七話 薄い扉一枚
その日、美代は一日中塞ぎ込んでいた。
凛の家族が面会にくる日だと、凛から聞かされたからだった。
この頃の美代は、凛の家族の話になると、どうにも身の置き場が無い感覚につまされ、やるせなくなるのだ。
凛は大部屋で過ごしていたので、面談室を使っての面会になる。デイルームからは面談室が見えるので、美代はデイルームに入り浸った。
美代は、凛の家族を見たいのか見たくないのか、それすらも結論が出ない。
そんな繊細な感情に包まれる美代を、支えてくれたのが小鳥遊だった。
「そんなに、気になる?」
小鳥遊は小説に目をやりながら、美代に問いかける。
「気には…なるよ、うん」
「仲畑さんて、三坂さんのこと、特別視してるよね」
「そりゃあ、隔離室で出逢った仲だから」
美代は自分でも思った以上にスラスラと答えた。それが全てではないと、自分自身も、小鳥遊もわかっていると判りながら。
「仲畑さん、頬っぺた赤いよ?」
「な…これは。べつに。その…」
小鳥遊のからかいの言葉に、しどろもどろになる美代。
「冗談だったのに」
「変な冗談やめて」
美代は小鳥遊を軽く睨む。小鳥遊はその視線の棘を感じて、黙って肩をすくめた。
と、そこへ当の本人、凛が現れた。
後ろを歩いているのは、夫である、三坂啓介。
凛は怒ってるみたいに早足で、啓介を振り切りたがっているように見えた。
かくいう啓介の方は、余裕の表情で、ゆったりと大きな一歩を踏み出して、凛の手を掴んだ。
「離してよ!」
「大声出すなよ」
凛の大声に、デイルームにいた全員が凛の方を見る。そして啓介は、宥めるような声を出した。
「お騒がせして、すいません。三坂の夫です」
そう言って皆に挨拶する啓介は、美代の目には軽薄な男に見えた。
自尊心が強く、女を下に見て、凛のことは舌先三寸で言いくるめられる、そう思っているのが、透けて見えた。
「イケメンはイケメンだな」
病棟一のイケメンと名高い小鳥遊が言うと、嫌味に聞こえるが、確かに顔は良い。
凛と啓介が並ぶと、一対の雛人形のような愛らしさが浮かぶ。
「三坂の夫です、じゃないわよ。澄ましちゃって、この不倫男!」
凛のヒステリックな叫びが、美代の鼓膜を揺らす。
やっぱりもう、なにも知りたくないかもしれない、と美代は思った。
「誤解だってば。何度も言わせないでくれよ」
「誤解ですって?」
凛はヒートアップしそうになる自分をなんとか宥めた。デイルームの皆の目があることが、それをなんとか可能にした。
「とりあえず、中へどうぞ」
「凛…きちんと話し合おう」
啓介は凛の手を掴み、愛おしそうにそれに触った。
「触らないでよ」
凛の方はそれを振り解いて、面談室へ消えてゆく。
啓介がまたデイルームの皆の方を振り向いて、頭を下げてから同じ面談室へ消えていった。
二人きりになった瞬間、いきなり啓介は凛を抱きしめた。
凛は、最初こそ抵抗してポカポカと啓介を殴ったが、殴られても殴られても離れない啓介の愛情のようなものにほだされた。
「凛、不安にさせてごめん。誤解させた俺が悪かった」
そう耳元で甘く囁くと、凛の目をじっと見つめた。
「不安とか、誤解とか…嘘ばっかり」
凛は落ち着いて話そうと努力していた。
「また、エッチしようね、なんてライン、普通しないよね?」
「だから、その子の勘違いでさ。彼氏と間違えたんだって」
「次いつにするって、啓介、返してたじゃない…」
啓介はため息をついた。
「それは冗談だよ。いつ気付くかなって。何通かやり取り見ててさ」
「そんな嘘…まかり通るとでも?」
「嘘じゃないから、信じてもらうしかない」
啓介は、また凛の目をじっと見つめた。
まるで震える子羊のように。
凛は吐き気がした。
「離して…早く離して」
「嫌だ、離したくない」
震える声で伝える凛に、圧倒するような声で否定する啓介。
「このまま、なぁなぁにしても、誰も幸せになれないよ?啓介…」
「ねぇ、凛…俺を信じてよ」
啓介は、そう言うと今度は強引に凛をテーブルに押し倒した。
「やめて」
凛は静かに行為を否定したが、啓介の勢いは止まらなかった。
乱暴にキスを受ける。
薄い扉一枚隔てて人がいる。その状況下で妻に襲いかかる。
そんな愛情を、君に抱いているんだと言わんばかりの激しい抱擁。
モードに入ってしまった啓介は止まらない。
凛は長年の付き合いで、察していたので黙って全ての行為を受け入れる。
すると啓介は、これこそが愛だと言わんばかりに興奮した。
「愛してるよ、凛…」
虚しい言葉を残して。




