢だったサレジオ教会で結婚式を挙げた。
祭壇の前で美優は泣いていた。
「夢が叶った。」
その言葉を聞いて、俺も笑った。
「よかったね。」
心からそう思った。
でも同時に、不思議なくらい胸が静かだった。
達成感はあっても、幸せとは少し違う気がした。
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新婚旅行も豪華だった。
美しい景色。
高級ホテル。
贅沢な食事。
美優は毎日、本当に楽しそうだった。
その笑顔を見るたび、「連れてきてよかった」と思う自分と、「俺は何を楽しんでいるんだろう」と考える自分がいた。
気づけば旅行は、美優の夢を叶えるための時間になっていた。
俺は荷物を持ち、写真を撮り、予定どおりに歩くだけだった。
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帰国してから、家にいるのが少し苦しくなった。
美優は何も変わらない。
悪い人じゃない。
優しい人だ。
でも、少しずつ笑えなくなっていた。
ある夜、美優が聞いた。
「最近、どうしたの?」
答えに困った。
怒っているわけじゃない。
嫌いになったわけでもない。
ただ、疲れてしまった。
「夢は全部叶ったね。」
「うん。」
「でも、その夢を叶えてる間に、俺の気持ちは置いていかれた。」
美優は黙っていた。
「給料を全部預けたことを後悔してるわけじゃない。」
「節約したことも。」
「でも、俺の『したい』は、いつも後回しだった。」
「気づいたら、俺は夫じゃなくて、美優の夢を実現するためのスポンサーみたいになってた。」
言葉にした瞬間、自分でも悲しくなった。
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数週間後の朝。
静かなうちに荷物をまとめた。
当面必要な分だけ。
自分の物を、全て持って出ていく勇気はなかった。
テーブルに手紙を置く。
「ごめん。
もう何年も、自分が何を感じているのか分からなくなっていた。
美優を幸せにしたいと思っていた。
でも、気づけば俺は、自分の心を置き去りにしていた。
このまま一緒にいたら、君を責めるようになる気がした。
そんな夫にはなりたくない。
だから少し離れます。」
最後に部屋を見渡した。
リビングには、結婚式の写真が飾られていた。
サレジオ教会で永遠の愛を誓った俺たち。
誰が見ても幸せそうな笑顔だった。
あの写真の俺は、まだ信じていた。
これから先は、二人で夢をつくっていけると。
玄関のドアノブにそっと手をかける。
「ごめん。俺が本当に叶えたかった俺の夢は、美優の望み通りの結婚式や新婚旅行をすることじゃなかった。」
小さくつぶやく。
「君と、毎日笑い合える日々だった。」
その言葉は、誰にも届かない。朝の空気に溶けていく。




