第四話:赤き公爵令嬢の刃、聖女への宣戦布告
セレスティーナの決断は迅速だった。
彼女は直ちにエルネストとリリィを自邸に呼び、ガルダ帝国への人道支援計画を打ち明けた。もちろん、アストル王子の名は伏せ、「国境近くで難民が増えている」という名目を使って。
「これは、表向きは商会による慈善事業とします。まずは、栄養価の高い保存食と、痩せた土地でも育つ作物の種子を」
「承知いたしました。ですがセレスティーナ様、物資の輸送ルートの確保が難航しそうです。国境警備隊の目もありますし…」
リリィが懸念を示す。大規模な物資の移動は、どうしても人目につく。
セレスティーナは、極秘裏に計画を進めているつもりだった。だが、彼女が築き上げた人望とネットワークが、皮肉にも彼女の行動を白日の下に晒すこととなる。
聖女の動向は、常に王都中の注目の的だったのだ。
そして、その情報は、彼女を敵視する者の耳にも、瞬く間に届いていた。
ヴァレンシュタイン公爵家の豪奢な一室。
イザベラは、侍女から差し出された報告書に目を通すと、その紅い唇に冷ややかな笑みを浮かべた。
「…まあ、愚かなこと。やはり、平民上がりの聖女ごっこでは、国家のなんたるかは理解できませんでしたのね」
報告書には、セレスティーナがエルネスト商会を通じて、大量の食料を国境方面へ輸送しようとしている事実が、詳細に記されていた。イザベラが貴族社会に張り巡らせた情報網は、聖女の秘密の計画をいとも容易く暴き出したのだ。
「これで、あの女を『国を売る偽りの聖女』として断罪する口実ができましたわ」
彼女は立ち上がると、今宵開かれる王宮の夜会に備え、最も華やかで、そして最も威圧的な真紅のドレスを侍女に用意させた。
今夜、聖女の化けの皮を、満座の前で剥ぎ取ってくれる。その決意を、燃えるようなドレスの色に込めて。
◇
王宮の夜会は、目も眩むほどのシャンデリアの光と、着飾った貴族たちの談笑で満ちていた。
セレスティーナもまた、聖女としての立場上、この種の社交は避けられない。彼女は、改革に賛同してくれる可能性のある新興貴族や穏健派の貴族たちと、丁寧に言葉を交わしていた。
その輪に、まるで水を差すかのように、イザベラが歩み寄ってきた。
彼女が現れた瞬間、周囲の空気が凍り付く。人々は、これから何が起こるのかを予期し、固唾をのんで二人を見守った。
「ごきげんよう、聖女様。今宵も、お優しいことで」
イザベラの言葉は丁寧だったが、その翠の瞳は刃のように鋭い光を放っていた。
「イザベラ様。あなたこそ、今夜は一段とお美しいですわね」
セレスティーナもまた、穏やかな笑みで返す。
「お褒めにあずかり光栄ですわ。…ところで、聖女様におかれましては、国内の貧しい人々を救うだけでは飽き足らず、今度は敵国であるガルダ帝国の民にまで、その慈悲をお与えになるそうですわね?」
その言葉に、議場全体がどよめいた。
セレスティーナは表情を変えなかったが、計画が漏洩していることを瞬時に悟った。
イザベラは、周囲の動揺を楽しみながら、さらに言葉を続ける。
「いったい、どういうおつもりかしら? 我らが王国の民を差し置いてまで、虎視眈々と我らの土地を狙う敵国に塩を送るとは。それは聖女の慈悲などではなく、国家に対する裏切り行為だと、お分かりでないはずはありますまい?」
愛国心と国民感情に訴えかける、巧みな言葉の罠。セレスティーナを支持していた者たちの中にさえ、不安の色が浮かぶ。
だが、セレスティーナは少しも動じなかった。
彼女は、手にしていたグラスをテーブルに置くと、イザベラを真っ直ぐに見返した。
「イザベラ様。お言葉ですが、隣家の火事を放置して、自分の家が安全だとお思いですの?」
凛とした声が、静まり返ったホールに響く。
「飢えと貧困は、人々の心を荒ませ、ひいては国を不安定にいたします。そのような国が隣にあることが、どれほど危険なことか。人道支援は、彼らのためだけではございません。隣国の安定を促し、無用な争いの芽を摘むことこそが、我が国の平和を守る、最も確実な安全保障となり得ましょう」
そして、セレスティーナは、決定的な一撃を放つ。
「真の愛国心とは、目先の感情に囚われ、敵意を煽ることではございませんわ。国家の百年先を見据え、いかにして平和を築くかを考えること。わたくしは、そう信じております」
イザベラの言う「愛国心」を、より大きな視座で打ち砕く、完璧な反論だった。
イザベラはぐっと言葉に詰まり、その美しい顔を悔しさに歪ませた。
舌戦は、セレスティーナの圧勝に見えた。
しかし、イザベラは諦めない。彼女は踵を返すと、すれ違いざまに、セレスティーナにしか聞こえない声で囁いた。
「…その聖女の仮面も、いつまで保ちますことかしら」
それは、明確な宣戦布告だった。
貴族社会は、今や「改革の聖女派」と「伝統の公爵令嬢派」に大きく二分された。
そしてイザベラは、セレスティーナの改革そのものを頓挫させるべく、より直接的な妨害工作に乗り出すことを決意したのだった。