第2話 邸宅の残響
東京都文京区・加賀谷総裁の私邸。
夜明け前の空気は冷たく、警察車両の赤色灯だけが静かな住宅街を揺らしていた。
表向きは「強盗事件の初動捜査」という体裁だが、実際には警視庁の優秀なメンツが総動員されている。
そしてその奥を、より深く、より静かに歩いていくのが――国安の六名だ。
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■加賀谷邸・エントランスホール
大理石の床には争った痕跡がほとんど残っていなかった。
荒らされた形跡すら無い。それは逆に“計画性”の高さを物語っていた。
神田は天井を見上げながら言う。
「……動きが良すぎるな。まるで加賀谷の生活パターンを完全に把握してたみたいだ」
嶺が小さく頷いた。
「玄関ホールのセンサー、外されてます。外した“あとの処理”がプロです。海外で活動してる傭兵崩れの仕事にも似てますね。」
槇村は指先で床を撫で、小さな粒を採取する。
「微かな金属粉末……工具か、装置の残留物ね。すぐ鑑定できるわ。」
天野は腕時計型の端末を操作しつつ、あたりを観察する。
「黒瀬、そっちは?」
「ふふん。心配しないで。消されてたカメラのデータね……復元できそうだよ。
“完璧に消す”なんて人間には無理なんだよ。必ず痕跡は残る。」
その瞬間、入口付近から低い声がした。
加賀谷総裁は、額に包帯を巻き、警備の者に支えられていた。
六十代の穏やかな顔はいま、ひどく険しい。
「……あれは、三人、いや四人か……。
全員、黒いスーツ。そして……声を発していなかった。」
如月が静かに訊く。
「鍵を奪われた時のことを詳しく。」
「襲撃の瞬間、私は二階の書斎で仕事をしていました。
突然、部屋の照明が落ち……気付いた時には後ろに一人が。
抵抗する間もなく後頭部を殴られ……
次に意識が戻った時には“ツクヨミ”が無くなっていました。」
加賀谷の表情に、深い恐怖が浮かぶ。
「……あの鍵の意味を知っているのは、ごく一部のはずだ。
なぜ、奴らが……」
如月は短く答える。
「内部情報の漏洩があったと考えています。」
すると加賀谷は、言い淀んだ後、小声で付け加えた。
「……実は数日前、日銀の中枢データベースに不審なアクセス履歴が確認されました。
しかし財務省とも協議中で、まだ報告前でした……。」
天野が目を細める。
「日銀の中枢は物理的に隔離されています。ネットワークから侵入など不可能。
それが“アクセスされた”となれば……」
黒瀬が興味深そうに口を挟む。
「内部に協力者がいたか、もしくは……
国家レベルの技術を持つ組織の仕業だね。」
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■復元映像
黒瀬が端末を操作する。
ノイズまみれの映像の中に、ぼんやりと人影が写り込んだ。
黒いスーツ。
黒いゴーグル。
迷いのない動き。
そのうち一人が、カメラに向けて微かに振り返った――
顔は見えない。だが、その左手の甲に奇妙なマークがあった。
「……これ、紋章?」と槇村。
嶺が目を凝らし、低く呟く。
「いや……これは外国の軍事系組織が使う“識別章”に似ていますね。
だが一致するものは無い……新しい、もしくは隠された組織の可能性が高い。」
黒瀬が映像を止める。
「映像はこれで全部。
でも、ひとつだけ確実に言えるよ。
――この連中、日本人じゃない。」
空気が一気に重くなった。
如月はメンバーを見渡し、短く指示を出した。
「天野、嶺は国際線の動きと海外諜報機関の情報を洗え。
神田と八重樫は加賀谷邸の外周で逃走経路の特定。
槇村は採取物の即時分析。
黒瀬はデジタル痕跡を深掘りしろ。」
そして、一瞬だけ言葉を止めた。
「……もし“ツクヨミ”が国外に持ち出されれば、
我々の手が届かないところで“三本目”の鍵の行方が動き出す可能性がある。」
天野が静かに問いかける。
「如月統括……あの“部屋”には、何が?」
如月の瞳は、一瞬だけ深い影を宿した。
「……我々にも全ては知らされていない。
ただ、創設当時の文献に一言だけ残されている。」
そして言った。
「――“開かれし時、国は一度死ぬ” と。」
言葉の重さが、邸宅の空気をさらに冷たくした。
その時、外周を調べていた八重樫が無線で告げる。
『統括、邸宅裏手に妙な痕跡を発見。
……これは“普通の侵入者”じゃありません。』
如月の表情が鋭くなる。
「全員、裏手へ回れ。」
夜明け前の薄闇の中。
八重樫が指差した先には――
地面に微かに残された靴跡。そしてその横に、
黒い金属片。小さな翼の意匠。
嶺が目を見開いて呟く。
「……これ、まさか……
〈ウイング・コード〉……?
今は存在しないはずの、欧州の“亡霊部隊”の……。」
国際的な闇の軍事組織の名前が、静かに空気を震わせた。
国安の六人が視線を交わす。
任務は、もう単なる盗難事件ではない。
――国家の奥底に潜んでいた“禁忌”が、ようやく動き出した。




