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第二話:疲弊した隣国、若き王子の願い

 貴族議会での激しい論戦を終えた日の夜。


 セレスティーナは、簡素なフード付きのマントでその身分を隠し、ディランだけを連れて王都の夜の街を歩いていた。


 昼間の喧騒とは打って変わって、庶民が集う地区は陽気な活気に満ちている。仕事終わりの男たちが酒を酌み交わす声、家路につく家族の笑い声。それら全てが、今の彼女にとっては貴重な情報源だった。


「…ディラン、少し寄っていきましょうか」


 セレスティーナが足を止めたのは、一軒の賑やかな酒場だった。


 ここは様々な身分の人々が集まる場所。貴族の知らない、民の本当の声が聞けるかもしれない。


「しかし、セレスティーナ様。このような場所に長居は…」


「心配はいりませんわ。それに、改革を進める上で、彼らが何を考え、何に苦しんでいるのかを、わたくし自身の目で見、耳で聞くことが大切なのです」


 そう言って微笑む彼女に、ディランはそれ以上何も言えず、忠実な騎士として、そして一人の男性として、あらゆる脅威から彼女を守るべく、神経を研ぎ澄ませながら後に続いた。


 酒場の片隅の席に腰を下ろし、温かいハーブティーを注文する。周囲の喧騒に耳を傾けていると、隣の席の男たちが、今日の貴族議会の噂話をしているのが聞こえてきた。


「聞いたか? 聖女様が、俺たちみてぇな平民のガキにも学校を作ってくれるって法案を出したらしいぜ」


「本当かよ! そりゃありがてぇ話だが…どうせ、頭の固い貴族様たちが許さねぇんだろ?」


「だが、聖女様なら、なんとかしてくださるかもしれねぇ…」


 かすかな、しかし確かな期待。その声に、セレスティーナは胸の内で静かに決意を新たにする。


 その時だった。


 一人の青年が、おずおずといった様子で彼女たちのテーブルに近づいてきた。旅人風のくたびれた服を着ているが、その立ち姿や澄んだ瞳には、育ちの良さが隠しきれずに滲み出ている。


「あの…失礼ですが、聖女セレスティーナ様ではございませんか?」


 ディランが即座に立ち上がり、青年の前に立ちはだかる。


「何者だ。軽々しく聖女様のお名前を口にするな」


 しかし、セレスティーナは冷静にディランを手で制した。


「構いませんわ、ディラン。…ええ、わたくしがセレスティーナです。何か御用かしら?」


 青年は、ディランの鋭い視線に怯むことなく、セレスティーナに向き直り、深く頭を下げた。


「突然の無礼、お許しください。私は、隣国ガルダより参りました、アストルと申します。あなた様の名高いご活躍の噂を耳にし、藁にもすがる思いで…」


 ガルダ帝国。その名を聞いて、セレスティーナの表情がわずかに曇る。魔物の力を軍事力に転用し、周辺国への威圧を続ける覇権国家。しかし、その内情は決して豊かではないと聞く。


「わたくしに、隣国の方が何の用ですの?」


「どうか、我々の国をお救いください!」


 アストルと名乗る青年は、声を潜めながらも、切実な響きで訴えかけた。


「我が国は、魔物の力に頼るあまり、国土は疲弊し、作物は育たず、民は飢えに苦しんでおります。魔物の力は強大ですが、それは血を啜って咲く徒花…。このままでは、国そのものが滅びてしまいます」


 彼は、セレスティーナが孤児院で実践したという、痩せた土地でも作物を育てる農法や、栄養学の知識について、驚くほど詳しく調べていた。


「どうか、そのお知識をお貸しいただきたいのです。魔物の力に頼らずとも、民が腹を満たし、国が自らの足で立てる道があるのだと、示したいのです!」


 セレスティーナは、彼の言葉を黙って聞いていた。


 単なる技術支援の要請ではない。彼の瞳の奥には、国の在り方そのものを変えようとする、強い意志の炎が燃えていた。それは、貴族たちの反発を受けながらも、改革を進めようとする自分自身の姿と、どこか重なって見えた。


「…あなた、ただの旅人ではありませんわね?」


 セレスティーナの静かな問いに、アストルは観念したように息をつくと、その場で跪いた。そして、懐からガルダ帝国の王族のみが持つことを許される、金色の鷲の紋章を取り出して見せた。


「我が名は、アストル・フォン・ガルダ。ガルダ帝国第二王子。我が身分を明かした上で、改めてお願いいたします、聖女セレスティーナ様。どうか、我が国と民をお救いください」


 一国の王子が、身分を隠し、単身で敵国とも言える王都に乗り込み、聖女に助けを請う。それは、彼の置かれた状況がいかに切迫しているかを物語っていた。


 ディランは驚愕に目を見張り、即座に剣の柄に手をかける。


 しかしセレスティーナは、静かに彼を見下ろしたまま、動かなかった。


 国内の改革だけでも、道は険しい。それに加え、覇権国家の内政に関わるなど、下手をすれば国際問題に発展しかねない。


 だが、目の前で跪く若き王子の瞳は、あまりにも真っ直ぐで、そして悲痛な色をたたえていた。


 セレスティーナ・フォン・エトワールの前に、国家という枠組みすら超える、新たな救済の扉が開かれようとしていた。

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