三話 一生の友達
凛の叫び声で美代は目覚めた。
とろとろと眠っていたようだ。
今何時だろう、と美代は思ったが、時間を示すものは室内には無い。
「家に帰して!結婚記念日が!」
凛の悲痛な叫びが聞こえて来る。
こんな風に叫ぶほどの情熱を持てて、羨ましいなぁと美代は微笑んだ。
そして、微笑んでしまった自分に驚いた。笑う、という行為が久しぶりだったからだ。
隣の部屋の扉が開く音がした。医者だろうか。そして次第に、凛の声が聞こえなくなる。
美代の意識も、段々と薄くなる。そして二度目の眠りに落ちていった。
翌朝、二人は初めて顔を合わせた。
朝食後、歯磨きのために個室を出て、廊下にある水飲み場で一緒になったのだ。
「おはよう、ございます」
凛がおずおずと声をかける。
「おはようございます」
消え入りそうな声で美代が返すと、凛はニッコリ笑い返した。昨晩遅く、叫んでいたとは思えない輝かしい笑顔に、美代はたじろぐ。
「よく眠れましたか?」
凛は美代を見て、やっぱり人形のように綺麗な子だけど、痩せ細ってて蒼白いのが玉に瑕だわ、と思った。
美代は凛を見つめた。まじまじと。
「はい、おかげさまで。ぐっすりと眠れました」
美代は凛の左手の薬指に、指環がはまっているのに気が付いた。そして、昨夜の夢うつつの中で聞いた凛の叫び声を思い返す。
この人は、本当に誰かの妻なんだなぁとのんびり思った。
「わたし、うるさくなかったですか?」
「え?」
「昨日、夜中に叫んじゃったから」
覚えているのか、と美代はびっくりした。
「どうしても、抑えられなくて…起こしちゃってたら、ごめんなさい」
「いえ、お構いなく」
凛は美代を覗き込んだ。
「ごはん、食べられた?」
「…少しは」
「そう。よく食べた方がいいよ、もっとふっくらしたら、もっと可愛くなる」
そしてぽんぽんと、美代の頭を撫でた。
美代は、その箇所を自分の指で毛繕った。熱を持ってる気がした。
「…可愛く、なる?」
「ん?うん。もっと、可愛くなる」
ストレートな言葉に、美代は改めて赤面した。
凛のショートカットが揺れる。不意に美代は、その一筋が光り輝いて見えて、そっと手を伸ばす。
「お名前は?」
「わたし?三坂。三坂凛。あなたは?」
「美代…仲畑美代です」
「美代ちゃん。可愛い名前」
こうして二人の短い交流は始まった。
食後の歯磨きの時間、二人はささやかな交流を重ねた。
天気のこと、献立のこと、他愛無い会話を交わす。
そして、七回目の交流の時間。美代は名残惜しそうにこう伝えた。
「わたし、今日、隔離室を出るみたいです…」
「そう!おめでとうっ」
凛は朗らかに喜んだ。その晴々とした態度に、美代の胸は痛んだ。
「わたしも早く、隔離室を出たいなぁ…まぁ、暴れてる限り無理か」
「早く出て来てくださいね。わたし、凛さんが居ないと思うと寂しくて…」
「美代ちゃん、可愛いから、すぐお友達出来るわよ」
凛は屈託なくそう言って笑う。
「お友達…」
美代は、言い慣れないその言葉を繰り返す。
「わたしたち、もう一生の友達よ、よろしくね」
凛が手を差し出してそう言う。美代はその手をおずおずと握った。
「…はい。よろしくお願いします」
「今日はちゃんとご飯食べれたの?」
「凛さんに怒られないように、しっかり食べましたよ」
「お、偉〜い。良い子だ良い子だ」
凛はそこから、美代に耳打ちするように、近寄って来る。
「わたしも、美代と離れるのは寂しい」
「凛さんっ…」
美代の鼓動がとくんと鳴った。
「だから今日から大人しくするね」
美代は凛を見つめた。視線が絡む。ほんの一瞬、確かに二人は見つめ合った。
美代の視線に混じる熱に、凛がどう思ったのか、美代にはわからなかった。




