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第五話:塞がれた交易路、商人の意地

 セレスティーナとイザベラの対立が公然のものとなってから数日後。


 リリィが手配した最初の人道支援物資を積んだ輸送隊が、ガルダ帝国との国境へと向かう山道で、武装した集団に襲撃された。


「止まれ! 積荷をすべて置いていけ!」


 突如として現れた盗賊たちの手際の良さは、ただの野盗のそれとは一線を画していた。彼らは護衛の傭兵たちを巧みに無力化すると、積荷の食料や種子だけを狙って強奪し、風のように去っていった。


 幸い死者は出なかったものの、負傷者と物資の損害は甚大だった。


 王都のエルネスト商会でその報告を受けたリリィは、悔しさに唇を噛み締めた。


「…申し訳ありません、セレスティーナ様。私の、監督不行き届きです…」


 自邸に駆けつけ、セレスティーナに深々と頭を下げるリリィの肩は、小さく震えていた。


 セレスティーナは、そんな彼女の肩にそっと手を置くと、穏やかな声で言った。


「顔を上げなさい、リリィ。あなたが謝ることではありませんわ。これは事故ではなく、仕組まれた事件なのですから」


 セレスティーナの瞳には、静かな怒りの炎が宿っていた。


 イザベラ・フォン・ヴァレンシュタイン。彼女が、公の場での敗北を、このような卑劣な手段で覆そうとしているのだ。


「ヴァレンシュタイン公爵家の権力を使えば、国境付近の領主に圧力をかけ、主要な街道を封鎖することも容易いでしょう。そして、残された獣道に手練れの者を盗賊として配置する…。よく考えましたわね」


 セレスティーナは、すぐにディランを呼んだ。


「ディラン。あなたにしか頼めないことがあります」


「は。何なりと」


「今回の盗賊の正体、そしてその背後にあるヴァレンシュタイン家の関与を示す、決定的な証拠を掴んできてください。ただし、決して無理はしないこと。あなたたちの無事が最優先ですわ」


「御意」


 ディランは短く応えると、私設護衛騎士団の精鋭数名だけを連れ、夜の闇へと消えていった。彼の真価が発揮されるのは、華やかな表舞台ではなく、こうした影の任務においてだった。


 ディランたちは襲撃現場に赴くと、残された痕跡を丹念に調べ始めた。地面に残された足跡、落とされた装備の金具、負傷した傭兵からの証言。それらの断片的な情報から、ディランは盗賊たちの正体に迫っていく。


「…この剣の扱いは、騎士団の正規訓練を受けた者の動きだ。装備も統一されている。ただの野盗ではないな」


 彼の瞳が、狩人のように鋭く光る。


 その頃、王都の商会では、リリィとエルネストが新たな輸送計画について頭を悩ませていた。


「陸路が駄目なら、川を使うか…? いや、それもヴァレンシュタイン家の領地を通ることになる。八方塞がりだ…」


 エルネストが腕を組む。


 追い詰められた状況の中、リリィは黙って地図を見つめていた。その瞳には、諦めの色はない。かつて栄養失調で死にかけていた少女は、今やどんな逆境にも屈しない、強かな商人の顔つきをしていた。


「…エルネスト様」


 リリィが、ふと顔を上げた。


「ヴァレンシュタイン家が支配しているのは、『公式な』交易路だけですわよね?」


「ん? ああ、そうだが…」


「なら、わたくしたちが、『非公式な』交易路を、新しく作ってしまえばいいのではなくて?」


 その言葉に、エルネストは目を見開いた。


「新しい交易路だと!? そんな無茶な…」


「いいえ、できますわ。かつては使われていたものの、今は廃れてしまった古い道があるはずです。それに、国境の民は、昔から役人の目をごまかして、ささやかな物資のやり取りをしていたと聞きます。そのネットワークを使えば…」


 それは、既存の権力構造を無視し、民と民とを直接結びつける、あまりにも大胆な発想だった。危険は大きい。だが、成功すれば、ヴァレンシュタイン家の支配を受けない、独自の経済圏を確立できるかもしれない。


「ふ、ふふ…はははは! 面白い! さすがはリリィ嬢だ!」


 エルネストは、膝を打って高らかに笑った。


「よし、乗った! 俺が培ってきた全ての人脈と情報を総動員して、その『聖女の道』を切り開いてやろうじゃないか!」


 二人の商人の瞳に、反撃の炎が燃え上がる。


 時を同じくして、ディランは国境近くの山中深くに、灯りの灯る古い砦を発見していた。


 夜陰に紛れて砦の壁を登り、内部の様子を窺う。そこにいたのは、昼間は盗賊として活動し、夜は兵士として訓練に励む男たち。


 そして、彼らが掲げる旗に刺繍された紋章を見て、ディランは確信と共に呟いた。


「…やはりな。ヴァレンシュタイン家の薔薇か」


 静かな政治劇は、今、水面下での実力行使の段階へと移行しつつあった。


 聖女と公爵令嬢の戦いは、英雄たちを巻き込み、より激しく、そして危険な様相を呈し始めていた。

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